日本語訳の第22回目です。今回の部分はラテン語の引用が2箇所、イタリア語の引用が1箇所あった関係で時間がかかりました。イタリア語の部分は17世紀のヴェネツィアの法律ですが、この論考では初めて現代のイタリア語にかなり近いもので、現代イタリア語の辞書で、若干綴りが変っている以外はほとんど単語を調べることが出来ました。会社組織となるソキエタスと相続ゲマインシャフトの関係が色々と論じられている重要な箇所だと思います。
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ヴェネツィア
この「残存物」においてはしかし実際の所はより古い時代のある法的解釈を問題としているのであり、共通の法からの恣意的な逸脱を問題としているのではないことは、ヴェネツィアにおける法の発展がそれを証明している。
我々にとってここで興味深いことは、ヴェネツィアの様々な法規の中で繰り返し言及されている”fraterna compagnia”《共同相続人である男性の兄弟で結成される相続財産を共有財産として持つ一種のソキエタス》である。そこにおいてはその制度は一定の期間だけ連続して存在する相続ゲマインシャフトであると解釈される。問題となるのは次の箇所である:
l. III c. 4 de fraterna compagnia.
Volumus quod fratres mortuo patre remaneant in fraterna compagnia quamdiu divisi non fuerint. Idem in germanis consanguineis filiis fratrum inter se et cum patruis. Et non procedat ultra fraterna compagnia. Sorores autem inter se et cum fratribus non sint in fra[terna] cia, sed faciant inter se sorores rationes eorum tantum que habuerint a patre vel avo vel aliquo alio de superioribus … et etiam cum fratribus si fratres inter se remaneant in frat[erna] cia nisi et ipsi divisionem fecerint. Si pater … aliqua specialiter dimiserit filio … illud non erit de frat[erna] cia.
(l. III c. 4 fraterna compagniaについて。
我らは次の事を希望する。つまり兄弟達はその父親が亡くなった後はお互いがばらばらに別れてしまわない限りは、fraterna compagniaの中に留まることを。この事はその兄弟達の血縁上の息子達、その兄弟達の間、そして彼らの父方の伯父についても同様である。そしてfraterna compagniaはそれ以上に拡大して適用されることはない。姉妹達についてはしかしながら、彼女達自身の間でもまた兄弟達との間でもfraterna compagniaに所属することはない。しかし彼女達は、彼女達の中で、ただ父親から受け取るであろうもの、または祖父から、あるいはともかく彼女たちより年長の誰かから受け取るであろうものについては、それは彼女たち自身の財産勘定として持つことになるであろう。…そしてまた兄弟達が彼ら同士の間でfraterna compagniaの中に留まり、彼ら自身がばらばらになってしまわない限りは、もし父親が…何かを特別にその息子に与えるとしたら…そのものはfraterna compagniaのものにはならない。)
すなわち:fraterna compagniaは兄弟間での(共有する)財産について形成されるのである。それ以外にfraterna compagniaには属さない別の財産が有り、それは特別な遺産として遺されたもので、姉妹達の相続分である。その後者の相続分はなるほど(家族)ゲマインシャフトの中に存在しているのではあるが、それはゲマインシャフトとの関係においては単なる精算関係(rationes faciant = 精算すること)なのであり、単なる一つの勘定であるに過ぎない。兄弟がゲマインシャフトに所属するということは、それ故もっと多くのことを意味するのである。それは一体何か?それについてはまだこの段階では明確になっていない。しかしながら、先に引用したランゴバルド法の箇所にこの制度の名残が見られることは明らかである。
このfraterna compagniaの関係とその他の類似の関係に関連しているのが1335年にヴェネツィアとコトル《モンテネグロの都市、中世においてはダルマチア地方の有力な都市国家だった。》との間で締結された権利補助契約 43)の一節である:
„… Item quod fratres, existentes in fraterna societate, teneantur cuilibet debito facto per aliquem ipsorum, cum hoc condicione, quod ille frater qui noluerit teneri debito fratris sui, ante debitum contractum debeat fecisse cridari per riparium dicte terre in platea et scribi per notarium in quatreno communis se nolle teneri ad debitum fratris, et taliter … minime teneatur. — Item quod socii, habentes, societatem, ad invicem teneantur ad debitum factum per aliquem ipsorum, quod si fecerit cridari et scribi se nolle teneri, ut de fratribus proxime scriptum est superius etc.“
