IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. P.278 – 283 日本語訳(35)

日本語訳の第35回目です。ここには別にアップしたように英訳、全集版の注を含めて疑問点があるのですが、現在Consitutum Ususが含まれたBonainiの本のファクシミリ版を取り寄せ中(新型コロナのお陰で海外からの発送に時間がかかっています)で、それが到着するまで最終判断は保留です。(ちなみに英訳者のKaelber教授は、comperaeが「販売」でないことは認めましたが、それでは全集の注釈に「購買」とあるから「購買」だろう、という回答です。正直な所自分であまり考えていないように思います。)
海上貿易に従事するものであったトラクタトールと、家内制手工業における手工業職人が同じ者に相当するというヴェーバーの論述はちょっと驚きです。
これでほぼ3/4を訳し終わりました。
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2. その影響

 この共同の生(Kommunion)《ヴェーバーはVita Communisの言い換えでKommunionという語を使っている。この言葉の本来の意味はカトリックでの「聖体拝領」、つまり信者がキリストと一体になる儀式。》の影響は以下のことの中に現れる。

 1)全ての共通の財産の取り扱いは、特定の動産の直接的な個人的使用にまで及ぶものであった:”de eo quod tunc acquisiverint si aliquid eis praeter convenientia vestimenta remanserit, de acquisitu eorum sit commune”(その時に彼らが獲得したものについて、もし彼らにサイズの合った衣服以外の何かが残ったとしたら、その彼らの獲得したもの{の残り}は共有となる)。ある持分所有者が外部の資金によってある業務を営む場合、そこから得られた全ての利益はゲマインシャフトのものとなる。この持分所有者がゲマインシャフトとは別にある特別財産を持っている場合で、その特別財産またはそれ以外でゲマインシャフトの外部にある彼の妻の嫁資(dos)をある事業に用いた場合、その場合彼はその事業によって得た利益の1/4をゲマインシャフトに入金する、――それは法学的には明白かつ論理一貫したものであり、というのは彼の労働による利益はソキエタス法によれば全利益の1/4に値すると規定されており、それについてはゲマインシャフトのものとなる。残りの3/4については出資から得た収益分となる。

 2)それぞれの個々の成員は彼ら自身として共有の財産を使ってそれにより何かの業務を営むという権利を付与されている。そして法規は確かに、他の成員に対して2日の猶予期間の間での異議申立の権利を付与している。しかしその異議申し立ては、当該の業務について、その業務を企てた者(企業家)がそれを自分の勘定にて引き受ける限りにおいて、その企業者の個人的な勘定に対して作用するだけであり、その企業家の勘定がそれ自体を超えてさらに何らかの(共有の)資金を必要とする限りにおいては、異議を申し立てる者はなるほどその勘定の中の利益については関与するが、全ての成員間においてのリスクについては関与しなかった。それ故に一人一人の持分所有者は自分自身の勘定の分を超えて(ゲマインシャフトの)財産を使って業務を行うことが正当化されている。他の持分所有者はこの個々の持分所有者の行動を止めることは出来なかった。ある一人の持分所有者の勘定の中で行われた comperae 《現代イタリア語のcompraに相当するとするすれば「買うこと」。但し単純な購買行為ではなく、何かの特別な購買と思われる。12-14世紀のジェノヴァやフィレンツェではこの言葉は、国が私的団体に対して債券を発行し、それを買ったものは例えば塩にかかる間接税のようなものを一種の利子として受け取ることが出来た、その債券またはそれを引き受けた団体のこと。つまり一種のRentenkauf(定期収入金を一種の利子の代替物にした金銭貸借)である。全集の注はヴェーバーがConsitutum Ususの中の概念を使っているとしているが、それがどのページなのかをヴェーバー自身も全集の編集者も記載しておらず、本当にそうなのか疑わしい。》に対しては、他の持分所有者は介入権を持っていた。(今日の合名会社の場合と同様。)

 3)各持分所有者に個人的に必要なお金は共通の財産から充足されたが、それはあくまで個人レベルの需要に限定されていた。もし持分所有者の中の誰かが過度の出費をした場合には、法規は他の持分所有者に対して異議申し立ての権利を認めていた。しかしその異議の及ぶ所としては、持分所有者同士の関係の中で、より安い金額の見積りを証拠として、その出金をした持分所有者が多く使った分を異議の結果として取り立て、異議を申し立てた持分所有者達の勘定にそれを入れるということだけに限られていた。このように一見独特な規則の存在は、先に述べた見解、つまり(法の)発展は一般的に元々正当であった持分所有者の無制限の財産についての処分権を制限する方向に推移していたという見解に対する一つの明白な証拠である。

