余談:ドイツ語の日本語表記における拗音について

私が卒業したドイツ科で教えられていた先生に千石喬という方がいらっしゃいます。直接授業を受けたことはありません。
私の記憶が正しければ、この千石先生がある時(1980年代の中頃)短い論文を書かれて、「Heidegger」は「ハイデッガー」ではなく「ハイデガー」と日本語表記すべきであることを主張されたことがあります。この主張自体は発音からすれば正しく、どちらがドイツ語の発音に近いかと言われれば「ハイデガー」です。(実際の発音はたとえばここを参照。)なので現在はまともな辞書・事典なら「ハイデガー」を採用しています。(日本語Wikipediaは未だに「ハイデッガー」です。さらにその発音例として参照しているのが、ドイツ人ではなくオーストリア人の発音したものです。)
それはいいのですが、こういうことを聞くと、それを闇雲に何でもかんでも適用する人がいて、最近はIchを「イヒ」などと表記している場合があります。実際に発音してみれば分かりますが、「イヒ」などという発音はほぼ不可能で、伝統的な「イッヒ」と書くしかありません。千石先生の論文は読んでいませんが、当然ながらドイツ語に日本語の拗音に相当する発音が無いなどとは一言も言っていないと思います。拗音がなければ”Stuttgart”(シュトゥットガルト)を一体どうやって発音するのか。
Heideggerが「ハイデッガー」と表記された理由の一つとしては、イタリア語では子音が2つ重なる場合にはbellaが「ベッラ」、sessanta「セッサンタ」、spiagga「スピアッジャ」のように、発音自体が詰まりますし、その結果日本語表記にも拗音が使われますが、これがそのままドイツ語にも適用されてggだから拗音で「ハイデッガー」となったのだと思います。
ところが「ハイデガー」という表記が広まると、今度は逆の現象が出て、イタリア語の発音も詰まる音を抜いて表記する人が出てきます。中山元訳の「プロ倫」でcommendaを「コメンダ」と表記するのが典型例です。(ちなみにcommendaはラテン語ですが。)
こういう例は沢山あって、以前別の所に書きましたが、「ポーランド語には長音表記がない」というのを「ポーランド語には長音がない」と同一視するというおかしな解釈をする方がいて、その結果、シマノフスキ、パデレフスキといったようにスラブ諸語では共通の「長母音」語尾を、何故か伸ばさないで表記する、という変なことが一部(主として岩波書店系の書物)にて行われていました。ご興味ある方はここを参照願います。
以前、ソフトウェアメーカーで、日本語変換用辞書の開発に関わっていたので、外国語をどう日本語表記するかという問題はいつも頭を悩ます問題でした。一般論として日本で出ている辞書・事典類は非常に当てにならないものが多いことだけをここでは申し上げておきます。

Die Kommenda und die Bedürfnisse des Seehandels. pp.157-161 日本語訳(8)

P.157 – P161の3行目までの日本語訳です。
「何とか法典」が沢山出てきて調べるのが大変でした。(日本語Wikipediaには西ゴート法典の項目すらありません。)
しかしながら、長く貿易をやってきた者にとっては、こんな古い時代から今日の貿易における慣行が存在していたというのはちょっとした驚きでした。
元のドイツ語はここです。
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Ⅱ. 海上取引法における諸ソキエタス

1.コムメンダと海上取引における諸要求

貿易というものを中世において相当な規模で見出すことが出来るのは、まず第一に地中海の複数の沿岸都市においてであるということは、少し考えただけでも歴史的にも確かなことである。特に地中海の西側の水域《イタリアの西岸とスペインに囲まれた水域》に面している沿岸諸都市においては、貿易は今日でもまだ完全には消滅してはいない。というのもここにおいて本質的に海上取引による商品の取引や販売に使われる一つの事業形態が発生したのは、特にイタリア西岸の諸都市とスペインの海岸地域 1)の間の交易においてでである。

