原文(注29の最後):auch Landlose ledig geworden sein konnten.
英訳:landless men could be bachelors [and childress]
(土地を持っていない者は独身であり子供がいなかった可能性がある)
私の日本語訳:また新たに割り当てられる土地も枯渇していたと考えられるからである。
Nuper ecce quidam evocatus Augusti, vir militaris disciplinae, professionis quoque nostrae capacissimus, cum in Pannonia agros veteranis ex voluntate et liberalitate imperatoris Trajani Augusti Germanici adsignaret, in aere, id est in formis, non tantum modum quem adsignabat adscripsit aut notavit, sed et extrema linea unius cujusque modum comprehendit: Uti acta est mensura adsignationis, ita inscripsit longitudinis et latitudinis modum. Quo facto nullae inter veteranos lites contentionesque ex his terris nasci poterunt. Namque antiqui plurimum videbantur praestitisse, quod extremis in finibus divisionis non plenis centuriis modum formis adscripserunt. Paret autem quantum hoc plus sit, quod, ut supra dixi, singularum adsignationum longitudinem inscripserit, subsicivorumque quae in ceteris regionibus loca ab assignatione discerni non possunt, posse effecerit diligentia et labore suo. Unde nulla quaestio est, quia, ut supra dii, adsignationem extrema quoque linea demonstravit.
こういったそれまでとは違う測量-地図作成方法の根底にある意味は何であろうか?それについてはハイジンが、204ページ以下のまとまった説明の導入部において、教えてくれており、そこについては既に一度(p.117)部分的な解釈が行われている。そこでは次のような説明がなされている:
Agrum arcifinium vectigalem ad mensuram sic redigere debemus ut et recturis et quadam terminatione in perpetuum servetur. Multi huius modi agrum more colonico decimanis et cardinibus diviserunt, hoc est per centurias, sicut in Pannonia: mihi (autem) videtur huius soli mensura alla ratione agenda. Debet (enim aliquid) interesse inter (agrum) immunem et vectigalem. Nam quem admodum illis condicio diversa est, mensurarum quoque actus dissimilis esse debet. Nec tam anguste professio nostra concluditur, ut non etiam per singulas provincias privatas limitum observationes dirigere possit. Agri (autem) vectigales multas habent constitutiones. In quibusdam provinciis fructus partem praestant certam alli quintas alii septimas, alii pecuniam, et hoc per soli aestimationem. Certa (enim) pretia agris constituta sunt, ut in Pannonia arvi primi, arvi secundi, prati, silvae, glandiferae, silvae vulgares, pascuae. His omnibus agris vectigal est ad modum ubertatis per singula jugera constitutum. Horum aestimio nequa usurpatio per falsas professiones fiat, adhibenda est mensuris diligentia. Nam et in Phrygia et tota Asia ex huius modi causis tam frequenter disconvenit quam in Pannonia. Propter quod huius agri vectigalis mensuram a certis rigoribus comprehendere oportet, ac singula terminis fundari.
26)同様のことが、またエジプトにおける神殿の財産についての、レプシウス≪Karl Richard Lepsius、1810~1884年、プロイセンの考古学者・エジプト学者≫(Abhaandl. der Berl. Ak. der Wissensch. 1885年)によって解釈が行われたエドフ≪ナイル西岸のエジプトの都市、神殿があった。≫の象形文字で書かれた銘文についても見て取ることが出来る。そこでは、少なくとも各土地区画が記載された場所において、縦と横の境界線の長さが正確に記載されており、それもまた同じ理由からである:個々の土地区画を正確に確認出来るようにするためである。
19)そういった割り当てられる土地の面積が様々であった証拠として、U.C.643の公有地配分法(第60章)のある箇所が注目に値するが、以下のように規定されている:
neive unius hominis (nomine quoi . .. colono eive [sive] quei in coloneinu)mero scriptus est, agrum quei in Africa est, dare oportuit licuitve, amplius jugera CC in (singulos homines data adsignata esse fuisseve judicato . ..)[.]
