IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.257 – 261 日本語訳(30)

日本語訳の第30回目です。Consitutum Ususにおける新しい概念としてcapitaneusという言葉が登場します。今日で言うキャプテン(主宰者、船長、主将等々)の語源となっている言葉のようです。要するに合名会社の「社長」の前段階のものでしょう。
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ソキエタス法的内容

 今述べたことは、Consitutum Ususでは実際に起きていることである。Consitutum Ususの中のこれらの制度についての章は、我々がそれについて一般的に入手出来る史料の中ではもっとも浩瀚なものである。―

1.ソキエタス・マリス。

 我々はソキエタス・マリスがConsitutum Ususの中で詳細に論じられているのを見出す 5)。特にジェノアにおいて知られていたものが通常のケースとして次のspecies(外観を持った可視物)として見出すことが出来、そのspeciesは”societas inter stantem et in aliquod tassedium euntem”(ソキウス・スタンスとある商業上の航海を行う者との間のソキエタス)と描写されている。それはある輸出業者とあるトラクタトールの組合(Association)であり、ソキウス・スタンスが2/3、トラクタトールが1/3を出資した場合には、利益の分割については半々になる。こういった利益の分割の仕方は、別のケース《コムメンダのこと》では、トラクタトールが利益の1/4(quarta proficui)を取り、これらは通常のやり方(naturalia negotii)であった。

 ジェノアにおいては、我々が既に見て来たように、個々のケースにおいて経済的に見た場合、トラクタトールはソキウス・スタンスの単なる従属的器官である場合と、逆にトラクタトールが本来の意味での企業家であり、ソキウス・スタンスは本質において単に出資を通じて参加するだけの資本家であるという場合のどちらかであった。ピサにおいても同様の法文がこの二つのやり方の裏付けとなっていたが、そこではKapitanie(キャプテン)という概念がこの二つの違いを法学的に有効にするために使われていた。

5)Consitutum Ususのc.22のde societate inter extraneos facta p.883 l. c.qqを参照せよ。

法的な区別。Kapitanie(キャプテン)の意味。

 Capitaneus 6)とは、―その言葉の意味に適合するのは―次のソキエタスの成員、つまり我々が前述した業務での”Chef”(主宰者)、つまり事実上の企業家と名付けた者である。Consitutum Ususによれば、ソキウス・スタンスとトラクタトールのどちらもが”capitaneus”であることが可能である。誰であれcapitaneusである者は今や当該の事業の全体に対して処分権を持つ。特にcapitaneusではないソキエタスの成員は、自己の判断でその事業を取りやめることは出来ず、その者がソキウス・スタンスである場合には自己の出資した分を取り返すことは出来ないし、またその者がトラクタトールである場合は予定されていた航海を中止することは出来ない。その一方でcapitaneusは、―他のソキエタスの成員に対して、証明することが出来る形での発生損失について補償を行う限りにおいて―当該事業の中止、出資分の返還、航海の中止といったことの決定について権限を与えられていた。実際にこのことが決定的に重要な点であり、その他の違いについては副次的なものに過ぎない。capitaneusはまた、ソキエタス契約の目的という点で見れば、その事業全体の管理者という位置付けになるのであり、他のソキエタスの成員の契約上の権利というものは、その中では個別の資格でしかない。このことの結果として次のような法規上の表現が出て来る。つまりソキウス・スタンスがcapitaneusである場合には、トラクタトールはcapitaneusの許可無しには一回の航海について他の(第三者と)コムメンダ契約を結んでそこから別に自分の収入を得ることは出来なかった。もしトラクタトールがそれに違反してその航海に自分の商品も持ち込んだ場合には、トラクタトールが第三者とのコムメンダ契約で得た全体の利益の内の1/4の取り分については、全てが最初のソキエタスの取り分とされた 7)。逆のケースでトラクタトールがcapitaneusである場合は、次のことは自明である。つまり、そのトラクタトールがその事業に参加することが出来、その事業に必要な人員はそのトラクタトールの望む通りとなり、もし損失が発生した場合でトラクタトールの責任となるのは、その者がその事業によって定められていたトラクタトールの本来の出資金よりも少ない出資金しか出しておらずそれによって損害が発生した場合だけ 8)である。

6)Consitutum Ususのp.884 1.c.を参照せよ。

7)p.893 1.c.の”jus capitanie (“capitanie jure salvo”)においてトラクタトールの、ソキウス・スタンスがcapitaneusの場合の利益取得の権利について詳しく規定されている。

8)p.884の中央部を参照せよ。

 一般的に言って、ソキウス・スタンスがcapitaneusとなる特別な取り決めが無かったことにより、法規によればトラクタトールがcapitaneus 9)と成るのが通例であった―その場合にここでもまた先に一般的な説明として論じた次の方向への発展が見られた。つまり、ソキウス・スタンスが通常は資本家として把握され、外国との取引という事業に参加するだけ、という形の発展である。このことはConsitutum Ususにおいてある事業において一人のトラクタトールが多くのソキウス・スタンスと契約を結ぶということが通例であることによって、よりいっそうの頻度で起きることになった。これらの多数の”socii ejusdem hentice”(同じソキエタスに出資しているソキエタスの成員達)とその相互の関係については、とりわけその者達の間での利益と危険の分割については、Consitutum Ususが詳細に規定している。我々は既にこういった関係についてはジェノアでの例を見て来たし、ピアチェンツァにおいても固有のやり方でそうした関係が形成されるのを見て来た。そのピアチェンツァでは我々は特に次のことを確認した。つまり、そこではまだ多数のKommendanten(委任する側=ソキウス・スタンス)が本来の企業家として通用していたということを。その場合はその時々のトラクタトールは、ただその複数のKommendantenの共通の、彼らがビジネスを行う上での道具である器官として位置付けられていた。そうした関係はまたConsitutum Ususにおいても存在することが出来ていていて、それどころかこういうケースは、”societas inter extraneos facta”(親族外の者と結成されたソキエタス)についての章で詳細に扱われている。それからさらに複数のソキウス・スタンスの中の一人がゲゼルシャフトのcapitaneusとなり、トラクタトールはそのcapitaneusに従属し、そのcapitaneusには会計の必要性が生じ、その者は貿易のための航海が終わった後に、ソキエタスを解体して精算する。その際に法規自身がそう規定しているように、ソキウス・スタンスの内の一人がcapitaneusであるということは常に行われていることでは決してなかった。もしトラクタトールがcapitaneusであった場合は、その者は逆にゲゼルシャフトの清算人でなければならなかったし、既に論じて来たように、ソキウス・スタンスの指図することには拘束されなかった―ただ当然のこととして損害が発生した場合にはそれをソキウス・スタンス達に補償する義務を負っていた―、ソキウス・スタンスの側はむしろ彼らの側として、capitaneusであるトラクタトールに一度出資した資金を委任したままにしなければならなかった。その場合でも引き続きソキウス・スタンス達には広範囲の監督権が別に留保されていたし、また彼らが元々企業家であったという意識自体は決して失われてはいなかった。特にトラクタトールによって不正なやり方で譲渡または売却されたソキエタスの財産の悪意の所有者に対抗しての返還請求や利益請求、それ故さらにトラクタトールの第三者に対する処分権の制限についての権能も、ソキウス・スタンス達に認められていた。

9)p. 884 1.c.を参照せよ。

10)p. 839(補遺):”inter socios ejusdem hentice seu societatis maris etc.”(出資を同じくするソキエタスの、またはソキエタス・マリスの成員達の間で);hentica =ἐνθήκη、Einlage(出資)。この語の語源がギリシア語であるということはまたもこの制度が東ローマに由来するということの証拠となる。

11)トラクタトールは特にcapitaneusであるソキウス・スタンスに対して航海からの帰還命令を受ける可能性と航海において果たすべき課題を与えられているという点で拘束されていた。

12)このトラクタトールがcapitaneusであるというケースは、文献史料においては完全な形では記述されていない。ただその存在について、p. 884 1.c.によれば通常のケースであったことは確実と思われる。

13)ソキエタスの成員間の関係の全体については、p. 886 ff. 1.c.を参照せよ。

ソキエタス・マリスの財産法。

 我々にとってもっとも中心となる問題は、ここにおいても―まずは:これまで述べたような状況はそこで言及されているソキエタスの財産権とどう折り合っているのか、またゲゼルシャフトの特別財産という考え方をどう解決しているのか?その答えが肯定的なものである場合には、我々はこれらのソキエタスの財産の発展の過程において、合名会社の形成についての基本原理を見出すことが可能であろうか?―実際の所、次のことを確認することが出来る。つまりConsitutum Ususの法文は、ジェノアの法規と同様に、ただよりさらに明確にかつ意識的に、ソキエタスの成員達の出資によって作り出された基金、つまり”hentica”を特別な運命の下に置くという内容の法文を含んでいる。

特別財産。

 法規であって” inter socios ejusdem hentice seu societatis maris”(同じソキエタスに出資した者達またはソキエタス・マリスの成員達の間で)とこれらの成員達と(外部の)債権者との間の関係の差異について、Consitutum Ususの中で条項が追加されているものは、これらの規定にこれらの人員グループ分類毎のそれぞれについての、仮にソキエタスが破産した場合の財産の優先権についての注記を付け加えており、その注記の追加がここで 14)番号のより若い補遺として行われていることが特徴的なことである。その内容は我々にとって特別に興味深いものである。

14)p. 839 1.c.を参照せよ。

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.257 – 261 ドイツ語原文(30)

ドイツ語原文の第30回目です。
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Societätsrechtlicher Inhalt.

