III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.251 – P.253 日本語訳 (28)

いよいよこれで第3章が完結します。
==============================================
 ここに関連文書として引用してきた文献史料が作成された時代において、即ち大体十字軍が終了しようとしていた頃《最後の十字軍である第9回十字軍は1271年 – 1272年》、連帯責任の原則は間違いなく既に法的に有効なものとなっていた、―しかしながらその法律上の書式は当時何世紀もの間継承されて来たものであり、この考え方から次の二つのことを近接するものと考えてはならない。一つは法律で規定された連帯責任が様々な文献史料の中で慣習的に維持されてきた連帯しての責任の約束を破壊して置き換えるのだと考えることである。もう一つはそれ故に、常に繰り返されてきた連帯責任を定めた契約という事実から、ソキエタスの成員の間では連帯しての責任が望ましいものとされていたと、またそこからそれに適合した形の慣習法が成立してきたという仮定 72)をすることである。―まずは次のことに注意しなければならない。中世初期の文献史料がある一定の(連帯責任の)取り決めを含むということから、その当時において次のことが生じて来たのでは全くない。それはつまりこの連帯責任に関して明確に条文化された法的関係の作用がまた本来ex lege、つまり法律それ自体の効果として直接に生じたのではないということである。それはむしろ逆である:この連帯責任という自然な要求については、当時の公正証書が特別に詳細に、またかなりの文言を費やして記載するのが常であったし、この事に関連する文献史料においては、この連帯責任という条項を詳細に規定して 73)含めることについての純粋に法的な要求以外での様々な理由が存在した。ここでの文献史料は国際的な取引関係を扱っているのであり、そして14世紀においてのフィレンツェのギルドの法規においてもまだ、ソキエタスの成員の連帯責任として昔からずっと法文として確定させており、それは外国との取引における確実性という利害関心において、各ソキエタスの外国における代表者に対して文書によって全権を与えることを各ソキエタスに対して規定しており、それ故ここでは資格証明の目的でのこの種の登記についての同様の需要についても述べているのである。最後の資格証明という目的は特に以下に説明する目的のためであった。何故ならばここでは海上輸送による取引が問題にされているのであり、しかし海上取引についてはコムメンダ契約を使うのが普通であり、旅をするソキエタスの成員はそこから次の状態に置かれた。即ちその権利を取引相手に求めてもらうために、そのソキエタスの成員について連帯責任を負うことを義務化し、ソキウス・スタンス(Kommandite)のトラクタトールとして見なしてもらうという資格証明の手段が不足していたのである。(この目的のために資格証明の需要が生まれた。)しかしながら本質的にはこの章で実証の手段として提示して来た文献がその中でほのめかされている偶発性について言わんとしているのは、私はそう信じたいのであるが、法規の中での法形成の向かう方向は、通常それは連帯責任の原理の取引における慣習から発展したに違いないと思われているが、その原理をより確実にしまた拡張する方向ではなく、共通の取引という経営が関わる領域の場合はむしろそれを制限し、その適用範囲を狭めようとする方向に向かったのである。そのことは次のことを否定するものではない。つまりそれが法規における法的な発展にとって重要だったということである。その場合においては、商取引が連帯責任を法規定にすることを促進した。そして公証人に関する文献史料は、明らかに法学におけるローマ法的な法解釈により影響を受けているので、そういった把握の仕方は実際のところ一つの水路だったのであり、その水路を通じて法律家の観察の仕方は現実の取引とそれによってまた法形成に近づいていったのである。―そのことについては結論の章で手短に述べる。何はともあれ、さらにいくつかの法領域について、その法領域に対してはそれ以外では抜けの多い法規についての文献史料を広範囲に自由に使用することが出来るが、次のことについての証拠を見出さなければならない。それはつまり先の2つの章での叙述が、それらの法的な文献史料としての内容の吟味に耐え得るのかどうかということであり、それは我々にとってはそこで扱われた諸制度について、包括的な、また部分的には地方色に染まってもいる確固たる像を引き出すということである。

72)ランゴバルド法において既に、l. II rubr. の”de debitis et quadimoniis”において、その最後で連帯責任の条項を定めた部分が存在している。同様の例でCollectio sexta novellarum Dmni Justiniani imperatorisの”de duobus reis promittendi”の章もある。

73)人はそれ以外にも次のものにも注目しがちである。つまり1279年の婚姻契約、アルメニアのアジャクシオ《コルシカ島のアジャクシオの間違い?》にて締結されたもので、その中で婚姻適格年齢の女性が(その契約を破った場合には)違約金を払うという条件で(!)婚姻契約を結んでいる。”stare et habitare tecum in tua domo”(あなたの家に居て、あなたと一緒に住みます。)、”nec jacere cum alio viro”(他の男性と寝たりしません。)更に服従等を誓っている。そして婚姻する男性は”食べ物と着る物を十二分に与えること”を誓っている。結論としては、当時の結婚におけるこれらの義務はそれ自体として固有のものではなかった。

III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.251 – P.253 ドイツ語原文 (28)