この地中海沿岸諸都市間の海上取引は、既にかなり古い時代において、債権法において独特の諸原則を発達させていた。

既にローマ法においてfoenus nauticam《foenusはfaenus(利息)で「海事利息」の意味。海事契約利息とも言う。ある貸主が貿易を行うものに資金を貸し付けるが、借主は船が無事に戻って来た時のみに返済義務を負い、海難事故で船が全損した場合は返済不要という内容のもの。返済の際には借りた金額より多い金額を返すため、一種の海上損害保険の先駆けともみなせるが、教会の利子禁止の裏をくぐるような利息付き貸し付けともみなせるため、1236年に法王庁から非難されたことがある。参考:Palgrave Macmillan, A. B. Leonard編, “Marine Insurance Origins and Institution, 1300 – 1850 (Palgrave Studies in the History of Finance)” 》やlex Rhodia《ロード海法、紀元前3世紀にロードス島で編纂されたと信じられていた海上取引に関する慣習法。原本は今日でも未発見。ユスティニアヌス法典の勅法彙纂の中に”lex Rhodia de iactu”(「投荷 (共同海損) に関するロード法」)という一章が含まれている。(「共同海損」は船の事故の時に損害を船主や用船者と荷主全員で平等に負担する仕組みで、今日の海上保険でも存在する概念。)参考:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典》において特別な規定が設けられており、それは海上取引で考慮に入れるべき特別な種類の危険を斟酌するものだった。まさしくそういった諸制度は民族大移動の時期を通じて完全に廃れることは一度もなかった。我々はそういった制度を、一般的に知られている通り、中世初期の法的文献史料において再び見出すことになる。2)しかし中世においては、古代の法に比べて、法的な分析に基づいて危険分担を決めるという程度が弱く、そうした危険分担を概して自明の規則に従って定めていた。

海上取引においてその債権者や参加者になった者は-まずそういった順番で考えてみると-そのどちらの者もある継続的な事業経営に関わった訳ではなく、むしろある特別の航海という個々の事業に対して債権者は資金を貸付け参加者はその取引に参加するのであるが、-とはいっても海上取引は単純な統一された事業ではなく、それぞれが個別の危険(リスク)を持っている個々の事業の連続体なのである。

1)西ゴート法典《西ゴート王国のChindasuinth王が642年から643年にかけて最初に編纂し、その息子のRecesswinth王が654年により大規模にまとめた法典。ローマ法とゲルマンの慣習法及びキリスト教会法を融合しようとしたもの。》、1.XII t. IIIの”transmarini negotiatores”(海上取引)を参照。
2)ゴルトシュミットの商法雑誌第35巻に掲載されている”Lex Rhodia und Agermanament”(ロード海法と姉妹都市)を参照。

西ゴート法典と海上取引

この危険については、当時の交易関係に対応する上では、飛び抜けて重要な要素であり、交易を行う上で計算に入れておかなければならないものであったが、海上取引に何らかの形で関与した者によって分割して担われる必要があった。-このことは立法上で最大の問題であり、それ故取り敢えず法学的には関係者の関与の仕方を細々と分類することは行われず、そういった分類はここでは相対的に重要度が低い。西ゴート法典においては最初に
“commendare”(委任する)、”commodare”(貸し与える)という動詞が、各々の参加者の返還のための何かの引き渡し、つまり”in specie”(現物で)または”in genere”({お金を借りていた自分の}一族に対して)といった形態や、委託(Deposit)から貸付け(Darlehen)まで、-各々の参加者の功利的な意図での引き渡しは、後にローマ法においては当該の業務がどの法的カテゴリーに属するかという点で重要ではなくなるのであるが-を意味するようになる。まさに西ゴート法典においては、債権者の債務者に対する、参加者の事業発案者に対する、あるいは委託者の委任者に対するそれぞれの関係がはっきりとは分離されていないように見えるところが特徴である。3)これら全ての者の経済的な目的は、ここにおいて本質的にまさに同一であった。つまり、海を越えた先の市場に対して何かを輸出し、そして逆にその市場から何かをあらためて輸入するということである。これらの目的のための経済的な必要な事は常に本質的に同一のものであった。まず一方では、商品の購入のための労働力の投入、次に海を越えて商品を送るための輸送手段、そして最後に運んだ商品を外国の市場で販売するための特別な販売技術による労働力の投入である。他方では輸出する商品を購入しまた輸送手段を確保するための資金である。投入すべき労働力と資金、場合によっては借り入れによる、という意味での必要物の調達は、それぞれの輸出事業で必ず行わなければならない事である。既に西ゴート法典においても、危険と利益を参加者間でどのように分担するかということが法形成においてまさに本質的な問題であった。

