日本語訳の25回目です。この回も中世のイタリア諸都市の法規の引用としての中世ラテン語が出てきます。古典ラテン語との違いは多くは語彙的なもの、あるいは綴りの微妙な変化であり、文法的な変化はほとんど無いように思えます。というか法規の場合は多くが未来完了かまたは(ドイツ語式に言う)接続法Ⅰ式ですね。
この項において再び「合名会社」という語が出てきて、この章の記述もクライマックスにさしかかっています。
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家族以外での連帯責任。共通のstacio(工房、店)。
家のゲマインシャフトを基礎とする連帯責任の原則が及ぶ範囲が必ずしも家族である成員に限定されていなかったということを、先に列挙した諸法規は示しており、それらの中の一部はそういう限定を設けていなかったし、また別の一部は一かけらのパンと一本のワインを共にする者達を家族である成員に依然並置していた。家族の外で家のゲマインシャフトを手工業の領域で探してみようとする試みについては既に述べて来た。しかしながら手工業から始まって、それは国際的な意義を持つ産業へと成長し、手工業者の住居、それはその者の工房でもあり販売店でもあったが、その住居が占めてた場所に後には広大な大工場的な経営が登場して来るのである。そのような(大規模の工場)経営においてはしかしながら、職人仲間の家ゲマインシャフトはもはやまったくもって通常のことではあり得なくなっていた。いわんや経営ゲマインシャフトを特徴付けるような目印となっていることもあり得なかった。こうした方向への変化というものは、小手工業の場合がそうであったような、自然な形での住居と工房と販売のための店の兼用がもはやされなくなった時に、既に始まっていた。botteghe(店、工房)、staciones(工房、店)、tabernae({小規模の}店、飲食店、酒場)は都市の街区の中で建物を賃借して営まれていたし、共通の家のゲマインシャフトはいつも同じbottega《=botteghe》の中での共通の仕事と規則的に一緒になっているということはまったく無くなっていたし、仲間(Konsorten《古いイタリア語で同輩・仲間》)はそれぞれ異なるbotthegheの中で異なる仕事に従事しているということもあった。いまや実際的な連帯責任の利害関心は業務上の債務を可能にする信用に集中していたので、それ故そのような別れた場所での業務の場合には、共通のstacioは経営ゲマインシャフトの根幹であり、また連帯責任のための統合された基礎でもあったが、商取引のためにもはや利用することが出来ない家計ゲマインシャフトの要素は、副次的なものとして背景に退かなければならなかった。それに適合して我々は共通のstacioを先に引用した諸法規の箇所において既に家ゲマインシャフトに並置される自立的な責任の基礎として位置付けて来た。そこで引用されていたベルガモの Statuti del paratico の箇所は、既にstacioの抽象的な意味を「業務」と把握していた。
個人債務と業務上債務
まずはしかしながらいわばゲマインシャフトの「支柱」59)とでも言うべきものは、具体的な作業場であったり、また(露店レベルの)小さな店であった。そこから導かれることは、債務の作用の及ぶ所が、契約の当事者を超えて、stacio(工房、店)の経営の中に包含されている者にも及ぶようになり、そういった経営に関する契約としては:”sopre aquelle cose … sopre le quali seranno compagni“(そういった事柄を超えて…そういった事柄を超えて彼らは仲間となるであろう)という規定をシェーナ《イタリアのトスカーナ州の都市》のlanajuoli《英訳によれば羊毛を扱う商人》の法規の1.c.が述べている。こういった考え方、つまり連帯責任は、共通の職業による経営の中において、我々の言い方ではソキエタスとしての会計としてひとかたまりと見なすことが出来るような業務に対してのみ適用されるべきということは、そうした(ソキエタスの中の)人間関係から見れば明白であり、しかしながら原理的に特別に重要なことであった。そうした考え方が明白であった理由は、それがソキエタスの内部を連結することの単純な帰結であり、その結果として共通のstacio(工房、店)の形成につながったからである。二人のソキエタスの仲間がいたとして、その二人がゲゼルシャフトとしての業務の遂行の外側で、お互いに財産権的な関係はなく、そうでありながら家計における債務等について相互に責任を持ち合うということはナンセンスと言えるであろう。また家族の家ゲマインシャフトにとって次の方向への発展も見出すことが出来る。即ち、ただ共通の家計の利害に沿う形で作られた債務が、ゲマインシャフト(全体としての)の責任という論理的帰結を作り出すという発展である。それから家ゲマインシャフトからの業務ゲマインシャフトの解放と同じくらいに古くからあるのは、ただ共通の業務のみに関係する債務が直ちに全ての全てのソキエタスの成員に関係してくるという考え方である。ピアチェンツァの古い商人の法(Statuta antiqua mercatorum Placentiae)のc. 550とその1325年の改定版(Reformacio)のc. 6はその考え方に従って同じstacio(工房、店)に属するソキエタスの成員の責任を、そのソキエタスの成員の一人である一人の(共通の業務として対外的に取引する)商人によって作られた債務についてのみに及ぶと規定している。ヴェローナ《イタリアのヴェネト州の都市》のStatuta domus mercatorumの l. III c. 85も同様の原則を定めている。ローディ《イタリアのロンバルディア州の都市》とアレッツォ《イタリアのトスカーナ州の都市》の法規については、すぐこの後で扱う。
フィレンツェの法規を除いて、その法規については特別に後で取上げることになるが、諸法規においてこの重要な(連帯責任という)関係については、どちらかといえば貧弱な内容となっている。引用したそれぞれの法規においての表現の仕方を見る限りでは、その当時そういった内容の規定は自明のことと考えられていたという結論になるほどなるかもしれない。しかしがら次第に程度を増し重要になっていた問題:
1)ソキエタスの内部の債権者、つまり業務の執行における契約にて発生した債務への、(ソキエタスの内部でその事業に投資した)債権者の(ソキエタスの外部の)個人債権者に対する関係の問題
2)(ソキエタスの外部の)個人債権者の(ソキエタスの)業務上の財産に対する問題
これらの問題に対するより詳しい説明は、フィレンツェの法規を除いては各都市の法規の史料には直接的には含まれていない。
