4. Vermögensrecht der Seesocietäten. / 5. Die Landkommenda und die Kommanditen. P.181 – P.185 日本語訳(13)

日本語訳の第13回目です。この部分も既存の英訳が存在しない中世ラテン語が含まれていて、それなりに時間がかかりました。
英訳者のLutz Kaelberのラテン語の訳も、今一つ信用しきれない部分があり、その検証に時間を要しています。
ただ、次第に本論の部分に近づいてきて、なかなか興味深い内容になっています。
ドイツ語原文はここです。またこれまで訳した分全部をまとめて参照する場合はここです。
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成果

 ソキエタスによる営業活動として執り行われた業務によって形成された権利と義務の複合体に、ある種の特別財産として《その後合名会社に発展していくという》特別な運命を歩ませるということについてのいくつかの契機が《これまで考察してきたコムメンダとソキエタス・マリスという制度の中に》実際の所存在していたということは、どうあっても認めざるを得ないだろう。しかしながら、実際の所、それらはまさしく単なる契機に過ぎず、ソキエタスの基金に対しての債権者の地位を特別に完全なものにすることは行われなかった。債権者とソキエタスの基金の関係は、コムメンダやソキエタス・マリスという制度の発展の過程において、今日委託販売人《トラクタトール》の破産の際に販売委託人《ソキウス・スタンス》の権利を保護する目的でのある種の法的な制度の構築という点では、ほとんど進展が見られなかった。《コムメンダやソキエタス・マリスと称されるには》購入された商品の存在が前提となっている。

 ソキエタスの基金の特別財産としての位置づけは、ここでは 37)せいぜいのところ断片的なものでしかない。しかしながら若干の理論上の修正は考えられるものの、ラスティヒがこれらのソキエタスの法的な構成について述べていることは正しい。つまり本質においては、対外的にはトラクタトールが、対内的にはソキウス・スタンスが有資格者であったということである。後者についてはもちろん、ソキウス・スタンスが個々のケースで自身が企業家であった場合においての話であるが。

 完全に明白なことは、連帯責任の原理が、ここにおいてはまだその第一歩を踏み出すことが出来ていないということである。ソキウス・スタンス自身が、当該のソキエタスに投資した分以外の財産について、ソキエタスに属する商品についてトラクタトールと契約した債権者達と関係を持つことにはならないということは、ソキウス・スタンスのトラクタトールの債権者達との関係が、トラクタトールの財産についてそれが破産した際に優先権という形で現れること以上に、はっきりと表現出来るものは他に存在しない。このことはジェノヴァの1567年の法規においても、また13世紀のものについても同様である。

37)ピサではこのことはもはや当てはまらない。

5.陸上コムメンダと合資会社

陸上コムメンダ

 コムメンダはこれまで見てきたように海事法上の制度であり、これより以前の時代においては内陸の諸都市では知られている限りでは全く存在していなかった。非常な遠方との取引という困難を克服する必要があり、ソキエタスの成員の間の意思疎通と相互の監視が不可能であった場合に、コムメンダが登場した。陸上での取引は、これ以前の時代においては、市場から市場への往来に結びついていたし、コムメンダの必要が無かった。またその外的な活動においては危険の分散という考え方を海上取引においける特色のようには十分に考慮することが無かった。
 それにも関わらず「陸上のソキエタス」つまり”compagnia di terra”と呼ばれた制度においては、海上取引に関するソキエタスの根本原理が利用されているのを見出すことが出来る。それについて少し述べてみたい。
 陸上における業務の遂行について、利益の分け前を得ることを目的とした資本の引き渡しに対しては、海上取引におけるソキエタスの書式がほとんどそのままの形で使用された 38)。

38)Chart. II 545: I[terius] magistcr de antelamo (? arte lane?) et G[uido] mag[ister] de antelamo (arte lane?) contraxerunt societatcm in quam I|terius] l[ibras| 10 et G[uido] contulit l[ibras] 30. Ex his usque 5 annos debet facere pred[ictus] G[uido] calcionarios … et de proficuo … IVam habere debet I[terius] et 3/4 G[uido| pro fideli tamen cura … ab ipso G[uidone] adhibenda vel sol.20 de proficuo primum habere debet ante divisionem vel sol. 5 de parte ipsius I[terii] …
(antelamo{?羊毛職工?}のマスターであるイテリウスと、同じくantelamo{?羊毛職工?}のマスターであるグイドはソキエタスの契約を締結し、その中でイテリウスは10リブラを、そしてグイドはそこに30リブラを拠出した。この契約によって前述のグイドは、calcionaria《詳細不明。英訳は羊毛の靴下としている。あるいは石灰でなめした革製品?》を5年の間作り続けなければならない。…その利益からイテリウスは1/4を受け取ることになり、それに対してグイドはその忠実な労働の対価として3/4を受け取る。…その利益からグイドはまたは20ソリドゥス(金貨)を利益の中からそれを分割する前にまず受け取ることになる。または5ソリドゥス(金貨)をイテリウス自身の取り分から…(ちなみにこの部分は、利益の分割ではなく、危険の分散を目的とするゲマインシャフトの形成をもくろんだソキエタスの取り決めをしていることの明白な証拠である。)
 325: L[anfrancus Piper] dedit in societatcm B[ernardo Porcello] lib[ras] 50 quas idem se accepisse confessus est. has idem B[ernardus] debet tenerc usque 5 annos expletos et laborare cum eis in Ianua unde cas removere non debet sine licencia ipsius L[anfranci]. De omni proficuo quod deus in eis dederit L[anfrancus] duas partes et B[ernardus] terciam habere debet …
(ランフランクス・ピペルはソキエタスの契約においてベルナルドゥス・ポルセルスに50リブラを支払った。そしてベルナルドゥス・ポルセルスは同じ額を自身が受け取ったことを確認している。このお金をベルナルドゥスは5年が終了するまで保持しなければならない。そしてベルナルドゥスはジェノヴァでこのお金で仕事を行い、ランフランクスの許可無しにはこのお金をソキエタスから引き出すことは出来ない。全ての利益から神が次の分け前をお与えになる。つまりランフランクスが2/3をそしてベルナルドゥスが1/3を取ることになる。…ランフランクスは”stacio”を業務が行われる場所にしている。)
 576: Ego … accepi a te … lib[ras] 8 《denariorum ianuensium》in societatem de quibus debeo facere laborare in confeccione nepotem meum … et de proficuo quod inde consequitur medictatem tibi debeo . capitale tuum super me salvum erit et illud tibi restituam … usque prox[imum] fest[um] S. Michaël….
(私は貴方からソキエタスの契約において8リブラをジェノヴァのデナリウス金貨で受け取った。その契約によって、私は私の孫{または甥}を製造に従事させなければならない。…利益の中から半分を貴方に渡さなければならない。あなたの出資分については、私に関しては安全でしょうし、それを次の聖ミカエル祭までにはあなたに返します。)