3)(商品の)委託と販売の委託は西ゴート法典では同一の章:”de rebus praestitis 1. Vt. Vc. III.”(貸付けられたものについて)で扱われている。委託することと貸付けることは、c.VIII において相互に入り交じった形で規定されている。そこでは本質的には海上取引が想定されていることは、c. V の同一場所の表題部(verbo naufragium: 「海難事故に関する規定」)から分かる。その規定の中に含まれているものは、直接に後の時代においてのコムメンダに関する法的な規定を我々に思い起こさせる。-ランゴバルド法《ゲルマン民族であるランゴバルド族の部族法。643年に編纂されたロタリ王法典(Edictum Rothari)などいくつかの法典の総称。》においては、国内部族について定められたものでは、信用を受けた者に危険負担責任が課せられ、つまりその者は貸付けの規定に従って、信用を供与した企業者の利益を考慮すること無く、返済を行う義務があった。まずは海上取引を考慮する西ゴート法典においては、既に商品の委託と販売の委託において独特のやり方で危険負担責任を分割しており、ローマ法の根本原則 (I. V tit. V c. III)とは相違しており、むしろより独創的に利子付きの貸付けにおいても (同一場所の c. IV: “de pecunia perdita et usuris ejus” {失われたお金とその利子について}) 投機の目的で ( “sub condicione receperit”{ある条件下での将来の受け取り}、つまりどの事業に、受け取った資金が使われるのか、を規定している)危険負担責任を分割している。供託者、委託販売人、信用供与者については常に、まさにそれぞれの相手方と同様に、企業者の危険負担責任の一部を分担するのである。

4)ゴルトシュミット、”De societate en commandite”(委託に関わるソキエタスについて)、1851年;ジルバーシュミット、”Die Kommenda in ihrer frühesten Entwickelung.”(コムメンダの最初期の発展について)

コムメンダの経済的な基礎

上記で述べたような参加者にとって等しく必要なことは、今や同一の法的な制度の確立をもたらすのであり、それはコムメンダという名前である特別な法的な形態と成り、既に歴史的にかなり初期の段階で完全に確立した法形態となり、海上取引はそれを利用したのである。

コムメンダがある者が別の者の商品を売却することをその者自身のリスクにおいて行い、そして利益を得るというある種の業務であることは周知の事である。ゴルトシュミットが推測しているように、コムメンダが既にローマの世俗法に含まれていたかどうかは、取り敢えずここでは保留とし、我々はそれをただ中世において追究する。

もっとも原始的な海上取引の内容は以下のようなものである:商品の生産者あるいはその生産者から商品を買い付けた商人が個人として船に乗り込み、この船に輸出用または輸入用の物品を積み込むというものであるが、コムメンダの制度が見出されるような時代においては、既にそのような原始的な形態は乗り越えられていた。既に最古の法的史料においてpatronus navis(船の所有者)は、商人達に対して船を提供し、その商人達は自分達の貨物と一緒に船に乗り込む、という形で登場する。さらにそれを越えて、労働の分担も進んでいた。つまり卸し商人は自分自身の代わりに継続的に使役する関係であるfattore(イタリア語、代理指図人)、messatge (カタルーニャ語、メッセンジャー)を、船に乗り込ませる。船主、それはスペインでは主にRhederei 《スペインのアラゴン王ペドロ3世(1239 – 1285)により編纂された地中海における海事法である concolato del mare に出て来る初期の海運業者》であったが、そちらはそちらなりに patronus navis として自分達の使役人を仕立てるのである。

5)ゴルトシュミットの前掲論文、商法雑誌第35巻、P.80、107を参照。この見解についての個々の事例においての確認は、後に適当な場所で言及する。
6)ジルバーシュミットの10世紀のヴェネツィアでの collegantia 《合資会社の原初形態》についての見解は、ゴルトシュミットの前掲書 Z. XXXV P. 80、 81によれば、偽ロード海法《8世紀にビザンチン帝国において私人の手により編纂され、ロード海法を偽装したもの》のχρεωκοινωνία (χρεως+κοινωνία、信用ソキエタス)にもっと古い例があるとされている。
7)トラニ法典《イタリアの港湾都市トラニで1063年に編纂された中世地中海での最初の海商法典》 ( Pardessus《Jean Marie Pardessus、1772年~1853年、フランスの法学者》編, Collection des lois maritimes)とトルトサ慣習法《1149年にスペインのバルセロナで編纂された慣習法の集成》 (Oliver《Bienvenido Oliver、1836~1912年、スペインの法律家・歴史学者》編のEl derecho de Cataluña)と比較せよ。前者の編纂年代は諸説あり確定していない。しかし我々が研究の対象にしている制度はかなり早期に成立している。
8)consolato del mar を参照。Archive de L’Orient Latin I P.431も、Rhedereiの存在を前提にしている。
Archives de L’Orient Latin, Tome I, Paris Ernest Leroux, 1881)

