III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.242 – P.246 日本語訳 (26)

日本語訳の第26回目です。ここに限りませんが、ヴェーバーはある時はソキエタス、また別の時にはゲマインシャフト、そして更にはゲゼルシャフトという言葉を、目まぐるしく切り換えながら論じていきます。それぞれの構成員についてもsocii(socius)だったりGenossenだったり、Mitgliederだったり、Gesellshafterだったりと、それぞれを日本語化して的確に訳し分けるのはほとんど不可能です。まあ翻訳者としてこういう言い訳をしてはいけないのでしょうが、疑問があったら原文を見てくださいとしか言いようが無いです。しかし「理解社会学のカテゴリー」でヴェーバーがゲマインシャフトとゲゼルシャフトを対立物ではなく、ゲゼルシャフトも一種のゲマインシャフトとしその特別な場合としていることは、この章の議論を読んでいくと非常に素直に頭に入ります。
=====================================================
・ローディのStatuti vecchiの c. 16: Consuetudo est, quod fratres et patrui et alii qui nunquam se diviserunt simul habitantes vel stantes quicquid acquirent, acquiritur in communi … Ausnahme: legatum, hereditas, donatio, similia … et debitum quod fecerint sit commune. Et ita quod ex eo debito fratres inter se pro partibus contingentibus ipso jure habeant actionem ad debitum solvendum nisi sit debitum fidejussoris vel maleficii vel alterius sui proprii negotii.(次のことは慣習となっている。即ち兄弟達と父方の伯父(叔父)達とその他の者で自分達の財産を一度も分割したことが無く、また一緒に住むか滞在している場合には、何であれ将来獲得するものは共有のものとして獲得される…例外:遺産、継承したもの、贈与されたもの、その他同様のもの…それから債務について(将来)発生するものは(同じく)共有とされる。そしてそれ故に、その債務の中から兄弟達は彼ら自身の間で、それぞれの分担分に応じてその債務の発生分について、法律上《ipso jure》その債務について支払いを行う。但しその債務が保証人のものだったり、または犯罪によるものだったり、誰かのその人自身の業務による債務である場合を除く。)

モデナの法規、1327年に改定されたもの、 l. III rubr. 22: Si aliquis mercator vel aliquis de aliqua artium dederit aliquid in credentia licet ille qui dederit sit absens, socii tamen possint petere si debitor negaverit et si confiteatur rem emisse a socio absenti … alii non possint petere et id in quo socius est obligatus pro societate eo absente et alii solvere teneantur si confiteantur vel probatur contractum factum esse pro societate … et intelligantur socii —(もしある商人または何かを取り扱う者が何かを信用取引で売った場合、その場合にその売った人間が仮に(その後)不在となっても問題は無く、それにも関わらず(その販売者と同じ)ソキエタスの成員達はもし債務者がその債務を否定しようとする場合でも、またはその売った物が(現在)不在であるそのソキエタスの成員から送られた場合でもその代金を請求することが出来る…そのソキエタスの成員は代金の請求を出来ないかもしれない。そしてその不在のソキエタスの成員がソキエタスの名前で負っている債務については、もし他の成員がその契約がソキエタス全体のために成されたことを認めたか確かめた場合には、そのソキエタスの他の成員はその債務について支払う責任がある…そしてソキエタスの成員達とは次のように理解され―この後に先に引用したソキエタス成員達の家仲間としての定義が続いている。

