III. Die Familien – und Arbeitgemeinschaften. P.232 – P.237 日本語訳 (24)

日本語訳の第24回目です。ここにおいても父親から息子への財産分与の問題とからめながら、ゲマインシャフト=ソキエタス全体の責任となる債務=無限責任と、ある成員の出資分だけに対する責任となる債務=有限責任が、歴史的にどのように家ゲマインシャフト、家計ゲマインシャフトから派生するのかという点についての、易しくない議論が続きます。
今回の日本語訳で、全体の50%を越して、折り返し地点をターンしました。
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家族ゲマインシャフトにおける財産分与義務

 家ゲマインシャフトはその際に常に次の事を前提としていた:父親から離れて別に住んでいる息子(filius seorsum a patre habitans)は、この家ゲマインシャフトのメンバーでは無くなる、ということを。ただ(息子の独立による)経済の分離の前に父親または息子によって作られた債務のみが、その分離の後でもまだ他方の(連帯)責任とされる 50)。ローマ法の侵入はこうした法的発展を後にもっぱらコモン・ロー(ius commune)へと作り替えた。責任の制限はやはりここにおいてもより大規模な、書面で取り交わされる債務について必要とされるようになった 51)。その責任の制限については(共有の)財産は全ての成員の必要に応えるものであるという、古くからある考え方と適合していた。そこから導かれるのは、しかしながら全ての費用、それはつまり債務も含めて全員の責任になる、ということではなかった。何故ならばここで扱われているのはもはや個々の成員の必要ではなく、それまで予想されていなかった財務的な意義を持つ投機的な活動であったからである。しかしながら、必ずしも常にローマ法の原則が使われたのではなかった。ここにおいて、むしろある興味深い特別な発展が見出されるのである。

50)ピアチェンツァの法規、c.514。

51)ヴェネツィアの法規、l. I c. 37。

 ただ単に家ゲマインシャフトが無くなったという事実をもって、古い法原則では家族の責任も無くなるということになっていた。しかしながら不可解に感じるのは、(息子の)責任については、その息子が継続してその父親と同じ住居の中に住んでいるか、それともその外に住んでいるかということで有り無しが決められるということを理解しようとする時である。ゲマインシャフトの本質的な側面としてはよくそういう風に強調されるように、血縁関係ではなく、またある空間を共有するということでもなく、その2つがただ経済ゲマインシャフトを結び付けているから、または結び付けている限りにおいて、そうだと言えるのである。古い形のゲマインシャフト的家計はそういったものを包含していた。というのも家計はその予算の中に、今日でも小さな男の子にとってそうであるように、収入と支出の全てを包括していたからである。多くの者が一かけらのパンと一本のワインを共にするということが意味するのは、古い時代においては、それぞれの者の収入と支出はそれが疑わしい場合でもともかく共有だったのであり、というのは手工業者の経済的活動は、まずは身体的に生存し続けていくということが中心だったのであり、つまりはパンとワインに関わることであり、それは生命を維持していくのに不可欠なものを示すイタリアでの常套句だったのである。製造業者は後になって、自身の家計における支出のみの勘定を持つことになった 52)。古い時代においての家族の中の父親はこうした勘定において(支出のみでなく)借方と貸方で、自分が関係するすべてのものを把握しようとしていた。それ故に家ゲマインシャフトの廃止は、ただ生計ゲマインシャフトの廃止としてのみ法的な意義を持ち得るのである。息子が両親の家の外で父親と一緒のゲマインシャフトにおける計算に組み入れられる場合は、その息子は例え家の外にいても言葉の本来の意味でパンとワインを共にするソキエタスの成員のままなのである。逆に息子がその父親の家に住んでいて、しかしゲマインシャフトとしては父親と生計を共にしていない場合には、息子は共通の家に住むという事実にも関わらず、もはや父親とパンとワインを共にする同じソキエタスの成員ではないのである。それ故に家計の分離は生計ゲマインシャフトの分離として理解され、父親は息子と話し合って結着を付ける必要があった。しかしここにおいてその結着の中身はどのようなものと理解すれば良いのであろうか?諸法規は様式については多くの場合公正証書(carta publica)を要求していた。しかしながら他にも具体的なものが要求されていた。父親は息子と話し合って結着を付ける際に財産を分与した。それも正当とされる割合(legitima pars)で、息子が当然受け取るべきとされる割合を分与した。従ってそれいについての法規定が存在していたし、それも北イタリアの法規によれば明らかに、疑わしき場合でも財産の内の主要部分の全てを分与の対象にしなければならなかった 54)。

