ヴェーバー学ではなく折原学

折原浩先生は「理解社会学のカテゴリー」を非常に重視しており、その中でも「諒解」を最重要視しています。例えば2008年の「ヴェーバー研究の「新しい風」に寄せて」では、

「二、松井著の意義と射程――「諒解」概念の展開可能性
松井著と小著とは、「カテゴリー論文」の基礎概念にもとづく「旧稿」の体系的読解をめざし、(「旧稿」を、著者ヴェーバーの「1914年構成表」に依拠して、①「概念的導入」篇、②「ゲマインシャフト」篇、および③「支配」篇に三分すれば)松井著が①と②、小著が①と③を集約的に論じ、その意味で相互補完関係をなしている。したがって、読者がいま「旧稿」全篇を体系的に読解しようとされるならば、小著をプロレゴーメナとする両著の併読が、ヴェーバー研究の現在の到達水準から道標を提供する案内として役立つであろう。

そのうえで松井著は、ヴェーバー研究の活性化をめざし、「カテゴリー論文」の基礎概念中とくに「諒解Einverständnis」に着目して、「ヴェーバー社会理論」のダイナミクスを復権させようとする。「鉄の檻」(「官僚制」)による現代人の「無気力な歯車」化といったステレオタイプにたいしても、(外からニーチェを持ち出すのではなく)「ヴェーバー社会理論」への内在を深めることによって、突破口を探ろうとする。しかも、「諒解」概念とその射程にかけては、佐久間孝正や中野敏男の「物象化論」を批判の俎上に乗せ、筆者の「没意味化論」にもとづく、「ゲゼルシャフト関係」の「頽落態」という「諒解関係」の捉え方にも、正面から批判を加える。松井によれば、ほとんどすべての「ゲゼルシャフト形成」は、「制定秩序」を「授与」されるゲマインシャフトの内部に、それ以前の(より「原生的」な)ゲマインシャフトを「取り込み」、「再編成」し、常態として「ゲマインシャフトの重層」構造を創り出す。「ゲゼルシャフト関係」の「合理的」秩序といえども、じつは「諒解」によって「妥当」するのであり、したがって「諒解」のカテゴリーこそ、あらゆる「ゲマインシャフト(社会)秩序」の存立と変動を解く鍵である。」

しかしながらこの「諒解」は「社会学の根本概念」では全く消滅しています。例えば「カテゴリー」論文でヴェーバーが諒解の例として挙げた言語については、「しかし言語の共通性は、それ自体ではまだゲマインシャフト関係を意味するものではなく、当該集団内の交通を容易にするだけであり、したがってゲゼルシャフト関係の成立を容易にするだけである。」と述べており、つまりは「ある人間集団が言語を共通にしているだけではそれはゲマインシャフト関係にあるとは必ずしも言えない。」ということです。(私が敢えていうならこれは言語ゲノッセンシャフトです。)なので折原浩先生が「諒解」こそ「あらゆる「ゲマインシャフト(社会)秩序」の存立と変動を解く鍵である。」とするのは、ヴェーバー本人が戦後重視しなくなっていたことを勝手に変えていて、もはやヴェーバー学ではなく折原学です。この点は非常に重要なので、折原浩先生がそう述べているんだからそれがヴェーバーの本当に主張したかったことなんだ、と思うべきではありません。

「経済と社会」の「頭」問題への現時点の個人的まとめ

「経済と社会」の「頭」問題について、現時点での個人的まとめです。この問題は折原浩先生とシュルフター教授の間で何度も論争が交わされましたが、尻切れトンボに終わってしまっているように思います。そういう意味でアマチュアの意見であっても公にする意味はあると思います。

(1) 「経済と社会」の旧稿は、第1次世界大戦後書き直されたものを除き、注釈すらほとんどついていない完全な手書きの草稿状態のもので、それがある「頭」に従って統一的になるよう十分な注意を払って書かれたとはとても見なし難い。

