今日も今日とて折原誤訳。
(1)agrarkommunistisch を「農業共産主義的」と、agrarと来たら「農業」しか頭にないみたい。大体共産主義的農業はあり得ますが、農業共産主義は意味不明で、共有するのは土地(と生産手段)です。
(2)原文はVerbindung zu bringen gesucht wurdeで「結合が試みられた」(しかし実際には成功しなかった)ですが、「さまざまな結合を達成した」と全く逆に訳しています。
(3)あれほどpersönlichを「即人的」と訳していたのに、ここでは「個人として」で、まったく主張していることに一貫性がありません。
原文
Dies hatte die in den 70er Jahren des vorigen Jahrhunderts mit der Entstehung des sog. Narodnitschestwo (Volkstümlerei) beginnende, naturrechtliche, vorwiegend agrarkommunistisch orientierte Bewegung im Gefolge, welche in den 90er Jahren mit der marxistischen Dogmatik teils in scharfen Kampf geriet, teils sich in verschiedener Art verschmolz und mehrfach zuerst mit slawophil-romantischer, dann mit mystischer Religiosität oder doch Religionsschwärmerei in eine meist wenig klare Verbindung zu bringen gesucht wurde, bei manchen und zwar relativ breiten Intelligentenschichten aber, unter dem Einfluß Dostojewskis und Tolstois, eine asketische oder akosmistische persönliche Lebensführung bewirkte.
折原訳
そこからは、前世紀の70年代に、いわゆるナロードニチェストゥヴォ (人民派) の発生とともに、自然法的それも圧倒的に農業共産主義的な方向性をそなえた運動が招来された。この運動は、90年代には、一方で、マルクス主義の教義学と片や鋭い闘争に陥り、片やさまざまな仕方で融合を遂げながら、他方では、当初にはスラヴ派のロマン主義的宗教性と、やがては神秘的な宗教性ないし宗教的狂信と、おおかたは明瞭でない、さまざまな結合を達成した。そのさい、相対的には広汎な知識層に、ドストイェフスキーとトルストイの影響のもとで、個人として禁欲的あるいは無宇宙論的に生きようとする生き方[生活方法論]が形成された。
丸山訳
これらの知識人層の動向の結果として、1870年代において、いわゆるナロードニチェストヴォ(人民主義)の成立と共に始まる、自然法的で、土地共有の共産主義の実現を目差す運動が発生し、それは1890年代にはある部分ではマルクス主義のドグマとの激しい戦いに陥り、別の部分では逆に様々な形でそれと融合し、更にそれよりもはるかに強く、最初はスラブ派的-ロマン主義的信仰と、次には神秘主義的信仰またはそれどころか宗教的狂躁との、大部分はほとんどはっきりしない一体化が模索されたが、多くの、しかも相対的に広範囲の知識人階層においてはしかし、ドストエフスキーとトルストイの影響下で、禁欲的または現世を認めない[無宇宙論的な]個人主義的な生活実践が生み出された。