(同様に兄弟によるソキエタスの成員である兄弟は、そのソキエタスの別の成員である誰かが負った債務について責任があり続け、それは以下の条件の場合に、つまりある兄弟が他の兄弟の債務について責任を負い続けることを望まない時に、その債務が発生する前に、(その債務が発生するであろう)当該の通りの運河の土手一帯に向けて宣告し、さらに公証人の元で公正証書を4部作成しコムーネの公式登記簿簿に登記しなければならない。《通常公証人の公正証書は、(1)まず公証人が自分用のメモを作成、(2)次いで公証人自身の登記簿に登録、(3)公正証書の作成、と3段階を経るが、更にコムーネの登記簿に登記する場合は4番目の作業がある。この全ての過程を合わせて「4部作成」と表現していると思われる。》その内容は、彼は自分の兄弟の債務について責任を負わされることを欲しない、等々というもので…(その証書によって)彼が(他の兄弟の)債務を負わされることは決して無かった。―同様にソキエタスのメンバーである成員は、ソキエタスの他の成員の誰かが負った債務について相互に連帯責任を負っていたが、しかしもしある一人の成員が宣告して公正証書を公式に登記して彼が兄弟によって発生した債務について責任を負わないとした場合、まさに先に上記のように兄弟のソキエタスで公正証書が作成されたのと同様に、等々。)
さらに次のように言及される:
„frater sive socius habens societatem fraternam cum illo.“
(ある兄弟またはソキエタスの成員が、その者と共に兄弟のソキエタスに所属する場合。)
43)1868年のMonumenta spectanita historiam Slavorum meridionalium Vol. I ZagrabiaeのNo.696。
ここにおいて観察することが出来るのは、まずはcompagnia fraternaに関することとしてはその法的な帰結としては連帯責任なのであり 44)、ただ一定の書式によるそれに対する拒絶のみを認めているということである。そして特徴的なことは、こういった法的な帰結について、コトルとの交信文ではそれについて言及されているが、ヴェネツィアの法規ではそういった言及が無いということである。つまりヴェネツィアの内部での取引においては(連帯)責任そのものが自明のこととされていて、特別な個人の都合を認めることが無く、ただ国際的な取引においてのみそれが認められていたことである。まさにそれと同様にソキエタスにおいても、ここでは相続ゲマインシャフトと並んで重要なものとして位置付けられているが:またもソキエタスとそこから発生する連帯責任についてはヴェネツィアの内部の法規では言及されておらず、ただ外国のコムーネに対してのみそれに関係した内容について言及されている。
上記にて引用したヴェネツィアの法規の目的は、以上のことからも分るように、いずれにせよfraterna compagniaの導入を意図したものではなく、おそらくはfraterna compagniaにおいてそれの対象となる世代の数を限定することを意図したものであろう。立法というものの傾向は得てしてこういう方向に行きがちである。というのも17世紀においてさえZorzi《Marc’ Antonio Zorzi、1703~1787年、イタリアの法律家・詩人》がfraterna compagniaに対しての分割請求を実務的に処理した時には、この制度の本質的な側面である対外的な作用が、次の法文によって既に無効とされているのである:
1619. 7. Luglio. Nel Magg[iore] Cons[iglio] Essendo per Legge nello Statuto nostro deciso che la fraterna cia sintenda, quando li fratelli non sono tra di essi divisi nelle faccoltà e occorrendo ch’alcuno, ò per mal giorno ò per altro contraza debiti, li Beni di tutta la facoltà sono sottoposti e così ne rimane il danno e pregiudizio anco à quelli che non ne hanno havuto colpa … andarà parte:
che nell’ avvenire non possa il fratello di fraterna in alcuna maniera senza l’assenso espresso dell’ altro fratello, obbligarlo … ma ogni obbligazione … s’intenda sempre propria e sola di quel fratello che l’havesse contratta, e i Beni della sua specialità e della sua porzione di fraterna a lui spettanti obbligati à pegno, non quelli d’altri fratelli …