いよいよ第3章の最後の部分になります。
========================================
 Zur Zeit der Abfassung der hier in Bezug genommenen Urkunden, gegen Ende der Zeit der Kreuzzüge, bestand der Grundsatz der Solidarhaftung allerdings schon zu Recht, — allein die Formulare vererbten sich damals durch Jahrhunderte, und sollte nicht der Gedanke nahe liegen, die gesetzliche solidarische Haftung für den Niederschlag des in den Urkunden usancemäßig enthaltenen Versprechens der Haftung in solidum zu halten und mithin anzunehmen, daß aus der immer wiederkehrenden Solidarhaftsstipulation eine Präsumtion dafür, daß unter socii Haftung in solidum gewollt sei und daraus das entsprechende Gewohnheitsrecht entstanden sei? 72) — Es muß zunächst bemerkt werden: daraus, daß Urkunden des früheren Mittelalters eine bestimmte Abmachung enthalten, ergibt sich für die damalige Zeit nicht im entferntesten, daß die betreffende ausdrücklich stipulierte Wirkung des Rechtsverhältnisses nicht auch ohnehin ex lege aus demselben erfolgt sei, im Gegenteil: Diese Naturalia pflegen die damaligen Notariatsinstrumente besonders ausführlich und in deskriptiver Breite zu enthalten 73), für die in Bezug genommenen Urkunden lagen überdies mannigfache Veranlassungen vor, die Klausel betreffend die Solidarhaft ausdrücklich aufzunehmen. Es handelte sich hier um internationale Relationen, und wie die Florentiner Zunftstatuten noch des 14. Jahrhunderts, als die Solidarhaftung der socii dort längst als Rechtssatz feststand, im Interesse der Sicherheit des Verkehrs mit dem Ausland, den Sozietäten vorschrieben, ihre auswärtigen Vertreter mit urkundlicher Vollmacht zu versehen, so sprach auch hier das gleiche Bedürfnis für eine derartige Beurkundung zum Zweck der Legitimation. Zu letzterem Zwecke besonders deshalb, weil überseeischer Verkehr in Frage stand, im Seeverkehr aber die Kommenda zu Hause ist und ein reisender „socius“ daher in die Lage kam, mangels besonderer Legitimation über seine Berechtigung, die socii solidarisch zu verpflichten, als tractator einer Kommandite angesehen zu werden. Wesentlich aber spricht die angedeutete Eventualität der, wie ich glauben möchte, im Verlauf dieses Kapitels erbrachte Nachweis, daß die Richtung der statutarischen Rechtsbildung nicht, wie man für den Fall einer Entwicklung der Solidarhaft aus Verkehrsusancen annehmen müßte, auf Sicherung und Ausdehnung des Prinzips, sondern auf dessen Beschränkung und Begrenzung auf den Fall des Betriebes eines gemeinsamen Handelsgewerbes geht. Damit ist nicht ausgeschlossen, daß es auch für die statutarische Rechtsentwicklung von Erheblichkeit war, für welche Fälle der Verkehr die Solidarhaft zu stipulieren pflegte, und da die Notariatsurkunden sichtlich unter dem Einfluß der römischen Rechtsauffassung der Jurisprudenz stehen, so kann ihre Fassung in der Tat ein Kanal gewesen sein, durch welchen die Betrachtungsweise der Juristen dem Verkehr und damit der Rechtsbildung näher trat. — Davon kurz im Schlußkapitel. Vorerst soll noch an einigen Rechtsgebieten, für welche das sonst lückenhafte statutarische Material etwas umfangreicher zur Verfügung steht, der Nachweis versucht werden, daß die in den vorstehenden beiden Kapiteln gegebene Schilderung die Prüfung an dem Inhalt derjenigen Rechtsquellen besteht, welche uns die behandelten Institute in umfassender, wenn auch zum Teil lokal gefärbter Gestalt vorführen.

72) Schon die Lombarda spricht l. II rubr. de debitis et quadimoniis am Ende von cartae mit Solidarhaftsklausel. Ebenso die Collectio sexta novellarum Dmni Justiniani imperatoris cap. de duobus reis promittendi.

73) Man müßte sonst geneigt sein, aus einem Ehekontrakt aus dem Jahr 1279 (Archives de l’Orient latin I p.525), geschlossen in Ajaccio in Armenien, in welchem die Nupturientin unter Konventionalstrafe (!) verspricht, „stare et habitare tecum in tua domo“, „nec jacere cum alio viro“, ferner Gehorsam &c, und der Nupturient: „victum et vestitum convenienter dare“, zu schließen, daß diese Pflichten der damaligen Ehe an sich nicht eigen waren.

III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.246 – P.251 日本語訳 (27)

第3章の論述もいよいよ終盤に差しかかり、ここでこの章で初めて合名会社が出てきて、2章で論じたソキエタス・マリスなどとこれまでの論述を関連付ける議論が行われます。
=================================================
それ故にsocii(ソキエタスの成員達)というのは商法においてはただ次のことを意味する:
1)「palam」(公開された形で、公式に)でそして「同じstacione(工房・店)で」ある業務をsociiとして営んでいる者達で、その際に参加者(単なる出資だけを行う者)と個人としてではなく(ソキエタスの)経営に関与する者は除外される。
2)1)の者達の中で、しかしながらただ業務の商業的な面において、業務上の対外的活動を行う者達のみ:このことを先ほど引用した法規(ヴェローナのStatuta domus mercatorum)の最後の文は言いたいのである 62)。

この2)によって生産を行うための作業場にて手工業的な業務だけに従事する者達は除外される。”Idem misterium”(同じ職業)は、法規の該当箇所が述べているように無関係であり、古い時代に必須であった”eandem artem exercere“(同じ種類の職業)条件は取り除かれている。連帯責任の原理は、その元々の成立の土台としていたものから切り離され、結局のところ手工業における共通の経営から商業の共通の経営へと移し替えられたのである。

62)次のように考えてはいけない。つまり双方が存在し(一緒に)契約するのだと。というのはそこで意味されていることは、ただ「一人が他方のために」責任を負わなければならない、ということだからである。そうではなくてここではピサのConstitutum Ususが”communiter vivere“(一緒に暮している者)の定義としていることと同じことが想定されている。それは”si contractus et similia communiter fecerint”(もし彼らが契約していて、一緒に同じような業務に従事する)ということであり、そこでも一緒に契約するということは想定されておらず、それについては法規のもっと先の箇所で明確に示されている。(ピサの例を参照)

合名会社とソキエタス契約の目印。商号。

 以上のことから、しかしまたようやく次の疑問への答えについて:つまり上記で定義した意味でのソキエタスの成員がある契約を取り結ぶ時、それはソキエタスの業務として取り扱われるのか?という疑問に対しての最終的な答が与えられているのである。ソキエタス関係を協定する対象物が共通のbottega(店)やstacio(工房)である限りにおいて、連帯責任を負うソキエタスの成員についても、またその成員が取り結んだ契約で、それはソキエタスの契約として認められていたが、その契約についても直ちにそれらを識別するための目印が与えられているのである:つまり共通の店において契約することである。しかしながら大規模な商取引においてそれは実際の店舗とは関係の無いものになっていた。アレッツォの法規(既に引用した箇所)はそのことからsociiの定義を単に:
 „… et intelligantur socii, qui invicem pro talibus se tractant et publice pro sociis habentur … “(ソキエタスの成員とは次のように理解される。つまり自分自身を相互にそのように取り扱い、そして公的に他のソキエタスの成員との関係を保持している者達として。)

そしてヴェローナのStatuta domus mercatorumは引用した箇所でsociiについて”palam“(公開された、公的な)と表現している。ソキエタスの業務としてそれ相応の法的な扱いを受ける業務についての目印として、アレッツォの法規は次のように規定している:”pro dicta societate celebrata”(当該のソキエタスの名前で執行された)業務であるとし、さらに次のように定めている:
 „et si quis contraxerit nomine alterius praesumatur pecunia fuisse illius cujus nomine contractum fuerit“(もし誰かが他の成員の名前で契約を取り結んだ場合、その契約で言及されている金銭については、その名前で契約が行われたその成員のものとなると見なされる)(この後に先に引用した箇所が続く)。

同様にモデナの法規は当該の業務が”pro societate“(ソキエタスの名前で)執行されたかどうかということを判定している。それ故にソキエタスの名前において締結された契約はソキエタスの責任となる。ここにおいてつまり共通のtaberna(店)が以前は使われていた位置に、今度はゲマインシャフトの共通の名前というものが登場して来るのである。次のことは明白である、つまりこの目印が誰がソキエタスの成員の資格を持っているのかということを判定する問題にも利用可能であるということである。そしてまさにそれは実際に利用されたのである。taberna、つまり小規模の経営を進めるための業務を行う店の前に、盾のような板にその店の所有者の名前が書かれたもの(看板)が掲げられ、一般的な意味での第三者の契約者はその名前がその板の上に書かれている者(cujus nomen „expenditur“)(その者の名前が重視される)《英訳はここを”whose name is ‘hung out'”(その名前が{看板として}掲げられている)としているが、おそらく”penditur”と混同したと考える。》が我々の言う意味でのsociiの一人であることを確かめることが出来る。ここにおいて大規模な取引が商号(Firma)を用いて行われるということが発生したのであるが、言ってみればこの商号は仮想的な看板である。ただソキエタスの名前で締結された契約(に関わるもの)のみがソキエタスの業務であるように、ただ個人的に責任を負うソキエタスの成員である、その者の名前で契約が締結されるが、その者の名前は商号の中に記載されて(含まれて)いるのである。(このことはまた後の時代のRota Genuensisと1588/89年のジェノヴァの法規[この論考の結論を参照]での諸決定においての”cujus nomen expenditur”(その者の名前が重視される)の実質的な意味となっている。)より正確に言えば、今挙げた二つ(看板と商号)について更に別の基準が存在する:それはソキエタスの成員としての資格を明確にするための公的な登記簿への登記である(登記は既に13世紀からイタリアの数多くのコムーネ{イタリアの地方自治体}で制度化されていた)、―ソキエタスの借金としての債務の存在を明確にするためにはソキエタスの帳簿への記帳が行われた。公的な登記簿への登記に関しては、次のことは実証されていない。つまりそれが個々の商号の所有者を公衆に明示する 63)という目的に本当に貢献したのかどうかということである。しかしながら登記が後の時代になって、ある人が現存する業務を執り行っているソキエタスの成員であることを調べるのに使われたということに関しては疑いの余地が無い 64)。ゲゼルシャフトの帳簿への記帳に関しては、それはもちろん確実な目印であり、それだけで証明手段としての性質を持っている:ソキエタスの債務がソキエタスの帳簿に記帳されていない場合には、その債務は債権者に返済しなくても良かった 65)。しかしながら何よりもソキエタスの勘定上の債務として公的な登記簿に登録すること《おそらく公正証書の作成について言っていると思われる》はその債務がトラクタトール(Kommanditisten)66)自身の債務であるのと同時にソキエタスの基金についての債務でもあることを登録するのであり、ソキエタス・マリス 67)の契約においては前提条件となっていた。これに対して共通の名前の下にある共通に執行された業務に起因する債務について契約を締結する者は、そこで前提条件となるのはただ、合名会社の場合においてのみ、契約を締結しようとするソキエタスの成員は、まるで自分自身が契約するのと同様に扱われ、それ故にここではその業務と個々の契約を、その者の名前のみにて進めることが可能である。「ソキエタスの名前で」契約することは、「商号」が独立した存在となることに成功し始めた時に、”usato nome delle compagnia”(会社の名前を使った)契約となり、さらにはソキエタスの商号の下での契約行為になり、その商号はもはやソキエタスの成員(社員)全員の名前を含んでいる必要は無くなっていた。

63)ラスティヒの見解(ここまでに何度も引用した論文の中の)、つまり大学への学籍登録が裁判権の確立に寄与したのではないかという仮説については、それを裏付けるような相当数の明白な印刷された文献史料が挙げられていない。

64)この後のフィレンツェに関する論述の中の注5(全集版テキストでは注12)に引用された1303年の記述を参照せよ。

65)この後のフィレンツェに関する論述を参照せよ。

66)Ansaldus de AnsaldisのDiscursus legales de commercioのDisc. 51を参照せよ。登記はトラクタトール(Kommanditisten)を一般の単なる出資者から区別している。