[ある一人の者の(名前に対して、その者が植民者であるか、あるいは植民者の資格があると登録済みの場合、その者に対しアフリカの土地を割り当てることが明確に要求される。その土地の面積は200ユゲラより大きく、一人の者に割り当てられるか、あるいは既に割り当てられているかである。)] モムゼンは(C.I.Lのad h.l.->Lex agraria, P.97)次のことを確実視している。つまり、土地の所有に関して様々なやり方が存在しており、例えば一人あたり200ユゲラだったり、或いはそれより少なかった場合もあった。実際の例では、ポンペイでの例が示すように(参照:ニッセン≪1839~1912年、Heinrich Nissen、ドイツの古代史家。≫のPompeianische Studien, 1877年、P.5881)、割り当てられる土地の等級はその都市においてあらかじめ決められていた。しかしそれに関連する法は、割り当てられる土地の面積の最大値だけを定めており、200ユゲラという面積がある特定のカテゴリーの植民市における、規定された標準面積と見なすべきだとは一言も言っていない。私はむしろ次のように考えたい。割り当て用の土地の面積はその土地の価値査定に応じて異なっていたのであり、ただ1ケントゥリア以上の土地を一個人が所有することのみが原則的に禁止されており、例外的なケースとしてそれ以上の面積の土地を所有する場合には、法技術の上でそれは latus fundus [広大な土地資産、の意味。後に生じた大土地所有制は ラティフンディウム [latifundium] と呼ばれた。](ラハマン)、157、5)というカテゴリーで扱われたのである。
20)既に古代のベテラン兵の植民の場合の土地割り当ても均等割り当てであったし、ハンニバル戦争 [第二次ポエニ戦争] 時のベテラン兵(リヴィウス、Ab urbe condita、31、4)への土地割り当てにおいても同じであった。その他、より古い時代での均等割り当ては、また一種の戦利品の分配の形態を取っていた。
「ローマ土地制度史」のP.115の最後から2行目に”Conternationsverfahren”という単語が出てきます。これが辞書に無くて調べるのに時間がかかりました。この言葉は元々ハイジンの Corpus Agrimensorum Romanorum に出て来る言葉です。必死に調べて、ようやく画像の情報が得られました。出典は Oxford Latin Dictionary です。意味は「3つで1組の、3人で1組の」という意味です。ここではローマのベテラン兵には、1/3ケントゥリアが割り当てられたという処置のことを言っているというのがようやく分かりました。言うまでもなく英訳はこの単語を無視して訳していません。
ヴェーバーは時々こういう風にラテン語とドイツ語を混ぜ合わせた新語を作っています。
「ローマ土地制度史 国法と私法への意味付けにおいて」のRichard I. Frankによる英訳ですが、最初にこれだけを読んだ時はこなれた英文でいいかな、と思い、また翻訳者が古典語の専門家なのでラテン語の訳も信用出来るかな、と思いました。
しかしながら、実際に自分で原文をあたって訳し始めると、次のような事実が判明しました。
もし土地分割割り当てのための籤の参加者の中に、その植民市のそれまでの住民が含まれていた場合には、自明のこととして別のやり方が行われなければならなかった。――そしておそらくアンティウム≪現在はアンツィオで、イタリア共和国ラツィオ州ローマ県にある都市≫の場合、それは [植民市として] 知られている最古の例であるが、その場合に見られたのは新しい植民達の間に単純に等しい権利が与えられた訳ではなく、その植民それぞれの元々の所有物 [所有地] との関係に応じて分割されねばならなかった。それからこうした所有物の所有権の確定には、その所有者の職業が何であるかによってあらかじめ判定されねばならなかった。同じ原則に従って、所有権の確定のやり方は、ある場合には特定の植民者の元からの土地区画の所有がそのまま認められ、つまりはその土地区画は分割の対象から除かれたのである:その場合にはある種の登記書類にその者の所有する土地区画の面積がユゲラの単位で記録され、redditum summ [返還地] と呼ばれた――あるいは植民者は自分自身の土地の所有権を再度承認してもらう代わりに、税評価においてそれと等しい新たな土地を割り当てられることもあった:そういった土地は commutatum pro suo [代替地] と呼ばれた――あるいは一部分は自分自身の土地で、その他は別の土地を配分されるという場合もあり、それは redditum et commuattum pro suo [返還地と代替地] 12)と呼ばれた。これら全ての場合において、当然ではあるが上述したような籤による土地の配分は、こういった修正が施された上で実施された。しかし更に、こうした籤による土地の配分がどの程度まで一般的に行われていたのかということについては、若干疑わしい部分も残っている。
11)付図1のローマのアラウシオ≪古代ローマの属州ガリア・ナルボネンシスの都市≫の平野の地図の断片とそれについての解釈と比較せよ。
12)シクラス・フラックス≪Siculus Fluccus、生没年不明、ローマの土地測量人≫の書のP.155を参照せよ。
13)スエトン、De vita Caerarum、第20章:Campum Stellatem…agrumque Campanum…divisit extra sortem ad viginti milibus civium… [南カンパニアの平野を…それと平地を…籤びきによらずに2万人の市民に分配した]
14)Corpus Inscriptionum Latinarum≪C.I.L.、ラテン語金石碑文大成、モムゼンをリーダーとする学者グループによるローマの碑文の解読集成。≫、I、200 P.3、4、またブルンス≪Karl Georg Bruns, 1816 – 1880, ドイツの法学者・法制史家≫のFontes iuris Romani AntiquiのP.72を参照。
14a) この概念については後述部分参照。
15) C.I.L.、I、 200、3、4行への注釈を参照。
誤:収益率を定めた上で参加する(commenda dare ad proficuum de mari)
正:固定配当金による出資型のコムメンダ(通常のコムメンダは資金提供者と貿易業務の実行者の間で利益を3:1に分けるが、この特殊なコムメンダは資金提供者がただ資金を提供し、貿易が完了した場合に仕向先別に(それぞれの航海の危険度を考慮し)あらかじめ決められている固定配当金を上乗せして資金を回収する、というもの。教会法における利子禁止に抵触すると考えられたこともあり、後に廃れている。)