折原浩訳の問題点(208)

ここの”welche als einzelne mit anderen einzelnen verglichen und aufgerechnet wird”を折原訳は「あくまでも個々の行為が、他の個々の行為と比較され、[正負が]相殺される」と訳していますが、aufgerechnetはgegenが付いていれば「~に対して相殺される」という意味になりますが、ここはmitなので、他の項目と一緒に帳簿(当座勘定)に記載される、と言っているだけです。結果として二つが相殺になる場合もあり、逆に善行ないしは悪行の増強となる場合もあり、片方だけを言っているのではありません。

原文
Unrichtig ist es, wenn gesagt wird: nur die Äußerlichkeit der Gesetzesbefolgung sei religiöses Erfordernis gewesen. Das ist der naturgemäße Durchschnitt. Aber das Postulat stand höher. Allerdings aber ist es die einzelne Handlung, welche als einzelne mit anderen einzelnen verglichen und aufgerechnet wird. Und wenn auch die Auffassung der Beziehung zu Gott als eines Kontokorrentes (sie findet sich übrigens gelegentlich auch bei Puritanern) der einzelnen guten und bösen Werke mit ungewissem Gesamtergebnis nicht die offiziell herrschende war, so ist allerdings die zentrale methodisch-asketische Orientiertheit der Lebensführung, wie sie den Puritanismus kennzeichnet, von den schon erwähnten Gründen abgesehen, einmal infolge der doppelten Moral eine unvermeidlich ungleich schwächere als dort.

折原訳
宗教上の要件は、律法遵守の外形だけだった、と主張されるとすれば、それは正しくない。必然的に生ずる平均は、そうしたところに落ち着かざるをえなかったとしても、要請される水準はもっと高かった。とはいえ、あくまでも個々の行為が、他の個々の行為と比較され、[正負が]相殺される、という事情に、変わりはない。そして、神との関係を、全体としての結果はどうなるか分からない、個々の善行と悪行との差引残高として割り出す、そうした捉え方(ちなみにそれは、ピューリタンにも時折みられる)が、ユダヤ教において公式に支配的となったわけではないとしても、ピューリタンを特徴づけているような、生き方を中心から方法的・禁欲的に方向づけ、体系化していく生活態度は、すでに論じた理由は別としても、ひとつには対内道徳と対外道徳との二重性の結果、ピューリタンの場合に比べてはるかに弱まらざるをえなかった。

丸山訳
次のことは間違いである:律法を遵守しているという外観だけが宗教的な要求である、と主張することである。それは自然な平均的な考え方である。しかしながら、ユダヤ教での要求水準はもっと高いものであった。しかしもちろん、個々の行為が、別の個々の行為と比較され、一緒に帳簿に記載される、ということである。そしてまた、神との関係を一種の当座勘定として把握することが(そういった把握の仕方は、時折またピューリタンの間でも見出されるが)、個々の善き業と悪しき業を未確定の総決算とセットにして考えるというやり方が、公的に支配的なものではなかったとしても、その場合でももちろん、生活実践が方法体系的・禁欲的なものを中心にして方向付けられているということは、それはピューリタニズムの特徴であるが、これまで論じて来た様々な根拠から判断すれば、一つには[対内倫理と対外倫理の]二重倫理の結果としてユダヤ人においてはそれは、ピューリタンと比べ避け難く、同質ではなくより弱いものでしかなかった。

折原浩訳の問題点(207)

ずっと、ユダヤ人の対内倫理と対外倫理の二重性の話をしているのに、折原訳はVerkehrをずっと「交渉」と訳しています。いうまでもなく、ここでは「取引」の意味で使われています。英語で言えばtrafficです。
最後の「[「証された」救済が来世に期待できる、というわけではない]」も余計な補足と思います。そういうのは読者が自分で考えることです。

後は間違いとまでは言いませんが、
nüchtern → 「醒めた」、より「冷静に」(この訳者はwachも必ずといっていいくらい「醒めた」と訳します。)
»sachlich«→「事柄に即する」という意味の良く分からない訳ではなく「私情を交えず」「事務的に」ぐらい。

原文
Er hatte ein weit schwereres inneres Schicksal zu überwinden als der seiner »Erwählung« für das Jenseits sichere Puritaner. Der Einzelne muß sich mit der Tatsache der Verheißungswidrigkeit der bestehenden Welt, solange Gott sie zuläßt, eben abfinden und sich genügen lassen, wenn Gott ihm Gnade und Erfolg schenkt im Verkehr mit den Feinden seines Volks, denen er, wenn er den Ansprüchen seiner Rabbinen genügen will, legal und nüchtern rechnend, ohne Liebe und ohne Haß, »sachlich« gegenübertritt und sie so behandelt, wie es ihm Gott erlaubt hat.

折原訳
彼は、自分が「彼岸において選ばれていること」を確信しているピューリタンに比して、はるかに苛酷な内面的運命に耐えなければならなかった。個々人は、現存する世界が、いかに神の約束には反する実情にあっても、神がそれを許容しているかぎり、その実情と折り合いをつけなければならない。そのうえで、民族の敵たちとの交渉にあたって、ラビたちの要求にしたがおうとすれば、当の敵たちを、合法的かつ醒めた計算にもとづき、愛も憎しみも交えず、「事柄に即する」態度で、神に許されるとおりに、処遇しなければならない。じっさいにそのとおりに振る舞って、神がかれに恩恵と成果を贈ってくれるのであれば、そのかぎりで満足しなければならないのである [「証された」救済が来世に期待できる、というわけではない]。

丸山訳
そのユダヤ人は、自分の来世での救済へと「選ばれていること」について確信しているピューリタンよりも、はるかに過酷な内的な運命を耐え忍ばなければならなかった。個々の者は、今ある現世の、神の諸約束とは反する現状に、その現状を神が認める限りにおいて、満足し良しとしなければならなかったし、神がその者に、その民族の敵達との取引において恵みと成果を贈る場合は、その者は敵達について、その者がラビ達からの様々な要求を満たそうと欲する場合は、合法的にかつ冷静に計算して、愛も憎しみもなく、「私情を交えず[sachlich]」対処し、それによる恵みと成果については、神がその者に許し給うたものとして扱うのである。