IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.274 – 278 日本語訳(34)

日本語訳の第34回目です。これで全体の70%の訳が済みました。
なお、英訳の誤訳と思われるのを指摘した部分は最初の段落です。
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家族ゲマインシャフトの特性

 家族ゲマインシャフトの財産法的な帰結は、ここも我々が既に別の所でなじみとしている事であるが、―家族財産は純粋な個人財産(の集まり)としては扱われず、全ての成員の共通の家計として規定されている。父親はそれ故に法規によれば随意にそのような(貿易取引のための)ソキエタスを個々の息子と結成し、そのことによって他の成員を蚊帳の外に置くことは出来なかった。もし父親がそれでも敢えてそれをやった場合には、そこから得た利益は共通財産の収入となった。もしその父親が「それにも関わらず」、家族財産が個々の成員に分けられていないという状態で、かつ個々の息子それぞれとソキエタスを結成することが一般的に不可能な場合においては、その父親は家ゲマインシャフトから独立していない(家住みの)息子に対しては、不可避的にその時点で法律上一般的に財産と認められる何かを譲渡するぐらいしか出来ず、それ以外に何かを(例えば金銭で)息子に対して支払うことは出来なかったであろう。そこでは次のような考え方が背景にあったのは間違いない。つまり、―より以前の時代からの発展に適合する形で―(家族ゲマインシャフトの)共通の財産に対して複数の(それぞれの成員の)勘定が作られ、それは共通財産が外部に対して開示されていないという状態を損なわない形で、また(他の家族との)相互の関係にてそれぞれ共通財産中に分け前を持つ家族の個別の成員が、自分自身の金銭勘定とリスクの負担に基づいて何らかの業務において企業家としてかあるいは(資本だけの)参加者として関わることが出来るようになったという形で行われていたが、そういった考え方である。以上のことは次の箇所でも確認出来る。つまりピサの法によれば先に詳しく述べた父親の(独立しようとする)息子への財産分与義務は、独立前の息子が何らかの違法行為を行った場合に(も)成立しており、そこにおいてはまた共通の財産に対する分け前への関係においてその息子に固有の、違法行為に対して課せられた罰金の支払いに(も)使用出来る個々の財産について述べている、その箇所である。我々にはこうしたある家族ゲマインシャフトにおいてのそのようにお互いに分け前を権利として認めるという考え方は、共同相続人、兄弟達、そして一般的に同等の地位にある者達の間であるとしたら何も不思議なことではない。しかし父親と息子達の間でもそのような(等しい)関係を想定するということは、あまり自然なことではないように思われる。しかし我々は14世紀における、この先で考察することになるフィレンツェのペルッツィ家とアルベルティ家の会計において次の事を見出す。つまり、事実上かつ疑いも無く分割されていない家計が成立した所では、息子達はその父親がまだ存命中はその本来の家計とは別のある一定の金額の勘定をしばしば作り、それによって商取引を行う家族によるソキエタスに関与していた。この場合に外部に対して父親が家族を代表しているという見方は疑わしかった。しかし父親はそのソキエタスにおいて(外部との)契約にサインし、投資を行っていた。しかし父親はそういうケースではあくまで”per se et filius suos”(彼自身とその息子達のために)それを行っていたのである。

 家族の成員に付随する権利についてのこうした見解、つまり共通の財産に対してのある割り合いによる分け前という考え方がその家族に対してあるはっきりしたソキエタスとしての性格も付与したという見解は、既に以前から主張されており、その際にまた次の事も注記されていた。つまり家族ゲマインシャフトに対するこうした取り扱いは、家族の資本が何世代にも渡って本質的に商業を営むための財産であった場合には、そういう風に取り扱うしかなかったし、またそういう風に取り扱わなければならなかった。

 ピサにおける societas inter patrem et filium facta は、多く法文の中から読み取る限りでは、その中に多くの要素を包含している:純粋な商慣習としての要素、契約法を基礎として派生した要素、そして家族財産法から発生した要素、そして我々に対し抑制的な形で示されているのは家族成員のそれぞれの分け前分に対する権利(の集合体)である共通の財産、そしてまた家住みの息子達などであり、これらの要素は他の場所でも、もっともはっきりした形では(シチリア島などの)南イタリアで見出せる。最後の2つの要素はしかしながら他の要素とは区別して考えるべきで、最初の範疇は家族法から発生するのではない。その源泉は常に同一である。つまり父親と息子が実際に(同じ)ソキエタスの成員である場合であり、そのソキエタスははっきりと「名前を持った」(nominata)ものであり、明確に取り決められており、そうでない限りソキエタスという形態での利益の分割というものは成立し得ないのである。―その結果として、その基礎となるべきはただ契約のみであった。

ピサにおける継承された遺産ゲマインシャフト

 こうした(家ゲマインシャフトと契約に基づくソキエタスの)混合は、また法規が societas inter fratres facta (兄弟の間で結成されたソキエタス)の場合においてはまた特有のものとして認められるものであり、そういうソキエタスは多数の独立していない共同相続人のゲゼルシャフト関係と理解することが出来る。

 父親は法規によれば、遺言による処分によりそのようなソキエタスを自分の相続人に対して基礎付けることが出来たし、同様に相続人達は相続ゲマインシャフトをソキエタスへと作り替えることが出来た。―最初のケースでは、(遺言に対して)直ちに反対を受けない限りにおいて、またどちらの場合もはっきりとした取消し要求がされない限りにおいては有効であった。後者のケースがその当時基本的に許されていたからといって、次のことを当然と考えるのは適当でないであろう。つまり、結果としてその関係はソキエタスの成員達の同意に基づき、即ち原理的にはただ任意の成員間で作られるとかと述べるのは正しくない。解約権の成立は、ソキエタスの契約に基づく成立とはまったく別物である。このことは実務上は次の事を意味している。つまり共同相続人達がそのソキエタスが解散されるまでは相互に拘束されており、また特別な意思表示無しにソキエタスの成員として扱われるということをである。更にまたソキエタスの解散については、様々なケースで個々の成員の除権について猶予期間が設けられており、更に共同相続人の内の一人が業務を遂行することが出来ない場合でも、その者について、権利を取上げることも、また本人からの権利放棄の両方が不可能であることも意味している。それ故に:その相続人ソキエタスは根本的には解散するためには、またそこまで無条件ではないにせよ設立のためにも、共同相続人の意思表示を必要とした。

 ソキエタスの創設のためには、よりむしろ特別の意思表示を代替するものとして、明白な共同相続人の「共生」(communis vita)が確立された。そこからすぐさま派生してくることは、法規が共同相続人達に対して次のことを命じることである。それは「仮に共同相続人達が共に暮さなかった場合でも」(etiamsi non communiter vixerint)、明示的な契約無しに利益の分割を一定の割合に応じて保証することが出来、その利益はある共同相続人が共通の動産を用いて業務を行って獲得したものである場合、それに対してはっきりした同意の意思表示(expressus consensus)を与えることで、利益とリスクは通常のソキエタスの成員間におけるのと同じように分割されなければならなかった。はっきりした同意の意思表示(expressus consensus)はそれ故にここにおいてはその効果において「共生」(communis vita)と等価であった。

Vita communis(共生)

1.前提条件

 これら今述べたことはソキエタスの成立についての vita communis の影響であるとすれば、次のような疑問が生じて来る:この vita communis という概念は、そういった特別な人間関係を除外してみた場合には、それ自体としてはどのような意味を持っているのであろうか?

 Vita communis のここで述べられた意味での法学的な区別のための目印については、Consitutum Usus は次のようなやり方で示している 27):

1)”si de communi in una domo vixerint”(もしそのコミュニティが一つの家に同居している場合は)。―つまり住居ゲマインシャフトであり、この先で述べるように家計ゲマインシャフトでもある。不在者、つまり他の住居に住んでいる者はゲマインシャフトの一員であることを止めることになる。

27)P. 879を参照。

2)”et contractus et similia communiter fecerint”(そして契約またはその同等物を一緒に締結したとしたら)、―これの意味する所は双方が常に一緒に契約を締結するということではなく、双方が契約によって共通の勘定を設定することを意味する。それは法規の補遺の中で、次のように示されている通りである:”sive absentes sive praesentes sint, sive unus praesens alius absens”(双方とも不在であるか、双方とも居るか、あるいは片方が居て他方が不在の場合)。

3)共通の資本の存在は要求されていない。一緒に生きるということだけで、”de eo, quod tunc acquisiverint”(彼らがその時に獲得することになるであろうその物について)ゲマインシャフトとしての作用を及ぼす(ゲマインシャフトのものとして扱う)ことが出来る。それ故に、資本ではなく、共通の労働にここでの人間関係は基礎付けられているのである。このことは次のことによっても確認される。つまりこの種のゲマインシャフトが機能するのは、ただ―ヴェネツィアのcompagnia fraternaの名残として―ゲマインシャフトが男性の成員のみで成立する場合のみである。ただ労働力を提供する者だけが(ゲマインシャフトの)仲間(Genossen)である。

「中世合名会社史」の英訳の誤りと思われる箇所

英訳にまた明らかな語訳と思われる箇所を発見しました。Lutz Kaelber氏にはメールしましたが、前回の箇所についても何も返信が無かったので、今回のメールも無視されるかもしれません。
今回の誤訳はちょっとひどいと言うか、原文の主語はder Vater(父親)でこれは最後の一文までそうですが、Kaelber氏の英訳は何を考えたのか、途中で主語がSohn(e)(息子)にすり替わってしまい、しかも原文には書いてないことを勝手にくっつけて訳しています。正直な所この人本当にドイツ語のネイティブなのか疑わしく思います。(SohnではなくSohneであり、しかも冠詞はdemなんで3格=与格であることは明らかです。)

ここでヴェーバーが言いたいのは、父親が息子と一緒に貿易のビジネスをやって、その利益の一部をまだ独立していない息子にあげたくても、息子と家族ゲマインシャフトとは別にソキエタス契約を結ばない限りは、その息子への利益供与はほぼ不可能であり(全ての利益は家族ゲマインシャフトに入るので)、敢えてやろうとしたら何か隠し財産みたいなもので法律上財産として扱われるものを、こっそり息子に渡すとかするしかない、その他の手段で例えば現金で支払うようなことは不可能だ、ということです。

元のドイツ語:
(全集版のP.274)

Wenn nun der Vater trotzdem, daß das Vermögen ungeteilt ist, mit den einzelnen Söhnen societates einzugehen überhaupt imstande ist, so muß notwendig auch dem nicht abgeteilten Sohne schon jetzt im Rechtssinn Vermögen überhaupt zustehen, sonst könnte er nichts einwerfen.

societates einzugehen = ソキエタス契約を結ぶ
imstande sein = 不可能である
dem nicht abgeteilten Sohne まだ父親から独立していない(家ゲマインシャフトから別れていない)息子に
zustehen = zugestehen 譲る
einwerfen = 渡す

Lutz Kaelber氏の英訳(P. 141):

If the father at all able to enter into partnership with his sons, in spite of the fact that asssets are undivided, then the son who has not received his share in the property must have a claim to the assets in a legal sense; otherwise, he could not contribute anything,

私の英語試訳:

If then, the father, nonetheless, under the condition that the property is not divided and it is generally impossible to enter into partnership with each son, then he must inevitably transfer now some asset in general by legal definition also to an unseparted son (from the family association), otherwise he would not be able to pass anything (to the son).

