安藤英治氏の「中世合名・合資会社成立史」紹介の問題点

「中世合名・合資会社成立史」のダイジェスト版のアップも終ったので、次はこの論文の日本での受容について論評したいと思います。今まで私が知る限り日本ででこの論文について言及したのは、二人だけです。一人はヴェーバー研究者・紹介者として有名な大塚久雄氏であり、もう一人はやはりヴェーバー研究者として著名な安藤英治氏です。今回はまず安藤英治氏の「ウェーバー歴史社会学の出立―歴史認識と価値意識―」を取上げます。この論文は安藤英治氏がヴェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」をヴェーバーの最高の論文として捉え、それに至るまでの道筋を明らかにするという目的で書かれたものです。「中世合名・合資会社成立史」の紹介は、P.108からP.130まで23ページというそれなりのボリュームを費やして書かれています。 結論から先に申し上げれば、これまで大塚久雄氏の論文以外ではまったく言及されておらず、ヴェーバーの研究者の間でもほとんど読まれていなかったこの論文を「ともかくも」読み、その内容を他に伝えようとした努力に対しては敬意をもって接するべきだと思います。しかし、後述するように、この論文のもっとも中心的な論点でまったくの誤解をしたままの紹介であり、読者に間違った情報を伝えている点では問題が多いと思います。以下、その問題点をa potioriに(重要性の高いものから)紹介します。

1.合名会社の「特別財産」の理解
ダイジェスト版を読んでいただければ分りますが、合名会社において、ローマ法のソキエタスでの財産が、各成員の個人財産を寄せ集めただけで、例えば外部から見て差し押さえが可能であるようなソキエタス自身の財産がどのようにして認められるようになったのかの歴史的経緯を探るのがこの論文の大きな主題の一つです。その財産をヴェーバーはソキエタス(ゲゼルシャフト)の「特別財産」(Sondervermögen)と呼んでいます。 この「特別財産」についての安藤英治氏の紹介はP.117にあり、「だが動産のうちに組合に投資されたものでありながらEinlage(注:投資されたもの)に含まれないものがある。これをcorpo della compagniaという。すなわち二年毎に行われる総合計算(注:一種の決算)の時以外に増減可能な資本があることになる。ウェーバーは丁度今日の常時解約可能な預金の如きものだと解説している。このcorpo della compagniaはラテン語のcorpus societatisに当たる。それは対外関係において会社財産を意味し、『したがってこれは合名会社の特別財産に当たる。』」 このcorpo della compagniaについてヴェーバーがこの論文で述べている所を拙訳から引用します。

「 ソキエタスの資本金(注:原文でGrundkapital)――il corpo della compagnia [コンパーニアの実体]――は各ソキエタスの成員の出資金を合計したものとして成立していた。  これらの出資金は、通常の場合認められうる限りにおいて全部をまとめた合計額として表現され、利益が繰り入れられ損失が控除される。各ソキエタスの成員の出資金は総決算[Generalrechnung]、つまり saldament della compagnia 28) [コンパーニアの決算]と呼ばれたもので、一般的に2年に1回行われる決算までは増額も減額もすることが出来なかった。その決算の時までは、またそのソキエタスの成員の死においても、その出資金はソキエタスに縛り付けられ、そして利益と損失を分割する際の基準となった。」

安藤氏が誤って「特別財産」と解釈している財産についてのヴェーバーの記述をやはり拙訳から引用します。

「 それにも関わらず、ソキエタスの成員はゲゼルシャフトの基金以外にも動産を所有している。そしてそうした動産の中で我々にとって取り分け重要なのは、次のような資金である。それはソキエタス[コンパーニア]において何かの目的で自発的に出資されたものであるが、しかしながら出資金としては扱われないものである。ほとんど全てのソキエタスの契約の中にそういった資金についての規定を見出すことが出来る。そういった資金はあるソキエタスの成員が、”fuori del corpo della compagnia” [コンパーニアの資本金の外側で]所有するものである。」

il corpo della compagniaはつまり「そのコンパーニアの実体」という意味であり、つまり現在の用語で言えば会社の資本金であり、これが個人の財産の単なる集合から区別される「特別財産」であることは、普通に読めばすぐに理解されることです。安藤氏が何故こんな初歩的な読み誤りをしたのかの理由は分りませんが、このことだけでも安藤氏の読解は問題だと思います。

2.Firmaの翻訳
次の問題として、ヴェーバーがゲゼルシャフトの連帯責任が成立するためには外部との契約がFirmaによって行われることが必要だったとしていますが、安藤氏はP.118にて「かくてソキエタスは外に対しては一つの集合名詞をもった一個の全体として、特有の商社 Firma として立ち現われた。」と書き、Firmaを「商社」と翻訳しています。確かに辞書を引けば現在のFirmaの意味はまずは会社であり、商社という訳もあり得ます。しかしながらこの論文では最初から最後までFirmaは「商号」の意味で使われ、商社という意味で使われたことは一度もありません。 私が訳注の中で引用したヴェーバー当時のドイツの商法典の合名会社に関する記載を再度引用します。

