「ローマ土地制度史―公法と私法における意味について」の日本語訳の第45回です。ここではローマ法のvectigalを巡ってのかなり専門的な議論が続き難解です。下記の訳は現時点での私の理解ですが、まだまだこれから見直す必要があるかもしれません。
2024年の日本語訳公開はこれで終了です。次回は年明けになります。
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そういった言い回しはよりむしろ次のことを意味しているのに等しい。つまりゲマインデの所有権の主張を、現物の土地の押収という形でか、あるいは土地への vectigal [地代、税、利子]を課する形で行うことが出来る、ということである。vectigal は公的な所有物を実質的に売却する上でのもっとも分かりやすい形式である。ある、既に vectigal が課されている fundus をゲマインデに対して遺贈することは、その有効性が疑わしいものとされた。何故ならばそういった土地は既にムニキピウムに属するものとされていたからであり(D. 71 §5, 6 de legat[is] I.30)、しかし更にはまた次のことも示唆されていた:ある植民市において水道橋の設置が必要となった場合は、その植民市の規約で決められていることとして、土地の強制収用権がその植民市自身(たとえば植民市ウル≪現スペインのオスナ≫)に帰属し、モムゼンが妥当な理由を持ってそれを主張しているように、水道橋が建設される fundus 全体に対してその権利が及んだ。その土地の側に住んでいる住人は今や(P.348, 6f. ラハマン) 水道橋の維持管理義務を負わされ、その者達にはそれ故に一種の税が課されたのと同じである。明らかなことであるのはその者達にそういった義務を課することを可能にするには、まずは補償を前提にその者達の fundus に対する所有権を取上げ、そしてその fundus を今度は fundus vectigalis という地代支払い義務のあるものとして戻すのであるが、もちろんその際には同様にその地代支払い義務の対価を支払うのであるが、その対価には強制収用の全支払金の中から補償金としての分が含まれていた。水道橋の建設を進めるためには、それらの土地に対する地役権≪他人の土地を利用出来る権利≫を設定することで十分であった。
レンテを課する時に使われた法的な形式は、もちろん握取行為の際に使用される既に述べた法規が定める形式である 78)。それによってレンテの権利を擬制的に持つことと、土地の用益権が等置されたということは、しかしただ次のことの理由となっていた。それは握取行為の形式がそれによって個人間で土地区画に対する継続的な権利が一つの行為によって設定されるただ一つの法的形式だったということである。というのはその形式は諸ゲマインデに主権とそこからまたある種の絶対的な行政権をもたらしたからである。
78) D.61(スカエウォラ)de pignor[ibus]。キケロの、De l. agrar. III, 2, 9。参照:C.I.L., V, 4485。それについてはまた 1. 219 D. de v[erborum] s[ignificatione] にある”locare”[契約する、契約して貸す]としても理解すべきであり、このことがまた C.I.L., X, 5853 のフェレンティヌム≪ローマの北北西70Kmの所にある、現在のヴィテルボ≫の碑文にある “redemit et reddidit”[買い戻して返却する]の意味である。この手続きは次のような内容を考えると常にかなりの不透明さを持ったものであり、つまりまずはゲマインデが所有している fundus をこの手続きである個人へ譲渡し、次にその個人からその fundus を一旦返却させ、更に今度はそれに vectigal を課した形で戻す、というものである。また≪単に≫”redimere”[買い戻す]はそれとは反対の手続きである。それに対して個人によるゲマインデへの土地の返却が、当事者の目には本質的にはただ形だけの手続きと映っていたとしたら、もし”redimere”[買い戻す]が先に来て、次に”reddere”[戻す、引渡す]と述べられているのであれば、その返却の手続きは特に注意すべきようなものではないのである。Redimere はこの一連の手続きの中での義務的なものを指し示し、reddere はその手続きの中での物権的な部分の最初の半分を指し示し、この部分の2番目のものは既に述べた法規に規定されている握取行為として成立していた。
――それ以外にもちろんまた、永代賃借においてそれが賃借料に依拠したものであることを明白にするために Remission[軽減](D.15 §4 locati 19, 2)という考え方が適用されていたのである。――他方ではこの形式は次の側面も持ったものとして現れて来ていた。つまり諸ゲマインデにおいては、vectigal が一見したところ益々ある一定の資本総額に対しての利率のように思われるようになり、更にはそれは文書による裏付けのある購入資金に対しての抵当権、という性格のものに近付いていった、ということである。この形式はその根拠をおそらくは国家による長期の賃貸しへの依存ということの中に持っていたのであり、そこにおいての代償としては、それはおそらくはそのようにして作り出されることが試みられたのであるが、永代の貸借権を得るために支払うお金とまたその利子として成立していたのである 79)。
79) そこから更にユスティニアヌス帝の法学提要によれば(§3 de loc[atione] III, 34) … familiaritatem aliquam inter se habere videntur emtio et venditio, item locatio et conductio, ut in quibusdam causis quaeri soleat, utrum emtio et venditio contrahatur an locatio et conductio. Ut ecce de praediis, quae perpetuo quibusdam fruenda traduntur.
