折原浩訳の問題点(29)

もはや「1ページに数ヶ所」の誤訳というレベルではなく、この辺りは「ほぼ全ての文で」誤訳があります。全くヴェーバーが論じていることについて行けていません。よくもまあ、こんなレベルの人が「ヴェーバー宗教社会学の専門家」などと言って人に教えていたものです。これも聖書の譬えで
「そのままにしておきなさい。彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」(マタイ15:14、新共同訳)がぴったりです。この譬えの最初の盲人は自分が律法を知りそれを守っていると思っているパリサイ人のことだと思いますが、折原浩も「自分こそヴェーバーの宗教社会学をもっとも理解しているし読み込んでもいる」と思っているという点でまったく一緒です。

(1) erastianisch を字面だけで判断して「エラスムス的」と誤訳。正しくは「エラストゥス主義」(下記の訳注参照)。大体エラスムスはルターと激しく論争していますけど。(ちなみに創文社訳は正しく訳し、かつ訳注も付けている。)

(2) Priester und Prädikanten を「祭司や説教者」といつの時代か分からないような、また並記しているかのような誤訳。ここは宗教改革の時の争いの話ですから、カトリックの司祭とプロテスタントの牧師の間の言い争いとデマゴギーに嫌気が差して、ということです。(ここは創文社訳の誤訳をそのまま踏襲。)

原文
Ihrem Lebensniveau entsprechend waren die klassisch gebildeten Humanistenschichten im ganzen antibanausisch und antisektiererisch gesinnt, dem Gezänk und vor allem der Demagogie der Priester und Prädikanten abhold, daher im ganzen erastianisch oder irenäisch gesinnt und schon dadurch zur zunehmenden Einflußlosigkeit verurteilt.

折原訳
古典的教養をそなえた人文主義者層は、その生活水準に相応しく、全体として、反俗的また反ゼクテ的な心情-心意の持ち主であり、祭司や説教者の口論、とくに大衆煽動を嫌った。それゆえ、全体としては、エラスムス的あるいは宗派宥和主義的な心情-心意に傾き、すでにそのことからしても、ますます影響力を失っていくほかはなかったのである。

丸山訳
古典についての教養を持った人文主義者層はその生活水準に適合して、全くの反世俗的で反教派的な志向を持っていたが、[カトリックの]司祭と[プロテスタントの]牧師の絶え間ない争いと特に大衆への扇動を嫌い、そのため全くのエラストゥス主義[1] または宥和主義的な志向に傾き、そのことによって既に、次第に影響力を持ち得なくなっていると否定的に判定されたのである。

[1] 16世紀のツヴィングリ派の神学者トーマス・エラストゥス(1524~1583年、スイス)に由来する考え方で、教会は独自の行政権や裁判権など持つべきではなく、国家に従属すべきというもの。

折原浩訳の問題点(28)

「浜の真砂は尽きるとも、世に折原訳の誤訳は尽きまじ」
ともかく、ありとあらゆるタイプの誤訳のオンパレードでまるで誤訳の百貨店です。

(1) Soweit diese Gruppe sich nicht  の nichtを見落としてまるっきり逆に訳しています。
(2) (じっさいには、さまざまな個別の宗教類型)も意味不明です。ここは宗教改革期に登場した様々な形の信仰形態の一つの担い手、という意味です。
(3) 「彼らの役割が後々まで効力を保ったことは絶えてない 。」も dauernd を2回訳しているような変な訳で、「継続的な影響は持たなかった」と言っているだけです。
(4) 単に「信仰分裂」と訳しているけど、この前に「東西教会分裂」のことが出てきていて、それとは違う宗教改革のことなので、注釈(括弧書き)が必須です。
(5) 「両義的な態度を取った」と書くと個々人がアンビヴァレントな態度を取ったように解釈されますが、ここでは人文主義者全体として分裂していたことを言っているだけ。

原文
Vornehmlich ideologische Motive bedingten ihr zwiespältiges Verhalten bei der Glaubensspaltung. Soweit diese Gruppe sich nicht in den Dienst der Bildung der Reformations- oder Gegenreformationskirchen stellte, wobei sie in Kirche, Schule und Entwicklung der Lehre überaus wichtige organisatorische und systematisierende, nirgends aber die ausschlaggebende Rolle spielte, sondern soweit sie Träger spezifischer Religiosität (in Wahrheit: einer ganzen Reihe von religiösen Einzeltypen) wurde, sind diese ohne dauernde Nachwirkung gewesen.

折原訳
信仰分裂のさいに彼らが両義的な態度をとったのは、主としてイデオロギー的な動機からであった。なるほど、人文主義者の集群は、改革派教会あるいは対抗改革派の宗教性の形成に関与したかぎりで、[創始期には]教会・学校および教説の発展に、ずば抜けて重要な組織化と体系化の役割を担った。しかし、そうでないかぎり、なにか決定的に重要な役割を果たしたことは、どこにもない。むしろ、人文主義者が、特定の宗教性 (じっさいには、さまざまな個別の宗教類型) の担い手となったことは、あるにはあるが、そのかぎりにおいても、彼らの役割が [創始期を越えて]後々まで効力を保ったことは絶えてない 。

丸山訳
何よりもイデオロギー的な動機が、信仰分裂[宗教改革]においての人文主義者の間での分裂した行動を条件付けた。こういった人文主義者のグループが、改革教会または対抗改革教会の形成に関与しなかった限りにおいては、その際にその者達は、教会・学校と教説の展開において、非常に重要な組織的で体系を作り上げるような役割は演じたが、しかし何処においても決定的な役割は演じなかったのであり、そうではなくてその者達が特別な信仰(実際は:全ての宗教的個別タイプの集まりの中のいずれか)の担い手になった場合に限っても、その役割は継続的な影響を持つことがなかった。