(2) 「理解社会学のカテゴリー」ではゲマインシャフト行為、ゲゼルシャフト行為を定義しているが、実際に良く出てくるのは、ゲマインシャフト・ゲゼルシャフトそのもの、あるいはVergesellschaftung(ゲマインシャフトが契約を結ぶなどしてゲゼルシャフトになること、ゲゼルシャフト形成)などであり、直接的に「理解社会学のカテゴリー」に依拠している部分は少ない。

(3) そもそも歴史に登場する人間集団で「行為」から見たその形成の経緯などほとんどの場合不明であり、ゲマインシャフト行為、ゲゼルシャフト行為などの定義は分析の役には立っていない。

(4) ヴェーバーに限らず、「経済と社会」の旧稿全体のような膨大なテキストに対して、あらかじめ全ての必要なカテゴリーを準備しておくことなどまず不可能。実際には「宗教社会学」で「教団」という意味でのゲマインデが新たに定義されたりなど、「理解社会学のカテゴリー」は「頭」とみなすにはあまりにも不十分。

(5) 既に何度も指摘しているように、ゲノッセンシャフトやケルパーシャフトなどの法制史等での重要カテゴリーは「カテゴリー」では定義されていない。

(6) 一方シュルフター教授の「双頭」仮説は、「社会学の根本概念」が戦後に書かれたものであることを考えれば執筆順で考えてそれが旧稿の頭を成しているというのは時系列を無視している。「旧稿」が書き進められていくにつれて徐々に歴史事象により適合する形で考えなおされたカテゴリー論が、さらにはミュンヘン大学の学生に教えた時の経験に基づく反省が「根本概念」に反映されている、というなら賛成出来る。しかしその場合でも「頭」というほどではないというのは「カテゴリー」論文と同じ。

(7) 「カテゴリー」論文のゲマインシャフト行為・ゲゼルシャフト行為は、ミクロ経済学でいう「限界効用」に近い。「限界効用」理論が実際的な人間や会社の経済行為の解明にはほぼ役に立たないというのは今日では常識に近いが、「ゲマインシャフト行為」「ゲゼルシャフト行為」は「限界効用」と比べても更に現実との接合が弱い。

「理解社会学のカテゴリー」と「経済と社会」の本文が合っていないもう一つの例

「理解社会学のカテゴリー」論文では、「諒解」というものが定義されその典型例の一つとして「言語」が挙げられています。諒解に基づくのが「団体」です。しかしヴェーバーの「支配の社会学」の冒頭部に「言語」が登場しますがそこではLiteratursprachgemeinschaft(世良訳では「文学上の言語共同社会」)として言語に対してはゲマインシャフトが使われています。そして国家(アンシュタルト)によって言語ゲマインシャフトが統制される例としてドイツから分かれたオランダがその言語(本来はドイツ語の方言の一つ)をオランダ語とした、というのが挙げられています。一方で団体のメルクマルが諒解であることを考えると、言語はある時は団体である時はゲマインシャフトである、という矛盾したことになってしまいます。シュルフター教授が「諒解」は「経済と社会」の途中で使われなくなったと主張していますが、この箇所はそれを裏付けるものだと思います。

それからちょっと私自身が考えたこととしては、「諒解」は全てゲノッセンシャフトとして考えれば辻褄が合うのではないか、ということです。つまり言語ゲノッセンシャフトや貨幣(通貨)ゲノッセンシャフトです。ヴェーバーが無理矢理「諒解」という概念を考え出したのは無意識の内でゲノッセンシャフトを使いたくなかった可能性が想定されます。(ゲノッセンシャフトの提唱者ギールケは、ヴェーバーの博士号論文の査読者の一人であり、ヴェーバーが書いた「中世合名合資会社成立史」の言い訳だらけの結論部は、そのギールケの批判への応答だと思います。このように私はヴェーバーはギールケに対するある種の苦手意識があったように思います。まあこれは仮説ですが。)

