日本語訳の第19回目です。ラテン語の所だけでなく、ドイツ語の部分も内容がそれなりに錯綜していて理解するのに時間がかかりました。
ただ、新型コロナウィルス騒ぎにも負けずにひたすら粛々とやっています。マルティン・ルターの
„Auch wenn ich wüsste, dass morgen die Welt zugrunde geht,
würde ich heute noch einen Apfelbaum pflanzen.“
(もし明日世界が滅びることを私が知ったとしても、私は今日それ
の気持ちと同じです。
コムメンダやソキエタス・マリスの時は、まず現実の具体例(公正証書等)があって、それから法規の話になったので理解しやすかったですが、この章では、諸法規の規定の元になっている現実というものはあまり具体的には示されず、最終的な結果として残された法文から逆に歴史の具体的な事実を遡って再構成するというやり方になっており、それだけ理解するのに苦労します。しかし、ヴェーバーは各都市の様々な法規を本当に良くチェックしており、直接の1次資料ではないにしろ学問的な努力という意味ではこの章の内容はそれなりに深いものがあると思います。
元のドイツ語はここです。
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第三者に対する法的関係。血縁を基礎とする責任関係。
法的に重要な様々な事実が(何らかのゲマインシャフトの)構成員である個人の枠を超えて権利と義務を産み出すという現象は、疑うことなくまずは氏族(ジッペ)を基礎として発生するのであり、その氏族の間においては相互に義務(債務)を保証しあっていたし、またそれに相当する権利(債権)も持っていたのである。特に私的復讐の権利と義務はある種の”obligatio ex delicto”(違法行為から発生する義務)を創り出すのであり、そこにおいては各成員は能動的(復讐を行った場合)または受動的(復讐を受けた場合)に法規則に沿った形で関与するのである。このことに該当する法律上の規定は、中世後期になってもまだ完全には消滅していなかった 27)。
27) Constititum Legis Pisane civitatis l. II c. 77(ピサの市民法)に出て来る私的復讐が違法行為を行った者に対して行われる場合についての刑罰の規定を参照せよ。
能動的・受動的な殺人に対する賠償金の義務が既にleges barbarorum(ゲルマン法)においてほとんど純粋に財産権法的な性質を帯びた(つまり債務となった)後においては、義務的債務についての責任という概念への原則的な制限がもはや存在していなかったかのように見える。それは特にローマ法における不正と(ゲルマン法における)犯罪との明確な区別が欠如しているということをあまり意識していない場合に特にそうである。実際の所、それ(殺人の賠償金、支払い義務が財産権法的な性質を帯びるということ)に関する法規上の条文は、ランゴバルド法において見出すことが出来る。とは言ってももちろん純粋に氏族的な関係に更に財産権法的な関係が追加された、という形においてのみであるが 28)。このような(財産権法的な)経済の根本原理は氏族関係においては存在していなかったし、少なくとも信用貸しがある程度行われるようになった時代においては、氏族関係はそれ自身はまったくもって経済的なゲマインシャフトではなく、それ故に犯罪から生じる責任を超えて発展することは無かったし、ビジネスの中で発生する債務についての土台という意味では、氏族関係は有効ではなかったし、氏族的な関係に基づく動機は金銭に換算出来るようなものではなかった。
28) Rubr. De debitis et guadimoniis et que liceat pignorare vel non. Rex Rothar: Nulli liceat alium pro alio pignorare, excepto illo qui gaphans esse invenitur id est coheres ejus proximior qui ad illius hereditatem si casus evenerit venturus est. (ランゴバルド法の中の表題「債務及び利益について、差し押さえが許されるもの、または不可のもの」。ロタリ王:誰も他人の名前において何かを差し押さえることは許されない。例外としてその者が”gaphans”であることが分った場合以外は。”gaphans”とは、その者がほぼ共同相続人に近しい者であって、財産を相続するためにやって来たという場合のことを言う。)
“Gaphans”についてAlbertusは次のように説明している:「それは近縁の親族であって相続するためにやって来た者のことである。」それ故に債務は最も近縁の親族に対してに限定されており、それは債務者がまだ生存している時においてもその最も近縁の親族に対して既に発生しているのであり、遺産との関係が重要である。どの程度まで相続人の債務がここに端を発しているかということは、はっきりしていない。更にLimprandus王《Liutprand王、712~744年の間、ランゴバルドの王。》:
