「仕事としての学問」「仕事としての政治」という珍訳

野口雅弘という方がいて、中公新書にヴェーバーに関する入門書を書かれています。それはいいのですが、この方、ヴェーバーのWissenschaft als Beruf、Politik als Berufを講談社学術文庫に訳されています。そしてその日本語タイトル名が「仕事としての学問」「仕事としての政治」となっています。私はこの日本語タイトルに以前から強い違和感を感じていましたが、この度入門書を読んでこう訳した理由が分りました。
この方の説明によると、「仕事」とは「事に仕える」という意味なので、Berufの一般的職業と神から与えられた召命の2つの意味を同時に持っているのだそうです。故に「職業」より適訳なんだそうです。しかしこの説明は完全にナンセンスです。辞書には「名](スル)《「し」はサ変動詞「」の連用形。「仕」は当て字》」とあり、「仕」は仕えるという意味では使われていません。その元々の意味は「(何かの)事をすること」「している事」というものであり、そこに神から与えられた使命、などという意味を読み取ることはほぼ不可能です。また、一般的職業の意味でも、「急に仕事が入った」「やっつけ仕事をしてしまった」などの用例から分るように、職業に比べて短期の、ひとかたまりの作業的なニュアンスが強くあり、ヴェーバーのBerufがどちらの講演でも、言うまでもなく人が一生をかけてやっていくべきもの、という意味であり、その意味でも英語でいえば gig に近い仕事は訳語としてはより不適切です。
そもそもこの2つの講演は戦前から日本語訳があり、他にも何種も日本語訳が出ているのに、新たに屋上屋を架そうという理由が理解出来ません。そういういわば「便乗翻訳者」に限って変な独自性を出そうとし、しかもそれが誤っているのでは、何をか言わんや、です。
私もこのサイトでドイツ語の日本語訳をやっていますが、翻訳には外国語の知識だけでなく、言うまでもなく日本語の深い知識も必要になります。

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