マハラノビス距離の社会学への応用

ChatGPT-4に、私がここで提唱している、マハラノビス距離を異なる文明・歴史を持つ社会の比較に応用可能か、と聞いたら、非常にポジティブな回答が出ました。

User
ChatGPT

社会学において、異なる文明や歴史を持つ複数の社会を比較する際、多変量データを使用することが考えられます。例えば、教育、経済、健康、政治の指標など、多くの変数を組み合わせて社会を特徴づけることができるでしょう。

このような複数の変数を持つデータにマハラノビス距離を応用することで、変数間の相関構造を考慮しつつ、異なる社会間の「距離」や「類似性」を計算することができると考えられます。

しかしながら、注意点として:

  1. 変数の選択:どの変数を選ぶかは非常に重要です。選ばれた変数が文明や歴史の特徴を正確に反映しているかどうかを検討する必要があります。
  2. データの品質:使用するデータの品質や完全性も重要です。不完全なデータやバイアスのあるデータを使用すると、正確な比較が難しくなります。
  3. 文化的・歴史的な背景の理解:数理的な手法だけでは十分ではありません。文化的・歴史的な背景を深く理解することで、得られた結果に対する解釈や意義を深めることができます。

以上の点を考慮しつつ、マハラノビス距離を社会学的な文脈で応用することは十分に可能であり、有意義な結果をもたらす可能性があります。

マハラノビス距離と生成AI

以前ここで、異なる社会や文明を比較する方法としてマハラノビス距離が使えるのではないか、と書いたことがあります。
最近仕事がらみで生成AIを色々調べています。その中で学習する文書をベクトル化する技術をEmbeddingと呼びますが、これが実にマハラノビス距離と深い関係があることを発見しました。
論より証拠で、Chat-GPT4に聞いてみた結果が以下です。

Q: 生成AIのEmbeddingは、マハラノビス距離と関連がありますか?

A: ChatGPT
はい、マハラノビス距離と生成AIのembeddingには関連があります。マハラノビス距離は、特徴空間において、データの分布を考慮して2つの点またはデータセット間の距離を測定する方法を提供します。生成モデルのembeddingは、高次元データを低次元空間にマッピングし、データ間の関係を捉える役割を果たします。
具体的には、生成モデルが学習する過程で、データの内部構造やデータ間の関係を学習し、これらの情報を低次元のembedding空間にエンコードします。マハラノビス距離を利用することで、この低次元空間においてデータ点間の相対的な距離をより適切に計算し、クラスタリングや異常検知、類似度計算など多くのタスクを効果的に行える可能性があります。マハラノビス距離は、特にデータの分布が正規である場合や共分散行列が利用可能な状況で有用です。

手作業で、様々な文明の多次元ベクトル空間を作りそのマハラノビス距離を求めるのは非常に手間がかかりますが、それこそ生成AIが使えるのではないかと期待しています。文系の学問もいまや大きく変わろうとしています。

 

本日折原浩先生よりメールをいただきました

折原浩先生のHPの更新が4月30日以降途絶えており、その最後の書き込みでご健康の問題に言及されていました。また6月20日頃メールしましたが返信がなく、案じていました。本日折原浩先生より返信をいただきました。検査のために入院されていたそうです。

ChatGPTの有償版(GPT-4.0)を使い始めました。

ChatGPTについて、有償版(GPT-4.0)を契約して使い始めました。月20ドルです。まだ色々試している段階ですが、3.5に比べ確実に進化しています。以下は一例:
質問
ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーの学問に対するディルタイの解釈学の影響について教えてください。

ChatGPT

マックス・ヴェーバー(1864年-1920年)とヴィルヘルム・ディルタイ(1833年-1911年)は19世紀と20世紀初頭のドイツの著名な社会科学者で、ともに社会科学の方法論とその本質に対する理解を深めるための作業に従事していました。それぞれが独自のアプローチを持っていましたが、ヴェーバーの作業は間違いなくディルタイの影響を受けていました。

ディルタイは社会科学の研究方法についての重要な考えを提供しました。彼は「理解」(Verstehen)という概念を通じて、社会科学が自然科学とは異なる独自の方法で行われるべきだと主張しました。ディルタイにとって、「理解」は他者の体験、意図、感情に対する洞察や共感を意味します。これは、人間の行動が単に観察可能な事象ではなく、それらが意味を持つ文脈において理解されるべきであるという彼の信念を反映しています。

