折原浩訳の問題点(93)

今日は小ネタだけかと思いきや、ここは明確な誤訳。
die sie umbrandetは動詞が単数形なので、主語はDurchschnittsmenschen(平均的人間)ではなく、die Welt。
umbranden がちょっと分かりにくいのですが、brandenが「波が押し寄せ砕け散る」という意味なので、umが付くと「何かを囲んで波が打ち寄せる」という意味になります。要するに禁欲者達の集団が、大洋に浮かぶ孤島のような存在で、その周りに「現世」が押し寄せるイメージです。その解釈は「現世の内部で、あるいは本来的には外部で」という表現とぴったり整合します。
折原訳の「周囲で平均的人間と衝突し」は主語と目的語が逆な上に、主語が単数であることを見落とした誤訳です。まあ創文社訳も同じく誤訳ですが。
ちょっと両方を弁護すると、このumbrandenは手元の辞書には[雅]とあるので、一種の文学表現です。こんな分かりにくい表現使わないで、普通に書けばいいのにと思います。まあヴェーバーの文章を単なる社会学だけと思ったら絶対にダメということです。法学、法制史、歴史一般、経済学(財政)、に文学表現まで理解する必要があります。

原文
Stets aber wird dann, infolge der Verschiedenheit der religiösen Qualifikation, ein solcher Zusammenschluß des Asketentums eine aristokratische Sonderorganisation innerhalb oder eigentlich außerhalb der Welt der Durchschnittsmenschen, die sie umbrandet — darin von »Klassen« prinzipiell nicht unterschieden.

折原訳
ところが、そうした禁欲者の結集態は、やがてはつねに、宗教的資質の差異のため、平均的な人間の世界の内部、というよりも、ほんとうのところはその外部に、貴族主義的な特別組織をつくり、周囲で平均的人間と衝突し、その点で原理上「階級」と区別されないものとなる。

丸山訳
それぞれの宗教的な資質の違いの結果として、平均的な人間の集う現世の内部で、あるいはそもそもは現世の外部で、そういった現世は禁欲者達の集団を囲んで波濤のように押し寄せているのであるが、貴族政的な特別な組織となり--そこにおいてはそれは「階級」と原理的に区別がつかなくなる。

折原浩訳の問題点(92)

今日のは小ネタです。
「クロムウェル麾下」は議会について言うのはおかしいでしょう。(「麾」=軍旗)鉄騎兵なら「麾下」でいいでしょうが、やはり日本語のセンスに問題があります。
それからこの辺りヴェーバーの記述がどんどんラフになっているので、訳注を付けないと読む人はなかなか理解出来ません。「クェーカー教徒の国家」なんて存在しません。

原文
Dann wird der Asket ein rationaler »naturrechtlicher« Reformer oder Revolutionär, wie ihn das »Parlament der Heiligen« unter Cromwell, der Quäkerstaat und in anderer Art der radikale pietistische Konventikel-Kommunismus gekannt hat.

折原訳
そのとき禁欲者は、クロムウェル麾下の「聖者の議会」や、クェーカー教徒の国家や、その他、性質は異なるが、敬虔派の急進的な信徒集会-共産主義に見られるような、合理的な「自然法的」改革者か革命家となる。

丸山訳
その場合には禁欲者は合理的な「自然法に沿った」改革者か革命家になるのであり、その例としてはクロムウェルの元での「聖徒議会[1]」や、クェーカー教徒の植民地[2] と他のやり方での過激で敬虔主義に基づく信者の集会-共産主義[3] などが知られている。

[1] 1653年にクロムウェルが招集したベアボーンズ議会のことで、全議員がクロムウェルの指名に基づき、140名全員がピューリタンであった。急進的な改革を試みたが成功せず5ヵ月で解散した。

[2] 原文はder Quäkerstaatだがクェーカー教徒が国家を作ったことはなく、おそらくはクェーカー教徒がペンシルヴェニア州に作ろうとした理想的な植民地のこと。ウィリアム・ペンがイングランド国王にお金を払って領主となることを認めてもらい、クェーカー教徒の避難所となる植民地を建設した。住民への信仰の自由と経済活動の自由を保証し、ネイティブ・アメリカンの自由も認めた。

[3] 敬虔主義での信者の集団(エクレシア)が財産共有などの共産主義的な行動を生み出す母体となった場合がある、ぐらいの意味と思われる。