これまで引用してきた諸法規の中に、ある確実な発展段階が存在する。ミラノの法規は明確にランゴバルド法に依拠している。特別に記載された例外的な収入(lucra)を例外として、他の全てはゲマインシャフトの勘定に入る。マッサの法規では逆にゲマインシャフトに入る収入の方を主として記述されている。そこで想定されているのは、共通の相続財産からの収入以外の、ゲマインシャフトの(共通の)負担となるような業務からの所得である。その際に重要なのは、”quamvis … nomine proprio contraxisset”(しかしながら…自分自身の名前で契約した)と記載されている章(r.)においてはほぼいつも次のことが前提とされていることで、つまりソキエタスの成員が締結した契約は、それがゲマインシャフトに関係する場合は、同時にゲマインシャフトの名前でも締結されたと見なされることである。ソキエタスの成員間の関係においては、このことはマッサの法規によれば成員間で平等に適用される。しかしまさにその同じ法文の中にほのめかされている前提を見出すことが可能であろう。それはつまり、受動的な面に注目して見た場合、このことは(ソキエタスの外部の)第三者との関係においては異なっているのではないかということである。この推測は引用済みのモデナの法規の箇所によってよりはっきりと根拠付けられる。ある一人のソキエタスの成員によって「ソキエタスの名前で」(pro societate)締結された契約が、明らかに能動的かつ受動的に、あるやり方でゲマインシャフトに関係づけられることになるが、そのやり方とは各ソキエタスの成員はその契約に関する訴訟において、その「ソキエタスの名前で」というのを一種の言い訳として(ad causam)自身を正当化することが出来るということである。こうした直接的な効果をマッサの法規の1.c.もまた強調している:ゲマインシャフトはローマ法的な形で成立するのではなく、それ故に純粋な売上だけがゲマインシャフトに支払われるかもしれないだけではなく、同時に発生した責任が直接的に能動的かつ受動的な形でゲマインシャフトの負うところになるのである。このことをもっともはっきりと表現しているのは、先に引用したアレッツォの法規である:
 c. 42: Quilibet socius alicujus negociationis mercantiae seu artis in qua … socios habeat, et contraxerit obligationem, dominium, possessio et actio ipso jure et etiam directa queratur alteri socio … Zahlung an einen befreit auch gegenüber den anderen, .. et insuper quilibet socius etiam in solidum teneatur ex obligatione vel contractu pro altero ex sociis celebrato pro dicta societate vel conversis in ea, et d[ictorum] sociorum bona … intelligantur obligata …
(c.42:あるソキエタスのある成員が、商人の仕事または何か別の取引でその中で…ソキエタスの成員達に関わる場合で、そして何かの債務、所有権、所有そのもの、または法律上で認められている行動について契約を締結した場合、そしてその契約について別のソキエタスの成員から苦情を受ける場合、…ある一人のソキエタスの成員への支払いは他の成員に支払ったことと等価だと見なされる…それに加えてソキエタスの成員の誰かだけではなく、またソキエタスの成員全体で次のことへの責任を負うことになる。即ち債務からのもの、ソキエタスの別の成員の名前でソキエタス全体に及ぶ契約からのもの、当該のソキエタスの名前で執り行われたもの、そして前述したソキエタスの財産についてのもの、これら全てについてソキエタスの全体に責任があると解釈される…)

それ故に実質的にまたは形式的に「ゲゼルシャフトの」勘定の中に入れられる業務は、ゲゼルシャフトの成員間の関係において、そしてモデナやアレッツォの法規で見て来たように、また外部に対しても特別な法的効果を持つのであり、その法的効果はまさにソキエタスのある成員の業務ではなく、「ソキエタスそのものの」業務として通用するという点において成立するのである。我々がここで第1章にて論じた合名会社の特別財産のことを振り返ってみると、この「ゲゼルシャフト」の権利と義務と個々の成員のそれとの区別こそが特別財産形成への本質的な契機の全てとなっていることを見出すことが出来る。もし、我々が既に見て来たように、既にソキエタス・マリスの関係の中に次のことへの明確なな萌芽が存在したとしたら、つまりソキエタスの基金を独立のものとすることと、また第三者との関係においてその基金を考慮することへの萌芽であるが、その場合にはそういったソキエタスにおいては、まさしく第三者に対する関係から(ソキエタスの共通基金の独立化が)出現したのであるが、それは非常に先進的な事例であったに違いない。ソキエタスの財産の一部で、それに対する(モデナの法規参照)個々のソキエタスの成員の請求権が、「ソキエタスの名前で」(締結された債務契約)に起因する(強制)処分に対して劣位に置かれるという性質のものが存在する。またあるソキエタスの成員の債務で、そのために、既に見て来たように、強制執行が直接にゲマインシャフトに対して行われるものが存在する。それではゲマインシャフトがそのような(連帯責任の形での)責任を負わない債務についての債権者の位置付け、つまり「個人への債務」の位置付けはどのようなものになるのであろうか?ローディ、モデナ、そしてアレッツォの法規について、ソキエタスの名前で契約した債務がソキエタスの成員達の連帯責任という結果に終わるということと、他の債務がそういう結果に終わらなかったということの相関関係が確かに存在し得たのである。しかしながら文献史料は今度は、先に見て来たように、次の二つの問題を区別していない。一つはソキエタスの成員の個人としての責任の問題であり、もう一つはそれとは本来異なっている(ソキエタスの)共通財産について債権者が差し押さえをすることが出来るかという問題である。我々はそこから次のことを仮説として提示する:個人への債権者であり、かつゲゼルシャフトの財産には関与していない者が、そのゲマインシャフトの財産を直接差し押さえることが出来るということである。しかしもしそうであれば、次のことは想定可能であろうか?:その個人への債権者がゲゼルシャフトの財産について本来まったく何の権利も持っていなかったということが。その答えは「(権利を持つことは)非常に困難」である:我々は既に次のことを確認して来た。つまり家の息子の債務のために、ゲマインシャフトがそれを負担するということは無効であり、そうではなくてその債務はその家の息子が一人で負担するのであり、―不法行為による債務の場合はとりわけそうであるが―債権者はその家の息子が(元の家族)ゲマインシャフトから独立して別のゲマインシャフトを作ることを要求することが出来、その新しいゲマインシャフトに与えられる財産は、その債務者(家の息子)の元のゲマインシャフトの共通の財産の中の彼の取り分と同額なのである。諸法規での規定ではしかし逆に、そういった種類の債務ではなく、ゲマインシャフト全体としての負担に結果としてなるような債務を扱っており、特にそれは商取引上の債務であり、家の息子のゲマインシャフトからの独立について規定しているのではなく、上記で列挙したように、父親、息子達、兄弟達等々にその債務について連帯して責任を負わせている。ここから次のような区別が生じる:1)ゲマインシャフト債務;この債務はゲマインシャフトの成員の財産全体の負担となり、またそれぞれの個人財産においても負担ともなる。2)個人への債務;これについてはあるゲマインシャフトから別れて新しいゲマインシャフトを作る権利と義務を両方含んでいる。これがもし家族ゲマインシャフトにおいてであった場合には、我々はその根拠として次の事を仮定出来る。つまり同様の分割が他の別のゲマインシャフトについても発生するであろうということが。それにも関わらず、フィレンツェの法規を除いて他の諸法規はこの区別については何も言及していない、―フィレンツェの法規についてはしかしながら後で再度特別に論じることとする。