 Dies ist nun in der Tat der Fall. Die Kapitel des Constitutum Usus über diese Institute sind das Umfangreichste, was wir an Quellenmaterial darüber überhaupt besitzen. —

1. Die Societas maris

 Wir finden5) die societas maris ausführlich erörtert und insbesondere den von Genua her bekannten Normalfall in derjenigen species, welche als „societas inter stantem et in aliquod tassedium euntem“ bezeichnet wird, die Assoziation eines Exporteurs mit einem tractator, mit Gewinnteilung halb und halb, falls der stans 2/3, der tractator 1/3 zusammenschießen. Dieses Anteilverhältnis und im andern Fall die quarta proficui sind auch hier naturalia negotii.

 In Genua konnte nun, wie wir sahen, im einzelnen Fall, wirtschaftlich betrachtet, entweder der tractator nur ein abhängiges Organ des stans, oder ersterer der eigentliche Unternehmer, der stans aber wesentlich nur partizipierender Kapitalist sein. Auch in Pisa dient dieselbe Rechtsform beiden Tatbeständen, jedoch ist in dem Begriff der Kapitanie dieser Unterschied auch juristisch zur Geltung gekommen.

5) Constitutum Usus c. 22 de societate inter extraneos facta p.883 l. c.

Rechtliche Differenzierung. Bedeutung der Kapitanie.

 Capitaneus 6) ist — dem Wortsinn entsprechend — derjenige socius, welchen wir oben als „Chef“ des Geschäfts, als den tatsächlichen Unternehmer bezeichnet haben. Nach dem Constitutum Usus kann sowohl der stans als der tractator „capitaneus“ sein. Derjenige nun, welcher es ist, hat die Disposition über das Unternehmen in seiner Gesamtheit, insbesondere darf ein socius, welcher nicht capitaneus ist, von dem Unternehmen nicht nach eigenem Ermessen zurücktreten, der stans nicht seine Einlage zurückziehen, der tractator nicht die Reise unterlassen, während der capitaneus — vorbehaltlich wohl des Ersatzes des dem anderen nachweislich entstehenden Schadens — dazu offenbar befugt war. Es ist dies in der Tat der entscheidende Punkt, die übrigen Differenzen ordnen sich dem unter. Capitaneus ist also derjenige, welcher nach der Absicht des Sozietätsvertrages die Verwaltung als Ganzes führt, — die vertragsmäßigen Rechte der anderen socii sind demgegenüber spezielle Befugnisse. Dies kommt angemessen auch darin zum Ausdruck, daß, wenn der stans capitaneus ist, der tractator nicht ohne Erlaubnis noch andere Kommenden für dieselbe Reise für seine Rechnung übernehmen kann; — tut er es, so fällt, falls er eigenes Gut mitnimmt, 1/4 des lucrum, nimmt er aber von dritten kommendiertes Gut mit, aller daraus gezogene Gewinn in die societas 7). Im entgegengesetzten Fall gilt als selbstverständlich, daß der tractator an seinem Unternehmen sich beteiligen lassen kann, soviel Personen er will, und er nur 8) auf denjenigen Mindererlös haftet, der sich dadurch ergibt, daß er weniger Kapital in die Unternehmung verwendet hat, als er nach dem Kontrakt sollte.

6) S.884 l. c.

7) Das „jus capitanie“ auf S.893 l. c. („capitanie jure salvo“) bezeichnet wohl das Recht des Gewinnbezugs durch den tractator, wenn er, — durch die societas, wenn der socius stans der capitaneus ist.

8) S.884 in der Mitte.

 Im allgemeinen, mangels besonderer Abmachung des Gegenteils, gilt nach dem Statut der tractator als capitaneus 9) — es ist also auch hier schon die oben im allgemeinen erörterte Entwicklung dahin gegangen, daß der socius stans in der Regel als ein Kapitalist aufzufassen ist, welcher sich mit einer Einlage an einem fremden Unternehmen beteiligt. Dies ist um so mehr der Fall, als nach dem Constitutum Usus es die Regel ist, daß bei einer Unternehmung ein tractator mehreren stantes gegenübersteht. Diese mehreren „socii ejusdem hentice“ 10) und ihr Verhältnis untereinander, besonders die Verteilung des Gewinns und der Gefahr unter sie, wird von dem Constitutum Usus ausführlich erörtert. Wir fanden das Verhältnis bereits in Genua und, in eigentümlicher Ausbildung, in Piacenza. An letzterem Ort insbesondere konstatierten wir, daß hier die mehreren Kommendanten noch als die eigentlichen Unternehmer zu gelten hatten. Der jedesmalige tractator stellt nur ihr gemeinsames, aus ihrer Mitte genommenes Organ dar. So kann das Verhältnis auch nach dem Constitutum Usus liegen, und es ist dieser Fall sogar besonders breit in dem Kapitel über die societas inter extraneos facta behandelt. Es ist dann einer der socii stantes der capitaneus der Gesellschaft, der tractator ist von ihm abhängig 11), an ihn erfolgt die Rechnungslegung, er liquidiert die Sozietät nach Beendigung der Seefahrt. Indessen, wie das Statut selbst sagt, ist es keineswegs die Regel, daß ein socius stans capitaneus ist. Ist es aber der tractator 12), so muß umgekehrt er Liquidator der Gesellschaft sein und ist, wie schon gesagt, an eine Anweisung der stantes nicht gebunden — event. natürlich schadenersatzpflichtig —, die stantes sind vielmehr ihrerseits verpflichtet, ihm die einmal gemachte Einlage zu belassen. Immerhin 13) stehen ihnen auch hier weitgehende Kontrollrechte zu, auch der Ge|danke, daß sie grundsätzlich die Unternehmer waren, ist nicht ganz erloschen, insbesondere scheint man die Vindikation bzw. Bereicherungsklage der stantes gegen dolose Besitzer vom tractator unredlicherweise veräußerter Sozietätssachen, also eine Wirkung der Verfügungsbeschränkung des tractator auch gegen dritte, zugelassen zu haben.

9) S.884 l. c.

10) S.839 (Zusatz): „inter socios ejusdem hentice seu societatis maris etc.“; hentica = ἐνθήκη, Einlage. Die griechische Herkunft des Wortes ist wieder ein Wahrscheinlichkeitsbeweis für die oströmische Abstammung des Instituts.

11) Er ist insbesondere an ein Mandat zur Rückkehr und Aufgabe der Reise gebunden.

12) Der Fall ist nicht in extenso in den Quellen erörtert. Nur seine Existenz, und zwar als Regel, konstiert nach S.884 l. c.

13) Vgl. über das ganze Verhältnis S.886ff. l. c.

Vermögenrecht der societas maris.

 Die Hauptfrage für uns ist auch hier — einmal: wie steht es mit dem Vermögensrecht dieser societas, besteht ein gesellschaftliches Sondervermögen? und falls ja, können wir in dieser Vermögensentwicklung die Grundlage der Ausbildung der offenen Handelsgesellschaft finden? — In der Tat ist nun zu bemerken, daß das Constitutum Usus Rechtssätze enthält, welche in ähnlicher Weise wie in Genua, nur ungleich klarer und bewußter, den durch die Einlagen der socii gebildeten Fonds, die „hentica“, einem Sonderschicksal unterwerfen.

Sondervermögen.

 Das Statut, welches die Differenzen inter socios ejusdem hentice seu societatis maris und zwischen diesen und den Gläubigern dem Usus unterstellt, fügt dieser Bestimmung eine Bemerkung über die Konkursvorrechte dieser Personenklassen hinzu, welche schon durch ihr Stehen an dieser Stelle 14) als jüngerer Zusatz charakterisiert ist. Ihr Inhalt interessiert uns besonders.

14) S.839 l. c.

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.253 -257 日本語訳(29)

ここから第4章に入ります。これまで理論的に述べて来た連帯責任の原理の発展を、ピサにおける慣習法の集成であるConsitutum Ususにおいて確認することが行われます。
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Ⅳ. ピサ。Constitutum Usus 《1161年に編纂されたピサにおける慣習法の集成。》におけるソキエタス法

 我々はこの章で、我々にはピサのソキエタス法として知られているものについての叙述に特別に一つの章を立てることにする。その理由は主に、ピサの法規についての文献史料において、次のような性質のものを見出すからである。つまりそれらは明らかに法典編纂上の意図において決議論的に十分に検討された上で作られている。そこにはローマ法 1)の概念の強い影響をはっきりと認めることが出来るし、また相対的に非常に価値の大きな財産を特に際立つように取上げている。また経済的な現象の中に法的に重要なことを見出そうとしている。しかしながら例えばジェノアの法規との違いという意味では、主に法の生成の能力という意味で、ある制度の発展の過程においての経済的な意味で新たに発生している差異を、法学的にも差別化を行って正しく取り扱おうとしている。ピサの法的文献についてとりわけ興味深いのはその相対的な歴史の古さである。

1)次を参照せよ。例えば既に真正のローマ的な概念である利得に対する評価だけについても―id, quo factus est locupletior(ある物、それによってその者がより富めるようになった物)という表現がある。 —例えばBonaini編の Statuti inediti della città di PisaのVol. IIの後半、PP.341とPP.348における諸制度で学説彙纂には含まれていないものを参照。ピサにおいて学説彙纂の手稿《ピサ写本と呼ばれている》が保存されていたことは非常に大きな影響力を持っている。―ピサの法典におけるこれらの規定(Beve Pisanti communis et compagnie 1313年 l. I c. 247)と比較せよ。

 Consitutum Usus《1160年という中世の早いタイミングで集成されたピサの慣習法の集成で、当時強力な艦隊を持ちヴェネツィアと並んで地中海と東方との海上取引を支配していたピサの状況を反映して海事関係の慣習法を多く含む。》は我々がこの章で本質において検討しようとしている法的史料であるが、その日付はピサ暦《新年が前年の3月25日に既に始まる》で1161年、我々の暦《グレゴリオ歴》で1160年のものであるが、この年に制定されたものは間違いなく最初の版では無く、また同時に最後の判でも無い 2)。