( 1619年7月7日、大評議会《Maggior Consiglio、ヴェネツィア共和国の最高決定機関》にて。ヴェネツィア共和国の法律に基づいて以下のことが決定された。つまりfraterna compagniaとは次のことを意味する:即ちある特定の兄弟達において(相続した財産が)それぞれの財産に分割されておらず、またその兄弟達の誰かが時勢に恵まれなかったとか、あるいは他の理由で債務を負う契約を締結することになった場合、その兄弟達全体の財産はその債務に対して責任があり、仮にその兄弟達に何の違法行為が無かった場合でも、その財産が被った経済的害や損失はそのまま有効である…別の箇所では:
あるfraterna compagniaの中の一人の兄弟が、どういうやり方であれ、他の兄弟による同意無しには、自分単独で債務を負う契約を締結することは出来ないということを意味している。…しかしまたその一人の兄弟が契約したどのような債務もそれはその兄弟だけに責任がある特別な負債であり、fraterna compagniaの中での彼の取り分のみがその負債の担保とされ、他の兄弟の取り分についてはそうならないということを意味する…)
44)マニン《Danielle Manin、1804~1857年、ヴェネツィアの弁護士・政治家、1848年に成立したヴェネツィア臨時政府の大統領となったが1849年にオーストリアに敗れ、以後はパリで亡命生活を送った。》の(Giurisprudenza Venetaでの)見解によれば、兄弟は同意がある場合にのみ責任があるということは、より以前の時代においては正当なこととはされていなかた。
45)Pratica del foro Veneto(ヴェネツィアの法曹実務について)のP.35を参照せよ。
この法規定から直接には、連帯責任というものは相続ゲマインシャフトから派生した招かざる法的帰結であるかのように見える。それ故に人が相続ゲマインシャフトによって得るのは、ソキエタスの共通の基金という特性であり、その特性は元々は法律の規定としてそのゲマインシャフトに固有のものとして決められていたものである。というのもこのソキエタスの共通基金というのは、元々はソキエタスの男性の成員に対する制限として発生したのであり、すまりはソキエタスが従事するビジネスにおいて、個人的な労働を通じて関与する成員への制限からであり、その際姉妹達はそういった男性成員とは別扱いされ、何か特別な場合において「参加者」として扱われるに過ぎなかった。1619年のヴェネツィアの法律はそれ故にソキエタスの共通基金の特質をまだ単なるソキエタスの契約によって作り出された財産ゲマインシャフトとしている。ここにおいて我々は以下のような発展への契機を見出すことになる。それはつまり家族仲間の間での共通の経済が、それはかつてその集団の主要な要素であったのだが、次第に後退していき、純粋な契約ベースの関係に席を譲るために、やがては完全に消滅してしまうという発展である。まだヴェネツィアにおいては、コトルとの契約が示しているように、この発展はただ次のことを通じて実現している。つまり、個々の共同相続人が、異議申し立てによって、それぞれの留保分の財産を確保することが出来、そしてその者がfraterna compagniaの一員としては扱われないということを通じてである。他のイタリアの諸都市では、(フィレンツェの)Alberti家に関する記録やPeruzzi 46)の書籍が明確に示しているように、《AlbertiとPeruzziについては第3章の注23と注25を参照。》後になって次のことが生じた。つまり(家族ゲマインシャウトとソキエタスの)関係が逆になっていて、その結果最初に共同相続人としての特性がソキエタスの成員という性格を形作るのではなく、家族仲間がまたある特別な時間的に限定された契約を締結し(それには公的な登記をするための通知が規則的に付随していた)、そうして初めてソキエタスの成員としての全ての働きが生じているのである。つまり、そういったことを通じて家族ソキエタスというものは、他のゲゼルシャフトの仲間として完全に現れ出でるのであり、その特徴としては本質的には、元々存在していた共通の財産と生業を執り行うという基礎の上に、ソキエタスを特別に簡易的に基礎付けることが出来たということである 47)。
ヴェネツィアの法律は、他のイタリアの諸都市における法の発展とは別に独自の道を進み、ローマ法の伝播とはほとんど接点を持たず、しかしまさにそれ故に、一般法における新たな法形成に対し手は大きな影響を及ぼすことが無かった。そうした一般法での新たな法形成は、様々に異なる諸要素が交錯することに成立しているために。その過程において、まさに我々がヴェネツィアの例で得ることが出来たような、単純な絵を描くということは常に完全に不可能であった。
46)Passerini《Luigi Passerini Orsini de’ Rilli、1816~1877年、イタリアの政治家・歴史学者・系譜学者。》の”Gli Alberti di Firenze”(フィレンツェのアルベルティ家)を参照。また、Peruzzi《Simone Luigi Peruzzi、1832~1935年、イタリアの歴史家、メディチ家に連なる家系の出身。》の”Storia del Commercio e dei’ Banchieri di Firenze”を参照せよ。更に本稿で後述するフィレンツェの部分も参照せよ。
47)ヴェネツィアの法律のその他の内容は些末なものが多く、注目すべきなのはただ、例えば l. I c. 37 にて書面での契約による家の息子の債務が父親の責任としては特別に免除されている、という箇所くらいである。大規模な、書面によって契約された信用業務においては、上記に述べられているように、責任を制限することへのきっかけをまず見出そうとしていたのである。