 重要な違いとしては、ここではソキエタスの契約が個人の一回きりの事業として取り交わされているのではなく、ある一定の期間の継続を見込んだ業務として契約されているということが、本質的に目に付く。資本家はここではある一回の事業の危険と利益の両方に関与している。他の場合として、ここでも個々のケースにおいては、業務を執り行う者がかなりの程度資本家に従属する場合と 39)、資本家が業務を執り行う者の事業執行にただ参加するだけと解釈される場合との両方が見出される40)。

39)前注38の文献史料325番ではそうなっている。

40)注38の文献資料576番ではそうなっている。

 ジェノヴァの法規においては、陸上取引のソキエタスに関しては、言及する価値のあるものは含まれていない。海上取引への資本投下は無条件により利益が上がるものであったし、また競争において圧倒的に比較優位に立ったものだった。それに対し、陸上ソキエタスの場合は概して本質的に陸上取引とは無縁な海事法における根本原理を内陸におけるビジネスの世界に転用しているだけである。他の、歴史的に見てはるかに重要な例としては、ピアチェンツァの商業法規 41)の中に見出すことが出来る。ピアチェンツァは、(法規のc. 72、 89、 155、 131、 132、 133、 165、 560が示しているように)その自分の法律を、ピアチェンツァという都市そのものをその隣接した後背地として位置付けているジェノヴァとの主要な取引においてカスタマイズしたのである。

41) 13世紀の初めより。

合資会社の始まり。ピアチェンツァ。

 既に海上取引において、同一のトラクタトールと多数のソキウス・スタンスが組んでいる例において、-疑いもなくいっそうしばしば出現して来るようになった-自己裁量で行動するソキエタスの成立が可能になったことを確認出来る。

 しかしながら、そういった関係が成立していない場合においても、まさに明白に本来の関係に対置されるような関係の成立を規制することが不可欠だった。

 というのはその例としてジェノヴァの諸法規 42)が、ソキエタスに所属する商品でトラクタトールが送り返したものの分割、それらの現金化、そしてトラクタトールが死亡した場合について事実上の規制を行っているからである。その場合ソキウス・スタンス達が関与を余儀なくされる海上取引の航海上で遭遇する様々な状況の中から、ある一定の危険と利益の共通性が成立するという傾向があった。そしてまたこの時代に限らず中世初期に既に知られていたものとして、ロード海法における投荷の法原理を、ローマ法の当該部分の有効領域を超えて利用することが一定程度有効であったという傾向が存在していた。ピアチェンツァにおいては、そこの法規に基づけば、次のような状況が生じていた:

42)ペラの法規、c.211を参照。

43)ゴルトシュミットの”Lex Rhodia und Agermanament”(ロード海法と姉妹都市)についての引用済みの論考における詳論を参照。

イスラム教と経済倫理

ご承知の通り、ヴェーバーは宗教社会学で、プロテスタント、古代ユダヤ教、ヒンドゥー教、仏教、儒教、道教まで取上げましたが、出版社の刊行予告によると、その後「タルムードのユダヤ教」、「原始キリスト教」、「東方教会のキリスト教」「イスラム教」および「西洋のキリスト教」まで研究を進める予定があったようですが、ご承知の通り1920年にヴェーバーがスペイン風邪から肺炎を併発して亡くなったことにより、この研究は実現しませんでした。
(この点に関しては折原浩先生の記述を参照しました。)
では、現在において誰かがヴェーバー的な経済倫理という視点でイスラム教を評価した研究が無いのかを調べたら、次の論考を見つけました。
小田淑子「Ⅲ イスラームにおける経済倫理」
まだ読んでいませんが、まさにヴェーバー的視点を踏まえつつイスラム教を評価したもののようです。