2)Schaube《Adolf Schaube、1851年~1936年、ドイツの歴史家》の”Das Konsulat des Meeres in Pisa”の P.2の 3, 149と比較せよ。またそれについてのゴルトシュミットの商法雑誌第35巻に収録された論考のP.601も同じく比較せよ。  

 これらの法典の性質について詳細に述べるのはこの論考の役割ではないにしても、次のことについてのいくつかの注記は必須であろう。それはつまり、これらの法典編纂―Constitutum Ususはその序文にもそのようなものであろうとしているとことが書かれているが―が他の法的史料にどのように取り入れられたか、とりわけピサの特殊法の集成であるConstitutum Legisに、それから様々な法規が自明の前提としている、補完的なものとして働く共通法にどのように取り入れられたかという状況についての注記が必須である。そういう状況は、今日の商法・民法に対する関係を多くの関連する点で想起させてくれる。

Ususの領域。

 Constitutum Ususの管轄下に置かれる領域は次のような諸事実の列挙によって確認される。その諸事実は、Ususの範疇に入れられるのであり、それはそれ故に客観的なものに限定され、例えば商人という職業についての職業法の場合のように主観的なものでは無い。我々の商法典(HGB)が商取引に関わる「事柄」を商法の中で扱っているように、「商取引に関わる諸件」(causae pertinentes ad usum)をConsitutum Ususはその中で扱っているのである。そういったUsus関係の事柄の取り扱いは、ある特別な法廷にて行われた。それは、Curia previsorum apud ecclesiam Sti Ambrosiiであり、1259年以降は、Curia Ususと呼ばれた。その管轄権については、訴訟において民事法廷での審議の前にUsusにおいて判決すべき関係のものが争点となっている場合には、仮処分によってその案件がCuria Ususに回付されるという形での訴訟手続となり、(最終的にCuria Ususでの)管轄権が確定する。

 Ususがカバーしている領域について、《Bonainiの本において》多数の文献史料 3)が列挙されている。その領域というのは全くもってそれ自体として閉じていて、システマティックな系統分類がきちんとされている法的関係の複合体として記述されているのではまるでなく、それはむしろ私法の全ての領域を超えて新しい枝を伸ばしているのである。不動産法、公共の道路や水路についての法、婚姻財産法、相続に関する手続き、市場関係、所有権、ソキエタス法、貸借、不法行為の結果として生じる債務、そういったものについての個々の法的関係がUsusに取り入れられている。そういったもの全てについてある統一した原理を見出すことは不可能である:実際にそういうものは存在しない。Ususの反対のものはlexであり、それもConsitutum Ususの序文に詳しく説明してあるように、まずはローマ法(lex Romana)であり、また同時にランゴバルド法(lex Langobarda)であり、それに従ってピサの市民は、”quaedam retinuit”(色々なものを維持してきた)のであり、さらにはまた最終的にはConsitutum Legisの基礎として、共通法を補完して支える、ある特定の個別立法となったのである。

 Ususはそれ故に、その当時の人間の意識によれば、《Bonainiの本に》列挙されているどの一つの文献史料にも閉じていない、慣習法が発展したものとして記述されなければならない。その現れ方は、―ここでは一般的な分析を試みるのでは全く無いが―商法の領域、とりわけソキエタス法の領域に関連する部分においては商慣習であり、一部は地域に限定されたもので一部は国際的なものである。その中に含まれている法文はほとんどが任意法的な性質のものであり、そしてそれはその商慣習がまだどう見ても出現したばかりで発展途上にあると理解される場合を除いてであるが 4)。そういった商慣習はさらに任意の規範に関係するだけでなく、また次のことを前提としている。つまり、その同じ商慣習がそういった規範に適当するように固定化されるのが常であったということである、―そのためここでは、一般的にまずは商取引における慣習法の根本原理としての商慣習であり、次に法規という形で確定された規範として観察することが出来る。

3)BonainiのStatuti inediti della città di Pisa Vol. II. p.835を参照。

4)たとえば、creditores hentice(出資による債権者)の破産時の優先権についての重要な法文は、未だ叙述において明確さに欠けその全体像に関する検討も不十分なものであった。

Consitutum Ususの条文の性質。

 我々にとっての結論は、我々はConsitutum Ususにおいて本質的に(全体を通じてではない)我々が関心を持っている(商取引の)領域における次のような性質の法文を見出すことを期待することは出来ないということである。そのような法文とは、その本質において最初から任意のものではなく、強制的な性質を持ち、つまりは単純に言えば、ある一定の事実から法的な結果として引き出されるもの、というそういう性質の法文のことである。そういった法文に属するものとしては、まずは第一に連帯責任であり、それについてはこれまで既に取上げてきた。しかしながらこの連帯責任についての直接的な表現は事実上Consitutum Ususの中には出て来ない。それに関連した法的な人間関係がそれでもどの程度まで存在しているかということを明確にすることについて以下でさらに詳細に述べることになる。どういった場合でもConsitutum Ususの中に連帯責任についての言及が無いという事実から、その原理が存在していなかったという結論を引き出すべきではない。

 それ以外に、ピサにおいて海上取引が無条件に広く行われていたという点で、ピアにおける様々な人間関係はジェノアのそれに似通っていた。その理由からも我々は次のことを期待する。つまり、海上取引にとって都合の良い資本と労働の結合についての法形態がここでは特に広範囲に創り出されていることを見出すことである。

IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.253 -257 ドイツ語原文(29)

いよいよ第4章に入ります。
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IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus.

Das Constitutum Usus.

 Wir haben die Darstellung dessen, was uns über das pisanische Sozietätsrecht bekannt ist, einem besonderen Kapitel vorbehalten namentlich deshalb, weil uns in Pisa statutarische Rechtsquellen entgegentreten, welche, offenbar in kodifikatorischer Absicht kasuistisch durchgearbeitet, eine sehr anerkennenswerte Beherrschung der Begriffe des römischen Rechts 1) und ein relativ sehr hohes Vermögen hervortreten lassen, in den wirtschaftlichen Erscheinungen das juristisch Relevante zu erkennen, namentlich aber, im Unterschiede z.B. von Genua, die legislatorische Fähigkeit, den im Laufe der Entwicklung eines Instituts neu hervortretenden wirtschaftlichen Unterschieden durch juristische Differenzierung gerecht zu werden. Hervorragendes Interesse verleiht den pisanischen Rechtsquellen auch ihr relativ hohes Alter.

 Das Constitutum Usus, die für uns wesentlich in Betracht kommende Rechtsquelle, ist datiert vom Jahre 1161 der pisanischen = 1160 unserer Ära; es stammt aber aus diesem Jahre wohl sicher nicht die erste Redaktion, wie es auch nicht die letzte war 2).

 Wenn auch die Natur dieses Statuts näher zu erörtern hier nicht der Ort ist, sind doch einige Bemerkungen erforderlich über die Stellung, welche diese Kodifikation — denn eine solche will das Constitutum Usus nach seiner Vorrede sein, — zu den übrigen |
Rechtsquellen einnimmt, insbesondere zu dem Constitutum Legis, der Sammlung des pisanischen Partikularrechts, und zu dem, wie die Statuten als selbstverständlich voraussetzen, subsidiär geltenden gemeinen Recht, — eine Stellung, welche an das Verhältnis des heutigen Handelsrechts zum bürgerlichen Recht in manchen Beziehungen erinnert.

1) Cf. z.B. allein schon die Verwertung des echt römischen Begriffs der Bereicherung — id, quo factus est locupletior — z.B. S.887 bei Bonaini (Statuti inediti della città di Pisa) Vol. II unten, bei Instituten, welche nicht dem Pandektenrecht angehören. Der Besitz der Pandektenhandschrift war wohl nicht ohne erheblichen Einfluß — cf. die statutarischen Bestimmungen über dieselbe (Beve Pisanti communis et compagnie 1313 l. I c. 247).

2) Vgl. Schaube, Das Konsulat des Meeres in Pisa S.2, 3, 149 und dazu Goldschmidt, Zeitschr. für Handelsr. Bd. 35 S.601.

Gebiet des Usus.

 Das von dem Constitutum Usus beherrschte Gebiet wird festgestellt durch Aufzählung derjenigen Tatbestände, welche unter den Usus fallen, ist mithin objektiv begrenzt, nicht subjektiv, als Standesrecht, etwa der Kaufleute; wie unser Handelsgesetzbuch die Handels-„Sachen“ dem Handelsrecht unterstellt, so das Constitutum Usus sich die „causae pertinentes ad usum“. Die Bearbeitung dieser Usus-Sachen kommt einem Spezialgerichtshof, der Curia previsorum apud ecclesiam Sti Ambrosii, seit 1259 Curia Usus genannt, zu, dessen Zuständigkeit, wenn im Prozeß vor den Zivilgerichten ein nach Usus zu beurteilendes Verhältnis zur Sprache kommt, auf Antrag durch Interlokut auf Überweisung an die Curia Usus festgestellt wird.

 Über den Bereich des Usus ergibt die Aufzählung der Quellen 3), daß derselbe keineswegs einen in sich geschlossenen, einer systematischen Gliederung fähigen Komplex von Rechtsverhältnissen darstellt, sich vielmehr über das gesamte Gebiet des Privatrechts verzweigt. Aus dem Immobiliarsachenrecht, dem Recht der öffentlichen Wege und Flüsse, dem ehelichen Güterrecht, dem Nachlaßregulierungsverfahren, den Marktverhältnissen, Besitzrecht, Sozietätsrecht, Darlehen, Deliktsobligationen, fallen einzelne Verhältnisse unter den Usus. Ein Prinzip darin zu finden ist unmöglich: es ist kein solches vorhanden. Den Gegensatz zum Usus bildet die lex, und zwar, wie die Einleitung in das Constitutum Usus ausführt, sowohl die lex Romana, nach welcher die civitas Pisana im allgemeinen lebt, als die lex Longobarda, aus welcher sie „quaedam retinuit“, als endlich die im Constitutum Legis niedergelegte, zur Ergänzung des subsidiären gemeinen Rechts bestimmte Partikulargesetzgebung.

