IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.274 – 278 日本語訳(34)

日本語訳の第34回目です。これで全体の70%の訳が済みました。
なお、英訳の誤訳と思われるのを指摘した部分は最初の段落です。
========================================
家族ゲマインシャフトの特性

 家族ゲマインシャフトの財産法的な帰結は、ここも我々が既に別の所でなじみとしている事であるが、―家族財産は純粋な個人財産(の集まり)としては扱われず、全ての成員の共通の家計として規定されている。父親はそれ故に法規によれば随意にそのような(貿易取引のための)ソキエタスを個々の息子と結成し、そのことによって他の成員を蚊帳の外に置くことは出来なかった。もし父親がそれでも敢えてそれをやった場合には、そこから得た利益は共通財産の収入となった。もしその父親が「それにも関わらず」、家族財産が個々の成員に分けられていないという状態で、かつ個々の息子それぞれとソキエタスを結成することが一般的に不可能な場合においては、その父親は家ゲマインシャフトから独立していない(家住みの)息子に対しては、不可避的にその時点で法律上一般的に財産と認められる何かを譲渡するぐらいしか出来ず、それ以外に何かを(例えば金銭で)息子に対して支払うことは出来なかったであろう。そこでは次のような考え方が背景にあったのは間違いない。つまり、―より以前の時代からの発展に適合する形で―(家族ゲマインシャフトの)共通の財産に対して複数の(それぞれの成員の)勘定が作られ、それは共通財産が外部に対して開示されていないという状態を損なわない形で、また(他の家族との)相互の関係にてそれぞれ共通財産中に分け前を持つ家族の個別の成員が、自分自身の金銭勘定とリスクの負担に基づいて何らかの業務において企業家としてかあるいは(資本だけの)参加者として関わることが出来るようになったという形で行われていたが、そういった考え方である。以上のことは次の箇所でも確認出来る。つまりピサの法によれば先に詳しく述べた父親の(独立しようとする)息子への財産分与義務は、独立前の息子が何らかの違法行為を行った場合に(も)成立しており、そこにおいてはまた共通の財産に対する分け前への関係においてその息子に固有の、違法行為に対して課せられた罰金の支払いに(も)使用出来る個々の財産について述べている、その箇所である。我々にはこうしたある家族ゲマインシャフトにおいてのそのようにお互いに分け前を権利として認めるという考え方は、共同相続人、兄弟達、そして一般的に同等の地位にある者達の間であるとしたら何も不思議なことではない。しかし父親と息子達の間でもそのような(等しい)関係を想定するということは、あまり自然なことではないように思われる。しかし我々は14世紀における、この先で考察することになるフィレンツェのペルッツィ家とアルベルティ家の会計において次の事を見出す。つまり、事実上かつ疑いも無く分割されていない家計が成立した所では、息子達はその父親がまだ存命中はその本来の家計とは別のある一定の金額の勘定をしばしば作り、それによって商取引を行う家族によるソキエタスに関与していた。この場合に外部に対して父親が家族を代表しているという見方は疑わしかった。しかし父親はそのソキエタスにおいて(外部との)契約にサインし、投資を行っていた。しかし父親はそういうケースではあくまで”per se et filius suos”(彼自身とその息子達のために)それを行っていたのである。

 家族の成員に付随する権利についてのこうした見解、つまり共通の財産に対してのある割り合いによる分け前という考え方がその家族に対してあるはっきりしたソキエタスとしての性格も付与したという見解は、既に以前から主張されており、その際にまた次の事も注記されていた。つまり家族ゲマインシャフトに対するこうした取り扱いは、家族の資本が何世代にも渡って本質的に商業を営むための財産であった場合には、そういう風に取り扱うしかなかったし、またそういう風に取り扱わなければならなかった。

 ピサにおける societas inter patrem et filium facta は、多く法文の中から読み取る限りでは、その中に多くの要素を包含している:純粋な商慣習としての要素、契約法を基礎として派生した要素、そして家族財産法から発生した要素、そして我々に対し抑制的な形で示されているのは家族成員のそれぞれの分け前分に対する権利(の集合体)である共通の財産、そしてまた家住みの息子達などであり、これらの要素は他の場所でも、もっともはっきりした形では(シチリア島などの)南イタリアで見出せる。最後の2つの要素はしかしながら他の要素とは区別して考えるべきで、最初の範疇は家族法から発生するのではない。その源泉は常に同一である。つまり父親と息子が実際に(同じ)ソキエタスの成員である場合であり、そのソキエタスははっきりと「名前を持った」(nominata)ものであり、明確に取り決められており、そうでない限りソキエタスという形態での利益の分割というものは成立し得ないのである。―その結果として、その基礎となるべきはただ契約のみであった。