Die Kommenda und die Bedürfnisse des Seehandels. pp.157-161 ドイツ語原文(8)

いよいよコムメンダの登場です。
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II. Die seehandelsrechtlichen Societäten.

1. Die Kommenda und die Bedürfnisse des Seehandels.

Daß der Handel in größerem Maßstabe im Mittelalter zuerst in den mittelländischen Seestädten anzutreffen ist, ist ebenso begreiflich wie historisch sicher. Speziell in den am westlichen Mittelmeerbecken liegenden Seestädten ist er schwerlich je ganz erloschen. Hier hat denn auch ein wesentlich dem Um- und Absatz von Gütern durch Seehandel dienendes Geschäft, die Kommenda, seine Heimat, insbesondere wohl im Verkehr der westitalienischen mit der spanischen Küste 1).
 Dieser mittelländische Seeverkehr hat schon in alter Zeit im Obligationenrecht eigenartige Grundsätze entwickelt.
 Schon das römische Recht hatte im foenus nauticum und der lex Rhodia besondere Rechtssätze aufgestellt unter Rücksichtnahme auf die besondere Art des Risikos, welches der Seehandel zu tragen hat. Gerade diese Institute sind durch die Zeit der Völkerwanderung hindurch nie ganz obsolet geworden, wir treffen sie bekanntlich in den frühesten mittelalterlichen Rechtsquellen wieder an2). Aber das Mittelalter, weniger als das antike Recht sich bindend an die Konsequenzen der juristischen Analyse, hat die Tragung der Gefahr auf diesem Gebiet überhaupt selbständigen Regeln zu unterstellen versucht. –
 Wer im Seehandel Gläubiger oder Partizipant geworden ist, der – so etwa ist der Gedankengang – ist beides nicht für einen resp. an einem kontinuierlichen Gewerbebetrieb geworden, er kreditiert resp. partizipiert vielmehr zum Behuf resp. an der einzelnen Unter-

1) Cf. I[ex] Wisig[othorum] 1.XII t. III von den „transmarini negotiatores”.
2) Cf. jetzt Goldschmidt, Lex Rhodia und Agermanament, Zeitschr. für Handelsr. Bd.35.

nehmung der speziellen Seefahrt, – denn der Seehandel ist kein einheitlicher Betrieb, sondern eine Serie einzelner Unternehmungen, deren jede ihr individuelles Risiko hat.

Die lex Wisigothorum und der Seehandel.

Dies Risiko, welches, den damaligen Verkehrsverhältnissen entsprechend, weitaus der wichtigste Faktor war, mit welchem man rechnen mußte, soll nun auf die an der Unternehmung irgendwie Beteiligten verteilt werden, – dies ist das legislatorisch wichtigste Problem, deshalb ist zunächst die Art der Beteiligung juristisch wenig differenziert, sie erscheint hier relativ irrelevant; „commendare“ und „commodare“ bezeichnet in der lex Wisigothorum zuerst jedes Hingeben auf Rückgabe, in specie oder in genere, vom Depositum bis zum Darlehen,-später jedes Hingeben in lukrativer Absicht, gleichgültig in welche römischrechtliche Kategorie das betreffende Geschäft fallen würde. Gerade das ist charakteristisch, daß der lex Wisigothorum Verhältnisse wie die eines Gläubigers zum Schuldner, eines Partizipanten zum Unternehmer, eines Kommittenten zum Kommissionär, im Seehandel nicht disparat erscheinen 3). Der wirt-

