折原浩訳の問題点(110)

ここもまた原文を大幅に改変(改悪)するひどい翻訳。
weder … gefunden werdenなのに、どこから「残りなく吸収されることはありえなかったし」などという訳が出て来るのか。そして「救済追求」ではなく単に「救済」です。後、wie dort は場所だから「アジア人の場合」は変。「作品であるからには」という理由的な訳もおかしい。

原文
Weder konnte daher im Okzident die mystische Erlösung restlos im Bewußtsein der absoluten Einheit mit einer höchsten weisen »Ordnung« als dem einzig wahren »Sein« gefunden werden, noch war andererseits ein Werk von göttlicher Provenienz jemals in dem Sinn möglicher Gegenstand absolutester Flucht wie dort.

折原訳
それゆえ西洋では、神秘的救済追求も、唯一真実の「存在」として最高の叡知をそなえた「秩序」との絶対的合一という意識に、残りなく吸収されることはありえなかったし、他方では、世界も神に由来する作品であるからには、アジア人の場合と異なり、絶対的に逃避しきれる対象とはなりえなかった。

丸山訳
それ故に、西洋においては、神秘主義の救済は、唯一の真実の「存在」として、至高の賢い「秩序」を備えた絶対的な統一体と意識されて、完全に見出されるのではなく、また他方では、アジアにおいてのように、神に由来する作品がいつかそこからの絶対的な逃避[解脱]が可能な対象物となるという意味も持ち得なかった。