折原浩訳の問題点(219)

この箇所は全部新約聖書に出てくるフレーズをヴェーバーが若干言い換えて引用しているだけです。なので、その元の文章を参照してそれを使えばいい訳です。天国と御国は同じことで、「ないしは」ではありません。「深夜の盗賊」は「盗人が夜やって来る」、「現代の世代」は「ここに立っている人」です。

原文
Das Himmelreich, ein Reich der leidlosen und schuldlosen Freude auf Erden ist ganz nahe herbeigekommen, dies Geschlecht wird nicht aussterben ohne es zu sehen, es wird kommen wie der Dieb in der Nacht, ja es ist eigentlich schon mitten unter den Menschen im Anbruch begriffen. Man mache sich Freunde mit dem ungerechten Mammon, statt an ihm zu hängen. Man gebe dem Kaiser was sein ist, — was liegt an solchen Dingen? Man bete zu Gott um das tägliche Brot und sorge sich nicht um den kommenden Tag.

折原訳
天国ないしは地上における、苦悩がなく罪責もない歓喜の国は、間近に来ており、現在の世代も、その到来に先立って死ぬことはないであろう。それは、深夜の盗賊のように、突如として現れるであろう。いや、それどころか,それはじつは、人間たちのただなかに現れ始めている。不正なマンモンに執着するのでなく、それで友達をつくるがよい。皇帝のものは皇帝に与えよ。そんなものがいったい何だというのか? 日々のパンのために祈り、明日のことは思い煩わないがよい。

丸山訳
天国、つまり地上においての苦しみも罪もない御国は、ほんの近くにまで来ているのであり[1]、ここに立っている人は神の国が到来するのを見るまでは決して死なないのであり[2]、それは盗人が夜やって来るように来るのであり[3]、それは実に既に人々の間に現れつつあるのである[4]。不正にまみれた富に執着するより、それで友達を作りなさい[5]。皇帝のものは皇帝に与えなさい[6]、--そんなものに思い悩むな。神に日々の必要な糧を与えてくれるように祈り、明日のことまで思い悩むな[7]。

[1] マタイ:10:7「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。」

[2] マタイ:16:28「はっきり言っておく。ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます。」

[3] テサロニケの信徒への手紙5:2「盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。」

[4] ルカ:17:20-21「ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」」

[5] ルカ:16:9「わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」

[6] マタイ:22:21「彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

[7] マタイ:6:34「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」」

折原浩訳の問題点(218)

折原訳の最後の「全てを決定している。」は完全な誤訳。「全く決定的なことなのである」。初級者でも分かる内容です。
また[]の補足は全て無くても分かるようなもので不要。むしろ必要なのは「ラザロの伝説」の訳注による説明。

原文
Deshalb, um sich Schätze im Himmel zu sammeln, soll man auch dem leihen, von dem man vielleicht nichts wiederbekommen wird, — denn sonst ist es kein Verdienst. Mit dem gerechten Ausgleich der Schicksale wird stark in der Lazaruslegende und auch sonst gelegentlich operiert: schon deshalb also ist Reichtum eine gefährliche Gabe. Im übrigen ist aber völlig entscheidend die absolute Indifferenz der Welt und ihrer Angelegenheiten.

折原訳
それゆえまた、天に宝を積もうとすれば、なにも返してはもらえないであろう相手にも、貸してやるべきである。そうでなければ[返してもらうことをあてにして貸すのであれば]、なんの功績[功徳]にもならない。運命は公正に埋め合わされるという思想は、ラザロ伝説で主題として採り上げられ、強調されているが、それ以外のところでも、ときどき採り上げられている。すでにその点からいっても、富は[不運に反転する]危険を孕む賜物である。しかし、それ以外の点では、現世とその諸案件にたいする完全な無関心が、全てを決定している。

丸山訳

それ故に、天においての財を自らのために集めるためには、人はまた、ひょっとすると何も返してもらえないかもしれない相手にも貸してやるべきであり、--というのはそうでなければ、その行為は何らの功徳とはならないのである。運命の公平な平準化については、はっきりとラザロの伝説[1]とまたそれ以外でも時々用いられてる:既にその理由で富は危険な賜物である。その他の点では、しかし、現世とその諸問題についての徹底した無関心が、全く決定的なことなのである。

[1] ルカ:16:19-31。ある金持ちとその門前で乞食をしていたラザロが、死後は金持ちは陰府で苛まれ、それに対しラザロは宴席でアブラハムの側でもてなされた、という話。