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.274 – 278 ドイツ語原文(34)

ドイツ語原文の第34回目です。
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Natur der Familiengemeinschaft.

 Die vermögensrechtlichen Konsequenzen der Familiengemeinschaft sind auch hier die uns sonst bekannten, — das Familienvermögen wird nicht als reines Individualvermögen behandelt, es ist zum gemeinsamen Unterhalt aller Beteiligten bestimmt. Der Vater darf deshalb nach dem Statut nicht nach Belieben solche Sozietäten mit den einzelnen Söhnen eingehen, durch welche die übrigen zurückgesetzt würden. Tut er es dennoch, so fällt aller Gewinn daraus ihm, d.h. dem gemeinsamen Vermögen zu. Wenn nun der Vater trotzdem, daß das Vermögen ungeteilt ist, mit den einzelnen Söhnen societates einzugehen überhaupt imstande ist, so muß notwendig auch dem nicht abgeteilten Sohne schon jetzt im Rechtssinn Vermögen überhaupt zustehen, sonst könnte er nichts einwerfen. Der Gedanke liegt nahe, daß — entsprechend dem früher Entwickelten — an dem gemeinsamen Vermögen Konti eröffnet waren, derart, daß, unbeschadet der Geschlossenheit des Gesamtvermögens nach außen, im Verhältnis untereinander das einzelne beteiligte Familienglied auf eigene Rechnung und Gefahr als Unternehmer oder als Partizipant sich am Geschäftsleben beteiligen konnte. Dies findet seine Bestätigung darin, daß nach pisanischem Recht die früher erörterte Abschichtungspflicht des Vaters im Fall eines Delikts des unabgeteilten Sohnes bestand, hiernach also auch in dieser Beziehung der Anteil am gemeinsamen Vermögen das eigene, der Exekution zugängliche Vermögen des einzelnen darstellte. Uns hat der Gedanke einer solchen quotenmäßigen Mitberechtigung in einer Familiengemeinschaft nichts Befremdliches unter Miterben, Brüdern, überhaupt Gleichstehenden, — daß aber auch unter Vater und Söhnen das Verhältnis so gedacht wurde, erscheint uns weniger naturgemäß. Wir finden aber in den dem 14. Jahrhundert angehörigen, unten zu erwähnenden Rechnungen der Peruzzi und Alberti in Florenz, daß in der Tat, auch wo zweifellos ungeteilter Haushalt bestand, die Söhne bei Lebzeiten ihres Vaters neben diesem häufig mit Konti in bestimmter Höhe in der handeltreibenden Familiensozietät beteiligt werden; nach außen hat in dubio der Vater die Familie zu vertreten, — er unterzeichnet den Sozietätsvertrag und macht die Einlage, aber er macht sie in solchen Fällen „per se et filios suos“.

 Daß diese Auffassung der Mitrechte der Familienglieder, als quotenmäßiger Anteile am gemeinsamen Vermögen, der Familie einen gewissen Sozietätscharakter gab, ist schon früher hervorgehoben, auch bemerkt, daß diese Behandlungsweise nur entstehen konnte, aber auch entstehen mußte, wo das Kapital der Familie durch Generationen hindurch im wesentlichen Handlungsvermögen war.

 Die pisanische societas inter patrem et filium facta birgt, soviel ist aus dem Gesagten zu erkennen, in sich verschiedene Elemente: rein usancemäßige, auf dem Boden des Vertragsrechts erwachsene und solche, welche dem Familienvermögensrecht entstammen und uns das gemeinsame Vermögen von Anteilsrechten der Beteiligten, auch der Haussöhne, beherrscht zeigen, so wie wir dies auch anderwärts, am schroffsten in Unteritalien, fanden. Diese beiden Elemente sind aber zu scheiden, die erstere Kategorie entstammt nicht dem Familienrecht; die Quellen heben immer hervor, daß, wo Vater und Sohn wirkliche socii seien, die societas eine „nominata“, eine ausdrücklich stipulierte sei, anderenfalls tritt die sozietätsmäßige Gewinnverteilung nicht ein, — folglich ist deren Basis eben allein der Vertrag.

Die fortgesetzte Erbengemeinschaft in Pisa.

 Eigentümlich nun ist diese Mischung auch bei derjenigen Sozietät, welche das Statut konkret als societas inter fratres facta bezeichnet 26), und unter welcher es das Gesellschaftsverhältnis unter mehreren unabgeteilten Miterben versteht.
Der Vater kann nach dem Statut durch letztwillige Verfügung eine solche societas unter seinen Erben begründen, ebenso können die Erben die Gemeinschaft als Sozietät fortsetzen, — ersterenfalls, wenn nicht sofort Widerspruch erhoben wird, in beiden Fällen solange, bis eine ausdrückliche Aufkündigung erfolgt. Obwohl nun letztere grundsätzlich jederzeit freisteht, wäre es doch unrichtig zu sagen, daß folglich das Verhältnis nur auf dem Konsens der socii beruhe, also prinzipiell ausschließlich ein gewillkürtes sei. Das Bestehen des Renuntiationsrechts ist etwas sehr Verschiedenes von dem Bestehen der societas auf Grund eines Vertrages. Dies zeigt sich praktisch darin, daß der Miterbe eben bis zur Renunziation gebunden ist und unabhängig von einer besonderen Willenserklärung socius wird; daß ferner für die Renunziation in verschiedenen Fällen Präklusivfristen bestehen und daß, wenn einer der Erben handlungsunfähig ist, ihm gegenüber resp. von ihm eine Renunziation überhaupt unmöglich ist. Also: es bedarf grundsätzlich zur Auflösung, nicht ebenso unbedingt aber zur Begründung des Verhältnisses einer Willenserklärung des Miterben.

26) S.878f. l. c.

 Für die Begründung der Sozietät bildet vielmehr das Surrogat der besonderen Willenserklärung offenbar die communis vita der Miterben, wie schon daraus hervorgeht, daß das Statut für Miterben anordnet, daß, „etiamsi non communiter vixerint“, ohne ausdrücklichen Vertrag Teilung des Gewinns, welchen ein Miterbe aus dem Betrieb von Geschäften mit dem gemeinsamen Mobiliarvermögen gezogen habe, pro rata eintrete, dagegen bei expressus consensus der Gewinn und das Risiko wie bei socii geteilt werden solle. Der expressus consensus steht also hier in seiner Wirkung der communis vita gleich.

Vita communis.
1. Voraussetzungen.

 Ist dies der Einfluß der vita communis für das Bestehen einer Sozietät, so müssen wir nun fragen: welche Bedeutung hat sie an und für sich ohne diese spezielle Beziehung?

 Die juristischen Merkmale der vita communis im hier besprochenen Sinn gibt das Constitutum Usus folgendermaßen an 27):

 1) si de communi in una domo vixerint“, — also Gemeinschaft der Häuslichkeit und, wie sich zeigen wird, auch des Haushalts; eine absentia, welche ein anderes domicilium begründet, hebt die Gemeinschaft auf;
 2) „et contractus et similia communiter fecerint“, — d.h. nicht, daß beide stets zusammen den Kontrakt schließen, sondern daß sie ihn auf gemeinsame Rechnung schließen, wie der Zusatz zeigt: „sive absentes sive praesentes sint, sive unus praesens alius absens“;
 3) Vorhandensein eines gemeinsamen Kapitals ist nicht erfordert, es genügt das Zusammenleben, um „de eo, quod tunc acquisiverint“, die Wirkungen der Gemeinschaft eintreten zu lassen. Also nicht auf Kapital, sondern auf gemeinsame Arbeit ist auch hier das Verhältnis gegründet. Dies wird auch dadurch bestätigt, daß die Wirkungen dieser Gemeinschaft nur eintreten sollen, wenn — eine Reminiszenz an die compagnia fraterna in Venedig — sie „inter masculos“ besteht. Nur wer seine Arbeitskraft zur Verfügung stellt, ist Genosse.

27) S.879.

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.270 – 274 日本語訳(33)

