異常に静的なヴェーバーの社会学理論

ヴェーバーの「理解社会学のカテゴリー」で歴史がまったく説明出来ない例です。 「理解社会学のカテゴリー」では、ゲマインシャフト行為からゲマインシャフトが形成されると読めます。 このように人間の行為によって何らかの集団が結成される例があるかというと、それはあります。但しそれが例えば古代ローマの軍団がある部族を戦いで打ち破りその部族の生き残りを奴隷にした場合を考えると、この奴隷の集団は明らかにローマ軍の指揮者と兵士の戦いという行為によって作り出されたものです。しかしその行為において、ローマ軍と相手の部族は慣習も習俗も法規も何も共有しておらず、単にお互いに敵として戦っただけなので、ローマ軍の行為はゲマインシャフト行為ともゲゼルシャフト行為ともまったく定義付けられません。こういった事例は現在では稀でしょうが、古代ローマの時代ではきわめて普通の事例であり、それがまったく説明出来ないカテゴリーには一体何の意味があるのでしょうか。

ということを考えて、さらによく考えてみたら、カテゴリーに留まらずヴェーバーの著作全体で「戦争」とか「革命」と言ったものを正面から論じたものがほとんどないことに気が付きました。支配も秩序も官僚制も既に出来上がっているものを後から説明するような静的なものばかりで、そうった秩序や社会が他の例えば国家との戦いで崩壊したり、革命が起きて秩序がひっくり返ったり、そういったことが全く論じられていないように思います。これはある意味同時代のマルクス主義的な思想から距離を置いているとも読めますが、要するに自分の属するブルジョアジーの価値観の反映であり、革命も戦争もネガティブにだけ捉えているということかと思います。この辺りがマンハイムが批判したように、ヴェーバーが価値自由を唱えていながら、その背後にかなり強い価値判断が存在しているという一つの事例でもあります。更にもう一つ言うならば、結局ヴェーバーは最初に学んだ法学の思考パターンから抜け出せていないのかとも思います。法学は基本的に秩序が存在することを前提とした学問であり、戦争法学、革命法学といったものは存在しません。更にいえば19世紀のドイツの社会科学全体を支配していた「官房学(国家学)」の伝統から抜け出していないとも言えると思います。(ヴェーバーへの国家学の影響は、牧野雅彦氏の「マックス・ウェーバーの社会学 『経済と社会』から読み解く」を参照。)

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