折原浩訳の問題点(119)

ここも原文の構造を大幅に改変した訳。それで読みやすくなっているんなら、それもありかもしれませんが、私にはそう思えません。
それからグノーシス主義について折原センセが知識がないのは既に分かっているので、正しく訳せないだろうと思ったら、やはりそうでした。

「7人の支配者」→アルコーンのギリシア語の元々の意味は確かに「支配者」ですが、「7人のアルコーン」はグノーシス主義での用語なので、ヴェーバーがそうしている通り「アルコーン」とそのままにすべきです。

「デーミウールゴスやヤハウェ」→ここでヴェーバーがoderとしているのは別々にそういう場合があるということではなく、グノーシス主義ではデミウルゴス=ヤハウェ=ヤルダバオートであるということです。

「救助者」→この文脈(神話)では明らかに「救世主」でしょう。

「業誇り」→これは折原語というか、日本のヴェーバー業界のジャーゴンですが、「誇り」っておかしくないですか?要するに信仰によって義とされるの逆で、自分の行い(善行)によって義とされるということで、「誇り」というのは盛り過ぎのように思います。

「グノーシス派」→グノーシスは同様の傾向を持つ多数の教派に対する総称であって、グノーシス派というまとまった教派があったのではないので、この語は不適当です。

原文
Statt eines Naturgotts, besonders eines Sonnengotts, der mit anderen Naturmächten, namentlich also mit Finsternis und Kälte ringt und dessen Sieg den Frühling bringt, ersteht auf dem Boden der Erlösungsmythen ein Retter, der aus der Gewalt der Dämonen (wie Christus), oder aus der Verknechtung unter die astrologische Determiniertheit des Schicksals (die sieben Archonten der Gnostiker), oder, im Auftrag des verborgenen gnädigen Gottes, aus der ihrer Anlage nach durch den minderwertigen Schöpfungsgott (Demiurg oder Jehova) verderbten Welt (Gnosis), oder aus der hartherzigen Verstocktheit und Werkgerechtigkeit der Welt (Jesus) und der Bedrücktheit von dem durch das Wissen um die Verbindlichkeit ihrer unerfüllbaren Gesetzesforderungen erst entstandene Sündenbewußtsein (Paulus, etwas anders auch Augustin, Luther) von der abgrundtiefen Verderbtheit der eigenen sündigen Natur (Augustin) den Menschen zur sicheren Geborgenheit in der Gnade und Liebe des gütigen Gottes führt.

折原訳
救済神話という基礎のうえで、他の自然力、とくに暗黒や寒冷と闘い、勝利して春をもたらす自然神とくに太陽神に代わって、ひとりの救助者が登場する。そして、この救助者が、[以下のとおり、さまざまに解釈される] 困窮の状態から、人間を救い出し、善なる神の恩恵と愛に包まれる安全な状態へと導いてくれる。困窮の状態とは、悪霊の支配であったり (キリストの場合)、占星術的に決定された運命への隷属であったり (グノーシス派の七人の支配者)、あるいは、低位の創造神 (デーミウールゴスやヤハウェ) によって本性上堕落した世界で、隠れた慈悲深い神の委託によってそこから救出されるのであったり (同じくグノーシス)、現世の冷酷な非情さや業誇りであったり (イエス)、充足しえない律法の要求による拘束を察知して初めて発生する罪の意識であったり (パウロ、いくぶんニュアンスは異なるが、アウグスティヌス、ルター)、自分の罪性による底知れない堕落であったりする (アウグスティヌス)。

丸山訳
自然神、特に太陽神で、他の自然の諸力、つまり暗黒と寒冷と格闘して、その者の勝利が春をもたらす、そういう神に替わって、救済神話に基づいて一人の救世主が立ち上がり、その者は(キリストのように)悪魔の暴力から、あるいは占星術により定められた運命による奴隷化から(グノーシス主義者の7人のアルコーン[1])、あるいは、隠された恵み深い神の命令で、劣位の諸創造神(デミウルゴスまたはヤハウェ[2])によって堕落させられた現世(グノーシス主義)の状態から、あるいは現世の無情な冷酷さと行為による義認(イエス)から、また律法の諸要求を遵守できないことを知ることにより初めて生じる罪の意識の拘束による意気消沈から(パウロ、多少違っているがアウグスティヌス、ルター)から、自分自身の本来の罪深い本性による底なしの堕落から(アウグスティヌス)、人間を、慈悲深い神の恵みと愛の中にある安全な場所へと導くのである。

[1] ヤハウェと同じとされるヤルダバオートを筆頭とする劣位の創造神かつ地上の支配者で、7つの天界(太陽、月、木星、土星、金星、水星、火星)に関連付けられている点で占星術の影響がある。

[2] この2つはグノーシス主義では同じ(ヤルダバオート)とされる。

折原浩訳の問題点(118)

ここもまた前の箇所と同様原文の構造を壊してしまっています。
まず大事なのは救済は自分の善行によってではなく他者の働きによるであり、英雄か神かはサブなのに、折原訳だとそのどちらかが重要みたいに読めてしまいます。
「追求者自身の業は、救済という目的に対してまったく不十分と見なされ、」を元の位置から外して後に持っていっているのでますます構造が分からなくなります。なんでこの人、わざわざ原文を理解しにくくなるような訳をするんですかね。可能な限りは原文に出て来る順番で訳すのが基本だと思います。
またここは明らかにイエスのことを想定しているので、「化身」は不可で「受肉」でないとおかしいです。この訳者は何故か仏教系の用語に傾きがちです。(同じく仏教系語彙が好きな創文社訳は、ここではちゃんと「受肉」と訳しています。)
それから「なされた業からex opera operato」も間違いで「なされたわざによってex opere operato」です。ミススペルと誤訳の両方。

原文
II. Die Erlösung kann ferner vollbracht werden nicht durch eigene Werke — welche dann als zu diesem Zweck völlig unzulänglich gelten —, sondern durch Leistungen, die entweder ein begnadeter Heros oder geradezu ein inkarnierter Gott vollbracht hat und die seinen Anhängern als Gnade ex opere operato zugute kommen. Entweder als direkt magische Gnadenwirkungen oder indem aus dem Überschuß der durch Leistungen verdienten Gnaden des menschlichen oder göttlichen Heilandes Gnade gespendet wird.

折原訳
Ⅱ. 救済はまた、追求者自身の業ではなく、神の恵みを受けた英雄か、あるいは化身した神自身か、どちらかの業績によって、もたらされる場合もある。その場合には、追求者自身の業は、救済という目的に対してまったく不十分と見なされ、英雄または神自身の業績が、「なされた業からex opera operato」の恩恵として、その信奉者たちに役立てられる。すなわち、直截に魔術的な恩恵効果として与えられるか、あるいは、人間ないし神的な救世主の業績によって獲得される恩恵の余剰のなかから、一部が分与されるか、どちらかである。

丸山訳
II.更に救済が成し遂げられ得るのは、己自身の善行によってではなく--そういった善行はこの目的には全く不十分でしかないとされるのであり--そうではなくて神の恵みを受けた英雄あるいはまさに受肉した神が成就した働きによってであり、そしてそれはその信奉者に対して、ex opere operato[なされたわざによって]恩恵として利益となるのである。あるいは直接の魔術的な恵みの諸作用としてか、あるいは働きによって得られた人間的あるいは神的な救世主の恵みの剰余からという形で、恵みが贈与されるのである[1]

[1] この辺りの表現もまた全般的に、救済を一種の経済的な行為であるかのように描写する単語が多数用いられている。