 日本語訳の第33回目です。前回と今回の所は、教会の利子禁止原理とそれをかいくぐる手段の資本主義発達との関係という文脈で「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で触れられている所であり、「プロ倫」をきちんと理解しようと思われる方には必読の部分だと思います。
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我々はしかしながら、他方ではもちろん次のことも見て来た。つまりは実際の所コムメンダとソキエタス・マリスの形態は投資の目的で、場合によっては未成年者の財産を運用するためにも使われていたということである。―このことはピサの法規においてもまたそうであった。当時においてはこの種類のソキエタスの発展が、中世においては一度それが到達段階として最高点に至ったということにより、そのことは経済的には決定的なことという扱いで大きく限界点を超えることを認容しているが、そのような形で投資された資本はそのやり方を主要なものとして選んだと言える。何故ならばそれによってその当時の人は通常考えれば自然なやり方である利子付きの貸し出しを放棄しているからである。しかしながらこのことは常に証明出来ないだけでなく、また逆のことが正しいとさえすることが出来る。当時の商取引においては、当時の人々が教会法の利子禁止について「良心の法廷」(forum conscientiae)《キリスト教徒が自己の内面における神との関係で事の善悪を自分の良心に従って判断すること。カントは人間の良心を「内的法廷の意識」と呼んでいる。》の外側でも真摯に実務的に対処しようと考える前に、純粋な利子付きの貸付けは、相対的に見ると本当に取るに足らない役割しか果たしていなかった。投資先を欲する資本が今日であっても利子付きの貸付けが基本的に含まれている個人への私的な貸付けに向かうということは決して広範囲では行われていない。ましては当時はさらに少なかった。―公的な信用というものの本質は、当時においてひょっとしたら発生していたかもしれない資本家という者達の手間暇を要する需要に応じる方向に向かうことはほとんどなかったであろう。運用可能な資本は、それが不動産の購入と貸し出しという形、つまり資本家による不動産の引き渡しという方向に向かっていなかった場合は、その利用と投資の対象として、我々の法領域における海上取引を見出したのである。しかしながら純粋な貸し付けのやり方というのはこの海上取引という目的においてはほとんど適していなかった。ある事業で航海という目的で受け入れられた資金貸し付けに対する返済については、万一その事業が何らかの惨事《例えば船の難破》に見舞われた場合が、もっとも問題であると考えられていた。その理由からローマ法の foenus nauticum が、そして北イタリアの諸法規ではコムメンダと競争していた海上貸し付け制度(Seedarlehen)が登場するのであり、そこにおいて投資が利益の分配を条件とする航海の危険への参加という形で登場するのであり、後者を非常に隆盛を極めたがために、その分より多くの資金を必要とした取引が喜んで受け入れたのである。こうした海上貸し付け制度はしかしまた、先に詳しく論じたように、この当時大規模な取引のあった地中海貿易を理解する上では有用であるが、その大規模取引に対し海上貸し付け制度は次のような意味で関わってその利用を許したのではなかった。即ち資金の引き渡しは海を越えての商品の輸送という事業自体に参加するのが目的ではなかったし、それは同様にその事業の可能性のあるリスクそのものに直接関わろうとするものでもなかった。その意味でこういったリスクがこのシステムによって《海難事故の》平均的な確率という意味での計算可能性の中で扱えるようになったという見解は修正する必要がある。この意味から、そして綿密に検討された利子禁止の教義の回避の必要性からではなく、資本家達による危険の共有と、また権利関係では経済的に見れば貸し付けに近づいた状態であることが説明出来るようになり、さらにはこのシステムが定額の配当金を持つソキエタスとして構成されているように見えるのである。利子の教義としては―そういったものが存在していることを認めようとする立場からであるが―経済における戦場にそれが姿を見せたとしたら、それは各種のソキエタスの形態の発展が―それはラスティヒEndemmanに対して明確に強く反論した点であるが―それをとっくに実現していた。教会法による利子禁止がその後演じた役割は、イタリアにおいても決して小さなものではなかった。(ほとんど全ての法規定がそれについて何らかの記述を行っている。―どのように?はここでは扱わない。)しかしながらある新しい法的な制度の発展または既に存在している制度のさらなる発展においては、我々が研究対象としている領域では、私が見る限りでは利子禁止という方向に戻るような傾向は見出せない。ここでは唯一の制度、つまり dare ad proficiuum maris のみが、その利子禁止という教義に対し違反するようになっていたが、その他の制度に関しては《利子というやり方の》成長を妨げる方向に作用し、創造的な方向には作用していなかった。丁度 “dare ad proficuum maris” の人間関係が、それはソキエタスの構成のやり方としては明らかにもっとも劣悪なものであったが、Endemman的な理論の範例《利子禁止の回避の方法として》という意味では、最適であるように思われる。それは利子という経済原理の支配の前でその確立に成功したのであり、利子の原理が本当の意義を持つようになって広く普及した時になってみれば、それはむしろ《利子禁止原理の》犠牲になったのであり《実際に1236年に法王庁から非難され、最終的には無くなっている》、それもリスクについての調整方法によってではなく、固定した利益という考え方によってであるが、そのことは利子禁止ということがその本来の構造の基礎目的には決してなっていなかったということを明確に示している。

 我々は利子禁止に関する議論はこの辺りで切り上げ、ピサのソキエタス法の観察に戻ることにしたい。

IV. ソキエタス・マリスと家族ゲマインシャフト

 というのは我々はまだ海上取引に関わる諸ソキエタスの一般的かつ前述した形でのいくつかの特別な形成物についてまだ詳しく論じなければならないからである。それらの形成物はまさに我々の関心に応えるという意味で適当であるし、Consitutum Usus においては”de societate inter patrem et filium et inter fratres facta“(父親と息子の間、または兄弟の間にて結成されたソキエタスについて)という特別な章において取り扱われている 24)。

 つまりはソキエタス・マリスが次の場合では確実に修正されているのである。つまり、ここでの章の表題に示されているようにソキエタスが家族の成員の間で締結されている場合である。それについてここで論じるべきであると考える。

24)Consitutum UsusのCapitulo 21を参照。

ソキエタス・マリスが家族連合(associationen)から生じたという仮説

 ここで主にジルバーシュミットによって主張されている仮説に対してその誤りを指摘しておかなければならない。その仮説とはピサにおける種々のソキエタスがまさしく家族法を起源にしていると見なすべきである、というものである。―それはつまりある家族の成員、特に家の息子が家族の資金を用いてある商取引のための旅を企てた時に、次のことの必要性が明らかになったということである。それは申し合わせによって、得られるであろう利益の分配の仕方を定めるということであり、それはその後確かな商慣習として発展しただろうということである。このような商慣習は、この種の事業が extraneus (親族以外の外部の者)の資金によって行われている場合には特に、その事業の基礎的な要素として扱われるということである。

 ソキエタス・マリスにおいて複数の extraneus の間で通用していた根本原則は、家族の成員にとってはそのまま適用出来るのではなくむしろ逆だったのであり、その原則が家族による成員間でのソキエタスに適用される場合には修正された上で適用されたのである。その場合に関連法規の理解としては、その法規においての”societas inter patrem et filium et inter fratres facta”についての記述に対して、”societas inter extraneos facta”に適用される法文をそのまま適用することに疑問があることが示されており、当面の間は家族間のソキエタスは extraneus 間のソキエタスの特殊な場合として理解されるようになるのであり、そのことは法規の該当する章を見れば分ることである。さらに法規の関連箇所の記述を見れば、こうした理解の仕方が事実上の人間関係に適合していたことが分る。しかしここで前提とされるのは次のようなことである。この家族の成員の間でのソキエタスがそれ自身の傍らに、一般的でまた同時にある意味特別でもあるそれ自身に元々備わっていた修正された要素を保持し続けたということであり、その要素の中身をこれから詳しく述べていく。その要素は自らがその源泉となったものは何であったのかという問いを投げかけている。

 まず第一に確認されなければならないのは、この関係においては純粋に親族関係という要素は意味を持っていないということである。もし in potestate (ある力を持つ)ではない、つまに共通の家の中に住んでいない息子または兄弟が、その父親または兄弟とソキエタスを結成する場合、そのソキエタスは societas extraneorum (親族以外の人間とのソキエタス)と取り扱われる 25)。 25)P.887 l.c. 参照。

 共通の家計を土台にした共通の労働はここにおいても家族の暮しの中での経済的に自然な要素である、それ故に法規は父親に対して息子をその家で労働に従事させる権利を与えている。また同じ理由から、息子が父親の資金を使って海上取引に従事する場合には、申し合わせの欠如により利益は頭数で(pro rata)分割された。父親が航海に同行する場合には、父親は常に息子の分担分として持ち込まれた商品の売却によって得られた利益の1/4を受け取っており、それは”sicut havere esset extranei”(あたかも息子が赤の他人であると望むかのように)ということであり、しかしその他にも”totum quod per operam sive alio modo acquisiverit”(彼自身の労働によって、または別の何かの手段によって獲得した全ての物)を自分の元に留めていたのである。息子の労働の成果については、最初のケース(父親の資金で息子が海上取引を行う場合)では、息子には何も与えられず、報酬は直ちに父親のものとなった。父親はここで挙げたような諸ケースにおいては、自然な帰結としてそのソキエタスの capitaneus であったのであり、そのソキエタスはその他の点では親族ではない他人とのソキエタスの規則に完全に適合していたし、さらにそこではまた利益の分割についての異なったやり方が申し合わせられるのが常であった。

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.270 – 274 ドイツ語原文(33)

ドイツ語原文の第33回目です。
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Wir haben aber andererseits allerdings auch gesehen, daß in der Tat die Form der Kommenda und societas maris zum Zweck der Kapitalanlage, selbst für Mündelgelder, benutzt wurde, — dies auch nach den pisanischen Statuten. Indessen einmal war damals die Entwicklung dieser Sozietäten bereits auf der höchsten im Mittelalter überhaupt von ihnen erreichten Stufe angelangt, und dann ist es auch wirtschaftsgeschichtlich entschieden eine gewaltige Übertreibung, anzunehmen, das so angelegte Kapital habe diesen Modus hauptsächlich gewählt, weil man ihm den sonst natürlichen Weg, zinsbar ausgeliehen zu werden, verschlossen habe. Dies ist nicht nur nicht erweislich, sondern es kann das Gegenteil als sicher gelten. Im damaligen Verkehr hat, noch ehe man daran dachte, das kanonische Wucherverbot auch außerhalb des forum conscientiae ernstlich als praktisch zu behandeln, das reine zinsbare Darlehen eine relativ recht unerhebliche Rolle gespielt. Anlagebedürftiges Kapital pflegt auch heute sich nicht in großen Dimensionen dem privaten Personalkredit, welchem das zinsbare Darlehen grundsätzlich angehört, zuzuwenden, noch weniger damals; — ein öffentliches Kreditwesen bestand damals wenigstens nicht in der Art, daß es einem chronischen Bedürfnis etwaiger Kapitalisten entgegengekommen wäre. Verfügbares Kapital wandte sich vielmehr, soweit es nicht im Kauf und Wiederausleihen von Immobilien, der überlieferten Form des kapitalistischen Immobilienverkehrs, Verwendung und Anlage fand, in unserem Rechtsgebiet dem Seehandel zu. Die Form des reinen Darlehens war aber für diesen die wenigst geeignete. Die Rückzahlung eines zum Zweck des Unternehmens einer Seereise aufgenommenen Darlehens mußte in dem Fall, daß das Unternehmen von einer Katastrophe betroffen wurde, höchst problematisch erscheinen — daher das römische foenus nauticum, und das in den Statuten mit der Kommenda konkurrierende Seedarlehen des Mittelalters, daher hier die Kapitalanlage in Form der Beteiligung an der Gefahr gegen Gewinnanteil, welch letzteren der aufblühende, daher kapitalbedürftige Handel gern gewährte. Es entsprach diese Form aber auch, wie früher ausgeführt, der Auffassung des mittelländischen Seeverkehrs, der ältesten Stätte des Großhandels, welchem es nicht in den Sinn wollte, daß die Hingabe von Kapital zum Zweck einer überseeischen Expedition nicht als eine Beteiligung an derselben, also auch an ihrem Risiko, gelten sollte. Darin änderten sich die Ansichten, als dies Risiko der Durchschnittsberechenbarkeit zugänglicher wurde. Hieraus, und nicht aus dem Bedürfnis einer subtilen Konstruktion behufs Umgehung des Wucherverbots, erklärt sich die Beteiligung des Kapitalisten an der Gefahr und der Umstand, daß auch Rechtsverhältnisse, welche wirtschaftlich dem Darlehen nahe stehen, noch als Sozietäten mit fixierter Dividende konstruiert erscheinen. Als die Wucherdoktrin — wenn man eine solche als bestehend anerkennen will — auf dem wirtschaftlichen Kampfplatz erschien, war die Entwicklung der Sozietätsformen — das hat Lastig gegen Endemann scharf betont — längst vollendet. Die Rolle, welche das kanonische Verbot alsdann gespielt hat, ist auch in Italien keine kleine gewesen (fast alle Statuten nehmen zu ihm Stellung, — wie? ist hier nicht zu erörtern), aber die Entwicklung eines neuen Rechtsinstituts oder auch nur die Fortentwicklung eines bestehenden ist auf unserem Gebiet, soviel ich sehe, nicht darauf zurückzuführen, es hat hier einzelne Institute, so das dare ad proficuum maris, verkümmern lassen und sonst hemmend, aber nicht schöpferisch gewirkt. Gerade daß das Verhältnis des proficuum maris, welches sich augenscheinlich der Konstruktion als Sozietät am schlechtesten fügt und am geeignetsten für ein Paradigma der Endemannschen Theorie scheint, offenbar vor der Herrschaft der Wucherdoktrin zur Ausbildung kam und später, als jene Doktrin wirklich zu Bedeutung gelangte, ihr zum Opfer fiel, und zwar nicht der Art der Regulierung des Risikos, sondern des certum lucrum wegen, zeigt deutlich, daß nicht das Wucherverbot der Grund seiner eigentümlichen Struktur war.