 Der Usus muß also eine nach dem Bewußtsein der Zeitgenossen an keine dieser Quellen sich anschließende gewohnheitsrechtliche Entwicklung darstellen. Er stellt sich — eine allgemeine Analyse soll hier nicht versucht werden —, soweit das Gebiet des Handels|rechts, insbesondere des Sozietätsrechts betroffen wird, wesentlich dar als Usance, teils lokale, teils internationale; die darin enthaltenen Rechtssätze sind überwiegend dispositiver Natur, soweit sie dies nicht sind, sind sie augenscheinlich jünger und noch in der Entwicklung begriffen 4), beziehen sich überdies auf jene dispositiv normierten Verhältnisse bzw. setzen voraus, daß dieselben den dispositiven Normen entsprechend fixiert zu werden pflegten, — so daß hier im allgemeinen der Handelsgebrauch als Grundlage zunächst eines Handelsgewohnheitsrechts und demnächst der statutarisch festgestellten Normen zu betrachten ist.

3) Bonaini, Statuti inediti della città di Pisa Vol. II. p.835.

4) Z.B. die besonders wichtigen Sätze über Konkursvorrechte der creditores hentice, welche sich offenbar noch nicht zur Klarheit der Darstellung und Vorstellung durchgearbeitet haben, S.839 l. c.

Natur der Rechtssätze des Usus.

 Die Konsequenz für uns ist, daß wir im Constitutum Usus im wesentlichen (nicht durchweg) solche Rechtssätze auf unserem Gebiet nicht zu finden erwarten können, welche ihrem Wesen nach von vornherein eben nicht dispositiver, sondern zwingender Natur waren, die einfache ipso jure eintretende Folge gewisser Tatbestände sind. Dazu gehört in erster Linie die Solidarhaftung, wie wir sie oben kennen lernten. Tatsächlich fehlt denn auch über dieselbe jede direkte Äußerung; inwieweit die betreffenden Verhältnisse als trotzdem vorhanden sich bemerkbar machen, wird unten noch erörtert werden. Die Nichtexistenz des Prinzips darf jedenfalls nicht aus seiner Nichterwähnung im Constitutum Usus geschlossen werden.

 Überdies liegen auch in betreff des unbedingten Vorherrschens des Seehandels in Pisa die Verhältnisse ähnlich wie in Genua. Auch aus diesem Grunde werden wir erwarten, die dem Seehandel adäquaten Rechtsformen der Kombination von Kapital und Arbeit hier in besonders breiter Ausführung zu finden.

III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.251 – P.253 日本語訳 (28)

いよいよこれで第3章が完結します。
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 ここに関連文書として引用してきた文献史料が作成された時代において、即ち大体十字軍が終了しようとしていた頃《最後の十字軍である第9回十字軍は1271年 – 1272年》、連帯責任の原則は間違いなく既に法的に有効なものとなっていた、―しかしながらその法律上の書式は当時何世紀もの間継承されて来たものであり、この考え方から次の二つのことを近接するものと考えてはならない。一つは法律で規定された連帯責任が様々な文献史料の中で慣習的に維持されてきた連帯しての責任の約束を破壊して置き換えるのだと考えることである。もう一つはそれ故に、常に繰り返されてきた連帯責任を定めた契約という事実から、ソキエタスの成員の間では連帯しての責任が望ましいものとされていたと、またそこからそれに適合した形の慣習法が成立してきたという仮定 72)をすることである。―まずは次のことに注意しなければならない。中世初期の文献史料がある一定の(連帯責任の)取り決めを含むということから、その当時において次のことが生じて来たのでは全くない。それはつまりこの連帯責任に関して明確に条文化された法的関係の作用がまた本来ex lege、つまり法律それ自体の効果として直接に生じたのではないということである。それはむしろ逆である:この連帯責任という自然な要求については、当時の公正証書が特別に詳細に、またかなりの文言を費やして記載するのが常であったし、この事に関連する文献史料においては、この連帯責任という条項を詳細に規定して 73)含めることについての純粋に法的な要求以外での様々な理由が存在した。ここでの文献史料は国際的な取引関係を扱っているのであり、そして14世紀においてのフィレンツェのギルドの法規においてもまだ、ソキエタスの成員の連帯責任として昔からずっと法文として確定させており、それは外国との取引における確実性という利害関心において、各ソキエタスの外国における代表者に対して文書によって全権を与えることを各ソキエタスに対して規定しており、それ故ここでは資格証明の目的でのこの種の登記についての同様の需要についても述べているのである。最後の資格証明という目的は特に以下に説明する目的のためであった。何故ならばここでは海上輸送による取引が問題にされているのであり、しかし海上取引についてはコムメンダ契約を使うのが普通であり、旅をするソキエタスの成員はそこから次の状態に置かれた。即ちその権利を取引相手に求めてもらうために、そのソキエタスの成員について連帯責任を負うことを義務化し、ソキウス・スタンス(Kommandite)のトラクタトールとして見なしてもらうという資格証明の手段が不足していたのである。(この目的のために資格証明の需要が生まれた。)しかしながら本質的にはこの章で実証の手段として提示して来た文献がその中でほのめかされている偶発性について言わんとしているのは、私はそう信じたいのであるが、法規の中での法形成の向かう方向は、通常それは連帯責任の原理の取引における慣習から発展したに違いないと思われているが、その原理をより確実にしまた拡張する方向ではなく、共通の取引という経営が関わる領域の場合はむしろそれを制限し、その適用範囲を狭めようとする方向に向かったのである。そのことは次のことを否定するものではない。つまりそれが法規における法的な発展にとって重要だったということである。その場合においては、商取引が連帯責任を法規定にすることを促進した。そして公証人に関する文献史料は、明らかに法学におけるローマ法的な法解釈により影響を受けているので、そういった把握の仕方は実際のところ一つの水路だったのであり、その水路を通じて法律家の観察の仕方は現実の取引とそれによってまた法形成に近づいていったのである。―そのことについては結論の章で手短に述べる。何はともあれ、さらにいくつかの法領域について、その法領域に対してはそれ以外では抜けの多い法規についての文献史料を広範囲に自由に使用することが出来るが、次のことについての証拠を見出さなければならない。それはつまり先の2つの章での叙述が、それらの法的な文献史料としての内容の吟味に耐え得るのかどうかということであり、それは我々にとってはそこで扱われた諸制度について、包括的な、また部分的には地方色に染まってもいる確固たる像を引き出すということである。

72)ランゴバルド法において既に、l. II rubr. の”de debitis et quadimoniis”において、その最後で連帯責任の条項を定めた部分が存在している。同様の例でCollectio sexta novellarum Dmni Justiniani imperatorisの”de duobus reis promittendi”の章もある。

73)人はそれ以外にも次のものにも注目しがちである。つまり1279年の婚姻契約、アルメニアのアジャクシオ《コルシカ島のアジャクシオの間違い?》にて締結されたもので、その中で婚姻適格年齢の女性が(その契約を破った場合には)違約金を払うという条件で(!)婚姻契約を結んでいる。”stare et habitare tecum in tua domo”(あなたの家に居て、あなたと一緒に住みます。)、”nec jacere cum alio viro”(他の男性と寝たりしません。)更に服従等を誓っている。そして婚姻する男性は”食べ物と着る物を十二分に与えること”を誓っている。結論としては、当時の結婚におけるこれらの義務はそれ自体として固有のものではなかった。

III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.251 – P.253 ドイツ語原文 (28)

いよいよ第3章の最後の部分になります。
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 Zur Zeit der Abfassung der hier in Bezug genommenen Urkunden, gegen Ende der Zeit der Kreuzzüge, bestand der Grundsatz der Solidarhaftung allerdings schon zu Recht, — allein die Formulare vererbten sich damals durch Jahrhunderte, und sollte nicht der Gedanke nahe liegen, die gesetzliche solidarische Haftung für den Niederschlag des in den Urkunden usancemäßig enthaltenen Versprechens der Haftung in solidum zu halten und mithin anzunehmen, daß aus der immer wiederkehrenden Solidarhaftsstipulation eine Präsumtion dafür, daß unter socii Haftung in solidum gewollt sei und daraus das entsprechende Gewohnheitsrecht entstanden sei? 72) — Es muß zunächst bemerkt werden: daraus, daß Urkunden des früheren Mittelalters eine bestimmte Abmachung enthalten, ergibt sich für die damalige Zeit nicht im entferntesten, daß die betreffende ausdrücklich stipulierte Wirkung des Rechtsverhältnisses nicht auch ohnehin ex lege aus demselben erfolgt sei, im Gegenteil: Diese Naturalia pflegen die damaligen Notariatsinstrumente besonders ausführlich und in deskriptiver Breite zu enthalten 73), für die in Bezug genommenen Urkunden lagen überdies mannigfache Veranlassungen vor, die Klausel betreffend die Solidarhaft ausdrücklich aufzunehmen. Es handelte sich hier um internationale Relationen, und wie die Florentiner Zunftstatuten noch des 14. Jahrhunderts, als die Solidarhaftung der socii dort längst als Rechtssatz feststand, im Interesse der Sicherheit des Verkehrs mit dem Ausland, den Sozietäten vorschrieben, ihre auswärtigen Vertreter mit urkundlicher Vollmacht zu versehen, so sprach auch hier das gleiche Bedürfnis für eine derartige Beurkundung zum Zweck der Legitimation. Zu letzterem Zwecke besonders deshalb, weil überseeischer Verkehr in Frage stand, im Seeverkehr aber die Kommenda zu Hause ist und ein reisender „socius“ daher in die Lage kam, mangels besonderer Legitimation über seine Berechtigung, die socii solidarisch zu verpflichten, als tractator einer Kommandite angesehen zu werden. Wesentlich aber spricht die angedeutete Eventualität der, wie ich glauben möchte, im Verlauf dieses Kapitels erbrachte Nachweis, daß die Richtung der statutarischen Rechtsbildung nicht, wie man für den Fall einer Entwicklung der Solidarhaft aus Verkehrsusancen annehmen müßte, auf Sicherung und Ausdehnung des Prinzips, sondern auf dessen Beschränkung und Begrenzung auf den Fall des Betriebes eines gemeinsamen Handelsgewerbes geht. Damit ist nicht ausgeschlossen, daß es auch für die statutarische Rechtsentwicklung von Erheblichkeit war, für welche Fälle der Verkehr die Solidarhaft zu stipulieren pflegte, und da die Notariatsurkunden sichtlich unter dem Einfluß der römischen Rechtsauffassung der Jurisprudenz stehen, so kann ihre Fassung in der Tat ein Kanal gewesen sein, durch welchen die Betrachtungsweise der Juristen dem Verkehr und damit der Rechtsbildung näher trat. — Davon kurz im Schlußkapitel. Vorerst soll noch an einigen Rechtsgebieten, für welche das sonst lückenhafte statutarische Material etwas umfangreicher zur Verfügung steht, der Nachweis versucht werden, daß die in den vorstehenden beiden Kapiteln gegebene Schilderung die Prüfung an dem Inhalt derjenigen Rechtsquellen besteht, welche uns die behandelten Institute in umfassender, wenn auch zum Teil lokal gefärbter Gestalt vorführen.