67)第2章を参照せよ。

68)後述のフィレンツェに関する論述とそのフィレンツェの法規自身が引用している1509年のボローニャのStatuti della honoranda università de mercatantiのfol. 67を参照せよ。

69)しかしながら同様のことは既により古い時代にもあった。特に家族ソキエタスの場合ではただ、しばしば世間で良く知られた家の名前だけを挙げることが行われた:Buchon《Jean Alexandre Buchon、1791~1849年、フランスの歴史家》の1843年にパリで出版されたNouvelles recherches sur la Principauté française de Moréeの中で引用されているシチリアのロベルト王《1276~1343年、ロベルト一世、ナポリ王》の史料の中に出て来るsocietas Aczarellorum de Florentina (di Acciajuoli)など。

70)誤解を避けるため、次のことをさらに特別に強調しておいた方が良いであろう。つまり上記における商号という制度の発展はどんな場合でも完全なものであるかのように記述されるべきではない、ということである。中世における(会社の)代表権の原則の発展を取上げること無しに、ゲゼルシャフト(会社)の商号の法制史的な原則―会社法の歴史の中で疑い無く重要な点であるが―を完全に記述することは出来ない。我々の研究のためには次の事実から出発すれば十分である。つまり商号がゲマインシャフト的な店舗においても上記のテキストで述べられているような関係で引き継がれているという事実である。

ゲゼルシャフトの契約についての文献史料《この項は冒頭の目次の中に含まれていない》

 以上述べて来たことに適合する形で、当時の合名会社という関係は対外的には文献史料の中では次のように記述されている。つまりトラクタトールがそのソキエタスの契約の中ではソキエタス・マリスにおいて何一つ所有していない一方で、その文献には利益の分割の仕方についての規定が有り、さらに航路その他が確認され、ここではトラクタトールであるソキエタスの成員は外国においては所属するソキエタスを代表し、全権を保持し、その全権の中にはそのトラクタトールをソキウス・スタンスである成員が”procurator et certus nuntius“(代理人で、かつ合意に基づくメッセンジャー)に任命し、ソキエタスの契約については連帯して責任を負うことを義務付け、そして実際の契約においては、この”instrumentum procurae”(代理のための道具)という概念を引き合いに出して、取り決めが契約者(=トラクタトール)とそのソキエタスの仲間(=ソキウス・スタンス)の双方の名前で行われるのである。この類いの文献史料は主としてキリスト教徒が占有している中東地域 71)への国際交易の中心地の一つから多数見つかっている。

 これらの文献史料を目にすることにより、我々には最後の原理的な問いが生じて来る。

71)Archives de l’Orient latin Vol. II Documents のp.5: Ego Raffus Dalmacus facio, constituo et ordino meum certum nuncium et procuratorem Lanfrancum de Lenaria socium meum presentum etc. (私ことRaffus DalmacusはLenariaのLanfrancusを私との合意に基づくメッセンジャーかつ代理人、さらには私と同じソキエタスの現在における仲間として、確認し任命しかつ手配する、等々。)全く同じ文章で今後は逆にLenariaのLanfrancusがRaffus Dalmacusを自分との合意に基づくメッセンジャー兼代理人に任命している。同様の文献史料であるソキエタスの成員の契約について連帯して責任を負うという取り決めをしているものは、同じ出版物の中で、公証人の元での公正証書の登記のために提供されたキプロス島のファマグスタ、アルメニアのアジャクシオ《コルシカ島のアジャクシオの間違い?アルメニアにアジャクシオという地名は確認出来ない。》など類似の例が約100ばかり有る。

イタリアの地図

これまで、イタリアの都市名が出る度に「イタリアの○○州の都市」とか注釈を付けて来ましたが、地図で表示した方がはるかに分かりやすいので作成しました。 こうして見ると、シチリア島を除くと圧倒的に北イタリアに集中しています。(今回新型コロナの被害が大きかった地域でもあります。犠牲者の冥福をお祈りします。)

 

III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.246 – P.251 ドイツ語原文 (27)

ドイツ語原文の第27回目です。これを入れて第3章は後2回で終わります。
=================================================
Also als socii im Sinne des Handelsrechts sollen nur gelten: 1) diejenigen, welche „palam“ und „in eadem stacione“ ein Geschäft als socii betreiben: damit sind Partizipanten und alle nicht persönlich am Betriebe Beteiligten ausgeschlossen; 2) von diesen wieder aber nur diejenigen, welche an der kommerziellen Seite des Geschäfts, an dem geschäftlichen Auftreten nach außen beteiligt sind: das wollen die Statuten mit dem letzten Satze der zitierten Stelle sagen 62). Damit sind die nur in der Werkstatt bei der Produktion, im technischen Betriebe, Beschäftigten ausgeschlossen. Das idem misterium ist, wie die Stelle sagt, irrelevant, das alte Requisit des „eandem artem exercere“ weggefallen. Die Solidarhaftung ist von ihrer ursprünglichen Grundlage losgelöst, von dem gemeinsamen Betrieb eines Handwerks auf den gemeinsamen Betrieb eines Handelsgewerbes übergeführt.

62) Es kann nicht gemeint sein, daß beide zugegen sind und kontrahieren, da es heißt, daß „unus pro alio“ haften soll. Sondern es wird hier dasselbe gemeint sein, was das Constitutum Usus von Pisa als Definition des communiter vivere gibt: si contractus et similia communiter fecerint, wo auch nicht gemeinsames Kontrahieren gemeint ist, wie der weitere Verlauf der Stelle deutlich zeigt (cf. Pisa).

Merkmale der offenen Gesellschaften und der Societätskotrakte. Die Firma.

 Damit ist nun aber auch die Antwort auf die Frage: welche Merkmale entscheiden darüber, ob in casu jemand socius in diesem Sinne, ein Kontrakt ein Geschäft der Sozietät ist? ihrer letzten Wandlung entgegenführt. Solange die gemeinsame bottega und stacio es war, welche das Sozietätsverhältnis ausmachte, war sowohl ein Merkmal für den mithaftenden socius als solchen, als auch für diejenigen Kontrakte, welche als Sozietätskontrakte zu gelten hatten, ohne weiteres gegeben: das Kontrahieren im gemeinsamen Laden. Aber der Handelsverkehr im großen kannte keinen Laden. Die Statuten von Arezzo (loc. cit.) geben daher als Definition nur:

 „… et intelligantur socii, qui invicem pro talibus se tractant et publice pro sociis habentur … “

und die Stat[uta] domus mercatorum von Verona sprechen in der zitierten Stelle von socii „palam“. Als Merkmal für diejenigen Geschäfte, welche als Sozietätsgeschäfte mit den entsprechenden Rechtsfolgen zu gelten haben, gibt das Statut von Arezzo an: solche, die „pro dicta societate celebrata“ sind, und bestimmt ferner:

 „et si quis contraxerit nomine alterius praesumatur pecunia fuisse illius cujus nomine contractum fuerit“ (Fortsetzung obiger Stelle).

Ebenso entscheiden die Statuten von Modena danach, ob die Geschäfte „pro societate“ geschlossen worden waren oder nicht. Also die unter dem Namen der Sozietät geschlossenen Kontrakte belasten die Sozietät. Hier also war der gemeinsame Name der Gesellschaft an die Stelle der gemeinsamen taberna getreten. Es lag nahe, dies Merkmal auch für die Frage, wer als socius zu gelten habe, zu verwerten. Und dies ist geschehen. Wie vor der taberna, dem Geschäftslokal des Kleingewerbetreibenden, der Ladenschild die Namen der Inhaber trug und der dritte Kontrahent im allgemeinen annehmen durfte, daß derjenige, dessen Namen darauf aushing (cujus nomen „expenditur“), zu den socii in unserm Sinn gehörte, so schuf sich der Großhandel in der Firma, dem gemeinsamen Namen der Handelsgesellschafter, sozusagen einen ideellen Ladenschild. Wie nur die nomine societatis geschlossenen Kontrakte Sozietätsgeschäfte sind, so ist nur der persönlich haftender socius, auf dessen Namen die Kontrakte geschlossen werden, der mit in der Firma steht (auch dies heißt noch später, in den Dezisionen Rota Genuensis und den Statuten von Genua von 1588/89 [cf. den Schluß] „cujus nomen expenditur“). Zwar gibt es für beides noch andere Kriterien: für die Eigenschaft als socius die Eintragung im öffentlichen Register (welches schon seit dem 13. Jahrhundert in zahlreichen Kommunen bestand), — für die Eigenschaft einer Schuld als Sozietätsschuld die Eintragung in die Bücher der Sozietät. Was die Eintragungen im öffentlichen Register anlangt, so ist nicht erwiesen, daß sie ursprünglich dem Zweck dienten, die Inhaber der einzelnen Firmen dem Publikum ersichtlich zu machen 63); daß sie später auch dazu benutzt wurden, zu ermitteln, ob jemand socius eines bestehenden Geschäftes war, ist nicht zu bezweifeln 64). Die Eintragung in die Bücher der Gesellschaft anlangend, so ist sie allerdings ein sicheres Kennzeichen, allein sie hat die Natur eines Beweismittels: die Nichteintragung einer Sozietätsschuld in die Sozietätsbücher kann dem Gläubiger nicht geschadet haben 65). Vor allem aber: sowohl die Eintragung in die öffentlichen Register als die Buchung zu Lasten der Sozietät kommt ganz ebenso auch bezüglich der Kommanditisten 66) und bzw. der Schulden des Sozietätsfonds bei der societas maris 67) vor. Dagegen das Kontrahieren unter gemeinsamem Namen zu Lasten eines gemeinsam betriebenen Geschäfts kommt nur hier vor, nur bei der offenen Gesellschaft wird der socius des Kontrahierenden behandelt, als hätte er selbst kontrahiert, und deshalb kann nur hier das Geschäft und der einzelne Kontrakt auf seinen Namen gehen. Aus dem „pro societate“ Kontrahieren ist, als die „Firma“ eine selbständigere Existenz zu gewinnen begann, das Kontrahieren unter dem „usato nome delle compagnia“ 68), eben der Firma der Sozietät, welche nicht mehr notwendig die Namen aller socii enthielt 69), geworden 70).

63) Für Lastigs Ansicht (in der oft cit. Abh.), daß sie die Immatrikulation zum Zweck der Feststellung der Gerichtsbarkeit gedient hätten, enthalten, soviel ersichtlich, die gedruckten Materialien Anhaltspunkte nicht.

64) Cf. das unten unter Florenz bei Anm. 5 angeführte Schreiben aus dem J[ahr] 1303.

65) Cf. unten bei Florenz.

66) Cf. Ansaldus de Ansaldis, Discursus legales de commercio Disc. 51: die Eintragung soll den Kommanditisten vom gewöhnlichen Partizipanten unterscheiden.

67) Cf. im vorigen Kapitel.

68) Cf. unten unter Florenz und die daselbst zitierte Stelle der Stat[uti] della hon[oranda] università de mercatanti di Bologna v. 1509 fol. 67.

69) Ähnliches aber auch schon früher. Besonders bei den Familiensozietäten pflegt nur der Name des, oft weltbekannten, Hauses genannt zu werden: societas Aczarellorum de Florentina (di Acciajuoli) in der Urk[unde] König Roberts v. Sizilien bei Buchon, Nouvelles recherches sur la Principauté française de Morée, Paris 1843, Bd. 1 S.46.

70) Um Mißverständnissen vorzubeugen, mag noch besonders betont werden, daß die Entwicklung des Instituts der Firma im obigen in keiner Weise erschöpfend hat geschildert werden sollen. Ohne Hereinziehung der Entwicklung der Grundsätze des Stellvertretungsrechts im Mittelalter kann die rechtshistorische Grundlage der Gesellschaftsfirma — ein zweifellos wichtiger Punkt in der Geschichte des Gesellschaftsrechts — nicht vollständig zur Darstellung gebracht werden. Für unsern Zweck genügt es, von der Tatsache auszugehen, daß die Firma dem gemeinschaftlichen Laden in den im Text angegebenen Beziehungen succediert ist.

Urkunde über Kontrakte von Gesellschaften.

 Dementsprechend drückt sich das Verhältnis der damaligen offenen Handelsgesellschaft nach außen urkundlich darin aus,
daß, während der tractator bei der societas maris nichts in Händen hat als seinen Sozietätskontrakt, worin über die Verteilung des Gewinns verfügt und die Reiseroute usw. festgestellt wird, hier der socius, welcher im Ausland für die Sozietät auftritt, Vollmachten besitzt, in welchen ihn seine socii zum „procurator et certus nuntius“ bestellen und sich für seine Kontrakte in solidum aufzukommen verpflichten, und daß in Kontrakten unter Bezugnahme auf dies „instrumentum procurae“ der Abschluß namens des Kontrahenten und seiner socii erfolgt. Derartige Urkunden sind uns erhalten, in großer Zahl namentlich aus einem der Mittelpunkte des internationalen Verkehrs, dem christlichen Orient 71).
Angesichts dieser Urkunden nun erhebt sich für uns eine letzte prinzipielle Frage.

71) Arch[ives] de l’Orient latin Vol. II Docum[ents] p.5: Ego Raffus Dalmacus facio, constituo et ordino meum certum nuncium et procuratorem Lanfrancum de Lenaria socium meum presentum etc. Wörtlich gleichlautend bestellt dann umgekehrt Lanfrancus de Lenaria den Raffus Dalmacus zu seinem certus nuntius und procurator.
 Ähnliche Urkunden mit dem Versprechen der Haftung für die Kontrakte des socius in solidum finden sich in derselben Publikation, entnommen den Notariatsregistern von Notaren in Famagusta auf Cypern, Ajaccio in Armenien und ähnl. ca. 100.

III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.242 – P.246 日本語訳 (26)

日本語訳の第26回目です。ここに限りませんが、ヴェーバーはある時はソキエタス、また別の時にはゲマインシャフト、そして更にはゲゼルシャフトという言葉を、目まぐるしく切り換えながら論じていきます。それぞれの構成員についてもsocii(socius)だったりGenossenだったり、Mitgliederだったり、Gesellshafterだったりと、それぞれを日本語化して的確に訳し分けるのはほとんど不可能です。まあ翻訳者としてこういう言い訳をしてはいけないのでしょうが、疑問があったら原文を見てくださいとしか言いようが無いです。しかし「理解社会学のカテゴリー」でヴェーバーがゲマインシャフトとゲゼルシャフトを対立物ではなく、ゲゼルシャフトも一種のゲマインシャフトとしその特別な場合としていることは、この章の議論を読んでいくと非常に素直に頭に入ります。
=====================================================
・ローディのStatuti vecchiの c. 16: Consuetudo est, quod fratres et patrui et alii qui nunquam se diviserunt simul habitantes vel stantes quicquid acquirent, acquiritur in communi … Ausnahme: legatum, hereditas, donatio, similia … et debitum quod fecerint sit commune. Et ita quod ex eo debito fratres inter se pro partibus contingentibus ipso jure habeant actionem ad debitum solvendum nisi sit debitum fidejussoris vel maleficii vel alterius sui proprii negotii.(次のことは慣習となっている。即ち兄弟達と父方の伯父(叔父)達とその他の者で自分達の財産を一度も分割したことが無く、また一緒に住むか滞在している場合には、何であれ将来獲得するものは共有のものとして獲得される…例外:遺産、継承したもの、贈与されたもの、その他同様のもの…それから債務について(将来)発生するものは(同じく)共有とされる。そしてそれ故に、その債務の中から兄弟達は彼ら自身の間で、それぞれの分担分に応じてその債務の発生分について、法律上《ipso jure》その債務について支払いを行う。但しその債務が保証人のものだったり、または犯罪によるものだったり、誰かのその人自身の業務による債務である場合を除く。)

モデナの法規、1327年に改定されたもの、 l. III rubr. 22: Si aliquis mercator vel aliquis de aliqua artium dederit aliquid in credentia licet ille qui dederit sit absens, socii tamen possint petere si debitor negaverit et si confiteatur rem emisse a socio absenti … alii non possint petere et id in quo socius est obligatus pro societate eo absente et alii solvere teneantur si confiteantur vel probatur contractum factum esse pro societate … et intelligantur socii —(もしある商人または何かを取り扱う者が何かを信用取引で売った場合、その場合にその売った人間が仮に(その後)不在となっても問題は無く、それにも関わらず(その販売者と同じ)ソキエタスの成員達はもし債務者がその債務を否定しようとする場合でも、またはその売った物が(現在)不在であるそのソキエタスの成員から送られた場合でもその代金を請求することが出来る…そのソキエタスの成員は代金の請求を出来ないかもしれない。そしてその不在のソキエタスの成員がソキエタスの名前で負っている債務については、もし他の成員がその契約がソキエタス全体のために成されたことを認めたか確かめた場合には、そのソキエタスの他の成員はその債務について支払う責任がある…そしてソキエタスの成員達とは次のように理解され―この後に先に引用したソキエタス成員達の家仲間としての定義が続いている。

