中世合名会社史ー日本語訳プロジェクト:(2)緒言

元のドイツ語。
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緒言

法教義学的には、ローマ法のソキエタスと近代商法における会社形態の中でもっとも重要な集団との、特に合名会社との原理上の相違点については、しばしば詳細に論じられまた十分に解明もされてきた。法制史上では、そうした会社形態の近代的原理の発展は、地中海沿岸諸国、とりわけイタリアの諸都市国家における、交易を主体とした生活の中から生まれて来たのであり、それらの会社形態の原理は国際交易の上で実用的に必要なものとして把握され、その主要な特性としてこれまで解明されてきたのである。

しかしながら、特にそれらの会社形態の初期の発展段階において、個々の事例において法形成がどのように行われてきたのかということ、つまりまったくの新たな法的思考が、日常の中でたちまち幾倍にも膨れ上がっていく様々な必要性の中から成長していき、やがて商慣習へと進化し、そこからさらに商業における慣習法としてまで認められるようになったのかということと、さらには現在において存在する各種の法律上で定められた団体が本当にその中から発展してきたのかどうかという事実の確認と、またどこまでそう言えるのかという程度の問題は、現在においても多くの場合で、完全に疑いのないレベルまでは解明されていない。というのもラスティヒ 1)《Gustav Lastig、1844 – 1930、ドイツの法学者、商法の発展を商業の種類が拡大されてきた歴史に求める歴史学派で、ゴルトシュミットのライバル的存在》によって(執筆計画が)発表された(商事)会社についての包括的な著作は、既に発表されている部分の記述によれば、我々には入手が不可能である多数の文献史料に基づいて執筆されるのであるが、その完成はまだかなり先の話である。《全集版の注によれば、ラスティヒ自身が少なくとも30年はかかると発表時に述べているとのこと。実際に最初の構想の発表は1878年で、最終的に完成したものが発表されたのは1907年であり、29年後である。》そのことがこの論文での試み、つまりまずは既存の諸研究に関連付け、出版された文献史料に基づいて商法の発展における本質的な諸契機についてのより具体的なイメージを得るということを、よりいっそう試みる価値のあるものとすると言うことが出来るだろう。私の方で入手可能である文献史料については前述の通りの状況であり、従ってこの論考で得ることの出来た結論それ自体が、その主要な点において、私には入手不可能だった史料、とりわけ手書きの史料によって本質的な訂正が行われてきた、といったような幻想はまったくもって成立し得ないのである。2)

これから述べる研究は、ベルリンの枢密顧問官のゴルトシュミット教授のゼミナールにてある時に提出された筆者の論文を拡張し改訂することから始まったものである。その内容としては、(単に)合名会社の歴史としてではなく、(商事)会社全般の歴史についての貢献として捉えるのが正しいであろう。この論文ではただ一つの財産法上の制度として、合名会社だけでなく合資会社をも包含して解明するということを試みている。確かに私はこの二つの会社形態を同一のものとして統合的に把握することが可能であり、更にまたその二つの差異をも歴史的に明らかにすることが出来ると考えている。この論文で利用するのは、前述したように印刷史料のみであり、それも利用出来たのはベルリン図書館収蔵のものと、枢密顧問官ゴルトシュミット教授の個人所有のもののみであり、後者は教授がご親切にも参照を許可してくださったものである。従ってこの論文の数少ない成果としての新たな観点となり得るのは、おそらくこれまでの知見の訂正と各概念の境界をより具体的に定義し直すことであろう。

1) その論考は、商法雑誌の第34巻に収録されており、これから続く研究への出発点として構成されている。《英訳の注によれば第34巻はヴェーバーの引用ミスで正しくは第23巻と第24巻。Zeitschrift für das Gesamte Handelsrecht, “Beiträge zur Geschichite des Handelsrechts”, 1878年と1879年》
2)この理由から、史料批判についても以下の論文では断念している。
(手書き文献資料等の)写真については、印刷された入手可能な資料の中に収録されているもののみを、論述に利用している。
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翻訳者コメント
「(商事)会社」という表記は、現在の日本の法律ではドイツでのHandelsgesellschaftに相当する語は単に「会社」であり、「商事会社」という表現は現在の日本の会社法上には存在しない概念であるため(一部マイナーな法律で条文にまだ残っているものがあるが)、「商事」に()を付けている。つまりこの論文のタイトルも、現在の日本の法律に合わせれば直訳は「中世会社史」である。
なお、商事会社と民事会社の区別が商法から消えたのは平成17年の改正によってであるが、元々民事会社であった農協や漁協も改正前から商法上の会社とみなされており法的な取扱は商事会社と同じで区別する実益はなかったということである。(有斐閣 法律用語辞典 第4版の「商事会社」と「民事会社」の項参照。)
なお、何故この論文のタイトルが当初「合名会社の歴史」とはっきり言っていたのに、2回目の出版の時に現在の「(商事)会社史」に変わった理由は、この序文の最後の段落にそれなりに述べられている。
また、この論文自体が、法学における「歴史学派」の流れに完全に位置付けられるものであることが分かり、ヴェーバーが自身を「歴史学派の子」と称するのもよく理解出来る。(歴史学派の法学は、イギリスなどにおける「自然法」思想に対抗し、歴史的な発展の経緯の中に法律の規定の起源を探ろうとしたものである。)
ちなみに、この論文は博士号論文という審査を受ける論文なので、後年の論考より読みやすいのではないかと期待していたが、その期待は完全に裏切られた。栴檀は双葉より芳しではないが、ヴェーバーのやたらと1つの文が長い「悪文」は既にこの序文の中でたっぷり出て来る。この序文は3つの段落で出来ているが、それぞれ1つの段落は1つの文章で構成されている。この翻訳では適宜文章を分けている。(英訳も同様である。)