ヴィルヘルム・ヘニスの「人間の科学 ――マックス・ヴェーバーとドイツ歴史学派経済学」

ミネルヴァ書房 「マックス・ヴェーバーとその同時代群像」W.J.モムゼン、J.オスターハーメル/W.シュベントカー編著に収録のヴィルヘルム・ヘニス著の「人間の科学 ――マックス・ヴェーバーとドイツ歴史学派経済学」(日本語訳:雀部幸隆)を読了しました。読んだきっかけはこの前の投稿に書いた通りです。
通読して、かなりのインパクトがあった論文です。 ヴェーバーは「ロッシャーとクニース」で、自分を「(国民経済学の)歴史学派の子」としながら、その親にあたる国民経済学者のロッシャーとクニースを手厳しく批判します。その内でロッシャーへの批判は比較的分かりやすいのですが、クニースへの批判は難解で、かつクニースと直接関係無いことを批判しているように私には思え、挙げ句の果ては未完であり、結局良く分らない批判でした。しかし、ヘニスによると、ヴェーバーがやった宗教社会学や「経済と社会」のような著作における方法論は、既にクニースによって主張され、あるいは少なくともヒントが与えられていたものをヴェーバーが発展させたに過ぎない、ということで、これは目から鱗の指摘でした。ヴェーバーは私生活で「息子が父を裁いた」とマリアンネに評された実父への糾弾を行い、それが結局実父の死につながり、さらには自分自身の精神疾患の誘因になった訳ですが、ヴェーバーはある意味学問でも「親を裁く」ということをやっている訳です。(親、といってもクニースはヴェーバーの43歳上で、父親と祖父の間ぐらいの年齢の差になります。)もちろんそれが正当な批判なら問題は無いでしょうが、ヘニスは、ヴェーバーのクニース批判はクニースを無理矢理ヘーゲルの亜流の流出論者と決めつけて論難するというもので、かなり問題が多いと評しています。
ちなみにヴェーバーの方法論で、既にクニースが主張しているものは
(1)人間の学問としての経済学
(2)理解社会学とほとんど同じ人間の内面の把握と理解
(3)宗教の教説が経済に及ぼす影響!
といったもので、勘ぐっていえばヴェーバーのクニース批判は、自分の立ち位置を独自のものであるかに見せるための脚色が入った論難とも言えなくないかもしれません。
ちなみにヴェーバーはハイデルベルク大学通学時にクニースの「国民経済学」の講義を聴講しています。また自身がハイデルベルク大学で国民経済学を教えるようになったのは、それはクニースの後任としてでした。

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