この翻訳で、Gemeinschaft、Gesellschaftを単にカタカナ化した「ゲマインシャフト」「ゲゼルシャフト」とし、敢えて日本語化しない理由を補足します。(Gesellschaftは「会社」としか訳しようがない場合が多いですが。)
ヴェーバーの学問的生涯を通じて、この2つの語はキーワードであり、ヴェーバーのこの2語の使い方は変化を続けてきており、特に「理解社会学のカテゴリー」である意味ピークに達します。
よくGemeinschaftを「共同体」とか「共同態」とか訳す人がいますが、ドイツ語で何かを「共通にする」人間集団を意味する単語には、Gemeinschaftの他にGemeinde、Genossen(schaft)の少なくとも3つが考えられます。いくつかの日本語の百科事典は「共同体」(英語でcommunity)のドイツ語相当語をGemeindeにしています。ヴェーバーのGemeindeの使い方は揺れていますが、近隣ゲマインシャフトを基礎としそこにゲゼルシャフト形成が行われた村落などの地域共同体及び宗教における教団に対しGemeindeの語を使用しています。
また、GemeinschaftとGesellschaftを対立概念と捉え、それぞれを共同社会、利益社会と捉え、前者の例として家族、村落、中世都市など、そして後者の例として各種の会社組織や国家などを挙げるのが、テンニースの1887年の「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」です。これに対してヴェーバーの「理解社会学のカテゴリー」では、そうした二つの人間集団を所与のものとして対立的に捉えるのではなく、まずは「ゲマインシャフト行為」というゲマインシャフトをむしろその時々の人間同士の相互作用に基づくダイナミックな生成物として捉え、さらにその特殊な場合として「ゲゼルシャフト行為」「ゲゼルシャフト関係」を定義して行きます。しかしこのヴェーバーのGemeinschaftとGesellschaftの新しい使い方は、ヴェーバーが「理解社会学のカテゴリー」の内容をミュンヘン大学の学生に講義した時に、テンニースの用法との混同を招き、なかなか理解されない、ということになり、後にヴェーバーがカテゴリー論文を「社会学の根本概念」として書き直すことにつながります。
それからGenossen(schaft)は、「何かを共通にする集団」(木村相良独和辞書によれば、元々は「家畜」を共同所有する集団という意味)という意味ではGemeinschaftと同じです。但しGenossen(schaft)の方が、より対等に近い仲間、という暗黙の了解があるのと、また実際には具体的には認知しがたい概念的な「仲間」に良く使われます。例えば同時代人はZeitgenossenです。同年齢人はAltergenossenです。
Gesellschaftについては、テンニースによれば、この語の成立はGemeinschaftよりもかなり新しいとされています。語源的には、Geselleというのは、旅をしながら自己の職業の腕を磨いていく「徒弟」のことです。シューベルトの「冬の旅」の中の有名な歌である「菩提樹」に、”Komm her, zu mir, Geselle”(こちらへ、私の元へおいで、若者よ)と粉挽き職人修行の徒弟である若者に対する呼びかけとして使われています。Gesellschaftというのは、元はそういう徒弟が共同で寝泊まりする「職人宿」が語源のようです。(Geselle自体が木村相良によれば「部屋を同じくする仲間」という意味のようです。)
色々書きましたが、九鬼周造は日本語の「いき」について、一篇の論文を書いてそこに内包されている意味を解明しました。また日本の民俗学での最重要キーワードに「ケとハレ」がありますが、これらの「いき」や「ケとハレ」は単純には他の外国語には翻訳出来ない単語です。ドイツ語のGemeinschaftやGesellscahftも同じで、いつも決まった一つの日本語に置き換え可能な概念ではありません。どちらもドイツでの社会学では最重要概念です。このことからこの翻訳では、Gemeinschaftは「ゲマインシャフト」、Gemeinschaftは明らかに会社である場合などを除いて「ゲゼルシャフト」と訳します。この点ご了解ください。(最終的に他の日本語で表現した方が適切な場合は、翻訳が一通り完了した時点で見直して、必要があれば修正します。)