III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.198 – P.203 日本語訳 (17)

日本語訳17回目です。ここは注釈が長くて、かつゲルマン法にはほとんどなじみがなくて色々調べるのに時間を要しました。ヴェーバーは当時のロマニステンとゲルマニステンの対立のどちらにも与することなく、両方の論点を止揚しようとしているように感じました。
またザクセンシュピーゲルで中低ドイツ語が出てきました。学生時代に中高ドイツ語は新田春夫先生の授業で少しやりましたが、中低の方は初めてです。地域的にはハノーファーの辺り(ニーダーザクセン)の言葉です。大体分かる感じですが、所々分からない単語があり、その箇所は辞書も持っていないので英訳に頼りました。英訳はKaelber教授自身の訳ではなく、ザクセンシュピーゲルのドイツでの注釈書を参照しています。(その後、Web上の中低ドイツ語の辞書を発見しました。)
これで全体の1/3を訳し終えました。元のドイツ語はここです。
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 第一の方向、つまり家族の財産を個々の成員がそれぞれ分け前として持つという方向に向かったのは、ノルマン人《12世紀に南イタリアを占領し、ノルマン・シチリア王国を建国した。》の残した考え方 9) から非常に強い影響を受けた南イタリア-シチリア島の法における考え方であった。それらの法の規定によれば、家族の財産は持ち分に従って父親と子供達の間で分割されて所有されていたように見える。父親は生者に囲まれながら、自分自身の死を想定しつつ生き、それぞれの子供達と同等に、家族財産の中のある決められた部分に対してしか自由処分権を持っていなかった。

9) 類似した考え方は古フリースラントでも、またバルト海から侵入したブルグント人の法においても見られた。《現在のオランダであるフリースランドにゲルマン民族であるフリース人が進出し、7~8世紀にフリースラント王国を建国した。ブルグント人は元々スカンジナビアに住んでいたゲルマン人であり、5世紀初めにローマ帝国領内に侵入し、ライン川の西にブルグント王国を建国した。ブルグント王国は叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の舞台としても有名。また現在のフランスのワインで有名なブルゴーニュ地方の名前はブルグントにちなむもの。》Brünneck《Wilhelm von Brünneck、1839~1917年。ドイツの法学者、法制史家。》のSiziliens mittelalterliche Stadtrechte 《1881年、シチリア島の中世の都市法》を参照せよ。Pappenheim《Max Pappenheim、1860~1934年、ドイツの法制史家》の Launegild und Garethinx 《1882年、ブレスラウ》は、c. 51, 1において liber legis Gundebadi(ブルグント王国のGundbad王の法律の書)を西ゴート王国の I ArfÞaer balker 9 principio (相続財産の一部?)と比較している。

10) ソレントでは(Consuetudines rubr. 43《ソレント慣習法集成》)、父親は自分の労働による報酬のみを自分自身のものとして取得し、相続対象となる財産については子供達が一緒の家に住んでいる限りにおいてそれを自分で管理し、共通の生計への収入についてはしかしながら子供達が成人した後は(rubr.43 前掲書)、その子供達がもはや父親と一緒に住んでいないことになると直ちに(rubr. 7 前掲書、 Consuetudines v. Neapel の r. 7 と比較せよ)、父親・母親・子供達の間で成年に達した者に対する分け前に応じた収入の分割が始まり、息子達(rubr. 43、前掲書)は分割を要求することが出来た。つまり家族の構成員による共有財産(communio)が成立しているのである。1345年のシチリア島のカターニアの法(名称:III Consuetudo unica)は家族成員間の等しい関係を次のように表現している:家族構成員の財産はあたかも「一つの体」(unum corpus)と成るであろうと。シチリア島のメッシーナの法(ホーエンシュタウフェン朝のもの《ホーエンシュタウフェン朝のフリードリヒ2世の時代、1197~1250年》)と1299年のカルタジローネ《同じくシチリアの町》の法、そして Ordinaciones terrae Noti《1341年、シチリア島のノートの法規》は父親の分け前についてより詳細に定めており、また次のような規定も存在する。つまり、父親とそれぞれの家族構成員はそれぞれの分け前の分についてのみ自由処分権を有することが正当化されている。しかし、その分け前分についてはそれ以外に何の制約条件も無く自由に処分出来たのである。メッシーナの法のc.33では明確に、両親の生きている間においては、(子供達からの)分割の要求を無効と定めている。そのことについてはカルタジローネの法は次のような除外規定を置いている:もし父親が息子または娘を一人前と認めて自由にしない限りは、と。こうした関係のこれまで知られている限りでの最も古い法律条文での言及は、1150年のルッジェーロ2世《1130~1154年までシチリア王》のもの(ギリシア語とラテン語で記載)である: … „si genitor in vita habuerit 3 liberos … consuetudo est ex omni substantia eorum ipsum obtinere duas partes, id est 8 uncias, filios autem terciam“.(もしある父親が生きている内に3人の子供を持ったとしたら…慣習では父親は彼らの全ての所有物の中から2/3を得、それは8/12と等しいが、息子達はそれに対してその中から1/3を得る。)
 フランス民法典の”part disponible”(自由に処分出来る財産分与分)は、ここにおいて既に生きている者同士の間で適用されていた。
 シチリア島においてノルマン人の法とビサンチン(東ローマ帝国)の法が、中間的な法も存在せずに同時に並立しているということは、シチリア島においては個人の原則がまずフリードリヒ2世皇帝の Constitutiones Regni Siciliae (l. II t. 17)において取上げられており(更に1286年にはアマルフィで、Volpicella《Luigi Volpiicella、1864~1949年、イタリアの歴史家》の編による文献史料 Consuetudini d’Amalfi において、”vivens lege Romana”(生きているローマ法)という宣言が登場する)、ローマ法における communio がゲルマン法での家族財産という概念に直接的に移行するのを促進したと言えるかもしれない。
 シチリア島の諸法規とBrünneckのそれに関する前掲書(Sisiliens mittelalterliche Stadtrechte)を参照せよ。

