折原浩訳の問題点(50)

ついに50回。本当にほぼ全ての訳文に問題があることがお分かりいただけるかと思います。いいですか、皆さん、これが人の翻訳に対してあれこれと批判する人のご自身の翻訳の実態です。

(1)「不浄化」って何ですか?「浄化」はありますけど。大体やたらと「彼岸」とかを使うのなら、ここは日本語として自然な「穢れ」を使うべきです。
(2)「堕落」といった変な価値判断を訳者が勝手に追加し変更しています。原文は要は光の領国から闇の領国への「転落」としか言っていません。
(3)「暗黒と紛糾の国」って何ですか?「紛糾」は議論とか会議とかにしか普通使いませんが。
この短い文をよくもこれだけ変な風にこねくり回せるものだと呆れます。

原文
Das Böse erscheint als Verunreinigung, die Sünde, ganz nach Art der magischen Frevel, als ein verächtlicher, in Schmutz und gerechte Schande führender Absturz aus dem Reich der Reinheit und Klarheit in das Reich der Finsternis und Verworrenheit.

折原訳
悪が不浄化とみなされ、もろもろの罪は、魔術上の冒涜 [儀礼侵害]行為とまったく同じように、曇りのない清浄な国から暗黒と紛糾の国への転落、しかも汚濁と相応の恥辱に陥るのも当然の、軽蔑すべき堕落とみられる。

丸山訳
悪は穢れとみなされ、様々な罪は、魔術上の冒涜に対してとまったく同じで、軽蔑すべき、汚れたもので、当然の汚名を蒙ることになる、清浄さと明澄さの領国から闇と混乱の領国への転落である。

折原浩訳の問題点(49)

なんでこの方はこの程度の難しくもない短い文章を正しく訳せないのですかね。
(1)「転じてしまう」なんて書いていません。「~の形で」ということ。
(2)「傾向」は原文にありません。
(3) 「倫理的志向性をそなえた宗教にも、ほとんどつねに見出されるものである。」→「倫理的な志向を持ったほとんど全ての宗教に見出される。」
勝手に原文の意味を変えてしまっています。

原文
Uneingestandene Einschränkungen der göttlichen Allmacht in Gestalt von Elementen dualistischer Denkweise finden sich in fast allen ethisch orientierten Religionen.

折原訳
そのようにして、神の全能を知らず知らず制限して、二元論的思考法を構成する諸要素に転じてしまう傾向は、倫理的志向性をそなえた宗教にも、ほとんどつねに見出されるものである。

丸山訳
神の全能を二元論的思考の諸要素の形で無意識の内に制限することは、倫理的な志向を持ったほとんど全ての宗教に見出される。

折原浩訳の問題点(48)

ちょっと長いですが、
慎重さに欠け、構文も理解しておらず、日本語も変、という三拍子揃っています。

(1)der Reinen und Erlesenen
ここは「清浄な者たち」と「選ばれた者たち」の並列ですが、それを勝手に「選ばれた清浄な人々」とまとめてしまう。

(2)Tendenz zu einer rein ethischen Wendung zeigt
「純粋に倫理的な尺度に基づく表現になりがち」を、「もっぱら倫理的な方向に転ずる」と断定に変えているのとまた「転ずる」では意味が分からない。

(3)spirituell は宗教的・二元論的文脈なので「精神主義的」はあり得ず、誰が考えても「霊的」。

(4)Materiellen, Körperlichen
ここも「物質的なもの、肉体的なもの」の並列を「質料的なもの、つまり身体的なもの」に勝手にまとめている。また「質料的」もここでは明らかに「物質的」の意味。変な哲学用語で訳すべきではない。ちなみに「いっそう粗野な」もここは比較級の絶対用法と解釈した方が自然で、「非常に粗野な」ということ。

(5)Lichtreich
これは決して誤訳じゃありませんが「光の国」と訳すと、私以下の世代はほぼ全員M78星雲を連想するので(笑)、私は「光の領国」にしました。

原文
Der schließliche Sieg der lichten Götter in dem nun entstehenden Kampf steht meist — eine Durchbrechung des strengen Dualismus — fest. Der leidensvolle, aber unvermeidliche Weltprozeß ist eine fortgesetzte Herausläuterung des Lichtes aus der Unreinheit. Die Vorstellung des Endkampfs entwickelt naturgemäß ein sehr starkes eschatologisches Pathos. Die allgemeine Folge solcher Vorstellungen muß ein aristokratisches Prestigegefühl der Reinen und Erlesenen sein. Die Auffassung des Bösen, welche bei Voraussetzung eines schlechthin allmächtigen Gottes stets die Tendenz zu einer rein ethischen Wendung zeigt, kann hier einen stark spirituellen Charakter annehmen, weil der Mensch ja nicht als Kreatur einer absoluten Allmacht gegenübersteht, sondern Anteil am Lichtreich hat, und weil die Identifikation des Lichtes mit dem im Menschen Klarsten: dem Geistigen, der Finsternis dagegen mit dem alle gröberen Versuchungen an sich tragenden Materiellen, Körperlichen fast unvermeidlich ist.

折原訳
ただし、現に発生している闘いにおいて、光の神々が最終的に勝利を収めるであろうことは――厳格な二元論を破ることにはなるが――おおむね確定している。不浄なもののなかから光を取り出して絶えず浄化することが、苦悩に満ちてはいるが避けることのできない世界過程である。[暗黒の力にたいする光の神々] の最終的な闘いという観念からは、当然ながら、きわめて強烈な終末論的情熱が発生する。
こうした観念からは、一般的な帰結として、選ばれた清浄な人々の貴族主義的な威信感情が生まれるほかはない。端的に全能な神という前提のもとでは、悪の観念がつねに、もっぱら倫理的な方向に転ずるが、この二元論のもとでは、むしろ顕著に精神主義的な性格を帯びることになろう。それというのも、人間が、被造物として全能の絶対神に対峙するのではなく、光の国に参与していることになるれば、一方では光を、人間におけるもっとも曇りのないもの、つまり精神的なものと同一視し、他方では暗黒を、それ自体としていっそう粗野なあらゆる誘惑をそなえた質料的なもの、つまり身体的なものと同一視することが、ほとんど避けがたいのである。

丸山訳
光の神々の新たに発生した戦いにおいての最終的な勝利は多くの場合--それは厳密な意味での二元論を破壊することになるが--確定していた。苦しみに満ちた、しかし避け難い世界における過程は、光を継続して不純さから分離し浄化することである。最後の戦いという概念は自明のこととして、強い終末論的な熱情を発展させる。こういった概念の一般的な結果は、心の清い人々と選ばれた人々の貴族的な威信感情であるに違いない。悪人というものの把握は、それは単なる全能の神という前提の元では常に純粋に倫理的な尺度に基づく表現になりがちであるが、二元論においては強く霊的な性格を取るのであり、何故ならば人は被造物としてある全能者に対置されるのではなく、光の領国において持ち分を確保しているからであり、さらには光と人間の一体化は人間の内でもっとも清澄なもの、つまり霊的なものにおいて起こり、それに対して闇は全ての非常に粗野な欲望をそれ自身に担っている物質的なもの、肉体的なものと一体化するのは、ほとんど避け難いことである。