 Wir kehren zur Betrachtung des pisanischen Sozietätsrechts zurück.

IV. Die societas maris und die Familiengemeinschaft.

 Denn wir haben noch gewisse Spezialgestaltungen der allgemeinen, oben dargestellten Form der Seesozietät zu erörtern, welche gerade unser Interesse zu erregen geeignet sind und von dem Constitutum Usus in einem besonderen Kapitel: „de societate inter patrem et filium et inter fratres facta“, behandelt werden 24).
Die societas maris nämlich erleidet gewisse Modifikationen, wenn eine Sozietät der dargestellten Art zwischen Familiengliedern geschlossen wird, und davon soll jetzt die Rede sein.

24) C[apituto] 21.

Angebliche Ursprung der societas maris aus Familienassociationen.

 Als irrtümlich muß hier namentlich die von Silberschmidt aufgestellte Ansicht bestritten werden, daß die pisanischen Sozietäten gerade aus dem Familienrecht ihren Ursprung genommen haben sollten: — indem nämlich, wenn ein Familienglied, insbesondere ein Haussohn, mit Geld der Familie eine Handelsreise unternahm, sich das Bedürfnis herausgestellt habe, durch Verabredungen, welche alsdann allmählich eine gewisse Usance entwickelt hätten, die Verteilung des Gewinnes zu regeln; diese Usancen seien dann, auch wo derartige Unternehmungen mit dem Gelde eines extraneus gemacht worden seien, zugrunde gelegt worden.

 Daß dem nicht so ist und vielmehr umgekehrt die Grundsätze, welche bei der societas maris unter extranei galten, auf den Fall einer Sozietät unter Familienmitgliedern modifiziert angewendet wurden, ergibt vorläufig schon die Fassung des Statuts, welches stets bei Darstellung der societas inter patrem et filium et inter fratres facta auf die bei der societas inter extraneos facta geltenden Rechtssätze als in dubio anwendbar verweist, erstere als einen besonderen Fall der letzteren behandelt, wie jeder Blick in das betreffende Kapitel lehrt. Die zusammenhängende Darstellung wird zeigen, daß diese Fassung dem tatsächlichen Verhältnis entsprach. Vorausgesetzt aber, daß dies der Fall, so enthalten die Sozietäten unter Familiengliedern neben diesen allgemeinen auch speziell ihnen angehörige, modifizierende Elemente, deren Inhalt zu erörtern sein wird, und von welchen es sich fragt, welches ihre Quelle gewesen sein mag.

 Zunächst ist festzustellen, daß das rein verwandtschaftliche Element hier bedeutungslos ist. Wenn ein nicht in potestate, d.h. nicht im gemeinsamen Hause befindlicher Sohn oder Bruder mit seinem Vater bzw. Bruder eine societas eingeht, so wird sie als societas extraneorum behandelt 25).

 Gemeinsame Arbeit auf Grundlage gemeinsamen Haushalts ist auch hier das ökonomische naturale des Familienlebens. Deshalb gibt das Statut dem Vater ein Recht auf die Arbeitsleistung der Söhne in seinem Hause und aus demselben Grunde wird, wenn der Sohn mit Kapital des Vaters den Seehandel betreibt, mangels Abmachungen der Gewinn pro rata geteilt, während wenn der Vater reist, er stets die quarta proficui von dem als Anteil des Sohnes Mitgeführten, „sicut havere esset extranei“ bezieht, außerdem aber für sich behält, „totum quod per operam sive alio modo acquisiverit“. Die Arbeitsleistung des Sohnes wird im ersten Fall nicht entgolten, sie gebührt dem Vater ohne weiteres. Der Vater ist in derartigen Fällen naturgemäß stets capitaneus der Sozietät, welche im übrigen ganz den Regeln der societas extraneorum entspricht und bei welcher auch die übliche Art der Gewinnverteilung stipuliert zu werden pflegte.

25) S.887 l. c.

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.266 – 270 日本語訳(32)

日本語訳の第32回目です。これで訳し終わった箇所が2/3を超えました。
ヴェーバーはコムメンダやソキエタス・マリスの発達は教会法の利子禁止原理の回避が主目的ではないとしますが、もしコムメンダがイスラム圏でのムダーラバ契約の影響を受けて出来たものであれば、それはまさにイスラム教での利子禁止に抵触しない方式として考案されたのであり、ある意味議論が根本的に変ってきます。
また「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に出て来る、教会法の利子禁止原理と資本主義の発達との関連についてのゾムバルトへの反論の中で言及されている海事利息制度(大塚訳では海上貸借)、コムメンダ(大塚訳はコンメンダ)、ソキエタス・マリス、dare ad proficuum de mari は全てこの「中世合名会社史」の中で扱われています。
ちなみに先日訳者としての大塚久雄の姿勢を批判しましたが、同じ批判を英訳者のLutz Kaelber氏に対しても行います。今回の箇所に出て来る”foenus nauticam”は、最初は第2章の冒頭に登場します。しかしKaelber氏は”foenus nauticam”をそのまま引用しただけで、英語に訳すことも訳者注を付けることもしていません。今回の箇所にSeedarlehenという単語が登場しますが、実はこれは”foenus nauticam”をドイツ語にしたものです。(ここを参照。)Kaelber氏はその訳を”the ocean loan”と、何だか一般的な貿易への資金貸付けのように訳しています。読者はこの訳では何故それが教会法の利子禁止原理と関連するのかがまったく理解出来ません。自分にとって分らないことを調べずに放置してそのまま引用することが、結局他の箇所でも翻訳の質を低下させることにつながります。
それからまた、そもそもこの論考を翻訳するきっかけになったのは、この論考にRentenkaufが登場することなのですが、どういう文脈で扱われたのか、ようやく理解出来ました。
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 ここにおいての《henticaが形成されるケースとこのad portandum in compagniaとの》本質的な違いは次のような点にあると考えられる。つまり、ここでの出資は技術的な意味でhenticaとして取り扱われず、従ってまた法規においても、henticaとソキエタス・マリスについては債務に関わる人間関係についての明確な規定の中では言及されていない。そのためにここではゲゼルシャフトの財産が成立したようにはまったく思えず、そのためにこの形態をソキエタス・マリスと違うものとして扱う場合は、あたかも商法典においての「匿名」組合と合資会社の中間に位置付けられるものとして考えることが出来るかもしれない。ゲゼルシャフトの財産を持った合資会社は疑い無く法学的にはより上位の形態である。もしラスティヒが participatio 《参加する》という動詞によってこうした人間関係を理解しようとしているのであれば、それは確かに意義のあることと考えても良いであろう。その participatio という概念においては、ただ債務という考え方だけを扱い、その業務への参加者の間で維持されている利益と損失の分担を特別財産の形成とは見なさず扱うのであり、それはソキエタス・マリスとは対置される性格のものであると考えられる。―こうした見解は法学的なものであり、資本と労働がどのように結合されているかということについて、それぞれの単なる経済的な差異を抜き出して描写しようとしているのではないだろう。

 こういった固有財産を持つソキエタスと持たないソキエタスの違いというものは、しかしながら当初から存在していた訳ではない。―我々はその違いについてはジェノアの例においては、ただ曖昧にまた間接的に認識することが出来ただけである。その2つの違いが明確になるにはようやく次のような時点からである。それは根源的には現金取引の中で利用されていたコムメンダとソキエタス・マリスという制度が、外部に対して債権-債務の関係を明確に示す必要性が生じた時で、それは特に海外との商取引においてもより大規模な信用取引が行われるようになった場合である。ジェノアにおいてはただソキエタスの財産形成についての非常に萌芽的な諸契機を見出すことが出来ただけである。その財産形成についての法的な取り扱いという意味では、ピサにおける法規の編纂者達のより高度の水準にある法学的技術が、既に見て来たようにかなり早い段階でそれ以上の成功を収めていた。

 これまで論じて来たことからジルバーシュミットがコムメンダの中に合資会社の、そしてソキエタス・マリスの中に合名会社の、それぞれの始まりを見出そうとするアプローチは正しくないと思われる。ソキエタス・マリスはむしろ逆に合資会社の基礎原理なのであり、コムメンダはしかし、それが一方向的な関係に留まる限りにおいては、単純な参加型の関係という形でのみ発展する傾向を持っており、固有の制度としては最終的には消え去ってしまった。それはConsitutum Ususの中では既に見て来たように、datio(dare) ad portandum in compagniam の所である意味相当程度継母ままははのように扱われていた。

 今述べた最後のことを明らかにし、そして同時に我々の見解が正しいということについてのさらなる証拠は次の所で提供される。つまり、まずはコムメンダが取り入れられている法規の該当部分においてであり、さらにはコムメンダがその形を変えていくその方向によって、そしてまたConsitutum Ususの中でより単純化された信用取引の受け入れという方向にさらに進んでいく取引における人間関係についての規定を通じて提供される。その人間関係は dare ad proficuum de mari という名称で詳細に規定されている。

