何度も繰り返される折原浩の間違ったゲマインデ論

折原センセへのシノドスのインタビューを読み直していたら、そこでも以下の発言がありました。
これ、何度も書いていますが、全部誤読の産物です。
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ところが、それでは、ヴェーバーのゲマインデを、かれ自身の理論展開に即して的確に捉えようとすると、まずは『経済と社会』(旧稿)中の用語法を網羅的に検索して、たとえば、(1)ペルシャ帝国の「大衆馴致政策」により、ネヘミアの監督下、祭司長エズラに率いられて「バビロン捕囚」からエルサレムに帰還したユダヤ教「教団」、(2)「家産制」的支配者が「区画して『ライトゥルギー(賦役-貢納義務)』を課しoktroyieren」、「連帯責任」を負わせた農村の「近隣団体」、(3)政治的「自首・自律」(注26)を達成した「地域団体」としての「西洋都市」など、各所に分散して出てくる適用例を拾い集めて、比較照合し、それらに共通の「ゲゼルシャフト結成に媒介された近隣ゲマインシャフト(群)」という一般的規定を突き止めなければなりません。

(注26)団体の「首長Herr」を、外部から指定されるのではなく、内部から選出するのが「自首Auto-kephalie」。団体の「秩序Ordnung」を、内部で制定するのが「自律Auto-nomie」。

ところが、そうするとこんどは、「ゲゼルシャフト結成に媒介されたゲマインシャフト」とは、一体全体どういうことか――「ゲゼルシャフト」と「ゲマインシャフト」というふたつの基礎範疇が、(どうやら、「利益社会」と「共同社会」と機械的に訳出される学界通念とは異なり、「対概念」ではなさそうなのだけれども、では厳密には)どう概念規定され、どういう関係に置かれているのか――と問わざるをえません。