折原浩訳の問題点(43)

今日も折原訳の「鑑賞」投稿。(笑)

(1)ゾロアスター教の「中間国」には何も訳注がないのに、何故か「煉獄」には[罪を焼却する浄火]という不要と思われる注釈が。
(2)時間が無限である劫罰という帰結(結果)を和らげようとしたとしても、を「矛盾を緩和する」などと後の神義論を先取りしたような余計な解釈を追加している。
(3)Existenzをなぜ「実存」と訳す必要があるのか。

原文
Mochten nun aber »Zwischenreiche« (Zarathustra) oder »Fegefeuer« die Konsequenz zeitlich unbegrenzter ewiger »Strafen« für eine zeitlich begrenzte Existenz abschwächen, so blieb doch stets die Schwierigkeit bestehen, überhaupt eine »Bestrafung« von Handlungen der Menschen mit einem ethischen und zugleich allmächtigen, also schließlich für diese Handlungen allein verantwortlichen Schöpfer der Welt zu vereinbaren.

折原訳
ところで、「中間の国」(ゾロアスター教) や「煉獄 [罪を焼却する浄火]」といった観念が、時間的に有限の実存にたいする時間的に無限の「劫罰」という帰結 [の矛盾] を緩和しようとする措置だったとしても、なお、およそ人間の行動の「罪責」を、倫理的であると同時に全能な、まさにそれゆえ、そうした [被造物の]行動に対しても究極的にはひとり責任を負うべき世界創造者と、いったいぜんたいどうすれば和解させることができるか、という難問が残らざるをえなかった。

丸山訳
さてしかしながら「中間国 注)」(ザラスシュトラ)または「煉獄」が時間的に終わりがない永遠の「劫罰」という結果を時間的に有限な存在である人間に対して弱めようとしたのだとしても、その場合でもしかし常に次のような困難さが存在したのである。それは人間の行為に対する「処罰」一般を、倫理的でかつ同時に全能である、つまり結局はそうした人間の行為について責任がある世界の創造主と結びつけることである。

注)
ゾロアスター教でハムスタガーンという天国と地獄の間にある国のこと。罪も功績もどちらが多いとも言えない死者がここに行く。なお、ヴェーバーは挙げていないが、キリスト教にはlimbo(辺獄)というのもあり、キリスト教成立前に生まれた聖人や、幼児洗礼を受ける前に死んだ赤ん坊などが行くとされていた。