ヴェーバーの「中世合名・合資会社成立史」について、訳者として思ったことを、素人考えかもしれませんが、紹介してこの翻訳作業の締めくくりとしたいと思います。あくまで翻訳した結果として思った感想であり、下記の個人的意見によって翻訳の内容にバイアスが掛かっているということはありません。
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1.連帯責任原理について
ヴェーバーは合名会社のメルクマールとして成員間の「連帯責任」を真っ先に挙げるが、法律で規定されている合名会社の責任は「無限責任」であり、二つは決して同じ概念では無い。合名会社は複数の人間の間の連帯責任がメインなのではなく、全ての参加者=無限責任社員が一人一人会社の債務全体に責任を負っているのであり、相互の関係は副次的なものに過ぎない。
また、連帯責任というのは信用創造というプラス面だけでなく、大きなビジネスを行う上ではむしろ制約条件になる面もあり、実際にその後の発展を見ても、合名会社はきわめて規模の小さな商店レベルの会社か(無限責任社員が10人いる合名会社といったものは同族会社を除き聞いたことが無い→レースラーが作った日本最初の商法の草案では合名会社の社員は2人以上7人以下とされていた)、あるいは日本の財閥での持ち株会社に好都合のシステムとして使われただけであり、会社制度全体の発展の中では決して本質的なものにはなっていない。結論部に出て来るが、いわゆる悪名高い連帯保証人の制度も含め、「連帯責任」については法学的には決して好ましい制度としては扱われていない。
さらに付け加えて言えば、現在の日本では合名会社の結社性(複数の社員が必要)の要求は無くなっており、一名の無限責任社員だけの合名会社の設立も可能になっている。この場合連帯責任はそもそも存在しない。
さらには、結論部でヴェーバーが書いているように連帯責任原則はドイツ法の合手原理がベースになっている可能性が高い。何故なら、合名会社の財産は連帯責任というより複数の無限責任社員の「共有」の形態として考えた方が自然だからである。しかしこの論文ではその観点での検討はほとんど行われておらず、連帯責任についての研究が中途半端に終っている。その点が結論部では言い訳のように書かれている。
2.会社の特別財産について
会社の特別財産については、合名会社の会社財産は形式的には独立したものに見えるが、実質的には全て無限責任社員の個人の財産によって担保されているのであり、個人財産と大差無い。その場合合名会社の破産ということは、すなわち個人の破産と同等であり、そこに特別財産が成立しているというのは法的な形式に過ぎないと思われる。現在において個人事業か合名会社かという選択はほとんど税金の問題として選択されるケースが多い。この論文では会社組織への課税という観点はまったく触れられていない。
3.商号について
むしろ会社組織の発展の上では「法人」概念の成立が重要だと訳者は思うが、商号と法人概念に関する分析は限定的である。”corpus mysticum”(神秘的な体)については結論部で少し触れられているだけだが、もう少し突っ込んだ分析が欲しかった。
4.その他
・この論文は当初合名会社だけを扱っており、博士号論文(第3章のみ)を拡大して現在の形にした時に合資会社の分析も追加された。そのためか、合資会社についての分析が突っ込み不足であり、何故無限責任社員と有限責任社員の差異が形成されるのかが、capitaneus等の概念が紹介されるだけである。このために大塚久雄氏が言及しているように、ゴルトシュミットやハックマンの批判を招くことになった。
・この時点では当然のことながら、「会社制度の合理化の段階」といった「合理化」の観点はまだほとんど見られない。
・ただローマ法が持っていた汎用性、つまり新しい経済現象が出て来てもそれを取り込んで対応していく能力ということについては言及されている。
・コムメンダの考え方はイスラム教圏におけるムダーラバ契約の考え方が欧州に入って来て出来たものとする説が現在ではあるが、ヴェーバーの当時、ヴェーバーも含めて誰もこのようなイスラム圏からの影響ということを考慮していない。(コムメンダやソキエタス・マリスが最初に発達したピサもジェノヴァも十字軍の拠点であり、(十字軍が拠点を築いた)イスラム圏との貿易が広く行われていた。)
・中世の法規文献の調査については、論文執筆の開始時点ではヴェーバーはスペイン語・イタリア語の知識に乏しく、その2つの言語を学びながら文献を解読していった努力については、泥縄的とはいえ素直に頭が下がる。
・ただ文献調査に多大な時間と手間を要した割りには、得られた成果は地味で、研究の効率という意味では高くない。ある意味師であるゴルトシュミットの研究の補完として使われたという面があるのを否定出来ない。
・この論文で様々なゲマインシャフトの形態がゲゼルシャフトへと変化して行く実例が多く挙げられている。このことが後年の「理解社会学のカテゴリー」での独特のゲマインシャフト-ゲゼルシャフトの理解(ゲゼルシャフトも一種のゲマインシャフトである)につながったのではないか。実際に、この論文で挙げられている例では、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの境界は流動的であり、テンニースのように対立概念と捉えることはほとんど出来ない。
・この論考で中世の教会法での利子禁止がどのように経済に作用したかという検討がされており、プロ倫の中にそれが活かされている。
・ヴェーバーの研究方法が、最初の論文から決疑論であることは非常に興味深い。
・法制史的観点が中心で、経済史的観点が弱い。例えばコムメンダやソキエタス・マリスについてももっと経済史的に突っ込んだ説明、例えば中世の都市国家の社会背景の説明などが個人的には欲しかった。実際に例えばジェノヴァのジョバンニ・スクリーバの公正証書をいくつか読んで見ると、この論文だけでは得られない当時の実情が良く理解出来る。
・しかしながら、ヴェーバーの関心が法教義学よりも法制史(それも経済ともっとも関係の深い商法の歴史)、そして経済史、さらに歴史そのものという具合に変化していく兆しが最初の論文からもう現れているというのは興味深い。
・ピサのConsitutum Ususについての調査は、最初に法規集を編纂したボナイーニとヴェーバー以外には、インターネットを検索した限りの感触ではきちんと研究している人が見当たらず、そういう意味では貴重な研究と言える。
・テオドール・モムゼンはこの論文の審査にゲストとして出席し、あるローマの植民都市を表す2つの単語の差異についてヴェーバーと討論している。そして周知のようにその討論におけるヴェーバーの主張には納得していないものの、ヴェーバーのザッハリヒな研究態度と論理的な能力については高く評価し、有名な「息子よ我に代わってこの槍を持て」発言につながっている。モムゼンもまた、ある面では膨大なラテン語の碑文の解読を行うプロジェクト(ラテン語金石碑文大成)を立ち上げた、きわめて実証的な学者である。