実はそれで思い出したんですが、私は1986年1月に提出した私の卒論(ドイツ語)の中でGeldgenossenschaftという概念を既に定義しています。この卒論はカール・ポランニーの特定目的貨幣と汎用貨幣という分析の視点でドイツの第1次世界大戦後の大インフレ期と、世界第不況期のナチスによる外国為替政策の中での近代通貨の特定目的貨幣への逆行を分析したものですが、特に大インフレで各種緊急貨幣というものが地域毎にそれぞれ作られたという状況を説明するために定義したものです。でも結局本文では使っていません。先行して定義したカテゴリーを現実に当てはめると、必ずしもその通り綺麗にはいかない、ということで、ヴェーバーの場合も同じことかと思います。

もう一つ折原浩先生の「理解社会学のカテゴリー」解釈への疑問

以前も紹介しましたが、折原浩先生は「理解社会学のカテゴリー」について以下の解釈をされています。
「「これは別件ですが、「カテゴリー論文」で規定されるのは、まさにいくつかのeinigeもっとも一般的な基礎範疇(「シュタムラーが本来――規範学と経験科学とを混同せずに――言うべきであったこと」)にほかなりません。「家」、「近隣」、「氏族」その他、「普遍的な種類のゲマインシャフト」にかんする基礎概念ではありません。① たとえば、突然の驟雨に通行人が一斉に雨傘を広げる、相互間に意味関係」はない、自然現象への「斉一反応」、②「無定形のゲマインシャフト行為」、③「慣習律に準拠する諒解(ゲマインシャフト)行為」、④「制定秩序に準拠するゲゼルシャフト(的ゲマインシャフト行為」という四基礎範疇を定立し、社会関係一般の 「合理化」尺度を「類的理念型}として設定し、「旧稿」本論における具体的適用にそなえているわけです。」」
しかし、「理解社会学のカテゴリー」の中のどこに一体「合理化の尺度」と言った説明があるのでしょうか?また折原浩先生はこれ以外にカテゴリー論文で「ゲマインシャフトはゲゼルシャフトの上位概念である」ことも強調されます。この上位概念という日本語が紛らわしいですが、要はゲゼルシャフトはゲマインシャフトの特殊な場合ということであり、ゲゼルシャフトがゲマインシャフトに内包されるということです。そうであればこの2つは水平的な関係であり、合理化の尺度の発展段階とする折原説は矛盾しています。また「諒解」はきわめて曖昧模糊とした用語であり、ヴェーバーは団体のメルクマルにしていますが、これが上記のようなゲマインシャフトとゲゼルシャフトの間に入るようなものだとどこに書いてあるのでしょうか?更には①と②は無理矢理段階を作るために入れられたもののように見え(特に①はヴェーバーが例として出しただけでカテゴリーでも何でもない)、私が記憶する限り「経済と社会」の中には登場しないと思います。大体が多くの歴史に登場する人間集団は既に確立したものとして登場するのがほとんどで、その設立時の動機がある程度はっきりしているのは中世イタリアの誓約ゲノッセンシャフトぐらいかと思います。(それでこのゲノッセンシャフトはカテゴリー論文では定義されていない。)私から見れば以上のような折原浩先生の議論は全て「理解社会学のカテゴリー」を無理矢理「経済と社会」の頭に仕立て上げようとする拡大解釈の産物だと思います。

「経済と社会」旧稿の「再構築」への疑問

このサイトを始めたのは7年くらい前ですが、その時の目的の一つは、折原浩先生の「経済と社会」の旧稿の再構成仮説を検証してみることでした。
それからの7年間で、私のヴェーバーに関する理解も進み、また「中世合名合資会社成立史」と「ローマ土地制度史」を訳し終えたことで、少なくともヴェーバーの主要な学術論文についてはほぼ目を通したことになりました。更に最近、折原浩先生の「宗教社会学」の私家版に対する補注作業をやって知り得たこと、これらを合わせて現在の私の「経済と社会」の旧稿に対する考え方は以下です。