「Das Allgemeine Deutsche Handelsgesetzbuch [ADHGB] 1869年制定、第85条の規程は以下の通り。”Eine offene Handelsgesellschaft ist vorhanden, wenn zwei oder mehrere Personen ein Handelsgewerbe unter gemeinschaftlicher Firma betreiben und bei keinem der Gesellschafter die Betheiligung auf Vermögenseinlagen beschränkt ist. Zur Gültigkeit des Gesellschaftsvertrages bedarf es der schriftlichen Abfassung oder anderer Förmlichkeiten nicht.” [日本語訳] 合名会社とは以下の場合に成立する。2人ないしそれ以上の人員が共通の商号の下で商業を営み、その際にいずれの社員も出資財産に対する責任を制限されない。会社としての契約を有効にするために、書面や他の形式を必要としない。」

合名会社の「合名」とは、無限責任社員の名前をすべて「商号」の中に列挙することが必要とされていたことから来た名前であり(今日でも欧州には二人の名前を&でつないだ会社名は多くありますが、そういう会社は元は合名会社からスタートしたか、あるいはかつてのそういう規則が現在でも真似されているかのどちらかです)、合名会社についての論文で Firma が使われたらまず「商号」という訳しかあり得ないのは常識に近いと思います。もしかすると安藤氏は、商事会社を商社の意味だと誤解している可能性もあります。

3.内陸都市と沿岸都市の対立という構図
安藤氏はヴェーバーがイタリアにおいて、ピサ、ヴェネツィア、ジェノヴァのような沿岸都市と、フィレンツェのような内陸都市を対立概念として捉え、沿岸都市では連帯責任の原則は発達せず、コムメンダやソキエタス・マリスでそれが無いことの確認をしただけで、本論は内陸都市の部分である、という解釈をされています。またP.115では「連帯責任はゲルマン的財産共同体の影響の及ばないイタリアの沿岸都市からは原理的に発生し難いことになろう。」としています。 しかし、こういった対立構図は、ヴェーバーの叙述にはほとんど確認出来ないどころかそれと反対のことが書かれています。第5章のフィレンツェの冒頭では
「フィレンツェにおける商法の発展については、既にラスティヒにより繰り返し主張されているように、カテゴリーとしてイタリアの沿岸[港湾]諸都市のそれと対比されるものとして把握されかつ説明されている。」
とさらりと紹介されているだけで、ヴェーバーは特にこの観点を強調したりはしていません。ここでヴェーバーが言いたいのはフィレンツェのような内陸都市では貿易での必要性から生まれたコムメンダやソキエタス・マリスが発展せず、別の形のゲゼルシャフト形成が主流であったということだけです。また連帯責任原理が沿岸都市には無かったというのもおかしな解釈で、ヴェーバーは沿岸都市のピサで法規上には連帯責任の記載はないがそのことがピサで連帯責任が行われていなかったことを意味しないと書いていますし、またヴェネツィアにも独自の連帯責任があったことが記述されています。またこの連帯責任がゲルマン法由来のものであれば、ゲルマン民族の国であるランゴバルド王国というのは沿岸・内陸を問わずシチリア島などの一部の地域を除いてイタリア全土を6~8世紀に渡って200年以上支配したのであり、ゲルマン法が沿岸都市には影響を及ぼさなかったとする解釈は不可能です。 また、コムメンダやソキエタス・マリスという沿岸都市で発達した新しい一種の会社組織の前形態は、最終的に合名会社や合資会社が成立する上で大きな役割を演じており、単にそこに連帯責任原理の発展が無かったという確認のためだけに取上げられているのでありません。(ただヴェーバーは通説でのコムメンダ→合資会社、ソキエタス・マリス→合名会社を否定して、ソキエタス・マリスから合資会社が生じたとしています。)

4.ローマ法とゲルマン法の対立
安藤氏は内陸都市と沿岸都市の対立以外に、ローマ法とゲルマン法の対立というのもヴェーバーが採用しており、これが後にプロテスタンティズム研究につながるとしています。そしてここでもまたローマ法では家父長権が強く、ゲルマン法では家族の権利が平等で、コムメンダは平等ではない成員間のシステムなのでローマ法から生まれ、そこらか合資会社が生まれたとしています。しかし上述したようにヴェーバーは合資会社を産んだのはソキエタス・マリスであると明記しており、この点も間違っています。さらに言うならば、ローマ法とゲルマン法の対立という図式はヴェーバーが改めて持ち出したものでは当然なく、19世紀のドイツの法学においてきわめて激しい論争があった対立であり、その対立がようやく治まってドイツにおける法整備が一応進んだ段階での研究者であるヴェーバーが、両方を考慮して議論を進めるのはある意味当然です。しかしながら結局ヴェーバーはこの論文でゲルマン法の基礎原理である合手制については、きわめて限定的にしか論じておらず、どちらかというとロマニステンに近い立場で論文を書いています。これはおそらく師のゴルトシュミットの影響だと思われます。ヴェーバーはしかし大学で代表的ゲルマニステンであるギールケの講義も聴講しています。

以上4つほど論点を挙げましたが、細かい点を入れればまだまだ誤りはかなりあります。 安藤先生には申し訳ありませんが、私はこの「中世合名・合資会社成立史」の紹介は問題が非常に多く、この論文で展開されたヴェーバーの議論の的確な紹介にはまるでなっていないと断じざるを得ません。

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