72) Schon die Lombarda spricht l. II rubr. de debitis et quadimoniis am Ende von cartae mit Solidarhaftsklausel. Ebenso die Collectio sexta novellarum Dmni Justiniani imperatoris cap. de duobus reis promittendi.

73) Man müßte sonst geneigt sein, aus einem Ehekontrakt aus dem Jahr 1279 (Archives de l’Orient latin I p.525), geschlossen in Ajaccio in Armenien, in welchem die Nupturientin unter Konventionalstrafe (!) verspricht, „stare et habitare tecum in tua domo“, „nec jacere cum alio viro“, ferner Gehorsam &c, und der Nupturient: „victum et vestitum convenienter dare“, zu schließen, daß diese Pflichten der damaligen Ehe an sich nicht eigen waren.

III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.246 – P.251 日本語訳 (27)

第3章の論述もいよいよ終盤に差しかかり、ここでこの章で初めて合名会社が出てきて、2章で論じたソキエタス・マリスなどとこれまでの論述を関連付ける議論が行われます。
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それ故にsocii(ソキエタスの成員達)というのは商法においてはただ次のことを意味する:
1)「palam」(公開された形で、公式に)でそして「同じstacione(工房・店)で」ある業務をsociiとして営んでいる者達で、その際に参加者(単なる出資だけを行う者)と個人としてではなく(ソキエタスの)経営に関与する者は除外される。
2)1)の者達の中で、しかしながらただ業務の商業的な面において、業務上の対外的活動を行う者達のみ:このことを先ほど引用した法規(ヴェローナのStatuta domus mercatorum)の最後の文は言いたいのである 62)。

この2)によって生産を行うための作業場にて手工業的な業務だけに従事する者達は除外される。”Idem misterium”(同じ職業)は、法規の該当箇所が述べているように無関係であり、古い時代に必須であった”eandem artem exercere“(同じ種類の職業)条件は取り除かれている。連帯責任の原理は、その元々の成立の土台としていたものから切り離され、結局のところ手工業における共通の経営から商業の共通の経営へと移し替えられたのである。

62)次のように考えてはいけない。つまり双方が存在し(一緒に)契約するのだと。というのはそこで意味されていることは、ただ「一人が他方のために」責任を負わなければならない、ということだからである。そうではなくてここではピサのConstitutum Ususが”communiter vivere“(一緒に暮している者)の定義としていることと同じことが想定されている。それは”si contractus et similia communiter fecerint”(もし彼らが契約していて、一緒に同じような業務に従事する)ということであり、そこでも一緒に契約するということは想定されておらず、それについては法規のもっと先の箇所で明確に示されている。(ピサの例を参照)

合名会社とソキエタス契約の目印。商号。

 以上のことから、しかしまたようやく次の疑問への答えについて:つまり上記で定義した意味でのソキエタスの成員がある契約を取り結ぶ時、それはソキエタスの業務として取り扱われるのか?という疑問に対しての最終的な答が与えられているのである。ソキエタス関係を協定する対象物が共通のbottega(店)やstacio(工房)である限りにおいて、連帯責任を負うソキエタスの成員についても、またその成員が取り結んだ契約で、それはソキエタスの契約として認められていたが、その契約についても直ちにそれらを識別するための目印が与えられているのである:つまり共通の店において契約することである。しかしながら大規模な商取引においてそれは実際の店舗とは関係の無いものになっていた。アレッツォの法規(既に引用した箇所)はそのことからsociiの定義を単に:
 „… et intelligantur socii, qui invicem pro talibus se tractant et publice pro sociis habentur … “(ソキエタスの成員とは次のように理解される。つまり自分自身を相互にそのように取り扱い、そして公的に他のソキエタスの成員との関係を保持している者達として。)

そしてヴェローナのStatuta domus mercatorumは引用した箇所でsociiについて”palam“(公開された、公的な)と表現している。ソキエタスの業務としてそれ相応の法的な扱いを受ける業務についての目印として、アレッツォの法規は次のように規定している:”pro dicta societate celebrata”(当該のソキエタスの名前で執行された)業務であるとし、さらに次のように定めている:
 „et si quis contraxerit nomine alterius praesumatur pecunia fuisse illius cujus nomine contractum fuerit“(もし誰かが他の成員の名前で契約を取り結んだ場合、その契約で言及されている金銭については、その名前で契約が行われたその成員のものとなると見なされる)(この後に先に引用した箇所が続く)。

同様にモデナの法規は当該の業務が”pro societate“(ソキエタスの名前で)執行されたかどうかということを判定している。それ故にソキエタスの名前において締結された契約はソキエタスの責任となる。ここにおいてつまり共通のtaberna(店)が以前は使われていた位置に、今度はゲマインシャフトの共通の名前というものが登場して来るのである。次のことは明白である、つまりこの目印が誰がソキエタスの成員の資格を持っているのかということを判定する問題にも利用可能であるということである。そしてまさにそれは実際に利用されたのである。taberna、つまり小規模の経営を進めるための業務を行う店の前に、盾のような板にその店の所有者の名前が書かれたもの(看板)が掲げられ、一般的な意味での第三者の契約者はその名前がその板の上に書かれている者(cujus nomen „expenditur“)(その者の名前が重視される)《英訳はここを”whose name is ‘hung out'”(その名前が{看板として}掲げられている)としているが、おそらく”penditur”と混同したと考える。》が我々の言う意味でのsociiの一人であることを確かめることが出来る。ここにおいて大規模な取引が商号(Firma)を用いて行われるということが発生したのであるが、言ってみればこの商号は仮想的な看板である。ただソキエタスの名前で締結された契約(に関わるもの)のみがソキエタスの業務であるように、ただ個人的に責任を負うソキエタスの成員である、その者の名前で契約が締結されるが、その者の名前は商号の中に記載されて(含まれて)いるのである。(このことはまた後の時代のRota Genuensisと1588/89年のジェノヴァの法規[この論考の結論を参照]での諸決定においての”cujus nomen expenditur”(その者の名前が重視される)の実質的な意味となっている。)より正確に言えば、今挙げた二つ(看板と商号)について更に別の基準が存在する:それはソキエタスの成員としての資格を明確にするための公的な登記簿への登記である(登記は既に13世紀からイタリアの数多くのコムーネ{イタリアの地方自治体}で制度化されていた)、―ソキエタスの借金としての債務の存在を明確にするためにはソキエタスの帳簿への記帳が行われた。公的な登記簿への登記に関しては、次のことは実証されていない。つまりそれが個々の商号の所有者を公衆に明示する 63)という目的に本当に貢献したのかどうかということである。しかしながら登記が後の時代になって、ある人が現存する業務を執り行っているソキエタスの成員であることを調べるのに使われたということに関しては疑いの余地が無い 64)。ゲゼルシャフトの帳簿への記帳に関しては、それはもちろん確実な目印であり、それだけで証明手段としての性質を持っている:ソキエタスの債務がソキエタスの帳簿に記帳されていない場合には、その債務は債権者に返済しなくても良かった 65)。しかしながら何よりもソキエタスの勘定上の債務として公的な登記簿に登録すること《おそらく公正証書の作成について言っていると思われる》はその債務がトラクタトール(Kommanditisten)66)自身の債務であるのと同時にソキエタスの基金についての債務でもあることを登録するのであり、ソキエタス・マリス 67)の契約においては前提条件となっていた。これに対して共通の名前の下にある共通に執行された業務に起因する債務について契約を締結する者は、そこで前提条件となるのはただ、合名会社の場合においてのみ、契約を締結しようとするソキエタスの成員は、まるで自分自身が契約するのと同様に扱われ、それ故にここではその業務と個々の契約を、その者の名前のみにて進めることが可能である。「ソキエタスの名前で」契約することは、「商号」が独立した存在となることに成功し始めた時に、”usato nome delle compagnia”(会社の名前を使った)契約となり、さらにはソキエタスの商号の下での契約行為になり、その商号はもはやソキエタスの成員(社員)全員の名前を含んでいる必要は無くなっていた。