(1)「理解社会学のカテゴリー」は確かに旧稿で使われている用語の意味を把握するという意味では重要であるが、しかしその内容自体が短期間に作られ十分検討されたものではなく、問題のある定義も多く、なおかつゲノッセンシャフトやケルパーシャフトといったものに対する定義も欠けており、旧稿の「頭」と呼べるようなものではない。
(2)旧稿そのもの、特に「宗教社会学」については19世紀後半~20世紀初頭の欧州の宗教学の誤った考え方(例:宗教の進化論)やきわめて不足しているユダヤ教、キリスト教以外の宗教への知識に基づいて誤りの多い理念型をある意味でっち上げたような内容であり、とても現在においての「教科書」として再構築出来るようなものではない。
(3)ヴェーバーの思考は常に変化を続けており、例えば「理念型」の定義も二転三転しています。そういうダイナミックなものであるヴェーバーの学問を第1次世界大戦直前の限定した時期に固定して、その学問を再現する試みにどういう意味があるのか。言ってみれば活発に活動する生物のホルマリン漬けを作るような試みです。

上記を合わせて考えると、結局折原浩先生は、マリアンネが自分の亡夫の学問上の主要著作が存在しないのはおかしい、と思って旧全集の誤った二部構成の「経済と社会」を捏造したのと、ほぼ同じことを繰り返そうとしているだけではないのでしょうか?要するに「社会学」の「巨人学者」であるヴェーバーの、「社会学」の主著=教科書が完成していないのはおかしいからそれを同じく(マリアンネとは別の形で)「捏造」するという。少なくとも折原浩先生の「宗教社会学」の私家版翻訳を見ている限り、「ヴェーバーの言っていることはいつも正しい。」と言った間違ったバイアスが強く働いているように見えます。それから折原浩先生は現行の全集の「経済と社会」の取扱いを「頭のない四肢体」として批判しますが、現状まったく結論の出ていない旧稿の再構成問題という段階で、私には他の選択肢があったとは思えず、それを批判するのはおかしいと思います。

左の写真は私が所有するヴェーバー関係の書籍です。(約200冊)これらの内、ほぼ8割くらいは目を通しています。従って上記の意見は短期間の思い付きで言っているようなものではまったくありません。

問題の多い「理解社会学のカテゴリー」

ヴェーバーの初期の論文を2本、日本語訳で合計A4で500ページ分も訳すという約6年に渡る「苦行」によって、私はヴェーバーが書いたものについては、頭から信用せず、まずは疑う、という態度で臨むようになっています。それで「宗教社会学」に出てきた「団体」についての訳者注を書こうとして、「理解社会学のカテゴリー」を読み直してみて、この「理解社会学のカテゴリー」にも様々な問題があることを発見しました。以下列挙します。

1.ゲマインシャフト、ゲゼルシャフトの定義
そもそもこの「カテゴリー」論文で奇妙なのは、ゲマインシャフト、ゲゼルシャフトを直接定義するのではなく、ゲマインシャフトの方では「ゲマインシャフト行為」を定義するということが行われます。そこで例として挙げられているのは、自転車に乗った2人が衝突するのはゲマインシャフト行為ではないが、そこでお互いが回避行動を取ればそれはゲマインシャフト行為である、と定義されています。奇妙なのは、ここではゲマインシャフト関係というものには何の定義も与えられていないことです。ゲマインシャフト行為に基づく人間関係がゲマインシャフト関係であるとこちらで考えるなら、「自転車衝突回避ゲマインシャフト」なるものを想定することになりますが、そんなものはあり得ません。また自転車の衝突回避は、酔っ払いか自殺願望の人間でもない限り誰しもが行う反射的な行為であり、そこにゲマインシャフト形成の要素は存在しません。単なる2人の人間が接触した結果起きる事象に過ぎません。またゲマインシャフトというのであればそれなりに時間的な継続性が必須と考えますが、この例にそんなものは存在していません。おそらくはヴェーバーはゲマインシャフトを理論的に定義しようとしながら、その裏では一般的なドイツ語のゲマインシャフトという概念をそのまま利用しています。

もっと変なのはゲゼルシャフト行為、ゲゼルシャフト関係であり、ゲゼルシャフト行為の定義をするにあたり、その中にゲゼルシャフト関係が登場するという、一種のトートロジー、循環論法になってしまっています。(ヴェーバーの定義はゲゼルシャフト関係の中で作られた制定律に準拠しそれを当てにして他人の行動を予測して行うのがゲゼルシャフト行為とされています。)こちらもゲマインシャフトと同様、論理的定義を行おうとしているのに、何故か最初からゲゼルシャフトの一般イメージが借用されています。

