日本語訳の第7回目です。なるほどラテン語は今回は登場しないのですが、ヴェーバーがここで言っていることは分かりにくいです。ただ、法的見地と経済見地の具体例では、この論文で後で、「家計」とか「家ゲマインシャフト」のような、一般的な「市場経済」の対象外とされるようなものから、合名会社における「連帯責任」「共通の特別財産」といった法制度における新しい原則が産み出されたのだ、というヴェーバーの主張のことを言っているのだとして読めば理解出来ます。
なお、この部分のKaelberの英訳は、それだけ読むと分かりやすいのですが、かなりの部分はしょった翻訳で、ヴェーバーの原文のニュアンスをかなり無視しているように感じました。
元のドイツ語はここです。
ともかくも最初の章の日本語訳が一通り終わりました。もちろんこれからも手直しを続けますが。
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研究の工程。経済的な見地と法的な見地の関係
ローマ法においても、またさらに中世において、つまりイタリアの文献史料の中においても、「ソキエタス」という表現は個別に形成された権利関係ではなく、人間同士の様々な関係を表現する一般的なカテゴリーの一つとして登場する。そういった諸関係に共通して他から区別される標識は、もっとも高度に細分化された法的構成においては、利益の獲得、リスクテイク、あるいは何かに投じた費用の中の一つまたは複数の事において、それらが複数の人間の共通の勘定において行われるとされている場合に見出される。そういった様々に異なったゲゼルシャフト形成の諸関係において、どのような標識から、今日の合名会社の原理が発生するのかということこそが、本質的に我々がこの論文で取り扱う問題である。
その問題の解明という目的において、次のようなことを単純に行うことは出来ない。つまり、今日の合名会社が有形資産と労働の成果を結合させているという外面的な形態だけを見て、歴史を遡って中世の諸法規の中に経済的に見て良く似た機能を持っている形象を切り出したり、さらにそういった形象の中に合名会社に類似していて歴史的に合名会社に発展していくであろうような制度を見出すとか、さらにそういった形象だけの観察に限定して研究を進めるといったことである。というのは我々はこの研究を課題の経済的側面に注目して行うのではなく、法的な根本原理の創世記の記述という観点で行うのであり、研究の最初から、法的な差異と経済的な差異をまぜこぜにするという前提条件を仮にも設定することは正当化され得ない。むしろより可能性が高いのは、法的には決定的な根本原則がその発生の最初においては、一般的な経済的な概念からまったくかけ離れた領域において成立したということと、そういった法的な根本原則に規制される実際の人間同士の諸関係が、その発生当初に比べると完全に元の姿を変えてしまったということである。
それ故に我々がやらなければならないことは-さらにまた法的要素と経済要素の対比を可能にするための境界設定により-観察の対象を法制史において登場してくるゲゼルシャフト(会社)の諸形態の中の主要な集団へと拡げることである。
法においては、経済の立場から見るとまったくその外側にあるような性質の標識がしばしば決定的に重要なものとされることがある。このような法形成の固有の性質からはまさに次のようなことが導き出される。経済的に見た差異の結果として外から見てはっきりした法的な構成要件上の区別が立ち現われる場合にはしかし、法的にもまた差異が生じ、従ってまた他から区別される法形態が発生の段階に達しているということを推定することは正当である。これから行う観察において、どの程度まで経済的見地から評価することが出来るのか、あるいは評価すべきなのかということにより経済的見地の重要度が決まるのであり、そしてさらにこれから詳しく述べていく議論の中の一部では、研究の対象物の性質そのものによってその対象物自身が生成される場合も示される。