全面改訳作業がようやく最後のページまで行きました。今後は、まだかなり元訳を残している前半1/3の見直し作業に入ります。なので折原誤訳は今後もまだまだ出てくると思います。
この最後の1割くらいの箇所ですが、(ヴェーバーの元の文章が)はっきりいってとてもひどいです。ユダヤ教、イスラム教、仏教について、偏見と誤解に基づくおかしなことを書き散らしています。そして唐突に最後になって原始キリスト教に戻りますが、そこは聖書に書いてあることをヴェーバー式に書き直しているだけのような箇所で、あまり読む価値を感じません。ともかく最後まで訳してみて分かったのは、この草稿は文字通りの草稿で、とてもそのまま出版出来るレベルのものではない、ということです。「経済と社会」の他の部分、例えば「法」や「支配」と比べても、出来の悪さは歴然としています。くれぐれもこんなものを「教科書」として有り難がって読んだりしないでください。
日: 2026年10月15日
折原浩訳の問題点(220)
ついに最後まで行きました。ですが最後まで誤訳は出続けます。
ここでの最後の「クレーシス」は職業ではなく「召命」です。後代の議論をここで先取りすべきではありません。
また”die Stellung der Gemeinden des Missionsgebiets zur »Welt« “のWeltは引用符付きなのを考えても、「現世」ではなく「世界」です。世界伝道の話ですから余計に。
原文
Nachdem dann die Auferstehungsvisionen, wohl sicher mit unter dem Einfluß der rundum weit verbreiteten soteriologischen Mythen, einen gewaltigen Ausbruch pneumatischer Charismata und die Gemeindebildung, mit der eigenen, bisher ungläubigen Familie an der Spitze, und die folgenschwere Bekehrung des Paulus die Zerbrechung der Pariareligiosität unter Erhaltung der Kontinuität mit der alten Prophetie und die Heidenmission zur Folge gehabt hatte, blieb für die Stellung der Gemeinden des Missionsgebiets zur »Welt« die Wiederkunftserwartung einerseits, die überwältigende Bedeutung der charismatischen Gaben des »Geistes« andererseits, maßgebend. Die Welt bleibt wie sie ist, bis der Herr kommt. Der Einzelne bleibe ebenso in seiner Stellung und seinem »Beruf« (kl²siV) untertan der Obrigkeit, es sei denn, daß sie die Sünde von ihm verlangt[1].
折原訳
その後、イエス復活の幻影が、――おそらくは、周辺の地域に広く流布していた救済神話の影響のもとに――、聖霊のカリスマの強烈な出現をもたらし、それまでは不信のままでいたイエス自身の家族を筆頭とするゲマインデ形成がなされた。さらに、結果重大なパウロの回心によって、古来の預言との連続性は維持したまま、パーリア宗教性が破砕され、異邦人伝道が開始された。伝道地域のゲマインデにおける「現世」へのスタンスにとって決定的だったのは、一方では、イエス再臨への期待であり、他方では、カリスマ的な「霊」の賜物の圧倒的な意義であった。現世は、主の再臨まで、あるがままに存続する。個々人は、政治の衝に当たる者が、犯罪を要求してくるのでないかぎりは、当局に服して、自分の立場と自分の「職業」(クレーシス) に、どこまでも留まるべきである。
丸山訳
それから、イエスの復活の幻視の後で、おそらく間違いなく、周辺地域で広範囲に広まっていた救世論的神話の影響もあって、聖霊によりカリスマを与えられた者達と教団形成が非情な勢いで急発生し、それらはイエス自身の、それまでは不信心者であった家族を頂点に置き、そして重大な結果をもたらしたパウロ[サウロ]の回心が、古くからの諸預言との連続性を保ちながらのパーリア的信仰の打破と、異邦人伝道を結果として持つことになり、伝道領域での教団の「世界」への位置付けにとって、決定的であり続けたのは一方ではキリストの再臨への期待であり、他方では「聖霊」のカリスマとしての恵みの超現世的な意味であった。現世は、主が再臨するまでそのままであり続ける。個々の者は同じように自分の身分と「召命」[κλῆσις]に留まり[1]、支配勢力が罪となることをその者に要求してこない限りは、その支配勢力に従属すべきである。[2](未完)
[1] コリントの信徒への手紙一:7:20「おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい。」
[2] 草稿で明記されていることは、本来はここで中断されるべきものではなく、まだ書き続けられる筈だったということである。