折原浩訳の問題点(82)

ここも初級文法の問題。

(1)sollenは英語のshallに相当し、マッカーサーの I shall returnが「私は(神の意志によって)きっと帰ってくる」であるのと同様に「(神の意志)で実現されねばならない」と言った強い意味です。それを「しようとするだけである」などと訳すのは完全にピンボケです。マッカーサーの言葉を「私は帰ってこようとするだけである」と訳したらお笑いです。
(2)religiösen Qualitäten: sie wird damit のsieはHeilsmethodik「救済の方法論」(女性名詞)であり、折原訳だと「宗教的諸性質の獲得」みたいに読めますが、それは間違いです。
(3)冒頭のnurは「~のみ」ではなく「但し」ですが、折原訳は「ただこれ~だけ」と解釈されており間違い。
(4)相変わらずHabitusの意味が取れていない。単に「習性」では弱すぎ。

原文
Nur soll dies jetzt möglichst zu einem Dauerhabitus werden. Die Heilsmethodik ist also auf diesseitigen Besitz des Göttlichen selbst ausgerichtet. Wo nun aber ein allmächtiger überweltlicher Gott den Kreaturen gegenübersteht, da kann Ziel der Heilsmethodik nicht mehr die Selbstvergottung in diesem Sinn sein, sondern die Erringung der von jenem Gott geforderten religiösen Qualitäten: sie wird damit jenseitig und ethisch orientiert, will nicht Gott »besitzen« — das kann man nicht — sondern entweder 1. Gottes »Werkzeug« oder 2. von ihm zuständlich erfüllt sein. Der zweite Habitus steht ersichtlich der Selbstvergottungsidee näher als der erste.

折原訳
ただこれを、いまやできるかぎり、ある持続的な習性にしようとするだけである。したがって、こんどは救済技法が、神的なもの自体の此岸における所有を目指して編成される。だがしかし、全能の超越神が被造物に対峙する場合には、救済技法の目標はもはや、この意味における自己神化ではありえず、当の神から要求される宗教的諸性質の獲得となる。すなわち、神を「所有する」こと――それは人間にはできない――ではなく、彼岸的また倫理的な準拠標にしたがって、1. 神の「道具」となるか、あるいは2. 神に充たされた状態に到達するか、どちらかである。

丸山訳
ただこの自己神化は、いまや可能な限り、ある継続的な恩寵による魂の性向[Habitus]となるべきものである。救済の方法論はそれ故に、現世において神的なもの自身を所有するという方向に向けて遂行される。しかしある全能の超現世的な神が被造物に対置される場合には、その場合は救済の方法論の目的はもはやこの意味での自己神化ではなく、そうではなくてその神より要求された宗教的な諸資質の獲得である:救済の方法論はそれによって来世的・倫理的なものに志向するようにされ、神を「所有する」ことを欲するのではないのである--それは不可能であり--そうではなくて次のどちらかである。1.神の「道具」となるか、または 2.神によって常に充たされている、かである。