63)ラスティヒの見解(ここまでに何度も引用した論文の中の)、つまり大学への学籍登録が裁判権の確立に寄与したのではないかという仮説については、それを裏付けるような相当数の明白な印刷された文献史料が挙げられていない。

64)この後のフィレンツェに関する論述の中の注5(全集版テキストでは注12)に引用された1303年の記述を参照せよ。

65)この後のフィレンツェに関する論述を参照せよ。

66)Ansaldus de AnsaldisのDiscursus legales de commercioのDisc. 51を参照せよ。登記はトラクタトール(Kommanditisten)を一般の単なる出資者から区別している。

67)第2章を参照せよ。

68)後述のフィレンツェに関する論述とそのフィレンツェの法規自身が引用している1509年のボローニャのStatuti della honoranda università de mercatantiのfol. 67を参照せよ。

69)しかしながら同様のことは既により古い時代にもあった。特に家族ソキエタスの場合ではただ、しばしば世間で良く知られた家の名前だけを挙げることが行われた:Buchon《Jean Alexandre Buchon、1791~1849年、フランスの歴史家》の1843年にパリで出版されたNouvelles recherches sur la Principauté française de Moréeの中で引用されているシチリアのロベルト王《1276~1343年、ロベルト一世、ナポリ王》の史料の中に出て来るsocietas Aczarellorum de Florentina (di Acciajuoli)など。

70)誤解を避けるため、次のことをさらに特別に強調しておいた方が良いであろう。つまり上記における商号という制度の発展はどんな場合でも完全なものであるかのように記述されるべきではない、ということである。中世における(会社の)代表権の原則の発展を取上げること無しに、ゲゼルシャフト(会社)の商号の法制史的な原則―会社法の歴史の中で疑い無く重要な点であるが―を完全に記述することは出来ない。我々の研究のためには次の事実から出発すれば十分である。つまり商号がゲマインシャフト的な店舗においても上記のテキストで述べられているような関係で引き継がれているという事実である。

ゲゼルシャフトの契約についての文献史料《この項は冒頭の目次の中に含まれていない》

 以上述べて来たことに適合する形で、当時の合名会社という関係は対外的には文献史料の中では次のように記述されている。つまりトラクタトールがそのソキエタスの契約の中ではソキエタス・マリスにおいて何一つ所有していない一方で、その文献には利益の分割の仕方についての規定が有り、さらに航路その他が確認され、ここではトラクタトールであるソキエタスの成員は外国においては所属するソキエタスを代表し、全権を保持し、その全権の中にはそのトラクタトールをソキウス・スタンスである成員が”procurator et certus nuntius“(代理人で、かつ合意に基づくメッセンジャー)に任命し、ソキエタスの契約については連帯して責任を負うことを義務付け、そして実際の契約においては、この”instrumentum procurae”(代理のための道具)という概念を引き合いに出して、取り決めが契約者(=トラクタトール)とそのソキエタスの仲間(=ソキウス・スタンス)の双方の名前で行われるのである。この類いの文献史料は主としてキリスト教徒が占有している中東地域 71)への国際交易の中心地の一つから多数見つかっている。

 これらの文献史料を目にすることにより、我々には最後の原理的な問いが生じて来る。

71)Archives de l’Orient latin Vol. II Documents のp.5: Ego Raffus Dalmacus facio, constituo et ordino meum certum nuncium et procuratorem Lanfrancum de Lenaria socium meum presentum etc. (私ことRaffus DalmacusはLenariaのLanfrancusを私との合意に基づくメッセンジャーかつ代理人、さらには私と同じソキエタスの現在における仲間として、確認し任命しかつ手配する、等々。)全く同じ文章で今後は逆にLenariaのLanfrancusがRaffus Dalmacusを自分との合意に基づくメッセンジャー兼代理人に任命している。同様の文献史料であるソキエタスの成員の契約について連帯して責任を負うという取り決めをしているものは、同じ出版物の中で、公証人の元での公正証書の登記のために提供されたキプロス島のファマグスタ、アルメニアのアジャクシオ《コルシカ島のアジャクシオの間違い?アルメニアにアジャクシオという地名は確認出来ない。》など類似の例が約100ばかり有る。

イタリアの地図

これまで、イタリアの都市名が出る度に「イタリアの○○州の都市」とか注釈を付けて来ましたが、地図で表示した方がはるかに分かりやすいので作成しました。 こうして見ると、シチリア島を除くと圧倒的に北イタリアに集中しています。(今回新型コロナの被害が大きかった地域でもあります。犠牲者の冥福をお祈りします。)

 

III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.246 – P.251 ドイツ語原文 (27)

ドイツ語原文の第27回目です。これを入れて第3章は後2回で終わります。
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Also als socii im Sinne des Handelsrechts sollen nur gelten: 1) diejenigen, welche „palam“ und „in eadem stacione“ ein Geschäft als socii betreiben: damit sind Partizipanten und alle nicht persönlich am Betriebe Beteiligten ausgeschlossen; 2) von diesen wieder aber nur diejenigen, welche an der kommerziellen Seite des Geschäfts, an dem geschäftlichen Auftreten nach außen beteiligt sind: das wollen die Statuten mit dem letzten Satze der zitierten Stelle sagen 62). Damit sind die nur in der Werkstatt bei der Produktion, im technischen Betriebe, Beschäftigten ausgeschlossen. Das idem misterium ist, wie die Stelle sagt, irrelevant, das alte Requisit des „eandem artem exercere“ weggefallen. Die Solidarhaftung ist von ihrer ursprünglichen Grundlage losgelöst, von dem gemeinsamen Betrieb eines Handwerks auf den gemeinsamen Betrieb eines Handelsgewerbes übergeführt.

62) Es kann nicht gemeint sein, daß beide zugegen sind und kontrahieren, da es heißt, daß „unus pro alio“ haften soll. Sondern es wird hier dasselbe gemeint sein, was das Constitutum Usus von Pisa als Definition des communiter vivere gibt: si contractus et similia communiter fecerint, wo auch nicht gemeinsames Kontrahieren gemeint ist, wie der weitere Verlauf der Stelle deutlich zeigt (cf. Pisa).

Merkmale der offenen Gesellschaften und der Societätskotrakte. Die Firma.

 Damit ist nun aber auch die Antwort auf die Frage: welche Merkmale entscheiden darüber, ob in casu jemand socius in diesem Sinne, ein Kontrakt ein Geschäft der Sozietät ist? ihrer letzten Wandlung entgegenführt. Solange die gemeinsame bottega und stacio es war, welche das Sozietätsverhältnis ausmachte, war sowohl ein Merkmal für den mithaftenden socius als solchen, als auch für diejenigen Kontrakte, welche als Sozietätskontrakte zu gelten hatten, ohne weiteres gegeben: das Kontrahieren im gemeinsamen Laden. Aber der Handelsverkehr im großen kannte keinen Laden. Die Statuten von Arezzo (loc. cit.) geben daher als Definition nur:

 „… et intelligantur socii, qui invicem pro talibus se tractant et publice pro sociis habentur … “

und die Stat[uta] domus mercatorum von Verona sprechen in der zitierten Stelle von socii „palam“. Als Merkmal für diejenigen Geschäfte, welche als Sozietätsgeschäfte mit den entsprechenden Rechtsfolgen zu gelten haben, gibt das Statut von Arezzo an: solche, die „pro dicta societate celebrata“ sind, und bestimmt ferner:

 „et si quis contraxerit nomine alterius praesumatur pecunia fuisse illius cujus nomine contractum fuerit“ (Fortsetzung obiger Stelle).

Ebenso entscheiden die Statuten von Modena danach, ob die Geschäfte „pro societate“ geschlossen worden waren oder nicht. Also die unter dem Namen der Sozietät geschlossenen Kontrakte belasten die Sozietät. Hier also war der gemeinsame Name der Gesellschaft an die Stelle der gemeinsamen taberna getreten. Es lag nahe, dies Merkmal auch für die Frage, wer als socius zu gelten habe, zu verwerten. Und dies ist geschehen. Wie vor der taberna, dem Geschäftslokal des Kleingewerbetreibenden, der Ladenschild die Namen der Inhaber trug und der dritte Kontrahent im allgemeinen annehmen durfte, daß derjenige, dessen Namen darauf aushing (cujus nomen „expenditur“), zu den socii in unserm Sinn gehörte, so schuf sich der Großhandel in der Firma, dem gemeinsamen Namen der Handelsgesellschafter, sozusagen einen ideellen Ladenschild. Wie nur die nomine societatis geschlossenen Kontrakte Sozietätsgeschäfte sind, so ist nur der persönlich haftender socius, auf dessen Namen die Kontrakte geschlossen werden, der mit in der Firma steht (auch dies heißt noch später, in den Dezisionen Rota Genuensis und den Statuten von Genua von 1588/89 [cf. den Schluß] „cujus nomen expenditur“). Zwar gibt es für beides noch andere Kriterien: für die Eigenschaft als socius die Eintragung im öffentlichen Register (welches schon seit dem 13. Jahrhundert in zahlreichen Kommunen bestand), — für die Eigenschaft einer Schuld als Sozietätsschuld die Eintragung in die Bücher der Sozietät. Was die Eintragungen im öffentlichen Register anlangt, so ist nicht erwiesen, daß sie ursprünglich dem Zweck dienten, die Inhaber der einzelnen Firmen dem Publikum ersichtlich zu machen 63); daß sie später auch dazu benutzt wurden, zu ermitteln, ob jemand socius eines bestehenden Geschäftes war, ist nicht zu bezweifeln 64). Die Eintragung in die Bücher der Gesellschaft anlangend, so ist sie allerdings ein sicheres Kennzeichen, allein sie hat die Natur eines Beweismittels: die Nichteintragung einer Sozietätsschuld in die Sozietätsbücher kann dem Gläubiger nicht geschadet haben 65). Vor allem aber: sowohl die Eintragung in die öffentlichen Register als die Buchung zu Lasten der Sozietät kommt ganz ebenso auch bezüglich der Kommanditisten 66) und bzw. der Schulden des Sozietätsfonds bei der societas maris 67) vor. Dagegen das Kontrahieren unter gemeinsamem Namen zu Lasten eines gemeinsam betriebenen Geschäfts kommt nur hier vor, nur bei der offenen Gesellschaft wird der socius des Kontrahierenden behandelt, als hätte er selbst kontrahiert, und deshalb kann nur hier das Geschäft und der einzelne Kontrakt auf seinen Namen gehen. Aus dem „pro societate“ Kontrahieren ist, als die „Firma“ eine selbständigere Existenz zu gewinnen begann, das Kontrahieren unter dem „usato nome delle compagnia“ 68), eben der Firma der Sozietät, welche nicht mehr notwendig die Namen aller socii enthielt 69), geworden 70).

