ここも「人格を研磨-彫琢することが、なによりも重要」などという原文にない余計な付け加えをしているだけでなく、この付け加え自体が全体の論旨に反しています。この後に、要するに倫理的な行為・努力は「救済の方法論」の手段に過ぎないと言っているのに、それに近い「人格を研磨-彫琢することが、なによりも重要」は矛盾しています。これに続く箇所で「自分の人格への宗教的な働きかけ」と言っているのはカリスマ的覚醒における神秘的体験のことであり人格の研磨(これもそれを言うなら「人格の陶冶」でしょう)とかではありません。
原文
Auf die religiöse Arbeit an der eigenen Person kommt vielmehr alles an. Die religiös qualifizierten, sozial gewendeten guten Werke sind dann lediglich Mittel
折原訳
むしろ、宗教上の目標に向けて自分の人格を研磨-彫琢することが、なによりも重要となる。そうなると、宗教的な性質をそなえて社会に向けられるもろもろの善き業は、自己完成つまり「救済技法」上の手段にすぎなくなる
丸山訳
よりむしろ全てにおいて重要となるのは、自分本来の人格[1] に対しての宗教的な働きかけである。宗教的な価値を認められた、社会に向けられた善行はその場合単に次のことの手段に過ぎなくなる
[1] ここは次の文でデーモンに憑依されたり、霊界に連れ去られたりというのが出て来ることから、ペルソナ的な意味での「人格」であり、道徳的な意味のそれではない。