2.「諒解」の説明のおかしさ

目的合理的な制定律を欠くにもかかわらず、人々が「あたかもそれがある」ように想定するのがヴェーバーが言う諒解で、ヴェーバーのその典型例として言語と貨幣を挙げています。しかし言語は確かに幼児の時に自然に習得するものですが、そこには教科書、辞書、文法書といった制定律に準ずるものが存在し、必ずしも諒解にだけ基づくものではありません。(でなかったら私たちはどうやって外国語を習得出来るのでしょうか。)更にはエスペラントのような個人によって人工的に作られた=制定された言語も存在します。また貨幣も、そもそもヴェーバーはクナップの国定貨幣(カルタ貨幣)説の支持者ですが、この場合も貨幣制度を創設したのは国というのが前提であり、必ずしも諒解だけに基づいてはいません。現代の日本においても貨幣の価値維持や受領義務というものの決定には国が大きくかかわっています。こういう風に諒解は流動的で曖昧な概念であり、カテゴリーとして使うには問題が多いと考えます。

3.「団体」とは何か
合理的な制定律は持っていないけど、諒解に基づく集団をヴェーバーは「団体」としています。丁度宗教社会学で「団体」が使われている訳ですが、こちらもおかしな用法ではないでしょうか。ユダヤ教だったら律法、トーラー、キリスト教であれば聖書や教父文書などが制定律として機能しており、決して「神があたかも存在するように」という集団ではありません。それにこれらはヴェーバーの用語法ではアンシュタルトです。(人が生まれてすぐそこに所属するようになる集団。)また例えば新興宗教であればそういった制定律に相当するものが存在しない場合もありますが、その場合であっても信仰ゲマインシャフトと考える方が自然であり、諒解に基づく団体と捉えるべきではありません。(ヴェーバーは結局宗教に関してはゲマインデ{教団}という新たなカテゴリーを作り出しており、これを見ても「理解社会学のカテゴリー」は旧稿に登場するカテゴリーを網羅出来ていないのは明白です。)

「理解社会学のカテゴリー」については、従来「経済と社会」のトップに「社会学の根本概念」が据えられていたのが、テンブルック他の批判により、1980年代に「理解社会学のカテゴリー」に準拠すべきと改められました。私が大学の時に丁度折原浩先生が、この「理解社会学のカテゴリー」に基づいた「経済と社会」の再読という作業を開始されました。その時に要するに「根本概念」の方を否定するあまり、上記のような「カテゴリー」の方の問題点を十分考慮することなく、「ヴェーバーが言っているんだから正しいんだろう」という思い込みを前提にして「カテゴリー」論文を受容していたように思います。私はこの時実際に「カテゴリー」論文を読み直すゼミに参加しています。

更に付記しておくべきなのは、「カテゴリー」論文に問題がなければそもそもヴェーバーは「根本概念」を改めて書く必要はなかっただろうということです。自分自身でも薄々欠陥に気づいていて、かつミュンヘン大学で「カテゴリー」を講義した時に、当時の学生(いわばその当時のスーパーエリート層)がまったく理解出来なかった、という事態に遭遇して、「根本概念」の執筆に至っています。

以前、「カテゴリー」論文を「経済と社会」の頭、とする折原説に異を唱えたことがありますが、やはり「カテゴリー」論文は問題を多く含むいわば「頭脳としてきちんと機能していない頭部」なのではないでしょうか。(シュルフター教授の説く、「経済と社会」の旧稿の途中で「根本概念」準拠に変わったという双頭説は、証拠が存在しないと思いますし、またどちらにせよこの「頭」という捉え方には反対です。)