Si quis debitum fecerit et res suas vendiderit et tale fuerit illud debitum, quod solvere non possit et filius ejus per uxorem suam aliquid acquisiverit vel postea sibi per quodcunque ingenium laboraverit postquam genitor ejus omnes res venum daverit vel pro debito suo creditoribus suis dederit: aut a publico intromissus fuerint; non habeant facundiam creditores res ejus quas filius ejus de conjuge sua habere videtur vel postea conquisivit aut laboravit … distrahendi … sie tamen ut … prebeat sacramentum quod de rebus patris vel matris sue si ipsa in mundio patris mortua fuerit nihil apud se habeat nec alicui commendaverit …
(もしある者が債務を負うことになり、(その債務の解消のため)自分の所有物を売却することになり、それでもその債務を(全て)解消することが出来ない場合、その者の息子がその配偶者から財産を得た場合、もしくはその息子がどこかで働いた結果としてお金を得た場合、その父親が全ての所有物を売却したか、その債務のためにその代金を債権者に与えるということが済んだ後で、またはその父親がその財産を公衆によって差し押さえられた場合、そういった場合においても債権者は債務者の財産(のように見えるもの)でその債務者の息子が配偶者から得たものまたはその息子の労働により獲得したものを強制的に取り立てる権利を持たないであろう。…しかしながら…その息子は父親の財産からまたは母親が父親の監督権下にある状態で亡くなった場合にその母親の財産から何も得ておらず、また隠してもいないということを誓わなければならない。)
Ariprandはこの箇所から次のような陳腐な結論を導き出している。つまり「財産を何も相続しない者は、債務についても何も相続することはない。」ランゴバルド法ではしかしながら、Pappenheimの”Launegild und Garethinx”のP.70で述べられているように、被相続人(親)の死後の相続人の責任については規定しておらず、その被相続人(親)がまだ存命中の(相続人の)責任について規定しているのであり、その第2節では相続人である息子に対してある一定の生業で得られた自由に処分出来る財産についての保証を与えており、その際には(その相続人である息子と)父親の所有物に対する関係が、再度本質的なものとして記載されている。―Petrus《Petrus、生没年不詳、12世紀初頭のフランスのプロヴァンスの法学者》の”Petri Exceptiones Legum Romanorum”のLL. RR. l. IV c. 53における以下の箇所が何かの意味があるのか、または何を意味しているのかは、つまり父親が召使いと息子との間の契約について責任を持つかどうかは、”si in rem patris versum est, in solidum”(それが、全体として父親の物に転じるかどうか)ははっきりしない。おそらくは、息子と召使いが家計においての何かの物について契約する、ということを意味しているかもしれない。
家計ゲマインシャフトを基礎とする責任関係
家計ゲマインシャフトの領域において今やある構成員の違法行為についての責任は他の成員達が負うことになる 29)ということが(様々な法規で)見出される。しかし(法規の中の)そういった規定に続く詳しい説明では、ある成員の契約上の債務が他の成員に及ぼす作用ということに対しては、そういった(共同)責任は全くの所後退してしまっており、最終的には消滅してしまっている。しかしこの作用については、そういったゲマインシャフト関係を基礎として成立したのである。常に(そういった法規で)見出されることは、未成年者の法という観点において、ローマ市民法での違法行為とゲルマン法での犯罪がほぼ同じと見なさざるを得ない場合、つまり処刑法においてと特にここでは逃亡した者の破産において、違法行為から発生したのではない(単なる)債務が発生するという場合であっても、犯罪という観点(からの責任=債務の発生)を準用して考えるやり方への郷愁である。
29) クレモナの法規(1388年 第495項)とマッサの法規(1592年、規定自体はそれより古い)の l. IV c. 17は家の主人と父親に対し、召使いや家の息子に生じた損失について無制限に責任を負わせることを定めている。シチリア島において1282年の憲法(Pardessus V P.255)は、息子、父親、兄弟等の間での相互責任を無効としている、”cum poena suos tenere debeat authores”(処罰がそれを行ったものを結び合わせる場合は)。その他の法規(ボローニャの法規のv. J. 1250ff. l. II c. 8、ピサのConstitutum Ususの45―後代での追加―、ヴィチェンツァの法規のv. 1264 III c quod dominus、モデナの法規のv. 1327 ref. l. IV c. 10)は違法行為、特に家の息子達が行ったものについての責任についての制限という形で、より早い時期に成立した無条件の責任を規定している。これに該当するフィレンツェの法規の中身については、後でまた取上げる。
1.共有財産についての責任
