インド人がボスニアでの狂躁の担い手?

たまにはヴェーバーの信じられない記述を。
単に「フランク博士」から聞いたというだけの話を、ボスニアでの狂躁やエクスタシーの典型的な担い手がインド人だったと決めつけにしています。ChatGPTに調べさせた所では訳注に書いたように、「インド出身とされる」シャイフが一人いた、というだけのことです。それもインドといっても西南パキスタンの出身だというだけです。信じられないことに、さらにこの後でもこのフランク博士から聞いたことが出てきて、インドの狂躁がイスラム世界に持ち込まれたと拡大して一般化されるようです。これが教科書として書かれたなんて全く信じられません。大体フランク博士なんて当時のヨーロッパには100人単位でいたと思います。

原文
Durch den Sufismus ist die sublimierte Intellektuellenekstase sowohl wie andererseits auch die Derwischorgie, wenn auch in gemilderter Form, in den Islam getragen worden. Inder sind, bis nach Bosnien hinein (nach einer authentischen Mitteilung Dr. Franks aus den letzten Monaten) noch jetzt dort deren typische Träger.

丸山訳
精緻化された知識階級のエクスタシーは、スーフィズムを通じて、他方ではまた同様にダルヴィーシュの狂躁を通じて、それはまたより穏やかにされた形態であったとしても、イスラム教で行われている。インド人は、ボスニアにかけての地域において(フランク博士の数ヶ月前の信頼出来る報告[1] によれば)、[ヴェーバー当時の]現在でもなおその地域でのそういったエクスタシーや狂躁の典型的な担い手である。

[1] 詳細不明、全集の注ではストラスブール大学の東洋学者・アッシリア学者Carl Frankまたはハイデルベルクで学位を得た哲学者Erich Frankの可能性が示唆されているが、いずれにせよ文献としては特定出来ておらず口頭での報告の可能性もある。当時のボスニアはオーストリア=ハンガリー帝国に併合されているが、イスラム教は残っている。ボスニアのブラガイ・テッケのスーフィ系修道院には19世紀にバルーチスターン(パキスタン西南部)出身で「インド人」と呼ばれたシェイフ、ムハンメド・ヒンディがいたことは確認されるが、もしそれを元にヴェーバーが「インド人が担い手」としているのであればこじつけもはなはだしい。しかも後でまたこのフランク博士から聞いた話が再登場する。

 

折原浩訳の問題点(84)

今日も已むことのない折原誤訳。
(1)なんで唐突に「インド亜大陸」が出て来るのか。ここは救済の手段のほとんどがインド起源であると述べた後で、「インド自身では」と言っているだけです。別にインドというのがどこを指すかなんて何も書いてありません。
(2)nie wieder は単なる強調で「再び~することはない」などと訳すと、では一度失われたのか、とおかしな意味になります。昔のウルトラマンのナレーションの「もしカラータイマーが消えてしまったら、二度と再び立ち上がる力を失ってしまうのだ」を思い出しました。(笑)

原文
Die spezifischen Mittel der soteriologischen Heilsmethodik sind in ihrer raffiniertesten Entwicklung fast alle indischer Provenienz. Sie sind dort in unbezweifelbarer Anlehnung an die Methodik magischen Geisterzwangs entfaltet worden. In Indien selbst haben diese Mittel zunehmend die Tendenz gehabt, zur Selbstvergottungsmethodik zu werden und haben dort auch diesen Charakter nie wieder ganz verloren.

折原訳
さて、宗教的救済論によって基礎づけられた救済技法に特有の手段についてみると、その洗練された発展形態は、ほとんど全てインド起源である。インドでは、そうした手段が、疑いもなく、魔術的精霊強制の技法に依拠して発展を遂げた。インド亜大陸自体においては、そうした手段が、ますます自己神化の技法となる傾向を帯び、そこではまた、こうした性格をふたたび完全に失うことはけっしてなかった。

丸山訳
宗教的救済論に基づく救済の方法論の特別な諸手段は、そのもっとも精緻な発展においては、ほとんど全てがインドに起源を持つものであった。そういった諸手段はインドにおいては、魔術的な精霊の力による強制という方法論に疑いようもなく依存する形で発展した。インドそのものにおいては、こういった諸手段は次第に次のような傾向を持つようになった。つまり、自己神化という方法論を採ることであり、インドにおいてはそういう性格が完全に失われれることは決してなかった。

折原浩訳の問題点(83)

ここの誤訳も大物。
折原訳は「ヒステリー」の俗なイメージである「わいわい騒ぎ立てる」をおそらく想定して、それを「発作」としているが、実際には当時ヒステリーと言われたのは様々な身体的不調状態の総称であり「発作」はおかしい。「情動を抑制すること」が発作になるのではなく、その人がストレスに対する感情を抑圧しようとすることが、反動として様々な身体症状として現れるということ。そもそも私が注釈に書いたような背景をまったく理解していません。おそらくオットー・グロスも知らないんでしょうね。
また、「それぞれ特異な状態性への素質を、しばしば突発的に交錯させながら顕現することもある。」は日本語としてまったく意味不明。それに「交錯」ではなく「交代」。「顕現する」ではなく「起きる」。

原文
Die Erfahrung lehrte, daß durch hysterisierende »Abtötung« es bei Qualifizierten möglich war, den Körper unempfindlich oder kataleptisch starr zu machen, ihm allerhand Leistungen zuzumuten, welche eine normale Innervation niemals hervorbringen konnte, daß gerade dann besonders leicht alle Arten visionärer und pneumatischer Vorgänge, Zungenreden, hypnotische und andere suggestive Macht bei dem einen, Leibhaftigkeitsgefühle, Dispositionen zur mystischen Erleuchtung und ethischen Bekehrung, zu tiefem Sündenschmerz und frohem Gottinnigkeitsgefühl, oft in jähem Wechsel miteinander, bei den andern sich einstellten, daß dagegen all dies bei rein »naturhafter« Hingabe an die Funktionen und Bedürfnisse des Körpers oder an ablenkende Alltagsinteressen wieder dahinschwand.