これまで引用してきた諸法規の中に、ある確実な発展段階が存在する。ミラノの法規は明確にランゴバルド法に依拠している。特別に記載された例外的な収入(lucra)を例外として、他の全てはゲマインシャフトの勘定に入る。マッサの法規では逆にゲマインシャフトに入る収入の方を主として記述されている。そこで想定されているのは、共通の相続財産からの収入以外の、ゲマインシャフトの(共通の)負担となるような業務からの所得である。その際に重要なのは、”quamvis … nomine proprio contraxisset”(しかしながら…自分自身の名前で契約した)と記載されている章(r.)においてはほぼいつも次のことが前提とされていることで、つまりソキエタスの成員が締結した契約は、それがゲマインシャフトに関係する場合は、同時にゲマインシャフトの名前でも締結されたと見なされることである。ソキエタスの成員間の関係においては、このことはマッサの法規によれば成員間で平等に適用される。しかしまさにその同じ法文の中にほのめかされている前提を見出すことが可能であろう。それはつまり、受動的な面に注目して見た場合、このことは(ソキエタスの外部の)第三者との関係においては異なっているのではないかということである。この推測は引用済みのモデナの法規の箇所によってよりはっきりと根拠付けられる。ある一人のソキエタスの成員によって「ソキエタスの名前で」(pro societate)締結された契約が、明らかに能動的かつ受動的に、あるやり方でゲマインシャフトに関係づけられることになるが、そのやり方とは各ソキエタスの成員はその契約に関する訴訟において、その「ソキエタスの名前で」というのを一種の言い訳として(ad causam)自身を正当化することが出来るということである。こうした直接的な効果をマッサの法規の1.c.もまた強調している:ゲマインシャフトはローマ法的な形で成立するのではなく、それ故に純粋な売上だけがゲマインシャフトに支払われるかもしれないだけではなく、同時に発生した責任が直接的に能動的かつ受動的な形でゲマインシャフトの負うところになるのである。このことをもっともはっきりと表現しているのは、先に引用したアレッツォの法規である:
 c. 42: Quilibet socius alicujus negociationis mercantiae seu artis in qua … socios habeat, et contraxerit obligationem, dominium, possessio et actio ipso jure et etiam directa queratur alteri socio … Zahlung an einen befreit auch gegenüber den anderen, .. et insuper quilibet socius etiam in solidum teneatur ex obligatione vel contractu pro altero ex sociis celebrato pro dicta societate vel conversis in ea, et d[ictorum] sociorum bona … intelligantur obligata …
(c.42:あるソキエタスのある成員が、商人の仕事または何か別の取引でその中で…ソキエタスの成員達に関わる場合で、そして何かの債務、所有権、所有そのもの、または法律上で認められている行動について契約を締結した場合、そしてその契約について別のソキエタスの成員から苦情を受ける場合、…ある一人のソキエタスの成員への支払いは他の成員に支払ったことと等価だと見なされる…それに加えてソキエタスの成員の誰かだけではなく、またソキエタスの成員全体で次のことへの責任を負うことになる。即ち債務からのもの、ソキエタスの別の成員の名前でソキエタス全体に及ぶ契約からのもの、当該のソキエタスの名前で執り行われたもの、そして前述したソキエタスの財産についてのもの、これら全てについてソキエタスの全体に責任があると解釈される…)

それ故に実質的にまたは形式的に「ゲゼルシャフトの」勘定の中に入れられる業務は、ゲゼルシャフトの成員間の関係において、そしてモデナやアレッツォの法規で見て来たように、また外部に対しても特別な法的効果を持つのであり、その法的効果はまさにソキエタスのある成員の業務ではなく、「ソキエタスそのものの」業務として通用するという点において成立するのである。我々がここで第1章にて論じた合名会社の特別財産のことを振り返ってみると、この「ゲゼルシャフト」の権利と義務と個々の成員のそれとの区別こそが特別財産形成への本質的な契機の全てとなっていることを見出すことが出来る。もし、我々が既に見て来たように、既にソキエタス・マリスの関係の中に次のことへの明確なな萌芽が存在したとしたら、つまりソキエタスの基金を独立のものとすることと、また第三者との関係においてその基金を考慮することへの萌芽であるが、その場合にはそういったソキエタスにおいては、まさしく第三者に対する関係から(ソキエタスの共通基金の独立化が)出現したのであるが、それは非常に先進的な事例であったに違いない。ソキエタスの財産の一部で、それに対する(モデナの法規参照)個々のソキエタスの成員の請求権が、「ソキエタスの名前で」(締結された債務契約)に起因する(強制)処分に対して劣位に置かれるという性質のものが存在する。またあるソキエタスの成員の債務で、そのために、既に見て来たように、強制執行が直接にゲマインシャフトに対して行われるものが存在する。それではゲマインシャフトがそのような(連帯責任の形での)責任を負わない債務についての債権者の位置付け、つまり「個人への債務」の位置付けはどのようなものになるのであろうか?ローディ、モデナ、そしてアレッツォの法規について、ソキエタスの名前で契約した債務がソキエタスの成員達の連帯責任という結果に終わるということと、他の債務がそういう結果に終わらなかったということの相関関係が確かに存在し得たのである。しかしながら文献史料は今度は、先に見て来たように、次の二つの問題を区別していない。一つはソキエタスの成員の個人としての責任の問題であり、もう一つはそれとは本来異なっている(ソキエタスの)共通財産について債権者が差し押さえをすることが出来るかという問題である。我々はそこから次のことを仮説として提示する:個人への債権者であり、かつゲゼルシャフトの財産には関与していない者が、そのゲマインシャフトの財産を直接差し押さえることが出来るということである。しかしもしそうであれば、次のことは想定可能であろうか?:その個人への債権者がゲゼルシャフトの財産について本来まったく何の権利も持っていなかったということが。その答えは「(権利を持つことは)非常に困難」である:我々は既に次のことを確認して来た。つまり家の息子の債務のために、ゲマインシャフトがそれを負担するということは無効であり、そうではなくてその債務はその家の息子が一人で負担するのであり、―不法行為による債務の場合はとりわけそうであるが―債権者はその家の息子が(元の家族)ゲマインシャフトから独立して別のゲマインシャフトを作ることを要求することが出来、その新しいゲマインシャフトに与えられる財産は、その債務者(家の息子)の元のゲマインシャフトの共通の財産の中の彼の取り分と同額なのである。諸法規での規定ではしかし逆に、そういった種類の債務ではなく、ゲマインシャフト全体としての負担に結果としてなるような債務を扱っており、特にそれは商取引上の債務であり、家の息子のゲマインシャフトからの独立について規定しているのではなく、上記で列挙したように、父親、息子達、兄弟達等々にその債務について連帯して責任を負わせている。ここから次のような区別が生じる:1)ゲマインシャフト債務;この債務はゲマインシャフトの成員の財産全体の負担となり、またそれぞれの個人財産においても負担ともなる。2)個人への債務;これについてはあるゲマインシャフトから別れて新しいゲマインシャフトを作る権利と義務を両方含んでいる。これがもし家族ゲマインシャフトにおいてであった場合には、我々はその根拠として次の事を仮定出来る。つまり同様の分割が他の別のゲマインシャフトについても発生するであろうということが。それにも関わらず、フィレンツェの法規を除いて他の諸法規はこの区別については何も言及していない、―フィレンツェの法規についてはしかしながら後で再度特別に論じることとする。

61)ランゴバルド法への依拠は特に次のことを示している。―”quaesita ex successione”(相続からの収入)という観点で見て、古代の法では問題とされなかったものであるが―特別の勘定に入れるべき様々な収入(lucra)(上記参照)の内容を確かめておくべきということである。ランゴバルド法における妻の財産と(契約の)手付け金のように、バルドゥスによって編集されこの論考の注8において引用した箇所において、ゲマインシャフトにおけるdos(古代ローマでの嫁資)がその特別な勘定という問題に関して、非常に重要である。

経営ゲゼルシャフトと商事会社

 以上論じて来たように、次のことを確認して来た:ある債務で一人のソキエタスの成員が実質的または形式的にソキエタスの勘定に入れるべきものとしてまたソキエタスの名前で契約するものは、ソキエタスの財産とソキエタスの個々の成員それぞれに責任を負わせる。その際に思い出さないといけないのは、我々がここで「ソキエタス」や「ソキエタスの業務において」や「その(ソキエタスの)勘定に」入れられる債務の契約を話題にする場合には、必ずしもいつも純粋に法の領域だけにおいて議論を展開しているのではないということである。

 我々はなるほどもはや家計ゲマインシャフトの領域に留まっているのではないが、次のことを確認して来た。つまり経営ゲマインシャフトまたは業務ゲマインシャフト(stacio、bottega)は家計ゲマインシャフトを同列のものと見なしていたし、部分的に、―各都市の諸法規のそれぞれの発展段階によって―家計ゲマインシャフトを継承したのである。このゲマインシャフトに基づく責任については、ただ商業経営に従事した者達だけではなく、作業場で労働した者達、つまり手工業的な業務に従事していた者達にも関係しているのであり、更には独立している者と非独立の者の両方に関係している。後の時代の独立した仲間への制限はブレシアの Statuten der Mercanzia の引用済みの箇所《c.91~107》において見出すことが出来る。ゲマインシャフトの発展は、しかしそれにも関わらずまた次の方向に向かって進行している。それは業務としての労働、手作業から出現した連帯責任の原理が、商業においてもっとも顕著な意義を獲得したということである。その連帯責任の原理はいまや本来の業務的な領域を離れ始めて、業務仲間についてはただ商業の領域にて活動する者、つまり商事会社の社員がその連帯責任の原則を基礎に置き始めたのである。こういった発展は、私見であるがヴェローナの Statuta domus mercatorum で記述されていることなのである:

 l. III c. 85. Item ordinamus, quod quilibet mercator istius civitatis possit habere societatem cum alio de Verona simul et ad invicem, quamvis non essent de uno et eodem misterio. Et quod illi, qui reperirentur esse socii palam teneantur unus pro alio de illo debito et mercanderia vel de misterio quam et quod fecerint stando simul et permanendoin societate: Quod autem praejudicare non debeat alicui mercatori vel de misterio qui non esset socius palam et non steterit simul in societate et stacione: nec praejudicet etiam stando in stacione et essendo socius palam: dummodo non esset praesens, cum socio, ad accipiendam mercanderiam et non promitteret de solvendo eam.
(l. III c. 85. 同様に我々は次のことを規定する。つまりその都市のどの商人であってもヴェローナの別の人間とソキエタスを結成することが出来るということを。しかしながらその逆も同様だが、その二人は一つの同じ職業ではないと見なされる。そして公的にソキエタス関係にあると見出された者達は、一人は他の者のためにその債務と商品とについて、または彼らが一緒に居て同じソキエタスの中に留まった間に従事した職業について、責任を負う:しかしながらこのことは次の様に最初から解釈されてはならない。つまり誰であっても、商人であってもある職業に従事する者であっても、公的には(元々同じ)ソキエタスの仲間ではないし、そして(一緒のソキエタスを結成する前に)ソキエタスまたは工房・店の中に一緒に留まっていた訳でもない:さらにはまた次のような者も同じ公的なソキエタスと工房・店に居たと判断されるべきではない。それは、その者が他のソキエタスの仲間とは一緒に居なかったり、商品を受け取ることになっていなかったり、またはその商品について代金を支払うことを約束しない場合である。)