久し振りに、折原訳批判ではなく、ヴェーバー本人の批判。
次の部分の原文、私の訳、注釈を続けて読めば、ヴェーバーの宗教社会学が如何に乱暴で雑な一般化を行っているかが良くご理解いただけると思います。全ての宗教について間違った記述です。また”welt***en”(世界を~する)というのを並べた、一種の言葉遊び(詩作)に酔っているようにしか見えません。またsich vermählte(結婚した)なんて普通学術論文には使いません。
原文
Will man die Schichten, welche Träger und Propagatoren der sog. Weltreligionen waren, schlagwörtlich zusammenfassen, so sind dies für den Konfuzianismus der weltordnende Bürokrat, für den Hinduismus der weltordnende Magier, für den Buddhismus der weltdurchwandernde Bettelmönch, für den Islam der weltunterwerfende Krieger, für das Judentum der wandernde Händler, für das Christentum aber der wandernde Handwerksbursche, sie alle nicht als Exponenten ihres Berufes oder materieller »Klasseninteressen«, sondern als ideologische Träger einer solchen Ethik oder Erlösungslehre, die sich besonders leicht mit ihrer sozialen Lage vermählte.
私の訳
いわゆる世界宗教の担い手でかつ伝道者であった社会層を標語的に総括することを試みる[1] なら、その場合儒教については世の中を統治する官僚[2]であり、ヒンドゥー教については世の中を統治する祭司[3]であり、仏教においては世の中を旅して歩く乞食(こつじき)僧[4] であり、イスラム教では世界を征服しようとする戦士[5] であり、ユダヤ教については移動性の高い商人[6]、しかしキリスト教については職人の徒弟[7] であり、これらの者達は全てそういった職業や実質的な「階級利益」の代表者ではなく、そうではなくてそういった倫理または救済教説の理論的な担い手であったのであり、それらがその者達の社会的な立場と非常に容易に強固に結び付いたのである。
[1] およそ学術論文とは縁遠いことをしようとしていることに注意。
[2] 中国で官吏が儒教を布教したなどという歴史的事実はない。
[3] バラモン僧は直接的に世の中の統治には関わっていない。それを行っていたのはクシャトリヤである王族など。
[4] 仏教の乞食僧が布教をして歩いたなどということはない。仏教の伝道はもっと別の媒体的社会層によって行われている。
[5] イスラム教徒がある地域を征服したとしても、その地のもの全員に対してイスラム教への改宗を求めたりはしておらず、征服行為と布教は必ずしも一つではない。イスラム教はむしろムハンマド自身がそうであったように、初期はむしろ商人的な性格が強かった。
[6] ユダヤ教はそもそもユダヤ人の中で閉じた宗教であり、それが外部に対して積極的に伝道を行った事実は認められず、ましてや移動性の高い商人がそれを行った事実も認められない。ディアスポラによってユダヤ人コミュニティーがばらばらに分散してオリエント各地に移った結果としてユダヤ教の世界が広がったというだけである。
[7] 繰り返しになるが、初期キリスト教において伝道の主力が職人の徒弟層であったなどという一般化は今日では否定されている。