折原訳
経験が教えるところでは、もともとある素質をそなえた人に、「情動を抑制して」ヒステリー性発作にいたらしめると、身体が無感覚になり、硬直症風にこわばって、正常な刺激伝達ではけっして起きないあらゆる種類の無理な仕種を引き起こすことが可能となる。そのさいには、とくに容易に、あらゆる種類の幻覚ないし霊的現象が現れ、異言が発せられ、ある人は催眠術その他の教唆をおこなう能力を発揮し、また別のある人は、[超感性的な力の] 体現感情や、神秘的開悟と倫理的回心、深い罪悪感による苦悩と、神と共にある歓喜の感情、といった、それぞれ特異な状態性への素質を、しばしば突発的に交錯させながら顕現することもある。ところが、こうした現象は全て、彼らが身体的機能や欲求のままに、あるいは、集中力を散逸させる日常的関心事に、ごく「自然のままに」没頭すると、ふたたび消滅する。

丸山訳
経験上知られているのは[1]、元々ヒステリー的な資質を持った人[2]が、そのヒステリー症状をもたらすような「情動抑制」[Abtötung、ヒステリー的な資質の人がストレスに対処するため、自己の情動を無理矢理抑制しようとしている状態]によって、次のようなことが起こり得たということである[3]。即ち身体が無感覚になったり、あるいはこわばって動かなくなったり、そしてその者に正常な神経状態では決して現れて来ることはないあらゆる種類の行為が期待されるようになることである。ここからまさにある者においては非常に容易にあらゆる種類の幻視的・霊的な出来事、異言、催眠術的またはその他の暗示的な力が生じ、また別の者達では何かの化身となったという感情と、神秘的な光による啓示と倫理的な回心へと向かう性向において、深い罪による苦悶と、喜びに溢れた神が自己の中にあるという感情、それらはしばしば交互に急激に交代して起きる。それに対してこれらの全てが純粋に身体の諸機能と諸要求への、あるいはこうしたものから意識を逸らさせる日常的な関心への「自然な」没頭によって、再び消えていく、ということも生じる。

[1] ヴェーバーがここでは「経験によって」と曖昧に書いている内容は、ほぼフロイトによるヒステリーの原因の説明に一致している。1895年にジークムント・フロイトとヨーゼフ・ブロイアーにより「ヒステリー研究」が出ており、更には1904年のヴィリー・ヘルパッハ(Willy Hellpach、1877~1955年、ドイツの医学心理学者、政治家)による” Grundlinien einer Psychologie der Hysterie”もヴェーバーは読んでいるだけでなく著者とも交信がある。ここのAbtötungがヒステリー的な身体症状の原因であるというのはフロイト説そのものである。またヴェーバーはエルゼ・ヤッフェから紹介されたオットー・グロス(フロイトの弟子、麻薬中毒者、フリーセックス主義者、無政府主義者、エルゼとフリーダの姉妹の双方と肉体関係を持っていた)から送られた論文を自身が編集に携わっていた雑誌に掲載するかどうかを審査して結局拒絶しているが、その際にかなりフロイトの著作を読んでいる。「マックス・ヴェーバーとその同時代群像」(みすず書房)に収録されているトレイシー・B・ストロングの論文「ヴェーバーとフロイト」にはヴェーバーは彼が編集していた雑誌に投稿されたオットー・グロスの論文を審査して拒絶した上で、「フロイトへの研究内容への関心を明らかにしたうえで彼は、精神分析学は実際のところまだ揺籃期にあり(「まだ、おむつをしている」)、もっと専門的な研究による成熟を必要としていると論じた。」となっており、フロイトの学説を科学としては十分に認めていなかった。ここの「経験による」という曖昧な書き方はそれが影響している可能性がある。

[2] 現在では「ヒステリー」という病名は既に使われなくなっている。DSM-5/DSM-5-TRでは、運動麻痺・感覚脱失・けいれん様発作など、旧来「転換ヒステリー」と関係づけられた症状は conversion disorder(functional neurological symptom disorder)として、「身体症状症および関連症群」に分類されている。一方、ICD-11 では、対応する症状群は dissociative neurological symptom disorder「解離性神経症状症」の系統として扱われ、非てんかん性発作、麻痺・筋力低下、運動障害、感覚障害などに細分類されている。

[3] 以下のような、宗教的な異言や神がかりといった現象を精神的な疾患によるものとして説明することは、現在においては抑制されるようになっている。科学的に言えばそうした精神疾患が原因のものも含まれている、ぐらいである。