リッケルト「自然科学の概念形成の限界。歴史科学への論理的入門」を入手。

「理解社会学のカテゴリー」論文の冒頭に言及されている文献の内、リッケルト(リッカート)の「自然科学の概念形成の限界。歴史科学への論理的入門」は残念ながら日本語訳が出ていません。それでドイツ語版を取り寄せようとしたのですが、これもなかなか面倒でインドの出版社によるファクシミリ版をようやく入手しました。(なお、このファクシミリ版は1ページがかすれていてほぼ判読不能です。)
ファクシミリ版の表紙に「第一部」とあったので、第二部があるのかと思って探しましたが、結局このファクシミリ版は第一部と第二部を合本したものでした。第一部(第一~三章)が出版されたのは1896年で、第二部(第四~五章)は1902年で6年開いています。リッケルトの緒言によれば、第一部は「自然科学の方法論の限界について、つまり歴史の科学がそれではないこと」について述べたもの、第二部が「歴史科学の本質について」となっています。ヴェーバーが参照しているのは、当然両方です。
なお、邦訳がある(岩波文庫)「文化科学と自然科学」は1901年と第一部と第二部の間に出ており、著者自身が「限界」論文の入門編としても読める、と述べているので、こちらを読んでも大枠は分ると思います。(私は現在他の文献も平行して読みながらこちらを読書中です。)
なお目次部分(第二部の冒頭にあります)について、スキャンしたものを載せておきます。画像はクリックで拡大します。
ちなみに、ヴェーバーとリッケルトは一つ違い(リッケルトが一つ上)ですが、ギムナジウムでの同級生だったようです。そういう意味でヴェーバーの良き論争相手でした。

雑誌「ロゴス」についてのメモ

ヴェーバーの「理解社会学のカテゴリー」とフッサールの「厳密な学としての哲学」の発表誌はどちらも哲学雑誌「ロゴス」誌です。これについてちょっと調べました。まず正式な名前は”Logos. Internationale Zeitschrift für Philosophie der Kultur.”です。単なる哲学雑誌ではなく、「文化の哲学」のための国際雑誌、となっています。「文化の哲学」と聞くとまずリッケルトを思い出しますが、実際に編集に携わったゲオルク・メーリスはリッケルトの弟子筋にあたる新カント学派の哲学者です。出版社はおなじみモーア・ジーベックです。「国際」の方はロシア語版他の各国語版が計画されていたようです。1910年創刊で年1冊のペースで刊行されたようで1933年まで続きます。その後ナチスの政権奪取で雑誌の性格が変わってしまったようです。ここにどなたが作られたか存じ上げませんが、各巻の執筆者とのその表題の一覧があります。それを見ると、フッサール、リッケルト、ヴィンデルバント、ジンメル、ラートブルフ等々、「理解社会学のカテゴリー」の冒頭で言及されている学者が多数登場します。タイトルからも分るように、純粋な形而上学に限定した雑誌ではなく、幅広い分野の学者が寄稿していたことが分ります。ちなみにマリアンネも2回寄稿しています。最初の寄稿はヴェーバーより先です。

20世紀初頭の心理学ー江戸川乱歩の「心理試験」より

20世紀初頭の心理学がどういったものであるかを、江戸川乱歩の「心理試験」(1925年)が良く描写していますので紹介します。(引用元:青空文庫)元々、高砂美樹著、「心理学史はじめの一歩 改訂新版: ルネサンスから現代心理学へ 」の中のコラムで紹介されているものです。当時の心理学がこうした装置を用いて人間の心理の動きを数値やグラフにして調べようとしていたことが良く分ります。

「蕗屋(注:殺人犯)の考によれば、心理試験はその性質によって二つに大別することが出来た。一つは純然たる生理上の反応によるもの、今一つは言葉を通じて行われるものだ。前者は、試験者が犯罪に関聯した様々の質問を発して、被験者の身体上の微細な反応を、適当な装置によって記録し、普通の訊問によっては、到底知ることの出来ない真実を掴もうとする方法だ。それは、人間は、仮令言葉の上で、又は顔面表情の上で嘘をついても、神経そのものの興奮は隠すことが出来ず、それが微細な肉体上の徴候として現われるものだという理論に基くので、その方法としては、例たとえば、Automatograph 等の力を借りて、手の微細な動きを発見する方法。ある手段によって眼球の動き方を確める方法。Pneumograph によって呼吸の深浅遅速を計る方法。Sphygmograph によって脈搏の高低遅速を計る方法。Plethysmograph によって四肢の血量を計る方法。Galvanometer によって掌の微細なる発汗を発見する方法。膝の関節を軽く打って生ずる筋肉の収縮の多少を見る方法、其他これらに類した種々様々の方法がある。」