52)その方向への発展についてはこの論考のフィレンツェの章において、Peruzzi家とAlberti家の場合において注目することになる。その両家の場合においては、初期の段階からまたある程度経ってからも、全ての支出において事業のためのものと家計のためのものが入り乱れて処理されていたのであり、ただ常にそういった支出は事業における大規模な勘定の中で既に「支出」として切り分けられていたように見える。

53)Petrus de Ubaldis《1335~1400年、イタリアの法律家。兄弟にBaldus、Angelusがおり、この3兄弟はしばしば同一視される。》の”De duobus fratribus”の序文において、自然法に反しているため、諸法規が次のことを定めようとしていることは許容できないとしている:”quod pater teneretur pro filio nisi filius patri referat quaestum.”(父親は息子が儲けを父親に渡さない場合を除いては息子について責任がある。)

54)シチリア-南イタリアの法における財産分与の元々の原則は一般的な形では見出すことが出来ない。しかしながら次注を参照せよ。

 ピアチェンツァの1341年のCapitula de fugitivis、1350年の補遺: 父親は息子に連帯保証の分全額(solidum)を支払わなければならない。または、 “ipsi filio obligato assignare partem legitimam omnium bonorum suorum … super qua quatenus attigerit creditor solucionem suam consequatur“.(彼自身の息子が負っている債務の分について彼の全財産の内の一定部分で法的に息子がもらう権利がある分を分け与え…債権者はその分け与えられた分の範囲で支払いを求めることが出来る。)

ただこういった部分的な財産の移動のみが、本当の息子への財産分与として通用し、このことは諸法規によって息子が潜在的に持っている持ち分についての権利からの論理的帰結として理解されることは明白である 55)。我々にとっても、この時代においての法学 56)における早くも現れているローマ法的な見解にとっても、ほとんど身の毛もよだつような原則、つまり息子はその父親が彼に独立した家計を譲渡しようとする場合、自分の取り分を父親がまだ生存している時であっても望むことが出来たという原則については、自明のこととして、これらの同じ諸法規が―ローマ法の流入の影響により、この原則を認めずまたこの原則を明確に排除している 57)ことを意味している。まさにこの原則が我々に身の毛がよだつようなやり方で示そうとしてることは、我々の社会的・経済的な見解が理解して来た、家族の財産権の確立という大きな変化を、頭から否定しようとしていることである。こうした法規定のこういう側面からの評価についてはここでは扱わない。しかしながらそういった法規定で述べられていることからは、次のことが間違いなく生じてきていることが確認出来る。それはそのような規則が成立し得るのはただ、まだ独立していない家の息子も家の財産の一部に権利を持つ家の仲間であり、そして彼自身の契約が家族の財産に対して及ぶという見解が権利意識において優勢であるという場合のみである。同様に我々はここでまた、いわゆる”emancipatio legis Saxonicae”《ザクセン法における息子の解放、ローマ法と対比してのゲルマン法における、息子を父親の監督権(Munt)から解放して財産を分与することに対しての根拠付けのこと。「経済と社会」の家ゲマインシャフトに関する部分を参照。》の意味について、実際的な根本原理をこれまでとは異なる見地で観察することが出来る。家計の分離の論理的帰結としての財産分与の義務は、その他にも確かにゲマインシャフトの維持に対しての強い動機付けでもあった。

55)ヴィチェンツァ《北イタリアのヴェネト州にある都市》の法規は、違法行為の場合には家族の責任が全ての財産の主要部分に及ぶことを承認している:1264年のヴィチェンツァのStatuta communisのl. III rubr. の”quod dominus teneatur pro servo et pater pro filio”(家の主人は奴隷{召使い}について責任があり、父親は息子について責任がある): つまり父親は責任があり “ita quod persona patris pro virili porcione cum aliis filiis computetur“(それ故に父親の人格は他の息子達とまったく同じ分だけ認められる)、モデナ《イタリアのエミリア=ロマーニャ州のコムーネ》の法規は家族の成員の中でのそれぞれのカテゴリーについて独特な分類方法を提示している:家の息子で犯罪を行った者、その結果”bona ejus devastari deberent”(彼の財産は没収される)、その場合あるやり方で計算され分割される、つまり父親は1/2を負担し、残った半分は息子達の間で一定の割合によって分割されることが規定されており、そのようにして調査された割合でそれぞれの財産が没収される。父親が犯罪を行った場合には。その財産の1/2が没収され、残りの1/2は子供達に残される。よって父親もまたある比率に応じて権利を与えられる。シチリア島と南イタリアの法規を参照せよ。

56)Carpano《Orazio Carpani、1525~1595年、イタリアのミラノ生まれの法律家・書記》はミラノの法規への注釈書の中で、法学的に考えた場合、遺産を与える者がまだ生存している時に(息子の)権利が既に有効になるということは不可解であると説明している。

57)パドヴァ《イタリアのヴェネト州の都市》の12・13世紀の法規:父親は息子に対してはただ扶養する義務があるが、財産の一部を与える義務は無い、しかしながらただ”nisi justum videbitur potestati vel rectori de parte arbitrio ejus dando”(父親が息子に一部の財産を与えることについての裁定が権力者または支配者によって正当であると見なされない限りにおいて)。マッサ《イタリアのトスカーナ州の都市》の法規も同様のことを定めている。最も決定的な表現は1502年のミラノの法規に現れている:fol. 150: Si pater filium emancipaverit, partem debitam jure naturae bonorum suorum assignare compellatur. (もし父親が息子を一人前として独立させる時には、自然法により、父親の財産の中から息子の取り分を分け与えることが強制される。)ここにおいてもまた息子達だけが、ここに記述されたようなやり方で取上げられている。

 1264年のヴィチェンツァのStatuta Communisのlib. IIIの見出し:”quod dominus teneatur pro servo et pater pro filio”(家の主人は奴隷{=召使い}に対する責任を持ち、そして父親は息子に対して責任を持つということ)は更に次のことを示している。つまり、家の使用人はその主人に対して自分達についての責任を負わせることを正当化する点で、家の息子と同位置に置かれているということと、このことはしかしローマ法学を取り入れたというようなことではなく、Institrat《主人の代理で主人の名前による契約を締結する代理権を持った者》または「推定代理権」であり。それは家族及び代理人において法的に誰かに義務を負わせることが出来る権利と今日で言うところの「業務代理人」と「番頭(手代)」である、ということを示している。

個人債務とゲマインシャフトの債務

 これまで述べて来たこと以外に、我々はこの独特なAusschichtung《現代のドイツ語辞書には無い単語。おそらくは初高ドイツ語で、原義は「層を形成すること」、ここでは息子に財産を分与することで、元の家ゲマインシャフトとは層関係を成す新しい家ゲマインシャフトを作ることを言っていると思われる。》の義務の制度について、―これによって我々は前述した問いにまた戻るのであるが:ゲマインシャフトの成員の債務に対するゲマインシャフトの責任の制限の問題が諸法規によってどのように解決されたのか?―(その問いに対しては)次のような様々な場合が存在していることを見て取ることが出来る。つまり、そこにおいてはこうした制度は事実上次のようなやり方で行われている 58)。それはただ一人の成員への割り当て分が、それは先に家族ゲマインシャフトのソキエタス的性格について見出したことを考慮に入れてそういう風に言うことが出来るのであるが、つまりその成員の出資分が、つまり(投下)資本が、それをその成員はゲマインシャフトに投資した訳だが、その出資総額の範囲内においてのみ債権者に対する担保として使用出来るということである。それ故にここでは父親の財産における家の息子への分与分、この分与分のみが家の息子の債務の担保となるのである。しかし他方では、この種の(有限責任の)規則が我々がこれまで論じて来たようなゲマインシャフト全般に適用されるのでは必ずしもないことは、我々が既に見てきた通りである。無限責任の考え方は、それは当初の論理的帰結であったが、それは後の時代になっても保持され、そして我々は既にそれより先に進んだ(ゲマインシャフトの)形態も確認して来たが、商法が確立される時代になってもその原則は保持されたのである。我々はそうした歴史的経過に適合したこととして以下のものを認容する。つまり、古い時代からの(無限)責任の原理がまさしくゲマインシャフトとその債務の扱いについて存続したのであり、その債務というものは商法の範疇に入るような商取引の遂行に関連していたのである。これをもって我々は業務上の債権者と個人的な債権者に釣り合わせることが出来る重要な対象物を見出すのである。債務全体の中で、ゲマインシャフトとその全ての成員が責任を持つ債務と、ある一人の契約を締結した成員の、その成員の本来の取り分にだけの責任となる債務との境界は、後者においての経過の中では、その成員は自分の持ち分をゲマインシャフトから取り出して「新たな層を形成」(Ausschichtung)しているのだが、また我々がこの2つの場合をある成員の債務の可能となる法的帰結として確認した後において、一体どこに線を引けばいいのであろうか?

58)上述の注11を参照。

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