さて、今まで述べて来たような様々な人間関係について具体的なイメージを持とうとした場合、明らかなのはゲマインシャフトの成員の債権者に対する債務において、まず第一に次のような本質的かつ実際的な疑問が湧き上がって来ることである。その疑問とはその成員がその債務のために万一強制執行を受ける場合にどのように振る舞うのかということであり、特にその成員が共通の家の中において直接強制執行を受けるのかどうかということである。法の発展の中ではこの問いに対しては肯定を与えており、こうした全体のまとまりとしての家計という考え方が、疑いもなく基本的な法学上の思考形式を創り出していたのである 30)。そうした総体としての家計は処分したり、また誰かがそれを代表したりすることが可能であったし、―それらの適用の仕方が全成員において同等ではなかったにせよ―根本的にどの成員にも権利が与えられていたのであり―こうした考え方は私法においても公法においてもまたそれ以外でも重要な意味を持ったのである。こうした種類の責任 31) は、実際的には次のような法文の中に登場する。つまりあるゲマインシャフトの成員の債務について、その成員がその債務を支払わない場合、その債務全額に対する強制執行が家の総体に及ぶということである。こうした考え方が根本原則であることは、次のような場合に見出し得る。その場合とは、諸法規が既に共通の家の中に見出し得るものの全てに対しての無条件の責任に対し制限を加えた箇所において、そうした制限が、まずは家の中に存在する全ての物が一旦差し押さえられ、次に法規において全体または部分的な差し押さえの免除を受け得ることが規定されている者が我々の用語での「調停」を申し立て、無条件の責任に対する制限の法的根拠を立証しなければならなくなる、という形で実現される、そのような場合である:Statuta Communis Vicentiae 1264 l. III c. de emancipationibus:[„] … quicquid filius habet, hoc totum praesumatur de bonis parentum habere, nisi expressim et liquide possint probare … se acquisivisse ex officio vel successione vel … alia … justa causa …[“]Ebenso Statuta Massae (gedr. 1592) für die communio fraterna. Liber tertius causarum civilium communis Bononiae (gedr. 1491):
(1264年のヴィチェンツァのStatuta Communis Vicentiae 1264 l. III c.の{子供の父親からの}解放について:「…ある息子が所有している物が何であれ、その全ては両親の財産から得たものだと推定され、明白に相続によって得たと証明される場合、職業上の正当な権利によって獲得した場合、財産の(相続以外の)継承による場合、または他の正当な理由による場合を除く。」)
マッサの法規(1592年)もcommunio fraterna(兄弟同士のソキエタス)について同様のことを定めている。
ボローニャのLiber tertius causarum civilium communis Bononiae (1491年):父親(の父権)から解放されて一人前になった息子達は、差し押さえしようとする債権者に対して、自分達は当該の債務が発生するよりも前に解放されていた、と証明することになっていた。
30) 他の人間関係については:ヴィチェンツァでは公的な債務は家に対して賦課された。(Statuten v. 1264 l. II c の最後の所)ミラノではそれが家族に対して賦課された。(Statuten v. 1502 fol. 81、1217年の追放に関する法規のIの最後の箇所によっても既に規定されていたことを参照せよ。)家族の構成員は連帯してその賦課を負った。モデナでは(Statuta 1327 ref. I 165)各々の家族の構成員は家族に対して課された兵役の義務を果たした。シエナでは(Statuten v. 1292)個々の手工業の工房(bottega、より正確には工場と販売店を兼ねるようなもの)が、個人ではなく、ツンフト(同業者組合)への上納金を支払っている。モンカリエーリでは(Statuten v. 1388 H. P. M. l. Mon. I vol. 1450)fratres communiter viventes(一緒に住んでいる兄弟)の債権は、相互に所得税の評価のためには、それぞれの財産の中には組み入れられなかった。フィレンツェのカリマーラのStatuto dell’ Arte を一瞥すると、その地ではどのように個々の工房(bottega)と個々のソキエタスが、その土地でのツンフトの組織の基礎として使われていたかが示されている。
31) ローマ法についてはこの事柄についてはよりシンプルであった。家族の中の父親については家族全体が責任を負った。そして家族の中の息子については、その息子自身が責任を負った。manus injectio (債権者が債務者に対し手で触れるという、古代ローマ法においての強制執行の象徴行為)が息子に対して行われた場合には、父親がその息子に代わって債務を支払うことになっていた。―中世の法は財産能力の無い者が債務を負うということ自体を認容しなかったであろう。―別々に住んでいない共同相続人については、ローマ法はその譲渡可能な各人の相続分について責任を負わせた。こうした法概念は中世の法には見られない。