[契約に基づく売買と、賃貸借とそれに基づく貸し出しとは、お互いに良く似た行為であると見なされる。ある取引きでそれが前者なのか後者なのか、どちらに基づいて行われたかが問題となることが多い。例えばある不動産について、それがある者に対して永久に使用させるために引渡された場合などである。]
発展の過程では実務的な観点に立てばいずれにせよ、vectigal 付きの fundus の占有者が次第に所有者と同一視されるようになっていった。その占有者自身による、あるいはその占有者に対しての境界線確定訴訟が起されることがあり得たということは、何も特別なことではない。何故ならその者はその場所の占有者として保護されており、その場所の境界線に関しての訴訟は、その場所の保護によって利益を享受する者に対して全面的かつ唯一帰属するものだったからである(D. 4 §9 fin[ium] reg[undorum] 10, 1)。
ただ、またそういった土地に関する訴訟としては、公有地分割訴訟(D. 7 pr. §1 h.t. 10, 3 )や更には家族間での遺産分割訴訟(D. 11 h.t. 10, 2)の対象となることも説明されており、vectigal 付きの fundus は遺贈することが可能であり(D. 219 de v[erborum] s[ignificatione])、更にはその vectigal 付きの fundus について、売却を許可された確定的な物権として訴訟を起すことも可能であった(D. 1 pr. de cond[itione] trit[iciaria] 13, 3)。しかし、もちろん該当する諸法規からは次のことを見て取ることが出来る。つまりはこの制度全体での諸関係の中には、実務上では疑問になる部分がある、ということである。特に土地分割訴訟を扱っている箇所(D. 7 pr. comm[uni] div[idundo])は改ざんされたのではないかという印象を与える:確かに根源的にはまだウルピアヌスの時代までにはムニキピウムの当局による認可と vectigal を分割した土地それぞれに対してそちらも分割して課す、ということが先に行われることが必要であった。土地の譲渡性が関係するものは、C. 3 de jure emphyteutico IV, 66 の規定であり、それは agri vectiglaes を基礎といている法規則に依存しており、この譲渡に関しては諸ゲマインデの同意が必要だったのである。そこで規定されている制度における予審上の処理、つまりこういった審理において代理人を立てるということは、単に正当な理由があるというだけでは許可されなかった、ということは、こうした全ての劣位の権利を持った所有状態においての全体の進め方に関する行政上の規則について、その本質をもっとも良く説明している。laudamium ≪土地の買取り権を行使しない場合に、元の地主に支払う補償金≫については、emphyteuse ≪永代賃貸借≫の場合と同じく、ager vectigalis においては何も知られていない。
結局問題となるのは、vectigal が支払われない場合に、その土地区画はゲマインデに戻されるのかどうかということで、それは当然ながらまだユスティニアヌス帝の法規の中でも言及されている論点の実際的な側面であり、つまりは契約を購入と見なすべきか貸借と見なすべきか、ということである 80)。
80) 先の注で引用した箇所の更に先の部分。
これらの全ての土地の授与においての主要な難点は、おそらくはまたまさに次の点にあった。つまり多くの場合は永代貸借の権利金が支払われており、それ故に vectigal の支払いはその土地を与えられた者の唯一の金銭支払い義務としては説明されておらず、従ってその理由から vectigal の不払いがあったからといって直ちに土地を取上げることは出来なかったのである。文献史料では(スカエウォラの D.31 de pign[oribus])支払い遅延の場合の財産取戻し権は、前述の法において構成要素として言及されているが、それは自明なものではないし、またマティアス≪Bernhard Matthiaß、1855~1918年、ドイツの法学者≫が主張しているような、この制度全体を構築する上での出発的としても見なすことは出来ない 81)。
81) このことはペルニーチェの Parerga (Z. f. R. G., Rom. V)において正当に主張されている。
ゲマインデそれ自体については、単に強制手段に訴える資格を与えられただけであるが、しかしながらおそらくは D. 31 の引用済みの箇所で述べられている規定は、永代貸借権に関する前述の法規のかなりの部分においての構成要素となっているのであり、それ故に後に時代にはこれらの制度全体は利子支払いという制約を付けられた上での土地の授与と把握することが可能であり、それは例えばパウルス≪Julius Paulusu、3世紀のローマの法学者、ユスティニアヌス法典でその著作が引用される5人の法学者に準ずる存在≫の D. 1 si ager vectigalis VI, 3 に現れている通りである。
永代賃貸借
次のことはこれまで既に指摘して来たし、また疑いようのないことでもある。それは、後の皇帝による法規での永代貸借権が歴史的にそして法的にムニキピウムの agri vectigales に依拠していて、属州の土地税を課された耕地に依拠するのではない、ということである。このことは次の現象に対して特徴的なこととなっており、その現象については最終章でもう一度扱うが、それはつまりプリンケプス≪市民の中の第一人者という意味で、元々初代皇帝アウグストゥスが自身のことをそう称したが、実質的には皇帝のこと≫はその土地所有についてゲマインデの諸団体からそれを分離しようとしたり、またはそこの権利から取り除こうと強く試みたのであり、そして地主としてのそれらの団体の地位、それは元々ゲマインデの当局が元の地主から奪い取ったように、ゲマインデの当局へその地位の返還を要求した、ということである。
Empyteuse[永代貸借権]は、その名称自体は、元々はオリエントのギリシア語から取られたものであり、まず最初は属州においての新規開拓地に対して使用された語であり、そこではそういった新規開拓を自分で行って自分の土地とした者が、地代[税金、利子]を継続して固定額にすることを望んだのである。この制度が ager vectigalis と違う点はまさに本質的には譲渡の、元の地主の先買権の、名義変更の2%の手数料の、そして[通常の土地としての登録からの]免除の理由の確認の、そういった諸前提全てについての確固たる標準規定が存在しているということである。そういった規定は永代貸借権を受ける者にとってはまことに好都合で、その者達に釣りあった、この制度全体の諸関係についての規制形式であった。その形式は諸ゲマインデの agri vectigales に対してのものであるのと同様に、国家の agri vectigalesque に対してのものでもあったが、しかしそれはまた、通常土地が大規模な経営者に与えられるという形式に過ぎず、それは明確なこととしては、D. 1 si ager vect[igalis petature] における、vectigales とそうでないものとの区別以外の何物からも発生していないように、そこでの区別は明確に主張されているように、次のような土地同士の区別と同じことであり、それは一方は契約者、つまり土地の貸借契約を引き受ける者に対して永代または有期で貸し出される土地であり、もう一方は耕地であって、農民、つまり独立の小農場経営者に、”colendi dati sunt”、つまり耕作目的で与えられたものであり、その相互の土地の区別と同じである。