3) Vom Depositum und der Verkaufskommission spricht die l[ex| Wisig[othorum| unter derselben Rubrik: de rebus praestitis 1. Vt. Vc. III. Deponieren und Darleihen geht c.VIII eod. ineinander über. Daß wesentlich an Seehandcl gedacht ist, zeigt die Überschrift (v[erbo] naufragium) zu c. V eod., in weichem Bestimmungen enthalten sind, die direkt an spätere statutarische Festsetzungen betr. die Komraenda erinnern. – Die lex Langobardorum, für ein Binnenvolk berechnet, legt dem Kreditnehmer die Gefahr auf. d. h. er hat nach den Regeln des Darlehens ohne Rücksicht auf das Prosperieren des Unternehmens, zu welchem kreditiert ist. zu restituieren (l[ex] Long[obardorum] Liutpr[andi] 131), die zunächst an den Seehandel denkende l[ex] Wisig[othorum] teilt

schaftliche Zweck aller ist eben hier wesentlich gleichartig: Export und Reimport nach und von überseeischen Märkten; die ökonomischen Requisiten für diesen Zweck sind stets wesentlich dieselben: einerseits Arbeitsleistung beim Einkauf von Waren, dann zum Behuf des Transports über See, endlich die spezifisch handelstechnische Leistung des Absatzes der Waren auf fremden Märkten, – andererseits Kapital zur Anschaffung der Waren und der Transportmittel. Die Beschaffung dieser Erfordernisse im Wege der Arbeitsteilung und des Kapitaleinschusses, event. Kredits, ist das Bedürfnis, welchem hier alle jene Geschäfte zu dienen haben; Regelung des Risikos und Gewinns unter den Beteiligten ist das wesentliche Problem für die Rechtsbildung schon in der lex Wisigothorum.

Wirtschaftliche Grundlagen der Kommenda.

Diesen selben Bedürfnissen soll nun auch dasjenige Rechtsinstitut dienen, welches unter dem Namen Kommenda eine spezielle juristische Ausgestaltung erfahren hat und schon in älterer Zeit ganz vorzugsweise die Rechtsform geworden war, deren sich der überseeische Handel bediente.
Es ist bekannt 4), daß die Kommenda ein Geschäft ist, durch welches jemand die Verwertung von Waren eines andern, auf dessen Gefahr, gegen Gewinnanteil übernimmt. Ob sie, nach Gold

schon beim Depositum und der Verkaufskommission die Gefahr eigenartig und abweichend von den römischen Grundsätzen (I. V tit. V c. III), noch origineller beim zinsbaren Darlehen (eod. c. IV: de pecunia perdita et usuris ejus) zu Spekulationszwecken (vv. „sub condicione receperit”, d. h. es ist stipuliert, zu welcher Unternehmung das aufgenommene Geld verwendet werden soll). Immer ist der Deponent, Verkaufskommissionär. Kreditgeber ebenso wie der Gegenteil an dem Risiko des Unternehmens beteiligt.
4) Goldschmidt, De societate en commandite 1851; Silberschmidt. Die Kommenda in ihrer frühesten Entwickelung.

Schmidts Vermutung, schon dem römischen Vulgarrecht angehört, bleibt hier dahingestellt 5), wir verfolgen sie nur für das Mittelalter.
 Der primitivste Zustand des Seehandels: daß der Produzent resp. der von ihm kaufende Händler persönlich ein Schiff ausrüstet und auf diesem die Tauschobjekte aus- und einführt, ist zu der Zeit, wo uns dies Institut entgegentritt 6), schon überwunden. Bereits in den ältesten Rechtsquellen steht der patronus navis als derjenige, welcher die Schiffe stellt, den Kaufleuten gegenüber, welche auf ihnen ihre Güter persönlich geleiten; auch darüber hinaus ist die Arbeitsteilung schon fortgeschritten: der Großkaufmann schickt statt seiner einen fattore (italienisch), messatged (catalonisch) 7), der zu ihm

5) Goldschmidt in der cit. Abh. Zeitschr. für Handelsr. Bd. 35 S.80 inkl. 107. Bestätigungen dieser Ansicht in Einzelheiten werden an geeigneter Stelle erwähnt werden.
6) Nach Silberschmidts Nachweisungen in der venezianischen collegantia im 10. Jahrhundert, nach Goldschmidt in der cit. Abh. Z. XXXV S. 80, 81, noch früher in der χρεωκοινωνία des pseudorhodischen Seerechts.
7) Cf. die Statuten] von Trani (b. Pardessus, Collection des lois maritimes) und die Costums de Tortosa (b. Oliver, El derecho de Cataluña). Das Alter der ersteren ist allerdings bekanntlich nicht unbestritten, die Entwickelungsstufc unseres Instituts aber eine frühe.

in dauerndem Dienstverhältnis steht, mit; der Schiffseigner, in Spanien meist eine Rhederei8), bestellt seinerseits einen Bediensteten als patronus navis.