63) Für Lastigs Ansicht (in der oft cit. Abh.), daß sie die Immatrikulation zum Zweck der Feststellung der Gerichtsbarkeit gedient hätten, enthalten, soviel ersichtlich, die gedruckten Materialien Anhaltspunkte nicht.

64) Cf. das unten unter Florenz bei Anm. 5 angeführte Schreiben aus dem J[ahr] 1303.

65) Cf. unten bei Florenz.

66) Cf. Ansaldus de Ansaldis, Discursus legales de commercio Disc. 51: die Eintragung soll den Kommanditisten vom gewöhnlichen Partizipanten unterscheiden.

67) Cf. im vorigen Kapitel.

68) Cf. unten unter Florenz und die daselbst zitierte Stelle der Stat[uti] della hon[oranda] università de mercatanti di Bologna v. 1509 fol. 67.

69) Ähnliches aber auch schon früher. Besonders bei den Familiensozietäten pflegt nur der Name des, oft weltbekannten, Hauses genannt zu werden: societas Aczarellorum de Florentina (di Acciajuoli) in der Urk[unde] König Roberts v. Sizilien bei Buchon, Nouvelles recherches sur la Principauté française de Morée, Paris 1843, Bd. 1 S.46.

70) Um Mißverständnissen vorzubeugen, mag noch besonders betont werden, daß die Entwicklung des Instituts der Firma im obigen in keiner Weise erschöpfend hat geschildert werden sollen. Ohne Hereinziehung der Entwicklung der Grundsätze des Stellvertretungsrechts im Mittelalter kann die rechtshistorische Grundlage der Gesellschaftsfirma — ein zweifellos wichtiger Punkt in der Geschichte des Gesellschaftsrechts — nicht vollständig zur Darstellung gebracht werden. Für unsern Zweck genügt es, von der Tatsache auszugehen, daß die Firma dem gemeinschaftlichen Laden in den im Text angegebenen Beziehungen succediert ist.

Urkunde über Kontrakte von Gesellschaften.

 Dementsprechend drückt sich das Verhältnis der damaligen offenen Handelsgesellschaft nach außen urkundlich darin aus,
daß, während der tractator bei der societas maris nichts in Händen hat als seinen Sozietätskontrakt, worin über die Verteilung des Gewinns verfügt und die Reiseroute usw. festgestellt wird, hier der socius, welcher im Ausland für die Sozietät auftritt, Vollmachten besitzt, in welchen ihn seine socii zum „procurator et certus nuntius“ bestellen und sich für seine Kontrakte in solidum aufzukommen verpflichten, und daß in Kontrakten unter Bezugnahme auf dies „instrumentum procurae“ der Abschluß namens des Kontrahenten und seiner socii erfolgt. Derartige Urkunden sind uns erhalten, in großer Zahl namentlich aus einem der Mittelpunkte des internationalen Verkehrs, dem christlichen Orient 71).
Angesichts dieser Urkunden nun erhebt sich für uns eine letzte prinzipielle Frage.

71) Arch[ives] de l’Orient latin Vol. II Docum[ents] p.5: Ego Raffus Dalmacus facio, constituo et ordino meum certum nuncium et procuratorem Lanfrancum de Lenaria socium meum presentum etc. Wörtlich gleichlautend bestellt dann umgekehrt Lanfrancus de Lenaria den Raffus Dalmacus zu seinem certus nuntius und procurator.
 Ähnliche Urkunden mit dem Versprechen der Haftung für die Kontrakte des socius in solidum finden sich in derselben Publikation, entnommen den Notariatsregistern von Notaren in Famagusta auf Cypern, Ajaccio in Armenien und ähnl. ca. 100.

III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.242 – P.246 日本語訳 (26)

日本語訳の第26回目です。ここに限りませんが、ヴェーバーはある時はソキエタス、また別の時にはゲマインシャフト、そして更にはゲゼルシャフトという言葉を、目まぐるしく切り換えながら論じていきます。それぞれの構成員についてもsocii(socius)だったりGenossenだったり、Mitgliederだったり、Gesellshafterだったりと、それぞれを日本語化して的確に訳し分けるのはほとんど不可能です。まあ翻訳者としてこういう言い訳をしてはいけないのでしょうが、疑問があったら原文を見てくださいとしか言いようが無いです。しかし「理解社会学のカテゴリー」でヴェーバーがゲマインシャフトとゲゼルシャフトを対立物ではなく、ゲゼルシャフトも一種のゲマインシャフトとしその特別な場合としていることは、この章の議論を読んでいくと非常に素直に頭に入ります。
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・ローディのStatuti vecchiの c. 16: Consuetudo est, quod fratres et patrui et alii qui nunquam se diviserunt simul habitantes vel stantes quicquid acquirent, acquiritur in communi … Ausnahme: legatum, hereditas, donatio, similia … et debitum quod fecerint sit commune. Et ita quod ex eo debito fratres inter se pro partibus contingentibus ipso jure habeant actionem ad debitum solvendum nisi sit debitum fidejussoris vel maleficii vel alterius sui proprii negotii.(次のことは慣習となっている。即ち兄弟達と父方の伯父(叔父)達とその他の者で自分達の財産を一度も分割したことが無く、また一緒に住むか滞在している場合には、何であれ将来獲得するものは共有のものとして獲得される…例外:遺産、継承したもの、贈与されたもの、その他同様のもの…それから債務について(将来)発生するものは(同じく)共有とされる。そしてそれ故に、その債務の中から兄弟達は彼ら自身の間で、それぞれの分担分に応じてその債務の発生分について、法律上《ipso jure》その債務について支払いを行う。但しその債務が保証人のものだったり、または犯罪によるものだったり、誰かのその人自身の業務による債務である場合を除く。)

モデナの法規、1327年に改定されたもの、 l. III rubr. 22: Si aliquis mercator vel aliquis de aliqua artium dederit aliquid in credentia licet ille qui dederit sit absens, socii tamen possint petere si debitor negaverit et si confiteatur rem emisse a socio absenti … alii non possint petere et id in quo socius est obligatus pro societate eo absente et alii solvere teneantur si confiteantur vel probatur contractum factum esse pro societate … et intelligantur socii —(もしある商人または何かを取り扱う者が何かを信用取引で売った場合、その場合にその売った人間が仮に(その後)不在となっても問題は無く、それにも関わらず(その販売者と同じ)ソキエタスの成員達はもし債務者がその債務を否定しようとする場合でも、またはその売った物が(現在)不在であるそのソキエタスの成員から送られた場合でもその代金を請求することが出来る…そのソキエタスの成員は代金の請求を出来ないかもしれない。そしてその不在のソキエタスの成員がソキエタスの名前で負っている債務については、もし他の成員がその契約がソキエタス全体のために成されたことを認めたか確かめた場合には、そのソキエタスの他の成員はその債務について支払う責任がある…そしてソキエタスの成員達とは次のように理解され―この後に先に引用したソキエタス成員達の家仲間としての定義が続いている。

これまで引用してきた諸法規の中に、ある確実な発展段階が存在する。ミラノの法規は明確にランゴバルド法に依拠している。特別に記載された例外的な収入(lucra)を例外として、他の全てはゲマインシャフトの勘定に入る。マッサの法規では逆にゲマインシャフトに入る収入の方を主として記述されている。そこで想定されているのは、共通の相続財産からの収入以外の、ゲマインシャフトの(共通の)負担となるような業務からの所得である。その際に重要なのは、”quamvis … nomine proprio contraxisset”(しかしながら…自分自身の名前で契約した)と記載されている章(r.)においてはほぼいつも次のことが前提とされていることで、つまりソキエタスの成員が締結した契約は、それがゲマインシャフトに関係する場合は、同時にゲマインシャフトの名前でも締結されたと見なされることである。ソキエタスの成員間の関係においては、このことはマッサの法規によれば成員間で平等に適用される。しかしまさにその同じ法文の中にほのめかされている前提を見出すことが可能であろう。それはつまり、受動的な面に注目して見た場合、このことは(ソキエタスの外部の)第三者との関係においては異なっているのではないかということである。この推測は引用済みのモデナの法規の箇所によってよりはっきりと根拠付けられる。ある一人のソキエタスの成員によって「ソキエタスの名前で」(pro societate)締結された契約が、明らかに能動的かつ受動的に、あるやり方でゲマインシャフトに関係づけられることになるが、そのやり方とは各ソキエタスの成員はその契約に関する訴訟において、その「ソキエタスの名前で」というのを一種の言い訳として(ad causam)自身を正当化することが出来るということである。こうした直接的な効果をマッサの法規の1.c.もまた強調している:ゲマインシャフトはローマ法的な形で成立するのではなく、それ故に純粋な売上だけがゲマインシャフトに支払われるかもしれないだけではなく、同時に発生した責任が直接的に能動的かつ受動的な形でゲマインシャフトの負うところになるのである。このことをもっともはっきりと表現しているのは、先に引用したアレッツォの法規である:
 c. 42: Quilibet socius alicujus negociationis mercantiae seu artis in qua … socios habeat, et contraxerit obligationem, dominium, possessio et actio ipso jure et etiam directa queratur alteri socio … Zahlung an einen befreit auch gegenüber den anderen, .. et insuper quilibet socius etiam in solidum teneatur ex obligatione vel contractu pro altero ex sociis celebrato pro dicta societate vel conversis in ea, et d[ictorum] sociorum bona … intelligantur obligata …
(c.42:あるソキエタスのある成員が、商人の仕事または何か別の取引でその中で…ソキエタスの成員達に関わる場合で、そして何かの債務、所有権、所有そのもの、または法律上で認められている行動について契約を締結した場合、そしてその契約について別のソキエタスの成員から苦情を受ける場合、…ある一人のソキエタスの成員への支払いは他の成員に支払ったことと等価だと見なされる…それに加えてソキエタスの成員の誰かだけではなく、またソキエタスの成員全体で次のことへの責任を負うことになる。即ち債務からのもの、ソキエタスの別の成員の名前でソキエタス全体に及ぶ契約からのもの、当該のソキエタスの名前で執り行われたもの、そして前述したソキエタスの財産についてのもの、これら全てについてソキエタスの全体に責任があると解釈される…)

