折原浩訳の問題点(73)

ここも良く調べないで思いこみで訳を付けている例。dolusは辞書を引けばその意味は”trick, device, deceit, treachery, trickery, cunning, fraud”であり明らかに詐欺的な行為ということであり、「故意」ではありません。折原訳は「過失」が来たから「故意」だろう、ぐらいのノリで訳したとしか思えません。そもそもここはintentio の説明であり、そこで「故意」を使うと単なる同義語の反復になってしまいます。また「善意」「悪意」も私が注を付けたように法律用語としては一般の意味と違うので適切な訳とはいえません。
大体、こんな未完成もいい所の下訳レベルで、しかも先行訳にも大幅に劣るものを「オープン翻訳」を「騙って」(まさしく dolus)出すなんて、ちょっとその神経が信じられません。

原文
Denn die »intentio«, auf welche es nach der Sündenlehre des Katholizismus für die ethische Bewertung des Handelns ankommt, ist nicht eine einheitliche Persönlichkeitsqualität, deren Ausdruck die Handlung ist, sondern sie ist, im Sinne etwa von bona fides, mala fides, culpa, dolus des römischen Rechts, die »Meinung« bei der konkreten einzelnen Handlung.

折原訳
それというのも、カトリックの罪業説によれば、行為の倫理的評価のさいに重視される「志向(インテンチオ)」とは、行為に表明される統一的な人格的資質ではなくて、ローマ法のたとえば善意・悪意・過失・故意の意味における、個々の具体的な行為の「意向(マイヌンク)」にすぎないからである。

丸山訳
というのはカトリックの罪に関する教説がその上に行為の倫理的評価を関連付ける”intentio”[行為者の志向]とは、その表出が行為となる統一された人格的資質ではなく、例えばローマ法の誠実、不誠実[1]、過失、詐欺的意図などの意味での、「主観的意向」[Meinung]である。

[1] ここの原文は、bona fides、mala fidesであるが「善意」「悪意」と訳すと、法律上は「ある事情を知っていたか知らなかったか」という意味になるため、誠実、不誠実と訳した。

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