8) So im Consolato del mare. Auch die Urk[unde] in Arch[uves] de L’Orient latin I p.431 setzt eine Rhederei voraus.

Gang der Untersuchung P.155-156 日本語訳(7)

日本語訳の第7回目です。なるほどラテン語は今回は登場しないのですが、ヴェーバーがここで言っていることは分かりにくいです。ただ、法的見地と経済見地の具体例では、この論文で後で、「家計」とか「家ゲマインシャフト」のような、一般的な「市場経済」の対象外とされるようなものから、合名会社における「連帯責任」「共通の特別財産」といった法制度における新しい原則が産み出されたのだ、というヴェーバーの主張のことを言っているのだとして読めば理解出来ます。
なお、この部分のKaelberの英訳は、それだけ読むと分かりやすいのですが、かなりの部分はしょった翻訳で、ヴェーバーの原文のニュアンスをかなり無視しているように感じました。
元のドイツ語はここです。
ともかくも最初の章の日本語訳が一通り終わりました。もちろんこれからも手直しを続けますが。
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研究の工程。経済的な見地と法的な見地の関係

ローマ法においても、またさらに中世において、つまりイタリアの文献史料の中においても、「ソキエタス」という表現は個別に形成された権利関係ではなく、人間同士の様々な関係を表現する一般的なカテゴリーの一つとして登場する。そういった諸関係に共通して他から区別される標識は、もっとも高度に細分化された法的構成においては、利益の獲得、リスクテイク、あるいは何かに投じた費用の中の一つまたは複数の事において、それらが複数の人間の共通の勘定において行われるとされている場合に見出される。そういった様々に異なったゲゼルシャフト形成の諸関係において、どのような標識から、今日の合名会社の原理が発生するのかということこそが、本質的に我々がこの論文で取り扱う問題である。

その問題の解明という目的において、次のようなことを単純に行うことは出来ない。つまり、今日の合名会社が有形資産と労働の成果を結合させているという外面的な形態だけを見て、歴史を遡って中世の諸法規の中に経済的に見て良く似た機能を持っている形象を切り出したり、さらにそういった形象の中に合名会社に類似していて歴史的に合名会社に発展していくであろうような制度を見出すとか、さらにそういった形象だけの観察に限定して研究を進めるといったことである。というのは我々はこの研究を課題の経済的側面に注目して行うのではなく、法的な根本原理の創世記の記述という観点で行うのであり、研究の最初から、法的な差異と経済的な差異をまぜこぜにするという前提条件を仮にも設定することは正当化され得ない。むしろより可能性が高いのは、法的には決定的な根本原則がその発生の最初においては、一般的な経済的な概念からまったくかけ離れた領域において成立したということと、そういった法的な根本原則に規制される実際の人間同士の諸関係が、その発生当初に比べると完全に元の姿を変えてしまったということである。

それ故に我々がやらなければならないことは-さらにまた法的要素と経済要素の対比を可能にするための境界設定により-観察の対象を法制史において登場してくるゲゼルシャフト(会社)の諸形態の中の主要な集団へと拡げることである。

法においては、経済の立場から見るとまったくその外側にあるような性質の標識がしばしば決定的に重要なものとされることがある。このような法形成の固有の性質からはまさに次のようなことが導き出される。経済的に見た差異の結果として外から見てはっきりした法的な構成要件上の区別が立ち現われる場合にはしかし、法的にもまた差異が生じ、従ってまた他から区別される法形態が発生の段階に達しているということを推定することは正当である。これから行う観察において、どの程度まで経済的見地から評価することが出来るのか、あるいは評価すべきなのかということにより経済的見地の重要度が決まるのであり、そしてさらにこれから詳しく述べていく議論の中の一部では、研究の対象物の性質そのものによってその対象物自身が生成される場合も示される。