それ故に実質的にまたは形式的に「ゲゼルシャフトの」勘定の中に入れられる業務は、ゲゼルシャフトの成員間の関係において、そしてモデナやアレッツォの法規で見て来たように、また外部に対しても特別な法的効果を持つのであり、その法的効果はまさにソキエタスのある成員の業務ではなく、「ソキエタスそのものの」業務として通用するという点において成立するのである。我々がここで第1章にて論じた合名会社の特別財産のことを振り返ってみると、この「ゲゼルシャフト」の権利と義務と個々の成員のそれとの区別こそが特別財産形成への本質的な契機の全てとなっていることを見出すことが出来る。もし、我々が既に見て来たように、既にソキエタス・マリスの関係の中に次のことへの明確なな萌芽が存在したとしたら、つまりソキエタスの基金を独立のものとすることと、また第三者との関係においてその基金を考慮することへの萌芽であるが、その場合にはそういったソキエタスにおいては、まさしく第三者に対する関係から(ソキエタスの共通基金の独立化が)出現したのであるが、それは非常に先進的な事例であったに違いない。ソキエタスの財産の一部で、それに対する(モデナの法規参照)個々のソキエタスの成員の請求権が、「ソキエタスの名前で」(締結された債務契約)に起因する(強制)処分に対して劣位に置かれるという性質のものが存在する。またあるソキエタスの成員の債務で、そのために、既に見て来たように、強制執行が直接にゲマインシャフトに対して行われるものが存在する。それではゲマインシャフトがそのような(連帯責任の形での)責任を負わない債務についての債権者の位置付け、つまり「個人への債務」の位置付けはどのようなものになるのであろうか?ローディ、モデナ、そしてアレッツォの法規について、ソキエタスの名前で契約した債務がソキエタスの成員達の連帯責任という結果に終わるということと、他の債務がそういう結果に終わらなかったということの相関関係が確かに存在し得たのである。しかしながら文献史料は今度は、先に見て来たように、次の二つの問題を区別していない。一つはソキエタスの成員の個人としての責任の問題であり、もう一つはそれとは本来異なっている(ソキエタスの)共通財産について債権者が差し押さえをすることが出来るかという問題である。我々はそこから次のことを仮説として提示する:個人への債権者であり、かつゲゼルシャフトの財産には関与していない者が、そのゲマインシャフトの財産を直接差し押さえることが出来るということである。しかしもしそうであれば、次のことは想定可能であろうか?:その個人への債権者がゲゼルシャフトの財産について本来まったく何の権利も持っていなかったということが。その答えは「(権利を持つことは)非常に困難」である:我々は既に次のことを確認して来た。つまり家の息子の債務のために、ゲマインシャフトがそれを負担するということは無効であり、そうではなくてその債務はその家の息子が一人で負担するのであり、―不法行為による債務の場合はとりわけそうであるが―債権者はその家の息子が(元の家族)ゲマインシャフトから独立して別のゲマインシャフトを作ることを要求することが出来、その新しいゲマインシャフトに与えられる財産は、その債務者(家の息子)の元のゲマインシャフトの共通の財産の中の彼の取り分と同額なのである。諸法規での規定ではしかし逆に、そういった種類の債務ではなく、ゲマインシャフト全体としての負担に結果としてなるような債務を扱っており、特にそれは商取引上の債務であり、家の息子のゲマインシャフトからの独立について規定しているのではなく、上記で列挙したように、父親、息子達、兄弟達等々にその債務について連帯して責任を負わせている。ここから次のような区別が生じる:1)ゲマインシャフト債務;この債務はゲマインシャフトの成員の財産全体の負担となり、またそれぞれの個人財産においても負担ともなる。2)個人への債務;これについてはあるゲマインシャフトから別れて新しいゲマインシャフトを作る権利と義務を両方含んでいる。これがもし家族ゲマインシャフトにおいてであった場合には、我々はその根拠として次の事を仮定出来る。つまり同様の分割が他の別のゲマインシャフトについても発生するであろうということが。それにも関わらず、フィレンツェの法規を除いて他の諸法規はこの区別については何も言及していない、―フィレンツェの法規についてはしかしながら後で再度特別に論じることとする。

61)ランゴバルド法への依拠は特に次のことを示している。―”quaesita ex successione”(相続からの収入)という観点で見て、古代の法では問題とされなかったものであるが―特別の勘定に入れるべき様々な収入(lucra)(上記参照)の内容を確かめておくべきということである。ランゴバルド法における妻の財産と(契約の)手付け金のように、バルドゥスによって編集されこの論考の注8において引用した箇所において、ゲマインシャフトにおけるdos(古代ローマでの嫁資)がその特別な勘定という問題に関して、非常に重要である。

経営ゲゼルシャフトと商事会社

 以上論じて来たように、次のことを確認して来た:ある債務で一人のソキエタスの成員が実質的または形式的にソキエタスの勘定に入れるべきものとしてまたソキエタスの名前で契約するものは、ソキエタスの財産とソキエタスの個々の成員それぞれに責任を負わせる。その際に思い出さないといけないのは、我々がここで「ソキエタス」や「ソキエタスの業務において」や「その(ソキエタスの)勘定に」入れられる債務の契約を話題にする場合には、必ずしもいつも純粋に法の領域だけにおいて議論を展開しているのではないということである。

 我々はなるほどもはや家計ゲマインシャフトの領域に留まっているのではないが、次のことを確認して来た。つまり経営ゲマインシャフトまたは業務ゲマインシャフト(stacio、bottega)は家計ゲマインシャフトを同列のものと見なしていたし、部分的に、―各都市の諸法規のそれぞれの発展段階によって―家計ゲマインシャフトを継承したのである。このゲマインシャフトに基づく責任については、ただ商業経営に従事した者達だけではなく、作業場で労働した者達、つまり手工業的な業務に従事していた者達にも関係しているのであり、更には独立している者と非独立の者の両方に関係している。後の時代の独立した仲間への制限はブレシアの Statuten der Mercanzia の引用済みの箇所《c.91~107》において見出すことが出来る。ゲマインシャフトの発展は、しかしそれにも関わらずまた次の方向に向かって進行している。それは業務としての労働、手作業から出現した連帯責任の原理が、商業においてもっとも顕著な意義を獲得したということである。その連帯責任の原理はいまや本来の業務的な領域を離れ始めて、業務仲間についてはただ商業の領域にて活動する者、つまり商事会社の社員がその連帯責任の原則を基礎に置き始めたのである。こういった発展は、私見であるがヴェローナの Statuta domus mercatorum で記述されていることなのである:

 l. III c. 85. Item ordinamus, quod quilibet mercator istius civitatis possit habere societatem cum alio de Verona simul et ad invicem, quamvis non essent de uno et eodem misterio. Et quod illi, qui reperirentur esse socii palam teneantur unus pro alio de illo debito et mercanderia vel de misterio quam et quod fecerint stando simul et permanendoin societate: Quod autem praejudicare non debeat alicui mercatori vel de misterio qui non esset socius palam et non steterit simul in societate et stacione: nec praejudicet etiam stando in stacione et essendo socius palam: dummodo non esset praesens, cum socio, ad accipiendam mercanderiam et non promitteret de solvendo eam.
(l. III c. 85. 同様に我々は次のことを規定する。つまりその都市のどの商人であってもヴェローナの別の人間とソキエタスを結成することが出来るということを。しかしながらその逆も同様だが、その二人は一つの同じ職業ではないと見なされる。そして公的にソキエタス関係にあると見出された者達は、一人は他の者のためにその債務と商品とについて、または彼らが一緒に居て同じソキエタスの中に留まった間に従事した職業について、責任を負う:しかしながらこのことは次の様に最初から解釈されてはならない。つまり誰であっても、商人であってもある職業に従事する者であっても、公的には(元々同じ)ソキエタスの仲間ではないし、そして(一緒のソキエタスを結成する前に)ソキエタスまたは工房・店の中に一緒に留まっていた訳でもない:さらにはまた次のような者も同じ公的なソキエタスと工房・店に居たと判断されるべきではない。それは、その者が他のソキエタスの仲間とは一緒に居なかったり、商品を受け取ることになっていなかったり、またはその商品について代金を支払うことを約束しない場合である。)