最初の、「肉を40日食べない者」についての非難は預言者ムハンマドが言ったとは確定されないので、ヴェーバーは「ある預言者に帰せられている」としているのを、折原訳は預言者ムハンマドに特定してしまっています。ついでに言えば、その後の「髪を染めた」エピソードも預言者ムハンマドではなく、別の者の本当かどうか不明の逸話です。さらには「と答えたりしている」も原文のニュアンスを変えてしまっており、「言わせられている」です。(訳注にも書いたように、この女性と上手くやる、はジョークとして言われた可能性があります。)訳注に書いたように、ヴェーバーのイスラム教に対する先入観や偏見がよく出ている箇所です。
原文
Aber wenn ein Prophetenspruch den Charakter dessen anzweifelt, der 40 Tage kein Fleisch genießt, oder wenn einer anerkannten, teilweise als Mahdi gefeierten Säule des alten Islam auf die Frage, warum er, im Gegensatz zu seinem Vater Ali, Haarkosmetika brauche, die Antwort: »um bei den Frauen Erfolg zu haben« in den Mund gelegt wird — so stände Derartiges wohl einzig in der Hagiologie einer ethischen »Erlösungsreligion« da. Allein eine solche ist der Islam in dieser Ausprägung eben überhaupt nicht.
折原訳
ところで、預言者ムハンマドの言表が、肉を四十日間食べなかった人の性格に疑いを差し挟んだり、あるいは、初期イスラムにおいて定評ある、ときとして救世主と崇められるほどの柱石をなす聖者が、「父親のアリとはちがい、なぜ整髪水を用いるのか」と問われて、「女性たちのもとで、首尾よからんがため」と答えたりしているのは、倫理的「救済宗教」の聖者列伝には類例を見ないことであろう。ところで、イスラムは、こうした特徴を顕すかぎり、じつはおよそ救済宗教といえるものではない。
丸山訳
しかしある預言者[1] に帰せられている託宣が、次の者の性格に対して疑念を抱いた場合、つまり40日間肉をまったく食べなかった者の性格についてであるが、あるいはある良く知られた、一部ではマフディー[2]として崇拝された古イスラムの重鎮であった人物[3] に対して発せらた問い、つまり何故、その父であるアリーの行いに反して、髪を染めているのか、に対し、その答えは:「女性が側にいる時に、[女性の機嫌を取って]上手くやるため」という内容を言わせられている[4]--このような逸話は倫理的な「救済宗教」の聖徒伝においてはまさに唯一の例であろう。しかしながら、イスラム教は、こうしたはっきりした特徴を見る限りでは、そういった救済宗教とはまるで言えない[5]。
[1] ジャアファル・アッ=サーディクやアリー、または預言者ムハンマドなど諸説あって、誰が言ったことかは確定されておらず、またその言った内容とされるものも一定ではない。
[2] イスラム教における救世主的、終末論的な人物で、世界の終わりの時に現れ、イーサー(イエス)と共に正義を立て直し、敵を打ち倒すと考えられていた者。
[3] イブン・ハナフィーヤのこと。637または638~700または701年、初期の聖戦で勇猛に戦って功績を挙げた。
[4] イブン・サアドの伝記集に出てくる話を、東洋学者のゴルトツィーエル・イグナーツがその著作に書き、それをヴェーバーが引用しているもの。歴史的事実であったかどうかはゴルトツィーエル自体が保証していない。またゴルトツィーエルが「多少ユーモラスな意図もあって」、つまり半分ジョークであった可能性を指摘している。
[5] ここの断定も、かなり偏見が伴ったもので、この事実かどうかも不明な逸話からイスラム教が倫理的救済宗教ではまるでない、という断定は不可能であろう。