III. 固定配当金を持ったソキエタス(Dare ad proficuum maris)

 この dare ad proficuum maris もまた、文献史料によれば、ある種の”accipere havere ad proficuum de mari in aliquo tassedio ad tractandum in hentica”(共同出資によるソキエタス{hentica}の商品をどこか航海に出てそれを{海外で}販売し、それによって利益を得ようとする意図に基づくソキエタスへの参加の受け入れ)である。この表現から、コムメンダがこの制度の歴史的な土台であることが良く分る。その他また数多い煩瑣な形式的な疑問に答える完全に統一された諸規定から分ることは、もし何らかの理由でここで通常の利益分割のやり方が採用されない場合には、補完的に使われていた契約法(lex contractus)の規定である1/4の利益配分にまた戻ってしまうということである。(その1/4の利益は、例えば契約違反の場合の違約金として支払わなければならないものである。”ac si re vera socius esset”{そしてもしその者が何か正当な手段によってソキエタスの成員であるだろうとされるならば。})この人間関係については、それ以外の点では対外的にその祖先であるコムメンダとの類似点がほとんど見つからない。例えば出資に関してはピサでは、商慣習として固定化された利益の内の最大の取り分についての料金表が作られていて、その%で示された値は仕向先の港の位置する場所によって異なっていた 21)。これらの法文の規定は、企業家側からすれば「資本の調達コスト」として支払わなければならないものであり、根源的には常のこととして、(そうした資本調達コストを負担する前提で)利益を事業によって得ようとするものであった。利益が想定より少ないかあるいは全く無いという事態が―何らかの責任を負う必要がないこと(例えば不可抗力)が原因で―生じてそれが通知されることにより、ある決まった規則によって支払い利益の割引が発生する。また払い込まれた資本の全額の償還の際にも、臨時の減額の通知によって、元本割れの金額の返却という事例も見られた。この制度は海事利息制度《第2章の冒頭で言及されているfoenus nauticamのこと。そちらの訳注を参照。》とソキエタスの中間に位置付けられるが、しかし私はSchröder 22)《Richard Schröder、1838~1917年、ハイデルベルク大学の法制史家・商法学者》の説である海事利息制度の変形であるとは考えず、むしろ海事利息制度の法規定の中に取り入れられている法文によって変形された出資ソキエタス、コムメンダの特別なケースであると考える。―その「特別なケース」とは以下のようなケースである:その形成にあたっては、西地中海の沿岸に位置する全ての港を仕向地として完全に分類して算出した取引のリスクとさらにそこから派生する保証(のコスト)から、その(貿易)業務において平均してどの程度の計算可能な収益が得られるかということを明らかにする、そういうケースである。またそういう取り決めの目的は明らかに、信用取引の引き受けが主眼ではなく、利益の分割の仕方である。

21)Consitutum Usus c. 25: constitutio de prode maris を参照。

22)Endemann編の Handbuch des deutschen Handels-, See-, und Wechselrechts の第4巻の§ 46、Wagner《Rudolf Wagner、1851~1885年、ドイツ-ラトビアの法学者》のHandbuch des SeerechtsのIのp. 25のNo. 61、ゴルトシュミット(Festgabe für Beseler p. 204)は全てこの制度をゲゼルシャフト的に変形された海事利息制度としている。私は文献テキストトの中で探そうとした海事利息制度のコムメンダへの歴史的な依存という仮説を、そのコムメンダについては根本原理としては応急的なものとして登場したと考えるべきであるとする文章への言及を考慮し、少なくとも債権-債務関係の形成という点では正当であると考えたい。

 こうした業務の細かい点については、我々の関心の範囲外である。我々がここに見出すのは、先に述べた参加型業務がはっきりとより広範囲に行われるようになったということであり、それは料金表に記載されたそれぞれの港湾との増大する定期的な取引より生じた。そうした参加型の業務はそれぞれの港湾との貿易での固定化された利益配当を可能にしたのである。というのもいまや、既に述べて来たように、これらの関係も―その取り扱いについてはソキエタス・マリスと関連し、―またコムメンダを継承するものとして登場しているため、我々はここでまた、ラスティヒの言う所の一方向的な労働ゲマインシャフトと同じく一方向的な資本ゲゼルシャフトの対立が、こうした貿易業務の発展においての決定的な契機ではなかったことを見出すのである。

 ”dare ad proficuum de mari “の形の制度は後に消滅してしまっている。法典の補遺においては、固定化された利益と引き換えの資本提供を禁止しており、Consitutum Ususの中の該当の章は破棄され、”usura”が先頭に付く名前の章はこの業務形態を別のより害のないものに置き換えている。

ソキエタス法に対する利子禁止原理

 この機会に手短に次の見解についての議論に立ち入っても良いであろう。その見解とは中世における諸ソキエタスの発展を教会法での利子禁止原理の方へ本質において引き戻そうとするものであり、特にEndemannがそういう立場である 23)。この見解では次のことが仮定されている。つまり当時の教会法の教義において、ソキエタスを「営利活動」(pecunia-opera)と把握し、それの一つであるコムメンダ関係について、その本来の構造を本質的に次のことから把握している。つまりそれは資本が教会法によっての利子禁止の制限を何とかかいくぐって利子(収益)を得ようとするする形態であると。それ故にある人間関係について考慮する場合、もしそれが経済的には明らかに一定の利息の受け取りを条件とした資金貸付けとして登場するのであれば、それは(教会法では営利を目的とする)ソキエタスと見なされるのである。―次のことは既に知られている。この時代の人間が地代徴収権購入《Rentankauf、ある土地の所有者から土地そのものを買うのではなく、その土地の利用者に対して発生する年間いくらという地代{Rente}の徴収権を購入するもの。毎年受け取る地代が支払った金額に対する利子のように機能するが、貸付けではなくあくまで売買であるため、教会法の利子禁止原理の制限を免れた。》に似たやり方で抵当権上の保証が付いたヴェールに隠された利子付き貸付けをどのように行おうとしていたのかを説明しようとするのであるが、しかしこのような把握の仕方はその後断念されたと見なし得るのである。アーノルド《Wilhelm Christoph Friedlich Arnold、1826~1883年、ドイツの法律家・歴史家・政治家》等の研究は次のことを明らかにした。地代徴収権購入は次第に(資金提供者から地主への)貸付けの関係から諸都市における土地所有権(の代用)として発展し、そしてそれは全くの自明のことである経済的な要求を充たすものであったが、しかしながら利子付き貸付けが出来ないことに対する代替品としては主要なものでは全く無かった。―それがまた後になって、その制度が独立して発展した後になってようやく、投資先を求める資本が利子付きの抵当権設定という形態が欠けていることに対しての代替品として利用されたとしてもである。ソキエタス的な関係に関して言えば、これまで述べたことから十二分に次のことを確認することが出来る。つまりここにおいても(ソキエタスの)法学的かつ経済的な発展は(教会法の利子禁止原理をかいくぐる手段としてよりも)独立に発生したということである。(この段落続く)

23)Studien zur romanisch-kanonischen Wirtschafts- und Rechtslehre を参照。―それに対するラスティヒの反論は引用済みの論文を参照せよ。

問題の多い翻訳者:大塚久雄について

今訳している「中世合名会社史」の第4章の中に、”dare ad proficuum de mari”という制度が登場します。これはConsitutum Ususの中に出て来るものです。実はこれが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」にも出てきて、大塚単独訳のP.88になります。(「資本主義の精神」の注1)

dare ad proficuum de mari
英訳でのパーソンズの注
“a loan in which shares of gain and loss were adjusted according to degrees of risk”
大塚久雄訳での注
「危険の等級によって利益および損失の分配率を定める貸付け」

あまりにもそのままなので、まさか英訳をそのまま日本語化したのかと思いましたが、念のため原文を見たら元々原文中にあった注釈でした。なおより詳しい説明は次回の「中世合名会社史」の日本語訳の中に出てきます。

また同じ箇所のちょっと前にfoenus nauticamというのが出てきますが、これの大塚訳が「海上貸借」になっています。注釈はありません。(英訳にも注釈無し。)
ちなみに、この語は「中世合名会社史」にも登場し、私が今回の訳の中で付けた注は:
「foenus nauticam《foenusはfaenus(利息)で「海事利息」の意味。海事契約利息とも言う。ある貸主が貿易を行うものに資金を貸し付けるが、借主は船が無事に戻って来た時のみに返済義務を負い、海難事故で船が全損した場合は返済不要という内容のもの。返済の際には借りた金額より多い金額を返すため、一種の海上損害保険の先駆けともみなせるが、教会の利子禁止の裏をくぐるような利息付き貸し付けともみなせるため、1236年に法王庁から非難されたことがある。参考:Palgrave Macmillan, A. B. Leonard編, “Marine Insurance Origins and Institution, 1300 – 1850 (Palgrave Studies in the History of Finance)” 》」です。
大塚の訳語の「海上貸借」は私は聞いたことがありません。(Web上では「冒険貸借」という訳語があり、その言い換えとして「海上貸借」ともいう、とあります。もしかしてこの大塚の訳が広まったのかも知れません。)ラテン語を直訳したら私の説明にあるように「海事利息」です。
要するにヴェーバーは教会の利子禁止と抵触しない利子付き貸付けに近い例として紹介しているのですが、大塚氏はそういう文脈をほとんど無視して適当な訳語を付けているように思えます。(以前指摘したRentenkauf→年金売買という不適切訳もまったく同じです。)

以上のことから分るのは、
(1)大塚は「中世合名会社史」をきちんと読んだ形跡がここでも窺えない。
(2)読者が知らないであろう単語にも訳者注は付けない。(コムメンダ、ソキエタス・マリス、海上貸借のどれにも訳者注無し。)
(今回の「中世合名会社史」の日本語訳で今の所一番参照数が多いのは「コムメンダ」の解説部分です。つまりかなりの人は「コムメンダ」が何だか知っていません。)
(3)読者が誤解しないような訳語を付けようという姿勢に乏しい。

少なくとも私は今回の翻訳ではこうした大塚氏の姿勢を他山の石としたいと思います。

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.266 – 270 ドイツ語原文(32)

ドイツ語原文の第32回目です。
ここで”Rentankauf”が出てきます。Weberの4つの著作で登場する単語ですが、そもそもこの「中世合名会社史」の日本語訳だけが何故出ていないんだろうと思ったことが日本語訳という無謀なプロジェクトを始める上でのそもそものきっかけでした。
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 Als der wesentliche Unterschied erscheint hiernach, daß die Einlage hier nicht als hentica im technischen Sinne behandelt wird, sonach auch die vom Statut ausdrücklich für die hentica und die societas maris speziell normierten Haftungsverhältnisse nicht eintreten. Es scheint also hier kein Gesellschaftsvermögen entstanden zu sein und damit wäre der Unterschied dieser Form von der societas maris dem nach dem Handelsgesetzbuch zwischen „stiller“ Gesellschaft und Kommanditgesellschaft bestehenden an die Seite zu stellen. Die Kommanditgesellschaft mit Gesellschaftsvermögen ist unzweifelhaft die juristisch höhere Form; es hätte eine gewisse Berechtigung gehabt, wenn Lastig unter „participatio“ diejenigen Verhältnisse zusammengefaßt hätte, bei welchen nur eine durch Obligationen unter den Beteiligten geschützte Anteilnahme an Gewinn und Verlust eines Unternehmens ohne Sondervermögensbildungen eintritt, und ihnen die societas maris entgegengestellt hätte, — das hätte eine juristische und nicht, wie seine Unterscheidung je nach der Art, wie Kapital und Arbeit kombiniert sind, eine nur wirtschaftliche Differenz dargestellt.

 Jene Differenz zwischen Sozietät mit und Sozietät ohne Sondervermögen ist aber nicht etwas von vornherein Vorhandenes, — wir haben sie in Genua nur undeutlich und indirekt erkennen können. Sie konnte erst zur Klarheit mit dem Moment kommen, wo bei dem ursprünglich im Barhandel verwerteten Institut der Kommenda und societas maris die Notwendigkeit, die Haftungsverhältnisse nach außen klar zu stellen, dadurch eintrat, daß auch im überseeischen Handelsverkehr in umfangreicherem Maße kreditiert wurde. In Genua fanden wir noch ziemlich embryonale Ansätze einer Vermögensbildung, die hochstehende juristische Technik der Statutenredaktoren in Pisa ist schon in früherer Zeit, wie wir sahen, weiter gelangt.

 Nach dem Gesagten erscheint es unrichtig, wenn Silberschmidt in der Kommenda die Anfänge der Kommandit- und in der societas maris diejenigen der offenen Handelsgesellschaft finden will. Die societas maris ist vielmehr die Grundlage der Kommanditgesellschaft, die Kommenda aber, soweit sie ein einseitiges Verhältnis blieb, hatte die Tendenz, sich zu einer einfachen Partizipationsart zu entwickeln und ist als eigenartiges Institut schließlich verschwunden, wie sie schon im Constitutum Usus, wie wir sahen, in der datio ad portandum in compagniam nur noch sehr stiefmütterlich behandelt wird.

 Letzteres erklärt sich und zugleich ein fernerer Beweis für die Richtigkeit unserer Ansicht von der Stellung, welche die Kommenda einnahm und der Richtung, nach welcher sie sich umbildete, wird geliefert durch die Bestimmungen des Constitutum Usus über ein noch weiter nach dem Gebiet der einfachen Kreditgewährung hin gravitierendes Verhältnis, welches unter dem Namen „dare ad proficuum de mari“ ausführlich geregelt wird 20).

20) Const[itutum] Usus c. 24: de his quae dantur ad proficuum maris.

III. Societät mit fixierter Dividende. (Dare ad proficuum maris.)

 Auch dies ist, nach den Quellen, ein „accipere havere ad proficuum de mari in aliquo tassedio ad tractandum in hentica“, und schon die Bezeichnung beweist zur Genüge, daß die Kommenda die historische Grundlage ist, was übrigens auch aus den völlig übereinstimmenden Bestimmungen über zahlreiche formelle Fragen und daraus hervorgeht, daß, wenn aus irgendeinem Grunde die besondere hier übliche Art der Gewinnteilung nicht eintritt, auf die quarta proficui als subsidiäre lex contractus zurückgegriffen wird (welche z.B. der kontraktbrüchige Teil zu zahlen hat, „ac si re vera socius esset“). Äußerlich zeigt sonst das Verhältnis wenig Ähnlichkeit mit seinen Vorfahren. Für die Einlage ist nämlich in Pisa usancemäßig ein Tarif von fixierten Maximalgewinnanteilssätzen festgestellt, deren prozentuale Höhe sich nach der Lage des Bestimmungshafens richtet 21). Diese Sätze sind von dem Unternehmer als „Kapitalsmiete“ zu zahlen, grundsätzlich wie immer der Gewinn aus dem Unternehmen sich stellen mag; bei Nachweis, daß ein geringer oder gar kein Gewinn — schuldloserweise — erwachsen ist, findet Rabatt nach bestimmten Grundsätzen statt, auch wird von der vollen Kapitalserstattung nur bei Nachweis kasueller Verminderung abgesehen. Das Institut liegt zwischen Seedarlehen und Sozietät, doch möchte ich es nicht mit Schröder 22) als Modifikation des ersteren, sondern eher als einen durch dem Seedarlehen entnommene Sätze modifizierten Spezialfall der Einlagesozietät, Kommenda, ansehen, — einen Fall, dessen Gestaltung sich erklärt aus dem abnehmenden Risiko des Verkehrs mit den klassifizierten, sämtlich am westlichen Mittelmeerbecken belegenen Häfen und der zunehmenden Sicherheit, bei Geschäften auf einem bestimmten Markt einen durchschnittlich berechenbaren Gewinn zu machen. Auch der Zweck des Geschäfts ist augenscheinlich prinzipaliter nicht Kreditgewährung, sondern Gewinnbeteiligung.

 Das Nähere interessiert uns nicht. Wir sehen hier eine offenbare Weiterbildung der zuletzt geschilderten Partizipationsart, hervorgerufen durch den zunehmenden regelmäßigen Geschäftsverkehr mit den im Tarif genannten Häfen, welche jene fixierten Dividenden ermöglichte. Da nun, wie gesagt, auch dies Verhältnis — das zeigt auch seine Behandlung im Anschluß an die societas maris — sich an die Kommenda angeschlossen hat, finden wir auch hier, daß der von Lastig angenommene schroffe Gegensatz zwischen einseitiger Arbeits- und einseitiger Kapitalgesellschaft nicht das maßgebende Motiv der Entwicklung gewesen ist.

 Das dare ad proficuum de mari ist später verschwunden, ein Statutenzusatz verbot alles Hingeben von Kapital gegen certum lucrum, die betreffenden Kapitel des Constitutum Usus sind kassiert, auch sonst, wo das Wort usura vorkommt, dasselbe durch unverfänglichere ersetzt.

21) Const[itutum]. Usus c. 25: constitutio de prode maris.

22) Bei Endemann Bd. 4 § 46, Wagner, Seerecht I S.25 Nr. 61. Goldschmidt (Festgabe für Beseler S.204) nennt das Institut ein gesellschaftlich modifiziertes Seedarlehen. Ich möchte die im Text versuchte historische Anlehnung desselben an die Kommenda mit Rücksicht auf den erwähnten Satz, daß die Grundsätze der letzteren subsidiarisch eintreten sollen, wenigstens für die Gestaltung der Haftungsverhältnisse für gerechtfertigt halten. Der Ausdruck „Spezialfall“ ist allerdings etwas zu scharf, soll aber nur in dieser Beschränkung festgehalten werden.

Bedeutung der Wucherdoktorin für das Societätsrecht.

 Es mag bei dieser Gelegenheit kurz auf eine Auseinandersetzung mit derjenigen Ansicht eingegangen werden, welche die Entwicklung der mittelalterlichen Sozietäten wesentlich auf die kanonische Wucherdoktrin zurückführen will, wohin besonders Endemann gehört 23). Diese Ansicht nimmt an, daß insbesondere die in der damaligen Doktrin als societas pecunia-opera bezeichneten Kommendaverhältnisse ihre eigenartige Struktur wesentlich dadurch erhalten haben, daß sie die Form gewesen seien, unter welcher das Kapital sich dem kanonischen Verbot des zinsbaren Darlehens zu entziehen gesucht habe. Deshalb habe man selbst Verhältnisse, welche sich wirtschaftlich offenbar als Darleihen von Kapital gegen festen Zinsgenuß darstellten, als Sozietät konstruiert. — Es ist nun bekannt, wie man seiner Zeit in ähnlicher Weise den Rentenkauf als ein verschleiertes zinsbares Darlehen mit hypothekarischer Sicherheit hat historisch erklären wollen, und daß diese Auffassung inzwischen als aufgegeben angesehen werden kann. Die Untersuchungen von Arnold z.B. haben ergeben, daß der Rentenkauf sich allmählich aus den Leiheverhältnissen an Grundeigentum in den Städten entwickelt hat, und daß er einem durchaus selbständigen wirtschaftlichen Bedürfnis genügte, keineswegs aber der Hauptsache nach Lückenbüßer für das fehlende zinsbare Darlehen war, — wenn auch später, aber erst nachdem das Institut sich bereits selbständig entwickelt hatte, das Anlage suchende Kapital es auch als Ersatz für die mangelnde Form der zinsbaren Hypothek verwertete. Was die Sozietätsverhältnisse anlangt, so geht wohl aus der bisherigen Darstellung zur Genüge hervor, daß auch hier die juristische und wirtschaftliche Entwickelung auf eigenen Füßen stand.
(この段落はまだ続きます。)

23) Studien zur romanisch-kanonischen Wirtschafts- und Rechtslehre. — Gegen ihn cf. Lastig in der cit. Abhandlung.

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.262 – 266 日本語訳(31)

日本語訳の第31回目です。この部分で初めて「合資会社」という概念が登場します。ローマ法におけるソキエタスは、どちらかというと参加者同士がフラットで対等な感じがしますが、合資会社では「有限責任社員」と「無限責任社員」というある種の区分が登場します。
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 この箇所にて述べられていることは以下の通りである:

1.個人への債権者との関係

 I. ソキエタスの中の成員と、ある債権者でソキエタスに出資された財産についての債権者ではない者との間での訴訟において、その債権者がソキエタスの成員に対する債権を持ったのが、その成員がソキエタスへの出資をする前だった場合(inter socios et alios creditores, qui non sint creditores ejusdem hentice, licet creditores sint priores tempore)、―ソキエタスの成員達はソキエタスに属する財産(rebus societatis)については優先権を持つが、それは他の財について法による秩序が守られている(in aliis bonis secundum ordinem juris observetur)限りにおいてである。それ故にこの場合ソキエタスの成員達は債権者とソキエタスの成員達の中の個人としての債務者の間に入り、その債権者に対し、その債権者がソキエタスの共通の出資金を担保に取るという契約を締結していない場合には、ソキエタスの財産の返還を請求することが出来る。(トラクタトール個人への債権者と我々は呼ぶべきであろう。)

