ヴェーバーの宗教に対する会計用語の使用について

ここで何度も指摘しているように「宗教ゲマインシャフテン」の中で、ヴェーバーは信者の内面を一種の複式簿記の帳簿として説明することを何度も行っています。これってヴェーバーがある意味独自にやったのかと思っていたら、コンツェルマンの「新約聖書神学概説」の中に、「(一)法律的。人間は律法を満たしていない。罪人である。しかし神はキリストの救済行為を人間の貸方に記帳し、それによって人間は買いもどされた。」というのが出てきました。これはパウロについての説明ですが、ローマの信徒への手紙の4:3-4では
「3 聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。
4 ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。」
となっており、3の「義と認められた」の元のギリシア語は λογίζομαι であり、これの本来の意味には「信用を与える、記帳する」があり、元々会計的な用語を使っています。
さらには4の「当然支払われるべきもの」とはつまり債権ということです。
もちろんパウロの時代に複式簿記はありませんが、少なくともドイツのルター派の中では信仰義認論の中で経理・会計用語はかなり使われていた、というのが真相のようです。もちろんヴェーバーはそれを更に拡大して使ってはいますが。