マックス・ヴェーバーはディルタイの「理解」の概念を引き継ぎ、それを彼自身の社会学の方法論に組み込みました。ヴェーバーは社会科学が行動主義や経験主義の視点だけでなく、「理解」の視点からもアプローチする必要があると認識しました。彼は個々の行動がそれ自体で意味を持つだけでなく、それが集団や文化全体の複雑な文脈にどのように適合するかを理解することを重視しました。これは彼の「理想的な型」の概念にも表れています。

したがって、ディルタイの影響はヴェーバーの社会学の中心的な要素であり、彼が個々の行動と社会全体のダイナミクスを理解するためのツールとして使用しました。ヴェーバーはディルタイの考え方を引き継ぎつつも、それを発展させて自己の理論フレームワークに組み込むことで、新しい視点を提供しました。

ドイツ語翻訳ツールとしてのChatGPT

ChatGPTは外国語翻訳ツールとしては非常に有用で、例えば英語のメールを作成させるのでも、従来は日本語メール作成→翻訳という手順が必要でしたが、ChatGPTでは「~という内容の英文メールを作成して」で済み、そしてかなり程度の良いものを作ってくれます。
また純粋な翻訳ツールとして見た場合でも、従来のGoogle翻訳などに比べてはるかに精度的には上がっています。従来の翻訳ツールは要するに語学的な翻訳ツールでしかありませんが、生成AIは背後に膨大な世界知識を持っていますので、それが翻訳の質に大きく貢献しています。
以下、「ローマ土地制度史」の序文の所の、ドイツ語-ChatGPTの日本語訳-拙訳です。精密な解読というレベルではもちろんなくかなり端折った訳ですが、ざっとどういう内容が書いてあるかの理解には十分使用可能と思います。「農業」と訳されている部分の多くは正確には「土地制度」ですが、これは人間も間違えていますので、仕方がないかなと思います。

Vorbemerkung.
Die nachstehenden Untersuchungen können wohl nicht den Anspruch erheben, vollkommen das zu halten, was der Titel verspricht. Sie behandeln verschiedene Erscheinungen des römischen Staats- und Privatrechts unter einem einseitigen Gesichtspunkt: dem ihrer praktischen Bedeutung für die Entwickelung der agrarischen Verhältnisse.
Die ersten Kapitel versuchen den Zusammenhang der verschiedenen Aufmessungsformen des römischen Ackers mit dessen staats- und privatrechtlichen Qualitäten und die praktische Bedeutung dieser letzteren klar zu legen; sie unternehmen es auch, durch Rückschlüsse aus späteren Erscheinungen eine Anschauung von den Ausgangspunkten der agrarischen Entwickelung Roms zu gewinnen, und ich bin mir bewusst, bezüglich dieser Partien der Darstellung dem Vorwurfe mich auszusetzen, vielfach wesentlich konstruktiv verfahren zu
sein. Indessen dass die Konstruktion auf diesem Gebiet entbehrlich sei, wird nach Lage der Quellen niemand behaupten wollen, und gerade auf dem Gebiet der Agrargeschichte gibt es Fälle, wo man mit Schlüssen aus der »Natur der Sache« weiter kommt und relativ sicherer geht als auf anderen Gebieten. Die Organisation agrarischer Gemeinschaften bietet eben, wenn gewisse Grundlagen feststehen, nur eine beschränkte Zahl von Möglichkeiten. Es war nun hier die Aufgabe, rein experimentell zu untersuchen, ob, wenn man diejenigen Saiten des römischen Agrarwesens, welche unter dem Schutt der Jahrtausende für uns noch erreichbar zu Tage liegen, gemäss den jedem
Agrarhistoriker geläufigen Begriffen anschlägt, welche die Grundlage anderer indogermanischer Agrarverfassungen bilden, sie Accorde ergeben, oder ob sie sich stumm oder geradezu disharmonisch dazu verhalten — und ich möchte glauben, den Eindruck erreicht zu haben, dass ersteres der Fall ist. Es ist zunächst der Nachweis versucht worden, dass die Art der feldmesserischen Behandlung des römischen Bodens überhaupt in festem Zusammenhang steht einerseits mit den öffentlichrechtlichen Beziehungen der betreffenden
Territorien, andrerseits mit den privatrechtlichen Verhältnissen der Grundstücke. Inwieweit es dabei gelungen ist, die Art dieser Beziehungen im einzelnen nachzuweisen, ist mir zweifelhaft, es scheint mir aber schon ein Gewinn, wenn — wie ich glauben möchte — der Nachweis, dass ein Zusammenhang überhaupt besteht und zu ermitteln ist, als gelungen gelten kann. Stimmt man dem bei, so wird man, hoffe ich, auch den bunten Strauss von Hypothesen, welcher an diesem Punkte in die Darstellung hineingeflochten ist, und zahlreiche, vielleicht in der Form nicht immer vorsichtig gefasste Bemerkungen allgemeinerer Art mit in den Kauf nehmen oder doch milder beurteilen: das Bestehen eines Zusammenhanges zwischen zwei historischen Erscheinungen lässt sich nun einmal nicht in abstracto, sondern nur so zur Anschauung bringen, dass eine in sich geschlossene Ansicht über die Art, wie dieser Zusammenhang sich konkret gestaltet habe, vorgetragen wird.