61)ランゴバルド法への依拠は特に次のことを示している。―”quaesita ex successione”(相続からの収入)という観点で見て、古代の法では問題とされなかったものであるが―特別の勘定に入れるべき様々な収入(lucra)(上記参照)の内容を確かめておくべきということである。ランゴバルド法における妻の財産と(契約の)手付け金のように、バルドゥスによって編集されこの論考の注8において引用した箇所において、ゲマインシャフトにおけるdos(古代ローマでの嫁資)がその特別な勘定という問題に関して、非常に重要である。

経営ゲゼルシャフトと商事会社

 以上論じて来たように、次のことを確認して来た:ある債務で一人のソキエタスの成員が実質的または形式的にソキエタスの勘定に入れるべきものとしてまたソキエタスの名前で契約するものは、ソキエタスの財産とソキエタスの個々の成員それぞれに責任を負わせる。その際に思い出さないといけないのは、我々がここで「ソキエタス」や「ソキエタスの業務において」や「その(ソキエタスの)勘定に」入れられる債務の契約を話題にする場合には、必ずしもいつも純粋に法の領域だけにおいて議論を展開しているのではないということである。

 我々はなるほどもはや家計ゲマインシャフトの領域に留まっているのではないが、次のことを確認して来た。つまり経営ゲマインシャフトまたは業務ゲマインシャフト(stacio、bottega)は家計ゲマインシャフトを同列のものと見なしていたし、部分的に、―各都市の諸法規のそれぞれの発展段階によって―家計ゲマインシャフトを継承したのである。このゲマインシャフトに基づく責任については、ただ商業経営に従事した者達だけではなく、作業場で労働した者達、つまり手工業的な業務に従事していた者達にも関係しているのであり、更には独立している者と非独立の者の両方に関係している。後の時代の独立した仲間への制限はブレシアの Statuten der Mercanzia の引用済みの箇所《c.91~107》において見出すことが出来る。ゲマインシャフトの発展は、しかしそれにも関わらずまた次の方向に向かって進行している。それは業務としての労働、手作業から出現した連帯責任の原理が、商業においてもっとも顕著な意義を獲得したということである。その連帯責任の原理はいまや本来の業務的な領域を離れ始めて、業務仲間についてはただ商業の領域にて活動する者、つまり商事会社の社員がその連帯責任の原則を基礎に置き始めたのである。こういった発展は、私見であるがヴェローナの Statuta domus mercatorum で記述されていることなのである:

 l. III c. 85. Item ordinamus, quod quilibet mercator istius civitatis possit habere societatem cum alio de Verona simul et ad invicem, quamvis non essent de uno et eodem misterio. Et quod illi, qui reperirentur esse socii palam teneantur unus pro alio de illo debito et mercanderia vel de misterio quam et quod fecerint stando simul et permanendoin societate: Quod autem praejudicare non debeat alicui mercatori vel de misterio qui non esset socius palam et non steterit simul in societate et stacione: nec praejudicet etiam stando in stacione et essendo socius palam: dummodo non esset praesens, cum socio, ad accipiendam mercanderiam et non promitteret de solvendo eam.
(l. III c. 85. 同様に我々は次のことを規定する。つまりその都市のどの商人であってもヴェローナの別の人間とソキエタスを結成することが出来るということを。しかしながらその逆も同様だが、その二人は一つの同じ職業ではないと見なされる。そして公的にソキエタス関係にあると見出された者達は、一人は他の者のためにその債務と商品とについて、または彼らが一緒に居て同じソキエタスの中に留まった間に従事した職業について、責任を負う:しかしながらこのことは次の様に最初から解釈されてはならない。つまり誰であっても、商人であってもある職業に従事する者であっても、公的には(元々同じ)ソキエタスの仲間ではないし、そして(一緒のソキエタスを結成する前に)ソキエタスまたは工房・店の中に一緒に留まっていた訳でもない:さらにはまた次のような者も同じ公的なソキエタスと工房・店に居たと判断されるべきではない。それは、その者が他のソキエタスの仲間とは一緒に居なかったり、商品を受け取ることになっていなかったり、またはその商品について代金を支払うことを約束しない場合である。)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA