III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.218 – P.221 日本語訳 (21)

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言で、仕事の場所もあちこち変わり、私の会社でも3日の内2日の自宅ワークが始まりました。通勤時間が浮くといっても、私の場合元々会社まで歩いて13分だったんであまりメリットが無く、それより会社がリラックスと私的生活の場である自宅に侵入して来た感じで、また会社のネットワークへの接続が悪かったりで結構フラストがたまります。
そんな中、粛々と翻訳を進めていますが、今回は初期スペイン語の引用がいくつかあって大変でした。何故か現代のスペイン語辞書には載っていないのが、現代のイタリア語の辞書には載っていたりして、なかなか面白いといえば面白いです。スペイン語は入門段階で挫折しているのですが。その内ちゃんとやってみようかと思います。
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諸法規における家族ゲマインシャフトと労働ゲマインシャフト。序説。

 こうした(信用の担保としての共通の財産の利用と個々の成員の持ち分についての責任とのせめぎあいという)問題の立て方を通じてようやく我々は文献史料に基づいた論述を開始することが出来る。これまでに既に扱ってきた文献についての論述は色々な意味で先走りしたものになっていた。というのはそういった文献史料の状態に不備が多かったため、ある一般的な根本原理を作り出し、それによってそれらの文献史料がどういった問題を扱っていたかを明らかにするという必要性があった。

 諸法規の内容について適切な評価を行なうには次のことが必須である。つまり、商業と産業の極めて大規模な発展とそれに伴う非常に多くの新規の法律制定への新たな欲求以外に、ローマ法の伝播を考慮すべきということである。ローマ法のそうした影響については、考察するにあたっては、非常に強い影響力を持っていたものとして扱わなければならない。まさにそういったローマ法の影響について、商法の歴史においては、様々な都市の諸法規がより古い時代の諸制度を自分自身に適合するようにして、確定し取り入れてきたのだという説が唱えられている。

スペイン

 ローマ法の流入がどのように行なわれて来たかということについては、確かにごくわずかのスペインの文献史料が明白な証拠を提供してくれている。

 より古い時代の複数の地方の条例からは次の事が明らかになる。つまり、元々家族ゲマインシャフトからの帰結である連帯責任というものは、スペインにおける諸法規では既に良く知られていたということが。

 1142年のダロカ《スペインのアラゴン州サラゴサ県にある都市》法は次のことを前提としている。つまり父親はその息子の債務については疑わしき場合(in dubio)には責任を持つ 38a)ということを。この前提と共同相続人の間の相互の連帯責任については、実際の所当たり前のことと見なされており、間接的な表現では同時代の他の 39) 文献史料にも登場する。

38 a)この場合、父親の裁量に委ねられている。(Muñoz《Tomas Muñoz y Romero、1814~1867年、スペインの歴史家 》、 Colleccion de fueros municipales、マドリッド、1847年):
Si quis habuerit filium prodigum vel lusorem … desafillet illum si voluerit in consilio et si non receperit illum postea non respondeat pro illo. (もし誰かが浪費家である息子や放埒な息子を持った場合、…その息子を追放とさせよ、もしその父親が相談の上でそれを望んだとしたら、そしてもしその息子を後で貰い受けなかった場合には、その父親はその息子については責任を持たない。)―Desafillareという単語はつまり=家ゲマインシャフトから追放する、という意味である。(Muñozの本のP.534)

39)メディナセリ《スペインのカスティーリャ・イ・レオン州ソリア県の都市》の法(MuñozのP.435)においては12世紀の初めから(一説によれば既に武人王{el Batallador}アルフォンソ1世《1073年または1074年~ 1134年、アラゴン王およびナバラ王、在位:1104~1134年》の時代から)(特定の場合においては)免責とすることを必要と見なしている明白な規定が存在した。同様にアルフォンソ7世が1118年にトレドに与えた特権においては、逃亡者(fugitive)が元々権利を持っていたその母親の財産に関しての、妻と子供達の責任を特別に免除していた。同様の規定が1144年のペラルタ《スペインのナバラ州の都市》の法(MuñozのP.546)にも登場していた。1250年のカスティーリャの旧法は1359年に古い法素材(皇帝中の皇帝{el Emperador}と称されたアルフォンソ7世の時代から、またCortes von Najera《ナヘラ、スペインのラ・リオハ州の都市》などから)から改定されたものであるが、相続債務についての共同相続人の連帯責任について明確に述べている:(Fuero viejode Castillaの)l. V t. III:
 Todo ome o muger que muer, dejan fijos que reden lo suo de 5 sueldos en ariba, e deve el muerto debda manifiesta a otro ome, aquel a quien deve la debda, puede prendar los fijos e coger la debda si fallara en que e aquel fijo que pagara la debda puede mandar a los otros riedes que lo ayuden a pechar aquella debda quel pagò por suo padre, pues eredaron suos bienes tambien como el.(全ての男性または女性で死亡して、残された子供達がどちらからか5 sueldos以上を相続する場合、そして死んだどちらかが別の男からかなりの額の借金を負っている場合、その借金の貸主はその子供達を質に取ることが出来、もしその貸主が子供達の財産の中で支払いに充てられるものを発見した場合には、そこから貸金を回収することが出来る。そして死んだ父親または母親の借金を支払ったある一人の子供は、その父親の代りに借金を返すことについて他の相続人にも相応の負担を求めることが出来る。というのもそれらの他の相続人もまた、その子と同じく亡くなった者の財産を相続したのであるから。)

 またSanta Chritine《スペインのカタルーニャ州東部の町》の1212年 40)の法においても、共同相続人はイタリアでの諸法規と同様に、カスティーリャの法によって連帯して構成員(socii)として責任を持つ 41)べきであることが規定されている。

40)Muñozによる。

41)注39を参照。

 しかしこういった様々な条文は、ローマ法が侵入して来たことにより完全に取り除かれることとなった。

 既に1250年のCortes de Valenciaにおいては父親の息子に対する責任はその父親の同意に基づくとされている。アルフォンソ9世《1171~1230年、1188~1230年のレオン王》の巨大な立法の集成、つまりSiete Partidas《アルフォンソ10世の時にまとめられた7部からなる巨大なカスティーリャの法集成》は1256年から1265年の間で改定されているが、しかしながらローマ法を純粋な形でスペインに輸入しようと試みている。(例えば)Senatus consultum Macedonianum(Part. V 1,6)《紀元47年頃ウェスパシアヌス皇帝の時の法規で、父親から独立する前の子供が借金することを禁じたもの》、peculium castrense《兵士が軍務において得た財産》等の概念. (前掲書の2.)、actio exercitoriaとactio institoria《前者は債権者がある船長と契約した債権について、その船長を飛び越えて直接船主や船の借主に対して働きかけが出来る権利、後者は債権者がある店のマネージャーと契約した債権について直接に店の持ち主に働きかけが出来る権利》 (P. V 22, 8で規定)、その中ではそういったケースでの責任義務に制限が加えられている。Societas omnium bonorum《ソキエタスの全ての財産が現在及び未来において成員間で共有されるもの》(学説彙纂でのsocietas leonia《ライオンのソキエタス、イソップ寓話の「獅子の分け前」でライオンが狩りの獲物の分配の大半を取ってしまう話に基づくもので、そこから特定のソキエタスの成員がソキエタスのほとんどの利益を独占することを言う》に関する全ての定義や、特定の成員の立替金の勘定なども含めて)を含めた全てのローマ法でのソキエタス関係の法、これらの全てが次の規定に影響を与えている:compania que fazen los mercaders y los otros omes para poder gañar algo mas de ligaro ayuntado ssu aver en uno“ (ソキエタスで商人達と他の者達が共同で更に幾許かのお金を稼ぐために彼らの財産を一つにして投資するもの)(P. V t. X)Nueva Recopilation de Leyes《1567年編纂のスペイン大法典》では、次に(L. V t. XIII l. 1)特別な協定という観点から、各ソキエタスの成員は連帯責任ではなく、出資分に応じて責任を持つと言うことをまた特別に強調している。他のどこでもなくまさにここにおいて、ローマ法は実質的に使い回されている。これより以降の法的な文献史料はより古い時代の法的見解の残滓をごくわずかしか留めていない。

42)バルセロナではソキエタスの他の成員への法律上の(連帯)責任は後の時代にはもはや忘れられていた。それはMarquilles《James Marquilles、1368年または1370年~1451年または1455年、カタルーニャの法律家》による注釈(1491年出版の”De usaticis barchinonensibus”)において封建法関係についての特別な例外(P.337)的な事例として強調されて示されているのに見られる通りである。マヨルカ島の法規については、例えば”emancipatio in fraudem creditorum “(1413年のOrdinac de Mallorcaの新版)(債権者を欺くような債務者である息子の父親からの独立)の禁止のみが、わずかにその名残として考慮に入れられている。トルトサ慣習法(Oliver《Bienvenido Oliver、1836~1912年、スペインの法律家・歴史学者》による”El derecho de Cataluña”)のいくつかの部分は古い時代の法律の発展的解消を独特の方法で行なっている。それらの部分はソキエタスについてローマ法おソキエタスの法的テンプレートの内ごくわずかな条文だけを採用しており、特徴的と言えるのはただ資本から(extractis capitalibus)得られた利益が、出資金額の比率で分けられるのではなく、”mig par mig”つまり単純な頭数で割った金額で分けられねばならなかったということである。しかしながら、相続ゲマインシャフトについては、それらの部分は極めて風変わりな規定を採用している。つまり遺産分割の訴えは相続の事由が発生してから30年後に時効になるという規定である:I. II、第13章15節:”de XXX ans avant los uns no poden forçar los altros que venguen daquela cosa a parcio …”({事由が発生した日から}30年目のその日以降は甲は乙の遺産を分割するという権利を主張することは出来ない…)-ここにおいてより古い時代の理解が難しい人間関係にローマ法の法的テンプレートが適用されている。兄弟間の相続ゲマインシャフトにおける「兄弟の間での」(per frayresca)(l. VI r. II c. I)遺産分割のやり方は何かの意図による、遺産相続のコミュニティーについてのより古い時代の独特な基本原理の残滓である。さらに新しい時代の地方法においては、より手工業者間での自警団(警察)組織に関する内容が多くなっている。(ブルゴス《スペインのカスティーリャ・イ・レオン州のブルゴス県の県都》の法規がそうであったし、サラマンカ《同州のサラマンカ県の県都》の法もである。)スペインの地ではそれから、非常に明らかなことながら、(新たな)ソキエタス法の形成について独自な貢献はもはやされることが無くなっていた。Gonzola Suarez de Paz《詳細不詳》の”Praxis ecclesiastica et secularis” (1613年にフランクフルトで出版)は、訴訟の様式としては概してただ成員(ゲノッセン)間のactio pro socio《ソキエタスのある成員の他の成員に対する法的行動、訴訟など》だけを扱っていたし、それももっぱらイタリアの諸都市の法規を思い起こされるという意味においてのみ、告訴は仲裁(contadores)という名前の和解に至って結着している。これについては後述のフィレンツェに関する論考を参照せよ。

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