ChatGPT
前書き:
以下の研究は、タイトルが約束することを完全に守ることを主張することはできないでしょう。それらは、一方的な視点でローマの公法と私法のさまざまな現象を扱っています。具体的な農業関係の発展における実用的な意義について述べます。最初の章では、ローマの土地測量方法とその公法的および私法的な性質、およびこれらの後者の実用的な意義の関連を明らかにしようとします。また、後の現象からの推論を通じて、ローマの農業発展の出発点についての観点を得ることも試みます。私は、この記述の一部において、多くの点で本質的に建設的な方法を取っているという非難を受けることについて自覚しています。ただし、情報源の状況を考慮すると、この領域での構築が不要であると主張する人はいないでしょう。農業史の領域では、「事柄の本質」に関する結論を他の領域よりも確実に導くことができる場合があります。特定の基礎が確立されている場合、農業共同体の組織は限られた可能性しか提供しません。したがって、ここでは実験的に、ローマの農業制度の弦が、数千年の土砂の下で私たちにまだ到達可能なものであるかのように、各農業史家にとって一般的な概念に基づいて鳴らされる場合、それが調和したコードを形成するか、無音またはまったく不調和な関係を持つかを調査することが目的でした。そして、私は前者の場合が起こるという印象を与えることができたと信じています。まず、ローマの土地測量の方法の性質が、関連する領域の公法的な関係と土地の私法的な関係と密接に関連していることを証明しようとしました。具体的な関係の性質を個別に証明することがどの程度成功したかは疑問ですが、関連性が存在し、それを特定することができることを証明できたと考えれば、それだけでも収穫です。それを認めるならば、私は、この段階で挿入されたさまざまな仮説や、おそらく常に慎重に構成されていない一般的なコメントを受け入れるか、少なくとも寛容な判断をすることを期待しています。歴史的な二つの現象の間に関連性が存在することは、抽象的にではなく、具体的にその関連性がどのように具体的に形成されたかについて統一された見解を示すことでしか視覚化することはできません。

拙訳(注釈類を削除)
序文
以下の研究においては、人がその表題から期待するような内容を完璧に行うことは、まったくもって約束出来ない。この研究はローマの国法と私法に関する様々な諸事実をある見地、即ちそれらが様々な土地制度の発達を促したという実質的な意義という見地から取上げる。

最初の章では次のことを試みている。つまり、ローマでの耕地に対する様々な測量方法とそれらの耕地自体との相互関係を明らかにすることと、そしてその耕地の国法および私法においての価値評価方法と、更にはその価値評価方法が持っていた実際的な意義を解明することである。そこではまた、次のことも試みている。つまり、後代の諸事象からの帰納的推論によって、ローマにおける土地制度の発展の出発点についての見解をまとめることである。その際に私は次のことについては自覚しているつもりである。つまり、この最初の章の記述において、本質的にはひたすら何らかの仮説や理論を作り出そうとしているだけではないかという非難を受ける可能性が高いということである。だからといって、この領域においての仮説・理論構築的なアプローチが無駄であるなどとは、この時代の文献史料の状態を知っている者は誰もそうは言わないであろう。そしてまさに土地制度史の領域においては、次のような場合が存在するのである。つまり、「事物の本性」 からいくつかの結論を得て先へ進み、他の領域におけるよりも相対的に見てより確からしさを高めることが出来た、そういう場合である。土地所有ゲマインシャフトの諸組織は、いくつかの条件が満たされている場合には、まさに限定された種類のものが存在していた可能性を確認出来る。ここでは純粋に実験的な研究を、次のテーマについて行うということが課題であった。そのテーマとは、ローマの土地制度の本質のある一面として、何千年紀の間の時間の中瓦礫に埋もれながらなお何とか我々に把握出来る状態にある史料類を、すべての土地制度史家におなじみの概念に沿う形で評価しようとする場合と、その本質として他のインドゲルマンの土地制度に関しての法形成を促進する根本原理となっている場合において、その根本原理が調和をもたらしているのか、それとも何も影響を与えていないのか、あるいはまったく逆に不協和をもたらしているのか、そういうことを研究するということが課題であった。――そして私としては、調和をもたらしたというのが正解であるという印象を得たのである。まず始めに、次の証明が試みられる。つまりローマの土地の土地測量上の取り扱いが、一般的に言ってある一面では当該の領土の公法における取り扱いと、また別の面では地所の私法における取り扱いとが、それぞれ密接に関連しているということについての証明である。その際にどの程度まで個々の事例においてそういった取り扱いの仕方の証明に成功したかということについては、私はあまり自信が無い。しかしながら次のような場合には成果を上げたと言えるであろう。つまりある何かと別の何かの関連性が一般論として存在している場合に、それを発見出来たという証明を――私はそう信じたいが――、きちんと行うことが出来た場合である。そうした証明について同意していただける方は、私はそう願いたいのであるが、さらにまた色とりどりの花をまとめた花束のような様々な仮説と、その花束というのはこの公法・私法と土地制度の関係性という点でこの論文の叙述の中にちりばめられているのであるが、そして更には数多い、場合によっては必ずしも目に見えるようなはっきりとした形では把握出来ない観察事項をも、一般的な形で余録として受け取ることも出来るであろう。

