色々と「理解社会学のカテゴリー」の周辺の書籍を読んでいった結果として、当時の心理学、つまり実験心理学がどういうものであったのか調べていますが、中野敏男氏の「ヴェーバー入門」に登場する「心理学」という単語が使われている説明は、いくつかの概念を混同していて、正しく使われておらず、読者に誤解を与えるものだと思います。
まずは氏は、シュモラーの例のヴェーバーとの学問における価値判断の取扱についての論争の説明で、シュモラーの立場を「心理学により正義を語る国民経済学」としています。そこで「当時進展を見せていた科学としての心理学の知見」をシュモラーが議論の支えにした、とあります。(下線部は原文は傍点)そして「正義の理念は、必然的な心理過程から発生し」ということを引用しています。しかし、当時の「科学としての心理学」で一体だれが、正義の理念の発生を解明するまでの業績を挙げたのでしょうか?先に書きましたが、この当時の「科学としての心理学」というのは、実験心理学のことです。その具体的な業績とは、例えばヘルムホルツが神経における神経興奮の伝達速度が、1秒当たり30m前後であることを突き止めた、とかそういうことで、まさしく「実験室で」「実験によって」確かめられたものです。また、ヴェーバーの「ロッシャーとクニース」の中で言及・批判されている心理学者は、ヴィルヘルム・ヴントとヒューゴー・ミュンスターバーグ(同書の日本語訳中ではミュンスターベルク)などの実験心理学者であり、フロイトやユングではありません。
それから更に、ヴェーバーの理解と科学的心理学の違いの説明として、「代償行為」とか「防衛機制」等を「科学的心理学の立場からの説明」としています。この説明はヤスパースの「精神病理学原論」のような精神病理学であれば成り立つと思いますが、「当時の」科学的心理学の説明としてはまったく不適です。
それからもっと大きな問題は、中野氏がこういった当時の実験心理学に対する批判的な発展として、哲学の認識論の分野での心理学主義を一まとめにして「科学的心理学」としてしまっていることです。ディルタイは解釈学を打ち立てる前は「記述的分析心理学」を提唱していました。そして何度か紹介しているフッサールも、彼の現象学というものは、当時の実験心理学が人間の表象などの心的現象をきちんと定義も無しにアプリオリなものとして扱っているのに対し、哲学の認識論的なバックグラウンドを与えて厳密化しようとしたものと言えるでしょう。そしてそのディルタイに対する批判としてヴィンデンバルトやリッケルトが登場しまたフッサールもディルタイ批判を「厳密な学としての哲学」でしています。またディルタイの主張を発展させて自分なりに作り替えたのがジンメルであり、これらの学者は全てヴェーバーが理解社会学というものを提唱する上で大きな影響を与えています。
これらのディルタイ、ヴィンデンバルト、リッケルト、フッサールについての説明は中野書にはまったくといって良いほど出ていません。例外的にP.50でヴェーバーの理解は解釈学的な流れではなくむしろ哲学的な認識論につながる、と説明がありそこにディルタイが登場しますが、ここもまたおかしな説明で、ディルタイもヴィンデンバルトもリッケルトもジンメルもフッサールも、カント以来の伝統である哲学的な認識論からスタートしているのであり、ヴィンデンバルトやリッケルトが「新カント学派」とされていることからもそれは明らかです。