折原浩訳の問題点(40)

今日はこの訳者の日本語に関する無神経さ、センスの無さの例を見ていただきます。要するにこの訳者は小説などを含めた幅広いジャンルの本を多数読んできていないということだと思います。学術書ばかり読んでいると語彙が偏りますし、言葉のセンスも磨かれません。

ちなみにシノドスでのインタビューにこういう記述があります:
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・受験対策で、思いがけず清水『社会的人間論』に出会う
さて、「理科少年」「野球少年」が社会学に関心を惹かれる機縁は、「部活」を終えて受験勉強に切り換える時期に、思いがけない形でやってきました。当初は志望どおり理科Ⅰ類(理学部・工学部進学予定)を受験するつもりで、不得意科目で「命取り」になりかねない「現代文」をなんとかしようと、「哲学者や社会科学者の硬い論文を読むとよい」という受験雑誌の助言にしたがい、何冊か繙いたのです。」
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私に言わせれば(念のため高校{受験校}で現代国語は学年1位でした)、現代文が不得意だから硬い論文(だけ)を読むというのは半分間違っています。

原文
Eine sehr häufige Vorstellung ließ vielmehr die Totengeister in Tieren und Pflanzen sich verkörpern, verschieden je nach Lebens- und Todesart, Sippe und Stand, — die Quelle der Seelenwanderungsvorstellungen.

折原訳
むしろ、きわめて頻繁に現れる観念では、死者の精霊は、生と死のありようや氏族や身分の如何に応じて、動物や植物に化身する。これが、輪廻転生という観念の起源である。

→輪廻転生による生まれ変わりを「化身」とは言いません。

原文
Wo ein Totenreich, zunächst an einem geographisch entlegenen Ort, später unter- oder überirdisch, geglaubt wird, ist das Leben der Seelen dort keineswegs notwendig zeitlich ewig.

折原訳

死者の国が、当初には地理上遠く離れた土地に、後には地下や天上にある、と信じられても、そこにおける死者の生存が時間的に永遠であるとはかぎらない。

→死者の生存って一体どういう意味ですか?大体原文は「霊魂」の生存(存続)ですが。

原文
Sie können gewaltsam vernichtet werden oder durch Unterlassen der Opfer untergehen oder einfach irgendwann sterben (anscheinend die altchinesische Vorstellung).

折原訳

死者の霊魂は、無理やり抹殺されることもあれば、供犠の不履行によって没落することもあれば、ただたんにいつかは死滅することもある (古代中国では多分そう考えられていた)。

→これも前のと同じで「霊魂の死滅」って変だと思わないのでしょうか?(完全)消滅とかそういう訳にすべきです。

原文
Nur sie, zuweilen nur Häuptlinge und Priester, nicht die Armen, selten die Frauen, können sich die jenseitige Existenz sichern und scheuen dann freilich oft die ungeheuersten Aufwendungen nicht, es zu tun. Vornehmlich ihr Beispiel propagiert die Beschäftigung mit den Jenseitserwartungen. 折原訳

彼らのみ、しばしば酋長や祭司のみが、彼岸の生存も確保しようとして、そのためには途轍もなく厖大な出費も惜しまない。貧者はそういうわけにはいかないし、女性も稀にしかそうはできない。主に貴族や富裕層の実例によって、彼岸への配慮と期待にもとづく取り組みが開始され、広められることにもなる。

→「酋長」って差別表現で現在は使う人はほぼいません。「首長」「部族長」でしょう。また、「彼岸の生存」って一体何ですか?まだしも「彼岸での生存」なら理解出来なくもないですが。前から何度も指摘していますが「彼岸」という仏教用語ではなく、「来世」などにすべきです。