2.ソキエタスの成員達のゲゼルシャフトの基金への位置付け

 II. さらに次のことが述べられる。

“inter socios ejusdem hentice seu societatis maris, licet aliqui socii sint priores tempore et habeant etiam hypothecas, tamen in praedictis bonis (scil. societatis), ejus, quod quisque sociorum recipere habet, communiter admittantur et per libram dividant”(同一のソキエタスへの出資を行ったソキエタスの成員達の間で、またはソキエタス・マリスの成員達の間で、仮にその中のある成員が他の成員よりも優先権を持ち、またソキエタスの財産を担保として使っていたとしても、その、先に言及された財産(つまりはソキエタスの財産)は成員の全員が受け取る権利を持ち、共有のものと認められ、出資比率に応じて均等に分けられる)
それ故に多数のソキウス・スタンスが一人のトラクタトールを共通に持つその者達は(というのはそれがここで想定されたケース:つまり同一のソキエタスへの出資をしたソキエタスの成員達{socii ejusdem hentice}である)、ソキエタスの財産を(出資額に応じて)均等に分けることになる。それ故にさらに次の義務への遵守が必要となる:

1)ソキエタスの成員達の中の誰であっても、ソキエタスの財産への強制執行の際に自己出資分について他の成員達に対する優先権を主張することは出来ない。
2)ソキエタスの成員達の中の誰であっても、自己のIllaten in natura《全集版の注釈によれば出資分のこと》の返還請求をすることは出来ない。

―これらのことは明確には述べられてはいない。しかしこれらのことは I. の法文への相対概念かつ論理的帰結として成立する。さらにも次のことからも直接導かれる。つまり、ジェノアのソキエタス・マリスの場合と同様にここでも、ソキエタスの本質的な機能は危険を共有(分散)することであり、それ故に個々の成員についての事象はもはや考慮されず、そうではなくてただ利益と損失が全体の勘定の中に算入されるのであるが、Consitutum Ususが明確に規定しているように、あるソキエタスで「混ざり合った状態を享受する」(havere mixtum)、つまり共通の財産が分割されずに存在しているということと、利益と損失が出資割合に応じて(per libram)分割されなければならない 15) ということが規定されている。このことからもこの II. は直接導かれるのである。

15)p.884 l.c.を参照せよ。

3. ゲゼルシャフトへの債権への位置付け

 III. トラクタトールへの債権者で、トラクタトールがその者とソキエタスの財貨について契約を取り交わした者は、ソキウス・スタンス個人に対する債権者ではない。このことはやはり直接的には表現されておらず、ただ私には少なくとも自明と思われるが、次のことからも判断される。それはこういった責任関係が破産時における優先権を通じて構成されているそのやり方によってである。そこにおいてはソキエタスへの出資者達は、その出資分を一つにした財産に対する債権者(creditores hentice)の差し押さえには対抗出来ない―そのことはcreditores henticeという名前がまさに示す通りであるが―となっており、その(トラクタトールとのソキエタスの財貨についての)債権者は出資の結果一まとめにされたソキエタスの財産について、ソキエタスの成員達に対して、またさらにソキエタスの成員個人に対する債権者に対しても、優先権を与えられている。ソキウス・スタンスそれぞれの個人的な連帯責任の引き受けを基礎とするソキエタスは、むしろ明確にジェノアでのソキエタス・マリスにおける構築の仕方にまた舞い戻るような今述べたようなソキエタスの構成のやり方を必要としていない。―ソキエタスへの債権者はソキウス・スタンスに対してはただ、出資されて一まとめにされた財産への債権者(creditores hentice)であるということである。

4.ゲゼルシャフトの財産の範囲

 IV. hentica(出資の結果として一まとめにされた財産に基づくソキエタス)がここで述べて来たようなやり方で機能することを開始するのは、そこに所属する可視物(species)が、ソキエタスの基金という形で一つになった瞬間である。ソキエタスの基金というものは法学的には次のことが成立した後に成立する。それは該当する価値のある客体が、それぞれの金銭的価値(aestimatio)に従って事実上一つにまとめられた(mixta)時に、それらはその結果としてソキエタスの基金に算入され、それもある一定の合計額として「算入された」、その後である。それらの客体について価額が未定の場合は、それらはまだソキエタスの財では無い。何故ならその場合には個々のソキエタスの成員が、自分の出資によってどこまでソキエタスの財産の中で分け前を持つのかということが確定しないからである。―というのも、しかしながら、個々のソキエタスの成員の勘定に算入されるのはその成員が持ち込んだ財貨そのものではなく、その財貨の資本としての価額なのであり、この資本としての価額を通じてその成員のソキエタスの財全体の中でのその成員の分け前の権利が表現されるのであり、それ故にその価額の確定は法学的に見たソキエタスの成立の過程の中で本質的な部分なのであり、それによってその成員に対して出資金(hentica)の中の分け前の比率は、まさしくその成員によって持ち込まれた財貨の登場する所において確定するのである。henticaとまだ価額が確定していない有価物との関係は、まだ仮のものであり、それは利益や損失と一緒で特別な勘定として扱われ、それが売却されて価額が確定した時に初めて共通の金銭勘定の中に取り込まれるのである。

16)p.885 l.c.を参照せよ。

17)ローマ法における嫁資の価額の決定(dos aestimata)についての規定を参照せよ。これらのソキエタスとローマ法における先行事例(卑俗法の中から、ゴルトシュミットがロード海法やAgermanament《詳細不明、この語自体は「姉妹都市」という意味なので、マラカ法などのローマの同盟市・自治市・植民市の法のことではないかと思われる。》をそう呼んでいるように)、特に Contractus aestimatorius との関係については―学説彙纂D.44のpro socioを参照せよ。―aestimatioのそこでの取り扱いは、またも(この「価額の決定」ということの重要性の)有力な証拠としてみなすことが出来る。

ここまでの成果。合資会社

 ここまでの論述の結果として私にとって明らかになって来たことは―ここにこのように現れている事象によって(rebus sic stantibus)《clausura rebus sic stantibus=法学でいう「事情変更の原則」をもじっていると思われる。つまりローマ法でのソキエタスの法規定が貿易に伴って生じた新しい人間関係による事情変更により新しい解釈が必要となった、と言いたいのだと思われる。》、通常は非常に理解しづらいConsitutum Ususの法文について、より明証性の高い解明を行うことが出来たということである。―それはつまり、我々はここにおいて合資会社の財産法的な基礎原理を目の当たりにしているということである。合資会社に必要なものは全てここにおいて揃っているか、あるいは少なくともその登場が予示されている。「個人的に」責任を負うゲゼルシャフトの構成員、つまりトラクタトール 18)と、―価値のある客体の複合体で個人への債権者の差し押さえの対象になるもの、その客体の複合体に対してはゲゼルシャフトが存在している間は各ソキエタスの成員の持ち分への権利は劣位に置かれるのであるが、その複合体に対しては各ソキエタスの成員は債権者ではなく持ち分所有者(株主)として権利を与えられる。それ故これらのことによってソキエタスの特別財産が形成され、それはゲゼルシャフトの債権者に対してその債権の額に応じた《proratarischen→ラテン語のpro rata「取り分に応じて」からのおそらくヴェーバーの造語》返済をあらかじめ用意するのであるが、最終的にはゲゼルシャフトの構成員《=有限責任社員》でその責任は自己の出資分に限定されている者達、これら全てが実質的に合資による会社財産形成の目印なのであるが、しかし法学的にはまだ完全な姿とは言えない。この「不完全な」という意味は、特に次の理由でそうである。何故ならばゲゼルシャフトの財産の存在は、少なくともまだその出資元が外から見て取れる限りにおいては、対外的には強制執行の要請があった時に初めてその存在が明るみに出るのであり、それ以前においてはトラクタトールのみが契約当事者であり、そしてそのトラクタトールとそのソキエタスの業務において契約する債権者は、最初から権利を与えられているのは次のことだけである。つまり、その債権者達が、個々の強制執行の対象となる客体に対して、―つまり既に述べて来た意味でゲゼルシャフトの財産に属する客体について、絶対的に優先権を与えられているということである。全体の人間関係は純粋にローマ法的に構成されており、そのような合資会社的なゲゼルシャフトはまだそれ自体が可能な契約当事者として自立するまでには至っておらず、そのゲゼルシャフトの特別な破産の可能性もまだ考慮されていなかった。そういった特別財産の成立は、文献史料によれば、その成員達に対する強制執行や破産手続の場合によりいっそう詳細に規定されていた。そういったソキエタスの成員達が(まだ)財産を自らの手の内に持ち、またトラクタトールをも管理していた。―

18)トラクタトールの個人責任は、ここでは全く疑いのないものであり、それはジェノアにおける場合と同じである。しかしConsitutum Ususにおいては明確には規定されていない。そのトラクタトールの個人責任という考え方は、まさしく他の様々なものと同様に、当たり前のこととして成立している。直接に文献史料の中の特定の位置から証拠となるのを持ってきて証明するのでない限りは、何かをただ主張しようとするやり方には疑問が多い。Consitutum Ususでのソキエタス法の規定は、しかしその浩瀚さにも関わらず、逆にその浩瀚さが最も重要な箇所だけを取り出すのを不可能にしてしまう。そういったソキエタス法の規定は、法文においてソキエタス法の成立がその当時の人間にとっては疑いもないものであり、そのためにその意味の説明も省略されているように見えるような形で記述されている、まさにその箇所において《現在の我々から見れば論証の》不備を露呈している。これらの法文については従って、他の諸都市の類似の法規によってと、最終的には昔存在していた原初的な人間関係の構図からの論理的帰結によって補完的に説明されなければならない。

II. 固有財産の無いソキエタス(Dare ad portandum in compagniam)

 ここまではただ次のケースについてのみ詳細に論じて来た。それは多数のソキエタスの成員達が出資を一斉に行うことによりソキエタスの基金が形成され、それが様々な関係において特別財産としての機能を発揮するというケースである。Consitutum Ususにおいてはしかしながら、別のケースも存在している。それは利益の中からの分け前を条件とした、事業に対しての一方向的な投資のケースであり、丁度ジェノアでのコムメンダのように―事業参加者に対しての1/4の利益配分―を含むものであった。

 これらのケース、つまり、”dare ad portandum in compagniam”と表現される形態についての非常に不備の多い所見から、まずは次のことが導かれる。つまりこうしたやり方で引き渡された資本が、それについて価額が確定した場合には、既に出資された分と一緒に、その事業の中に組み込まれたトラクタトールまたは第三者の資本と一体化される。しかしながらこのケースでは、法規によれば、ソキエタスの元の成員達に不利益をもたらしてはならないとされている。この最後の部分の意味するところは、ただ次のことである。つまり、このような形であるソキエタスに出資する者は、それによって上述した意味でのsocius hentice《同一のソキエタスに出資したソキエタスの成員達》にもcreditor hentice《一つにまとめられた出資に基づくソキエタスへの債権者》にも成ることはなく、そうではなくてただ今日の匿名組合員(stiller Gesellschafter)のように、トラクタトールに対しての債権者であり、そのトラクタトールに対して資金を貸付けるのである。その者は、法規がそう定めているように、その貸付けの行為によって事実上トラクタトールの仕事に関与している場合でも、それによってソキエタスの成員、今日の言葉で言う有限責任社員(Kommanditist)に成ることは決して無い。このような外部の者がその出資をソキエタスの共同出資金と一体化した場合に、元々のソキエタスの成員達に何らかの損害を与えた場合には、その者はその分を補償しなければならなかった―このことから上述した特別の意味での「資金の引き渡し」は、ad portandum in compagniamにおいては所与または通常のケースでは無かったように思われる。トラクタトールは引き渡された資本について、それを自己の責任でされに別の委託契約に出資することが出来たが、これはソキエタス・マリスの場合では権限が与えられていなかったことである。

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.262 – 266 ドイツ語原文(31)

ドイツ語原文の第31回目です。ここで初めて合資会社が登場します。
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 Es wird in dieser Stelle gesagt:

1. Verhältnis zu den Privatgläubigern.

 I. daß bei einem Streit „inter socios et alios creditores, qui non sint creditores ejusdem hentice, licet creditores sint priores tempore“, — die socii vorgehen sollen in rebus societatis, während „in aliis bonis secundum ordinem juris observetur“. Also: die socii können intervenieren und Freigabe des Sozietätsguts fordern von denjenigen Gläubigern, welche nicht zu Lasten der hentica kontrahiert haben (Privatgläubigern des tractans, würden wir sagen).