 このような家族の構成員が家の財産の内からそれぞれ分け前を持つといった法的な考え方は、シチリア島以外の他のイタリアにおいては一度も存在していなかった。個々の構成員にとってのこうした人間関係の金銭的な意味は、ここにおいてもまた自然に前面に登場して来ることになった。その後それ故にそういった諸ゲマインシャフトは大規模な商業において役割を果たし始めた。そうした大規模な商業における共通の業務への出資という形での重要な関与においての、共通の財産の要求は正当なものと見なされるようになり、―ただ観念的な分け前の概念における家族の(共有)財産概念の崩壊は、南イタリアにおけるような形ではまだ始まっていなかった。家族財産の原則的な一体性は維持されていた。全体的な経営ゲマインシャフトと個々に分割された財産についての共通の財産を超える原則的に無制限な処分権の、これらの諸ゲマインシャフトに固有であった根本原則は、それぞれのゲマインシャフトに大規模商業における行動能力を付与するという意味で、かなり高いレベルでの有用性を保つように明確に形成されたいた。

11) ランゴバルド法もまた家族の構成員の分け前的な権利という根本原理に従った家族財産の形成への傾向を持っていた。そのことは文献史料のRegistrum Farfense (Il Regesto di Farfa pubblicato della Società romana di storia patria vol. II、1879年、ローマ)《ファルファはローマの近郊で北東方向にある地名》にはっきりと示されている。(Brunner《Heinrich Brunner、1840~1915年、オーストリアの法制史家》の Mitteilungen des Instituts für österreichische Geschichtsforschung、第2巻、P.10以下)を参照せよ。これらの諸都市ではしかしながら、今後本論考で示されるように、こうした発展はただ部分的に発生していたに過ぎなかった。

家族以外での諸家計ゲマインシャフト

 しかしながら、今まさに述べた最後の理由(個々の成員の分け前である財産の処分権の共有財産に対する優先が、そのゲマインシャフトに商業での行動能力を付与すること)は、そういった根本原理がまず第一に家族に属する者に限定されると見なすべきことへの理由とはなり得ない。既に述べて来たように《全集版のP.195、「諸ゲマインシャフト関係の法的基礎。家計ゲマインシャフト」の最初の箇所》、家を基礎にする家族のゲマインシャフトはその構成員として家族以外の人間も包含していたし、それも既にランゴバルド法において本質的には親族関係という要素では無く、家を共通にするゲマインシャフトという事実をその関係の基準と見なしていたし、その場合こうしたゲマインシャフトに適用された法文は、共通の家計と労働を通じての共通の経営が、親族関係に基づいていない人間集団の中で行われているという(家族だけの関係と)同等の原則が存在している場合には、まさに同じような法適用が可能だったのである。事実として、また中世の法においても、家のゲマインシャフトの効力をただ親族関係に限定するということは行われていなかった。それはむしろ家族の外側でそれと同じようなゲマインシャフト関係が作られ、全く家族ゲマインシャフトと同等に扱われたのである。更には、より古い時代においてはそうした家族の外でのゲマインシャフト関係は手工業を基礎として形成されたのである。