Automatograph
Pneumograph
Sphygmpgraph
Plethysmograph
M0016397 A moving coil galvanometer.
Credit: Wellcome Library, London. Wellcome Images
images@wellcome.ac.uk
http://wellcomeimages.org
A moving coil galvanometer of the type designed by D’Arsonval.
Published: –
Copyrighted work available under Creative Commons Attribution only licence CC BY 4.0 http://creativecommons.org/licenses/by/4.0/

中野氏の「ヴェーバー入門」における「心理学」の説明への疑問

色々と「理解社会学のカテゴリー」の周辺の書籍を読んでいった結果として、当時の心理学、つまり実験心理学がどういうものであったのか調べていますが、中野敏男氏の「ヴェーバー入門」に登場する「心理学」という単語が使われている説明は、いくつかの概念を混同していて、正しく使われておらず、読者に誤解を与えるものだと思います。
まずは氏は、シュモラーの例のヴェーバーとの学問における価値判断の取扱についての論争の説明で、シュモラーの立場を「心理学により正義を語る国民経済学」としています。そこで「当時進展を見せていた科学としての心理学の知見」をシュモラーが議論の支えにした、とあります。(下線部は原文は傍点)そして「正義の理念は、必然的な心理過程から発生し」ということを引用しています。しかし、当時の「科学としての心理学」で一体だれが、正義の理念の発生を解明するまでの業績を挙げたのでしょうか?先に書きましたが、この当時の「科学としての心理学」というのは、実験心理学のことです。その具体的な業績とは、例えばヘルムホルツが神経における神経興奮の伝達速度が、1秒当たり30m前後であることを突き止めた、とかそういうことで、まさしく「実験室で」「実験によって」確かめられたものです。また、ヴェーバーの「ロッシャーとクニース」の中で言及・批判されている心理学者は、ヴィルヘルム・ヴントとヒューゴー・ミュンスターバーグ(同書の日本語訳中ではミュンスターベルク)などの実験心理学者であり、フロイトやユングではありません。
それから更に、ヴェーバーの理解と科学的心理学の違いの説明として、「代償行為」とか「防衛機制」等を「科学的心理学の立場からの説明」としています。この説明はヤスパースの「精神病理学原論」のような精神病理学であれば成り立つと思いますが、「当時の」科学的心理学の説明としてはまったく不適です。
それからもっと大きな問題は、中野氏がこういった当時の実験心理学に対する批判的な発展として、哲学の認識論の分野での心理学主義を一まとめにして「科学的心理学」としてしまっていることです。ディルタイは解釈学を打ち立てる前は「記述的分析心理学」を提唱していました。そして何度か紹介しているフッサールも、彼の現象学というものは、当時の実験心理学が人間の表象などの心的現象をきちんと定義も無しにアプリオリなものとして扱っているのに対し、哲学の認識論的なバックグラウンドを与えて厳密化しようとしたものと言えるでしょう。そしてそのディルタイに対する批判としてヴィンデンバルトやリッケルトが登場しまたフッサールもディルタイ批判を「厳密な学としての哲学」でしています。またディルタイの主張を発展させて自分なりに作り替えたのがジンメルであり、これらの学者は全てヴェーバーが理解社会学というものを提唱する上で大きな影響を与えています。
これらのディルタイ、ヴィンデンバルト、リッケルト、フッサールについての説明は中野書にはまったくといって良いほど出ていません。例外的にP.50でヴェーバーの理解は解釈学的な流れではなくむしろ哲学的な認識論につながる、と説明がありそこにディルタイが登場しますが、ここもまたおかしな説明で、ディルタイもヴィンデンバルトもリッケルトもジンメルもフッサールも、カント以来の伝統である哲学的な認識論からスタートしているのであり、ヴィンデンバルトやリッケルトが「新カント学派」とされていることからもそれは明らかです。