2. Stellung der socii zum Gesellschaftsfonds.
 II. Es ist ferner gesagt, daß „inter socios ejusdem hentice seu societatis maris, licet aliqui socii sint priores tempore et habeant etiam hypothecas, tamen in praedictis bonis (scil. societatis), ejus, quod quisque sociorum recipere habet, communiter admittantur et per libram dividant“. Also mehrere socii stantes, denen ein tractator gegenübersteht (denn dies ist die gedachte Situation: vv. socii ejusdem hentice), sollen das Sozietätsgesuch nach Quoten teilen, es soll also:
 1) Niemand von ihnen durch Zwangsvollstreckung für sich wegen seiner Einlage ein Vorrecht vor den anderen erlangen.
 2) Niemand von den socii seine Illaten in natura zurückverlangen können, — dies ist nicht ausdrücklich gesagt, ergibt sich aber einmal schon als Korrelat und Konsequenz des Satzes zu 1, ferner direkt daraus, daß auch hier wie bei der genuesischen societas maris die wesentliche Funktion der Sozietät die Gemeinsamkeit der Gefahr ist, also nicht mehr die einzelnen Sachen in Betracht kommen, sondern Gewinn und Verlust nur auf Rechnung der Gesamtheit geht, wie das Constitutum Usus festsetzt, indem es bestimmt, daß, wenn bei einer Sozietät „havere mixtum“, d.h. ungeteilt gemeinsames Vermögen, vorhanden sei, Gewinn und Verlust per libram geteilt werden solle 15).

15) S.884 l. c.

3. Stellung zu den Gesellschaftsgläubigern.

 III. Die Gläubiger des tractator, mit welchen derselbe mit bezug auf die Sozietätssachen kontrahiert hat, sind nicht persönliche Gläubiger der socii stantes. Dies ist ebenfalls nicht direkt gesagt, ergibt sich aber, mir wenigstens unzweifelhaft, aus der Art, wie diese Haftungsverhältnisse durch Konkursvorrechte konstruiert sind, indem die hentica dem Zugriff der creditores hentice unterliegt, — das sagt ihr Name —, sie also in bezug auf die hentica den socii gegenüber und diese wieder den Privatgläubigern gegenüber privilegiert sind. Eine auf persönliche Mithaft der socii stantes gegründete Sozietät bedürfte dieser, vielmehr augenscheinlich auf die Konstruktion bei der societas maris in Genua zurückleitenden, Konstruktion nicht; — die Sozietätsgläubiger sind eben gegenüber den socii stantes nur creditores hentice.

4. Umfang des Gesellschaftsvermögens.

 IV. Die hentica beginnt in der geschilderten Weise zu funktionieren mit dem Moment, wo die dazu gehörigen species zu einem Sozietätsfonds zusammengefaßt sind. Letzteres ist juristisch vollzogen, nachdem 16) die betreffenden Wertobjekte, nach Feststellung ihres Geldwertes (aestimatio) faktisch zusammengebracht (mixta), sobald sie also „eingebracht“, und zwar: zu einem bestimmten Werte eingebracht sind. Sind sie noch nicht ästimiert, so sind sie noch nicht Sozietätsgut, denn dann steht noch nicht fest, zu welcher Quote die socii durch ihre Einbringung anteilsberechtigt geworden sind, — da aber auf das Konto des socius der Kapitalwert der Sachen, nicht diese selbst, kommen, und durch diesen Kapitalwert die Anteilsberechtigung | des socius an dem Sozietätsgut ausgedrückt wird, so ist seine Feststellung ein Essentiale des juristischen Vorganges 17), welcher eben darin bestehen soll, daß für den socius eine Quote der hentica an die Stelle der eingebrachten Sachen tritt. Der Zusammenhang eines nicht ästimierten Wertobjekts mit der hentica ist nur ein faktischer, es geht mit Gewinn und Verlust auf besondere Rechnung und erst der bei einer Veräußerung an die Stelle tretende Geldbetrag fällt in die gemeinsame Masse. —

16) S.885 l. c.

17) Cf. die römischen Vorschriften über dos aestimata. Für die Anknüpfung dieser Sozietäten an römische Antezedenzien (aus dem Vulgärrecht, wie Goldschmidt, lex Rhodia und Agermanament, annimmt), insbesondere den Contractus aestimatorius — Cf. D. 44 pro socio — liegt in dieser Behandlung der aestimatio ein abermaliger starker Wahrscheinlichkeitsbeweis.

Ergebnis. Kommanditgesellschaft.

 Als Resultat ergibt sich mir — rebus sic stantibus, d.h. bis eine plausiblere Erklärung der sonst schwer verständlichen Sätze des Constitutum Usus gelungen ist, — daß wir hier die vermögensrechtlichen Grundlagen der Kommanditgesellschaft vor uns haben. Alle wesentlichen Requisite derselben sind hier aus- oder doch vorgebildet. Ein „persönlich haftender“ Gesellschafter, der tractator 18), — ein Komplex von Wertobjekten, welcher dem Zugriff der Privatgläubiger entzogen ist, an welchem während des Bestehens der Gesellschaft die Anteilsrechte der socii zurücktreten und an welchem sie nicht als Gläubiger, sondern als Teilhaber berechtigt sind, damit also ein Sondervermögen, welches der proratarischen Befriedigung der Gesellschaftsgläubiger vorweg dient, — endlich Gesellschafter, welche nur mit ihrer Einlage haften, — das sind alle Merkmale eines wirklichen kommanditären Gesellschaftsvermögens, wenn auch in juristisch noch unvollkommener Gestalt. Unvollkommen besonders deswegen, weil die Existenz des Gesellschaftsvermögens, wenigstens soweit der Inhalt der Quellen ersehen läßt, nach außen erst in der Zwangsvollstreckungsinstanz  zur Erscheinung gelangt; vorher ist nur der tractator Kontrahent, und die mit ihm in Sozietätsgeschäften kontrahierenden Gläubiger haben nur das voraus, daß sie an einzelnen Exekutionsobjekten, — den im obigen Sinne zum Gesellschaftsvermögen gehörigen, absolut privilegiert sind. Das ganze Verhältnis ist rein romanistisch konstruiert, „die Gesellschaft“ als solche ist noch nicht als möglicher Kontrahent auf eigene Füße gestellt, die Möglichkeit eines besonderen Konkurses über sie ist wohl unzweifelhaft noch nicht gedacht, das Bestehen des Sondervermögens kommt zur Erörterung vielmehr nach den Quellen nur bei Zwangsvollstreckung bzw. Konkursverfahren gegen denjenigen socius, welcher das Vermögen in Händen hat und verwaltet, den tractator. —

18) Die persönliche Haftung des tractator ist hier so wenig zweifelhaft, wie in Genua, obwohl sie im Constitutum Usus nicht ausdrücklich konstatiert ist. Sie ergibt sich ebenso, wie manches andere, aus der Natur der Sache. Es ist mißlich, mit nicht unmittelbar durch Quellenstellen zu belegenden Behauptungen zu operieren. Das Sozietätsrecht des Constitutum Usus ist aber trotz des großen Umfangs, der die Aufnahme auch nur der wichtigsten Stellen aus den Quellen hier unmöglich macht, lückenhaft gerade da, wo Rechtssätze in Betracht kommen, deren Bestehen den Zeitgenossen nicht zweifelhaft und also der Fixierung nicht bedürftig erschien. Diese Rechtssätze sind deshalb aus dem verwandten Recht anderer Städte und eventuell als Konsequenz aus der nun einmal vorhandenen Struktur des Verhältnisses zu ergänzen.

II. Societät ohne Sondervermögen. (Dare ad portandum in compagniam.)

 Bisher ist nur der Fall erörtert, daß durch Zusammenschuß der Einlagen mehrerer socii ein Fonds gebildet wird, welcher in mehreren Beziehungen die Funktionen eines Sondervermögens versieht. Es ist aber im Constitutum Usus auch der Fall einer rein einseitigen Einlage in ein Unternehmen gegen Gewinnanteil, wie in der genuesischen Kommenda — quarta proficui für den Unternehmer — enthalten.

 Die sehr lückenhaften Bemerkungen über diese, als „dare ad portandum in compagniam“ bezeichnete Form ergeben 19) zunächst, daß das in dieser Weise Hingegebene, wenn es ästimiert war, mit der hentica — dem in der Unternehmung steckenden Kapital des Kommendatars oder dritter — kommuniziert wird. Doch soll dies, wie das Statut sagt, den socii nicht präjudizieren. Letzteres kann nur heißen, daß wer in dieser Weise in eine Sozietät einlegt, dadurch weder socius henticae noch creditor henticae im obigen Sinne wird, sondern nur, wie ein heutiger stiller Gesellschafter, Gläubiger des tractator, dem er die Einlage macht. Er soll, wie das Statut bestimmt, nicht einmal dadurch, daß er sich tätig an der tractatio beteiligt, ,sociusʼ — d.h. Kommanditist — werden. — Den Schaden, den die socii durch das Kommunizieren seiner Einlage mit der hentica etwa erleiden, soll er ersetzen, — es scheint also das „Einbringen“ im obigen spezifischen Sinn nicht naturale des ad portandum in compagniam Gegebenen zu sein. Das Hingegebene kann der tractator weiter kommendieren auf seine Gefahr, wozu er bei der societas maris nicht befugt ist.

19) S.885.