リッケルト「自然科学の概念形成の限界。歴史科学への論理的入門」を入手。

「理解社会学のカテゴリー」論文の冒頭に言及されている文献の内、リッケルト(リッカート)の「自然科学の概念形成の限界。歴史科学への論理的入門」は残念ながら日本語訳が出ていません。それでドイツ語版を取り寄せようとしたのですが、これもなかなか面倒でインドの出版社によるファクシミリ版をようやく入手しました。(なお、このファクシミリ版は1ページがかすれれていてほぼ判読不能です。)
ファクシミリ版の表紙に「第一部」とあったので、第二部があるのかと思って探しましたが、結局このファクシミリ版は第一部と第二部を合本したものでした。第一部(第一~三章)が出版されたのは1896年で、第二部(第四~五章)は1902年で6年開いています。リッケルトの緒言によれば、第一部は「自然科学の方法論の限界について、つまり歴史の科学がそれではないこと」について述べたもの、第二部が「歴史科学の本質について」となっています。ヴェーバーが参照しているのは、当然両方です。
なお、邦訳がある(岩波文庫)「文化科学と自然科学」は1901年と第一部と第二部の間に出ており、著者自身が「限界」論文の入門編としても読める、と述べているので、こちらを読んでも大枠は分ると思います。(私は現在他の文献も平行して読みながらこちらを読書中です。)
なお目次部分(第二部の冒頭にあります)について、スキャンしたものを載せておきます。画像はクリックで拡大します。
ちなみに、ヴェーバーとリッケルトは一つ違い(リッケルトが一つ上)ですが、ギムナジウムでの同級生だったようです。そういう意味でヴェーバーの良き論争相手でした。

雑誌「ロゴス」についてのメモ

ヴェーバーの「理解社会学のカテゴリー」とフッサールの「厳密な学としての哲学」の発表誌はどちらも哲学雑誌「ロゴス」誌です。これについてちょっと調べました。まず正式な名前は”Logos. Internationale Zeitschrift für Philosophie der Kultur.”です。単なる哲学雑誌ではなく、「文化の哲学」のための国際雑誌、となっています。「文化の哲学」と聞くとまずリッケルトを思い出しますが、実際に編集に携わったゲオルク・メーリスはリッケルトの弟子筋にあたる新カント学派の哲学者です。出版社はおなじみモーア・ジーベックです。「国際」の方はロシア語版他の各国語版が計画されていたようです。1910年創刊で年1冊のペースで刊行されたようで1933年まで続きます。その後ナチスの政権奪取で雑誌の性格が変わってしまったようです。ここにどなたが作られたか存じ上げませんが、各巻の執筆者とのその表題の一覧があります。それを見ると、フッサール、リッケルト、ヴィンデルバント、ジンメル、ラートブルフ等々、「理解社会学のカテゴリー」の冒頭で言及されている学者が多数登場します。タイトルからも分るように、純粋な形而上学に限定した雑誌ではなく、幅広い分野の学者が寄稿していたことが分ります。ちなみにマリアンネも2回寄稿しています。最初の寄稿はヴェーバーより先です。