折原浩訳の問題点(91)

91回目。
ともかくこの訳者は「盛る」。そして「改変する」。
(1) 「現世秩序に逆らって、活動し、」は変。世俗内禁欲はともかう現世とは折り合っていくので、逆らったりする訳ではない。
(2) 「廃絶」も変。別に核兵器みたいに完全に無くしましょうと言っているのではなく、距離を置くということを言っているだけ。
(3) 「文字通り完全な隔離」の「完全な」は原文になく、またいくらなんでも完全に隔離したら生きていけません。

原文
Diese Konzentration kann ein förmliches Ausscheiden aus der »Welt«, aus den sozialen und seelischen Banden der Familie, des Besitzes, der politischen, ökonomischen, künstlerischen, erotischen, überhaupt aller kreatürlichen Interessen notwendig, jede Betätigung in ihnen als ein von Gott entfremdendes Akzeptieren der Welt erscheinen lassen: weltablehnende Askese. Oder sie kann umgekehrt die Betätigung der eigenen spezifisch heiligen Gesinnung, der Qualität als erwählten Werkzeugs Gottes gerade innerhalb und gegenüber den Ordnungen der Welt verlangen: innerweltliche Askese.

折原訳
こうした救いの業への集中が、「現世」からの文字通り完全な隔離――すなわち、家族や財産や、政治的・経済的・芸術的・性愛的・その他、およそあらゆる被造物的利害関心に発する社会的また精神的紐帯からの隔離――を必要とし、そうした利害関心によるいかなる活動も、神からは疎隔される現世受容とみなされ、廃絶されるにいたる、という場合もある。これが現世拒否的禁欲である。あるいは逆に、自分に特有の神聖な心意、すなわち、神によって選ばれた道具としての自分の資質を、他ならぬ現世秩序の内部で、また、現世秩序に逆らって、活動し、そうすることによって確証することが、要求される場合もある。これが現世内的禁欲である。

丸山訳
こうした専心は、文字通り「現世」からの断絶で有り得、それは家族、財産、政治的・経済的・芸術的・性愛的なものとの社会的・精神的なつながりからの断絶であり、つまり一般的に言えば被造物の全ての関心からの断絶が不可欠なのであり、そういった関心からの全ての活動を、神から遠ざける現世の受容と見させるのであり:これが現世拒絶の禁欲である。あるいは専心は逆に自分本来の特別な神聖な心情、選ばれた神の道具としての資質からの行いの確証を、現世秩序の真っ只中で、そしてそれに向き合って望むのである:つまり現世内禁欲である。