折原浩訳の問題点(77)

また問題の折原訳。77回目で、目出度くない誤訳の「喜寿」達成。(笑)

(1)またも元服式とか佩用式とか帯刀礼などの変な和風語彙を使う。しかも別に王族とか封建家臣に限定されている訳ではない。ニューギニア高地人のペニスケース(コテカ)とかもその例。(笑)
(2)「といった制度の残滓」ではなく、そういう制度自体が古の再生儀式の残滓。
(3)「それぞれ「英雄」ないし「魔術師」への「再生」の意味を帯びている。」ではなく、ある場合は英雄として、また別の場合は魔術師として、ぐらい。
je nachdem の意味がまったく訳されていない。

原文
In all jenen Resten von Jünglingsweihe, von Bekleidung mit den Mannesinsignien (China, Indien — die der höheren Kasten heißen bekanntlich: die zweimal Geborenen), Rezeptionen in die religiöse Bruderschaft der Phratrie, Wehrhaftmachung haben ursprünglich den Sinn der »Wiedergeburt«, je nachdem als »Held« oder als »Magier«.

折原訳
元服式 [成人聖祓式]、[王や封建家臣の身分・権力・地位の取得を象徴する冠・笏・杖・刀剣・徽章などの]佩用式 (中国、インド――ここでは周知のとおり、上層カーストへの所属者が「再生族」と呼ばれる)、フラトリー の宗教的兄弟団への加入-受け入れ式、帯刀[その他の武装免許]礼、といった制度の残滓はことごとく、始原に遡ればそれぞれ「英雄」ないし「魔術師」への「再生」の意味を帯びている。

丸山訳
他の全ての残りの目的は、つまり[男性の若者への通過儀礼としての]成年式、男性らしさを象徴するような服飾品の着用(中国、インド--カーストの上位に所属するものが知られている通り:再生族と呼ばれる)、宗教的なフラトリー[1] の兄弟団への受け入れ、武装許可といったものは、根源的には「再生」という意味を持っていたのであり、状況によって英雄としてであったり、魔術師としてであった。

[1] 古代ギリシアのφρατρίαのことで、いわゆるメンナーハウスに起源を持つ、成年男性の行政的機能と祭式的機能を併せ持つ社会集団のこと。

「心意倫理」という訳の問題点

折原センセはGesinnungsethikの訳として「心情倫理」は誤訳であり「心意倫理」とすべきだと主張します。
しかし、この主張には色々問題があります。

(1)「心情」は「思い」という意味で、意思も感情も含む語である。
(2)「心意」という日本語は存在しない。
(3)「意」も「思い」という意味であり、必ずしも意思という意味に限定されない。
(4)(3)のことから「心意」は「思い思い」と言っているトートロジーである。
(5)「心意」と聞くと私は「意馬心猿」(=煩悩が制御出来ない状態)を想像する。
(6)Gesinnung自体が「個人の基本的な考え方、心根、心情、志操、主義」であり、必ずしも「意思」的な意味に限定されるものではない。
(7)小学館の独和大辞典のGesinnungの説明の中に「心情」が入っている。

ということから、「心情倫理」の方が「心意倫理」のようなおかしな訳よりもずっと原語のニュアンスを伝えていると思います。
ともかくこの人は「人の目のおがくずを指摘する癖に自分の目の中の丸太に気が付かない」人であり、このレベルのものを「誤訳」とか言う前に、自分の翻訳の質を上げてほしいです。