手工業のソキエタス

 内陸の諸都市においてより大規模な遠方との交易についての諸前提条件がようやく外部に対して次第にはっきりと姿を見せるようになったということは、既にこれまで述べて来た《5.の「陸上コムメンダと合資会社」の箇所》。そうした取引は自然な形では最初は商品を次の市が立つ場所に輸送することから始まり、そして時には(海上輸送や貿易のために)海に面する港まで運ぶことになり、それは更に輸送の範囲を広げて行くことになり、その結果その商売の形態は商品の売り買いというより販売が主となり、工芸的な労働がその繁栄の基礎をそこで築くことになった。というのもそうした内陸都市における法規の中では、そうした産業の内容を警察がそうするように取り締まる規定が多くの部分を占めていたのである。そういった産業の労働が生み出したものは、まずは手工業によって生産された商品であり、それに応じてここにゲゼルシャフト形成の源流が見出されるのである。その際に、資本を相互に拠出してまとめることによる共通の基金の形成と、一方向的なコムメンダというやり方でのゲゼルシャフト化に対しては、この時点ではまだほとんどの所必要性に乏しく、かつ可能性という意味でもほとんど無かった。特定の手工業の職人がある別の一人の職人仲間とお互いに協力し(ある種の組合を結成し)た場合、そこに共通の労働が発生し、その目的はその仲間と作業場と販売のための店舗において仕事を分担することであり、というのもその共通の仕事は本質的には(同じ)居住場所の中において進行したのであり、その居住場所とは原理的には店舗であり同時に作業場であったのであるが、それ故に労働仲間は同時に家仲間と成り、食卓と家計を分け合ったが、つまりは一つの家に起居する職人仲間(Geselle)に成ったのであり、ラテン語では famulus, factor であり―、または同じく独立した構成員(Genosse)―ラテン語では socius ―でもあった。「一つのパンと一本のワインを共有する」(stare ad unum panem et vinum)はこうした労働ゲゼルシャフト(そう名付けるのであれば)にとって自然なことであり、このことが法律におけるこういう関係の形成において明確な意味を持っているのである。ただ手工業におけるこれらのゲゼルシャフト形態の源流が次のことを明らかにする。つまり、更に後の時代で巨大な産業として経済的に世界を支配したような商業上の諸ソキエタスでのゲゼルシャフトに成長した家計的要素は、本論考では後でそれについて取上げることになるが、確かに必ず必要なものでも無いしまた本質的なものでも無いが、しかしそれはある重要性の高い(他から区別するための)特徴となっているのである。

12)海上取引の盛んな都市と産業の発達した都市の対立がLastigによって強調されている。(Entwicklungswege und Quellen des Handelsrechts《商法の発達の道と源泉》)ゴルトシュミットはZeitschrift für das Gesammte Handelsrecht《総合商法雑誌》の第23号の309ページ以下で、このLastigの論に対し、対立を際立たせるやり方が行き過ぎであり、また一般化も過度であるとして批判している。Lattes《Alessandro Lattes、1858~1940年、イタリアの法制史家で商法史とランゴバルド法が専門》は Il diritto commerciale nella legislazione statutaria においてLastigに賛成しているが、彼が主に注目しているのは生成されて来る法規における2種類の都市の対立であり、つまりはその歴史的な発展である。彼の主に都市制定法の入門として有用な著作は、我々にとって重要な法制史上の観点についてはほとんど触れていない。

13) ある家内手工業者の雇い主との関係に関する法適用式としてのコムメンダの利用については、ピサの法についての章《第4章》にて手短に述べることとする。

14) バルドゥス編の Consilia V25 に述べられている、同じ台(banca)の上に立っている《同じ露店を営んでいる》肉屋の「ソキエタス」を参照せよ。

14a) 更にザクセンシュピーゲル《ザクセンの騎士 Eike von Repgowによって1220年から1235年の間に編纂されたドイツ中世の慣習法をまとめた法書。中低ドイツ語で書かれている。「ザクセンの鏡」の意。》の第1巻 Art. 12を参照せよ:
Swô brudere oder andere lûte ir gut zu samene habn, erhôen si daz mit irre kost oder irme dînste, der vrome ist ir aller gemeine, dazselbe ist der schade. Swaz aber ein man mit sîme wîbe nimt, das en teilt he mit sinen brûdern nicht (dazu cf. die Stelle der l[ex] Longob[ardorum]). Verspilt aber ein man sîn gût oder verhûret erz oder verguftet erz mit gift oder mit kost, dâ sîne brûdere oder die ir gût mit ime gemeine habn, nicht zûphlicht en habn, der schade den her daran nimet, sol sînes eines sîn, und nicht sîner brûdere noch sîner gewerken, die ir gût mit ime gemeine habn.(兄弟達と他の人達が財産を共有している場合でその者達が投資と労働の結果としてその財産を増やそうとする場合、利益については全員に共通のものとなり、損失についてもまた同じである。しかしある一人の成員が結婚した相手の女性から何かを得る場合には、その人はそれを他の兄弟には分け与えない。(ランゴバルド法の相当箇所を参照せよ。)しかしある成員が賭博にお金をつぎ込んだり、何かを浪費したり、贈り物や他の目的でお金を使った場合、その成員の兄弟やその成員と財産を共有している者がそれらの支出について同意していない場合は、損失はその成員のみの負担となり、その成員の兄弟や財産を共有している者の負担とはならない。)―イタリアの諸法規においては、ほとんど規則的に、手工業者は商人(mercatores)と一緒に扱われ、その商人(mercatores)についての規定において、手工業者とその商人の関係が規定されている。