59)いくつかの法規は、ソキエタスからある成員が脱退した場合、その者は(自分の)bottega(店、工房)を他のソキエタスの成員に任せなければならないと定めている。より詳しくは1271年の版のモデナの法規に対するCampori《おそらくGiuseppe Campori、1821~1887年、イタリアの政治家・歴史家・美術品蒐集家》による序文に引用されている文献原本を参照せよ。ピサの1321年の Breve dei Consoli della Corte dei mercatanti はc. 80にて以下を定めている:”… se alcuno mercatante … comperasse alcuna cosa u merce u avere alcuno et de la parte di quali merce intra loro u differenzia d’avere fosse … non patrò … di quelle avere … dare oltre una parte, non dividendo quella parte per lo numero dei mercatanti et persone ma per numero de le botteghe“. (…もしある商人が…何かの物または商品を買ったか、あるいは何かの彼らの間で共有されているそれらの商品の一部を所有した場合、あるいは違う物を所有した場合…その者は…その持っている物から…その一部の商品ないし違う物を超えて与えることが出来ない、その所有している部分を商人または成員の数で分けることは行わず、bottegaの数によって分ける。)従って(あるソキエタスの成員がそのソキエタスから脱退しようとする時)脱退者の持ち分については残った成員の頭数で分けられるのではなく、bottegaの数で分けられるのであり、ここで権利を与えられているのは個々の成員ではなく、それぞれの業務である。
60)1390年のローディの法規(rubr. 244)によれば、家の息子の契約が有効になるのは、ただその契約が父親の家の業務において締結された場合だけである。ただそういう業務だけがつまり家に対して責任を負わせるのである。
ゲゼルシャフトにおける特別財産
上記の2番目の問題は、ゲマインシャフトの財産の位置付けにとっては決定的な意味を持っている。「業務」は(ソキエタスの外部の)個人債務者に対してどういう位置付けになり、またそれはゲゼルシャフトの構成員(社員)に対してどういう位置付けになるのか?一般的にこのような「業務」(Geschäft)という語において理解されることとして見出し得るのは、何らかの形で創り出されたものの痕跡であり、それは我々が今日における合名会社の財産について創り出されたものの痕跡として確認すべきもの、つまりゲゼルシャフトの「特別財産」であろうか?
ソキエタスの内部への人間関係、またソキエタスの成員間の人間関係に影響することは、既にランゴバルド法において家族コミューンに対して無制限の共有についてのかなりの程度の制限が存在していたということである。ランゴバルド法での該当の条文は、イタリアの諸都市の法規の中で部分的な単語レベルの類似をもって繰り返されている:
・1216年のミラノの法規、rubr. XIV.:fratres, inter quos est quoddam jus societatis, quicquid in communi domo vivendo acquisierint, inter eos commune erit.(兄弟達で、彼らの間において何らかの法的なソキエタス関係にある場合、何物であれ、その共通の家に住んでいる者が何かを獲得した場合、それはその兄弟の間で共有される。)
・1502年のミラノの法規(1502年にミラノで印刷されたもの)fol. 150:Item fratres quoque, inter quos est quoddam jus societatis, illud obtineant ut quicquid etc … que non habeant locum in quesitis ex successione … nec etiam occasione donationis … vel dotis … et intelligantur fratres stare in communi habitatione etiam si contingat aliquem ex pred[ictis] fratribus se absentare ex causa concernenti communem rem …(同様にまた兄弟達で、彼らの間で何らかの法的なソキエタス関係がある場合で、それ、または何か、等々を維持する場合で、そして遺産継承者から得たもの、または何かの機会の贈り物または嫁資{持参金}から得たもの、そういうものの一部を受け取っていない場合、その時は兄弟達はあたかも一緒の住居に住んでいると理解される。それは前述の兄弟達の中の一人が共通の財産に関することが理由で家を去ることがあったとしてもである。)
・マッサの法規(1532年印刷) l. III c. 77:Si fratres paternam hereditatem indivisam retinuerunt et simul in eadem habitatione Vet mensa vitam duxerint, quicquid ex laboribus, industria, aut ipsorum, vel alicujus negociatione vel ex ipsa hereditate .. , vel aliunde, ex emtione venditione, locatione vel contr. emphyteotico acquisitum fuerit, totum debeat esse commune .. quamvis frater acquirens nomine proprio contraxisset … ita tut non conferatur acquisita ejus deducto aere alieno. idem quoque servetur in aliis debitis quomodocunque contractis si pervenerint in utilitatem communis, et non aliter … (もし兄弟達が父親からの遺産を分割せずに保持する場合、そして同時に同じ住居に住んで同じテーブルで食事を取る場合で、何であっても将来彼らが獲得するもの、あるいは労働、作業から、または自分または誰かの仕事から、または自分の相続したものから…または別のものから、例えば売上の送金から、または貸家または永小作権の契約による収入から、全てのものは共同所有となる…しかしながらある兄弟の一人が自分の名前で契約して獲得したもの…それ故に彼が獲得したものは彼の債務と相殺した後に共有財産とは一緒にされないように維持する。また同じく(共有の)原則が他の債務や契約についても、もしそれが共通の財産に関係する場合は保持される。もうそうでない場合については…)この後に先に引用した仮定的な委任に基づく連帯責任についての記述が続いている。