ピサにおける継承された遺産ゲマインシャフト

 こうした(家ゲマインシャフトと契約に基づくソキエタスの)混合は、また法規が societas inter fratres facta (兄弟の間で結成されたソキエタス)の場合においてはまた特有のものとして認められるものであり、そういうソキエタスは多数の独立していない共同相続人のゲゼルシャフト関係と理解することが出来る。

 父親は法規によれば、遺言による処分によりそのようなソキエタスを自分の相続人に対して基礎付けることが出来たし、同様に相続人達は相続ゲマインシャフトをソキエタスへと作り替えることが出来た。―最初のケースでは、(遺言に対して)直ちに反対を受けない限りにおいて、またどちらの場合もはっきりとした取消し要求がされない限りにおいては有効であった。後者のケースがその当時基本的に許されていたからといって、次のことを当然と考えるのは適当でないであろう。つまり、結果としてその関係はソキエタスの成員達の同意に基づき、即ち原理的にはただ任意の成員間で作られるとかと述べるのは正しくない。解約権の成立は、ソキエタスの契約に基づく成立とはまったく別物である。このことは実務上は次の事を意味している。つまり共同相続人達がそのソキエタスが解散されるまでは相互に拘束されており、また特別な意思表示無しにソキエタスの成員として扱われるということをである。更にまたソキエタスの解散については、様々なケースで個々の成員の除権について猶予期間が設けられており、更に共同相続人の内の一人が業務を遂行することが出来ない場合でも、その者について、権利を取上げることも、また本人からの権利放棄の両方が不可能であることも意味している。それ故に:その相続人ソキエタスは根本的には解散するためには、またそこまで無条件ではないにせよ設立のためにも、共同相続人の意思表示を必要とした。

 ソキエタスの創設のためには、よりむしろ特別の意思表示を代替するものとして、明白な共同相続人の「共生」(communis vita)が確立された。そこからすぐさま派生してくることは、法規が共同相続人達に対して次のことを命じることである。それは「仮に共同相続人達が共に暮さなかった場合でも」(etiamsi non communiter vixerint)、明示的な契約無しに利益の分割を一定の割合に応じて保証することが出来、その利益はある共同相続人が共通の動産を用いて業務を行って獲得したものである場合、それに対してはっきりした同意の意思表示(expressus consensus)を与えることで、利益とリスクは通常のソキエタスの成員間におけるのと同じように分割されなければならなかった。はっきりした同意の意思表示(expressus consensus)はそれ故にここにおいてはその効果において「共生」(communis vita)と等価であった。

Vita communis(共生)

1.前提条件

 これら今述べたことはソキエタスの成立についての vita communis の影響であるとすれば、次のような疑問が生じて来る:この vita communis という概念は、そういった特別な人間関係を除外してみた場合には、それ自体としてはどのような意味を持っているのであろうか?

 Vita communis のここで述べられた意味での法学的な区別のための目印については、Consitutum Usus は次のようなやり方で示している 27):

1)”si de communi in una domo vixerint”(もしそのコミュニティが一つの家に同居している場合は)。―つまり住居ゲマインシャフトであり、この先で述べるように家計ゲマインシャフトでもある。不在者、つまり他の住居に住んでいる者はゲマインシャフトの一員であることを止めることになる。

27)P. 879を参照。

2)”et contractus et similia communiter fecerint”(そして契約またはその同等物を一緒に締結したとしたら)、―これの意味する所は双方が常に一緒に契約を締結するということではなく、双方が契約によって共通の勘定を設定することを意味する。それは法規の補遺の中で、次のように示されている通りである:”sive absentes sive praesentes sint, sive unus praesens alius absens”(双方とも不在であるか、双方とも居るか、あるいは片方が居て他方が不在の場合)。

3)共通の資本の存在は要求されていない。一緒に生きるということだけで、”de eo, quod tunc acquisiverint”(彼らがその時に獲得することになるであろうその物について)ゲマインシャフトとしての作用を及ぼす(ゲマインシャフトのものとして扱う)ことが出来る。それ故に、資本ではなく、共通の労働にここでの人間関係は基礎付けられているのである。このことは次のことによっても確認される。つまりこの種のゲマインシャフトが機能するのは、ただ―ヴェネツィアのcompagnia fraternaの名残として―ゲマインシャフトが男性の成員のみで成立する場合のみである。ただ労働力を提供する者だけが(ゲマインシャフトの)仲間(Genossen)である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA