日本語訳の第23回目です。ここでは極めて多種多様のイタリアの諸都市の法規が出てきます。もちろんヴェーバーがそれの1次文献を直接参照したのではなく、多くはラスティヒの著作における引用を通じてですが、それにしてもかなり包括的な研究はさすがヴェーバーで栴檀は双葉より芳し、という感じです。
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その他のイタリアの地方諸都市における法規
我々にとって法的発展の出発点であると仮定できる法文、それはつまり他の者と一緒に共通の家計において全員が生業に勤しむという形での完全なゲマインシャフトの中で生きる者は、それが家族ゲマインシャフトの仲間であっても、また工房(stacio)または店(taberna、bottega)における手工業者兼小商人のソキエタスの成員であっても、後者のケースは古い時代においては同じ家に住み込むことになるのであるが、どちらにせよその仲間が債務者として連帯責任を負うという、そういう法文は重要な内陸都市のほとんど全ての法規に見出すことが出来る。家族仲間のゲマインシャフトについては以下の法文の下記の箇所で扱われている:
・Liber civilis urbis Veronae c. 150 (父親と息子の相互の責任を定めている。) ・Statuta communis Vissi l. III c. 19.
・14世紀のローマの法規(Camillo Re編)のc. 108: Haftung der fratres dictorum mercatorum campsorum vel qui in communi cum eis vixerint.(前述の両替商の兄弟またはその者と一緒に暮した者の責任。)
・Liber tertius causarum civilium communis Bononiae、1491年印刷のもの: 小作人及びその小作人と”in eadem familia vel communione vel societate”(同じ家族としてまたは同じ地域または同じソキエタスで)生活している者は地主に対して責任を負う。
・1388年のクレモナ《イタリアのロンバルディア州の都市》のStatuta mercatorumのrubr. 101から126、逃亡者について: 責任を負うのは patres, fratres, filii … socii … et qui cum eis stant ad unum panem et vinum({その逃亡者の}父親、兄弟達、息子達…同じソキエタスの成員…そしてその者と一かけらのパンと一本のワインを共にした者達); 同様の規定が見られるのが次の2つ:
-1388年のクレモナのStatuta civitatisのrubr. 495.
-1582年印刷のマッサ《イタリアのトスカーナ州にある都市》の法規、l. III c. 77: Si fratres paternam hereditatem indivisam retinuerint et simul in eadem habitatione et mensa vitam duxerint, (もし兄弟達が父親の遺産を分割しないで保持し、そして同時に同じ家に住み同じものを食べるのであれば、)その各々はゲマインシャフトの名前において契約するという仮想的な権利を持つ。
・1422年のStatuta Burgi et Curie S[ancti] Georgii: 父親と息子の相互の責任。 ・ブレシア《イタリアのロンバルディア州にある都市》のStatuti della Mercanziaのc. 91 から107、逃亡者について:責任はその者と一緒に生活した者全員に及ぶが、その者の家族において参加者=共通利害の関係者(commis intéressés)では無い者(使用人など)を除く。
・ベルガモ《イタリアのロンバルディア州にある都市》のStatuti e privilegi del Paratico e foro della università de’ mercantiのc. 89: 以下の者は責任を負う:”filii et fratres qui cum eis stant ad unum panem et vinum et fratres et socii ejusdem negotiationis ipsum negocium exercentes et omnes alii descendentes talium fugitivorum“(息子達と兄弟達でその者達と一かけらのパンと一本のワインを共にした者、そして兄弟達と、その者と同じ業務上のソキエタスの成員で自分自身でも業務を行う者、そしてその逃亡者達の全ての子孫)、更にc. 92、 93など。
・1600年改定のボローニャ《イタリア北部のコムーネ》のStatuti della honoranda Università d’ Mercatanti della inclita cittàのrubr. 60 と fol. 48. ここに引用した法規の内のいくつかは、まだ印刷技術が発明されていなかった時代のものであり、ただラスティヒの何度も引用した論文の中の抜粋という形で出版されているだけである。 これらの法規の一部(マッサ、ベルガモ、ボローニャ)は、家計ゲマインシャフトに並置して同一の工房(stacio)、食堂(mensa)、店(negociatio)のゲマインシャフトを位置付けているか、または家族仲間に並置してこれらのソキエタスの成員について述べている。
以下に引用する法規の箇所は、家族ゲマインシャフトへの特別な言及無しに、工房(stacio)とソキエタスの成員について責任を負わせている:
・13世紀のピアチェンツァ《イタリアのエミリア=ロマーニャ州にある都市》のStatuta antiqua mercatorumのc. 550:si plures permaneant in una stacione et unus eorum mercatum fecerit … quod quilibet ipsorum teneatur in totum … si fuerint socii in illa stacione.(もし複数の人間が一つの工房の中に引き続き居住してそしてその中の一人が何かの商売をする場合…何故ならばその中の誰であっても全体に対して責任があるからである…もし彼らがその工房でのソキエタスの成員であったのなら。)同様の内容が1341年のCap[itula] de fugitivisにも見られる。
・Statuta domus mercatorum Veronae IIIのc. 85の箇所、ここについてはこの論考で後に更に扱う。
・Statuta urbis Mutinaeの1327年改定版のl. IIIのrubr. 22:ソキエタスの成員の責任;それについての補遺:”et intelligantur socii quantum ad predicta qui in eadem stacione vel negociatione morentur vel merceantur ad invicem“.(そして彼らは次の限りにおいて{その}ソキエタスの成員であると解釈される。つまりその者達が前述の者と同じ工房{stacio}または店{negociatione}に留まっているか、あるいは相互に取引がある場合である。)
・1292年のシエーナ《イタリアのトスカーナ州の都市》1292年のStatuti de’ LanajuoliのDist. II c. 22. ・1312年のスプリト《クロアチア南部の都市、15世紀から18世紀終わりまではヴェネツィアに支配された》のStatuti dei Mercanti(ラスティヒによる)。
・1376年のルッカ《イタリアのトスカーナ州の都市》のStatuti del Corte(ラスティヒによる)。
・アレッツォ《イタリアのトスカーナ州の都市》の法規(1580年版) l. II rubr. 42: ソキエタスの名前で締結された契約に対するソキエタスの成員の連帯責任。
非独立の仲間の責任
こうした(連帯)責任は原則的にはゲマインシャフトに所属する(独立の)者が負うが、その場合非独立のメンバー:(独立前の)息子、(家族ではない他から来た)職人、(家族ではない)店員にもこの責任が及ぶ。ここに述べられた後者の者達の責任の重さの程度はもちろんそれぞれで異なっている。しかしながら家族については次のような事態が発生している。つまり、従僕やお手伝いの場合においてもまた、諸法規の傾向はむしろ、以前は独立したゲマインシャフトの仲間について、すべてを制限無く等しくみなしていたのを今度は制限するという、ある意味まったく逆の方向に向かっているのである。それ故に前述した非独立の者達は、その時々において家に属する財産を許可無く勝手に売却する 48)ことは禁じられていたのである。ということはつまり、より古い法原則によれば、そうした者達は以前はゲマインシャフトの主人(Chef)を拘束するやり方で、彼らの家の仲間としての立場からの自然な帰結として彼らの権利が想定されるような家の財産を自由に処分することが出来るということについての広範囲に正当とされる権利を獲得していたのに違いないのである。従僕の立場については、この論考のフィレンツェの所で再度手短かに論じられる。我々にとってここで興味深いのは、これらの家における様々な非独立の働き手と本質的に同様に、家の息子を取り扱っているということであり、それは同時にローマ法と比較した上ではまさにはっきりした違いを示している。そのローマ法は半ば神話化している種族の(共有)財産(Gentilvermögen)が消滅した後は、ただ個人の財産だけを扱っているが、商取引における増大する信用取引への要求によって、家の息子に課せられていた責任の中身を規制する必要性を感じていたのである。しかし、他に利用出来る法的な観点が存在しなかったため、ローマ法は家の息子の責任についての規制の根拠として、非自由民の特別の固有財産という考え方を利用したのである。それ故に唯一の現実的な特別財産の形成は、それは商取引における切迫した要求に応えるものであったが、actio tributaria《ある主人に従属する者が、本来その者の固有財産に入れられるべき利益の中の取り分を、主人がごまかして自分のものにしようとした場合に、従者が主人を訴え苦情申し立てをすること》という形で発展し、奴隷の権利に関する領域から出現したのである。中世の法はこの点において、非独立の家仲間だけでなく、私法上の権利を持っている家仲間の関係をも規制する必要があるという課題に直面していた。家の息子達においては、先に論じたように《第3章の「財産法的発展の工程。構成員への分け前の権利。」》常に家の息子達にも所有権を与えるという考え方が、明確に書いてあった場合も曖昧に書いてあった場合もあったが、実質的に存在しており、家の息子は他の家仲間と同様に家仲間でありそれに対して制限を加えることが出来るのはただ家長としての権力だけであり、父親の無制限のただ父親にのみ属する財産権では無かったのである。その結果として次の疑問が生まれる:家の息子、つまりここではその父親と一かけらのパンと一本のワインを共にして生きている息子は、どの程度まで家族に対して(連帯)責任を負わせることが出来るか、という疑問である。それに対する答えはきわめて様々であり得るが、しかしながらそこでは根本的に家の息子は他の者と同様家仲間の一人であり、その家の息子が締結した契約は他の家仲間が締結したものと同じ効力を持つことになるという考え方に依拠することは行なわれていなかったのである 49)。
48)ヴェローナ《イタリアのベネト州の都市》のStat[uta] domus mercator[um]のl. III c. 12.
49)違法行為については、既に見てきたように《第3章の「第三者に対する法的関係。血縁を基礎とする血縁関係。」》ある種の責任が根源的に発生している。契約が(違法行為に対する責任を)規定している限りにおいて、いくつかの法規は家族に対してそれ以上の責任を課さなかった。そのような法規としてはピアチェンツァのもの(c. 201 vv. „patres“ など)、Visso(Statuta comunis Vissi)などがある。―他の都市のものでは、ブレシア《イタリアのロンバルディア州の都市》のもの(Stat[uti] della Mercanziaのc. 61)、ベルガモ《イタリアのロンバルディア州の都市》のもの(Cap[itula] de fugitivis の1341年版の p.203, 205 l. c.)、サンジョルジョのもの《イタリアにはSan Giorgiaが付く都市が25ぐらいありどの都市を指しているか不明》があり、これらの法規は全てが同様に、ヴェネツィアでの兄弟間での申し立てのケースと同様に、あらかじめ決められていた責任を抗議によって覆すことが出来た。いくつかの法規では、まだ父親の家に住んでいる家の息子と契約することが禁止されていた。ボローニャの法(l. III cons. civil. c. 72)、モンカリエリ《イタリアのピエモンテ州にある都市》、ローディ《イタリアのロンバルディア州の都市》(Statuti vecchi c. 46)とニッツァ《イタリアのピエモンテ州のニッツァ・モンフェラートのことか?》の法規では、その父親と別れて住んでおらずまた商人ではない息子に対しては、義務の遂行能力というものが一般的には否認されていた。この後の条件(商人ではないこと)は、次のことを再度明らかにしている。つまり、人が家の息子に対してその義務遂行能力を明らかに認めるのは、ただ家族全体の(連帯)負担とすることが想定出来た場合のみであったが、しかしまさしく商人の権利というものが信用を得るという利害関心において、古い法原理の中において採用されていたのである。家の息子と契約することの直接的な禁止はまた法の観点においてのみその根拠を見出すのであり、もし誰かが家の息子と契約するということは、家族の財産が損害を被る可能性が想定されていた。ボローニャの法規(liber tertius caus. civil. fol. 54 c.)でも、息子が父親から別れたことによって初めて義務遂行能力が与えられるとしている。(ただ{父親と}別れて住んでいる者とそして商人が義務を果たすことを要求される、とされる。)