 以上がピサの法における communis vita の中身である。我々はこれまでに次のことを見て来た。つまり communis vita は、それが成立する所ではそれが維持される方法としては、一つは遺言によって形成の指示があったソキエタスによってであり、またもう一つは共同相続人達がソキエタス・マリスの形である業務を営むという形によってである。また communis vita は明示的なソキエタス契約の締結を代替し、またそれはいわば共生の精神(animus associandi)を文書化することによって具現化するのである。共同相続人達の間でのソキエタスは従ってただ契約だけに基づく訳ではない。しかしそうではあってもそのソキエタスの中には契約というものに適合した要素が含まれているのである。文献史料で見る限り重点は以下の所に置かれている。つまりこのソキエタスもまた”societas nominata”(当時者間の明確な合意に基づくソキエタス)であるという点である。ソキエタス・マリスの法からこの communis vita のソキエタスは利益配分のやり方を受け継いでおり、――vita communis それ自身のソキエタスにおいては全ての業務が全ての持分所有者の勘定に対して等しく収益をもたらす場合には、一緒に住んでいる者達のソキエタスが構成されている所では、コムメンダの原理に従った利益の分割の仕方が登場してくるのであり、まさにこのことから判断する限り、根源は明らかに家族財産法にあるのではなく、ソキエタス・マリスについての任意法を基礎とする法原則にあるのである。

Societas omnium bonorum 《全ての財産が現在及び将来において成員間に共有されるソキエタス》

 我々はこれまで完全な家計ゲマインシャフトとしては、家族仲間(Familiengenossen)によって構成されたもののみを見て来た。

 非親族との間の同様の関係については、Consitutum Ususの中には societas omnium bonorum《全ての財産を共有するソキエタス》と societas lucri 《利益のみを共有するソキエタス》についてのわずかな注釈があるだけである。後者と前者の違いは次のことにある。つまり後者は利益のゲマインシャフトであり、前者の場合は全ての最終的な資本全てが頭数に応じて分割される。 societas omnium bonorum においては――このことはランゴバルド法の兄弟間のゲマインシャフトの規定を思い出させるが――ただ封土と土地貸借のみがゲマインシャフトから除外されていた。それ以外にどのような事実がここで与えられた概念に適合するかということは不明瞭であり、ただ次のことが推測出来るだけである。つまりこの非親族との間でのソキエタスは、communis vita で家族の構成員の間で適合する関係が非親族との間の関係でも使われているということである。

ピサにおける連帯責任原理

 もし我々がそれでも完全なまでに規定されているこの《vita communisという》制度に対してどのように連帯責任の原理を位置付けられるかという問いかけをする場合には、その場合にはここでもまたまず次の事を強調すべきであろう。つまり、法規の中でそれが言及されていないことを即ちそれがピサにおいて存在していないと結論付けてはならないということである。取り分けこれまで詳しく述べて来た家計ゲマインシャフトの内部に向かっての構造は連帯責任を、ここでは全てのゲマインシャフトの財産の外部に向かっての責任を仮定しているように見える。連帯責任について法規の中で言及されていないということは、ここで主張した見解が正しいならば、次のことから説明出来るかもしれない。つまりピサにおける連帯責任は、ジェノヴァの場合と同様に、中心に存在している貿易取引にとって何の意味も持っておらず、というのは貿易取引はコムメンダという法形式を利用していたからである。Consitutum Usus の中に含まれているソキエタス法は、その結果として連帯責任について全く触れていないだけではなく、むしろ逆のことを規定している。

V. Compagina de terra (陸上のCompagnia)

 海上取引のゲゼルシャフトについての法形式は、ここにおいてまた、ジェノヴァとピアチェンツァにおけるのと同じく、陸上取引についても適用されている。

 Dare ad proficuum maris に相当するのはここでは”dare ad proficuum de terra in bottega vel alio loco” 31) (陸上取引で得られる利益のために、bottega または他の場所にあるものに対して出資する)であり、ただここでは投資した場合に得られる固定の利益の料金表が欠落しており、そして全ての関係はまだ貸借の関係として構成されており、そこにおいてはトラクタトールが責任を免れれるのは不可抗力の通知をした場合のみである。

31)Capitulo 22 l.c.

 Compagnia de terra 32) は様々な形態を取ることが可能であった。――それはmずは商用の旅に関連付けることが出来、それはソキエタス・マリスと同じであり、ただこの場合は旅の目的値が海の向こうではなく陸続きの場所というだけである。

 Compagnia de terra はまた――そしてこの場合においてのみ特異性を示すのであるが――ある店/工房、”bottega”においての業務の遂行に関連付けられることが可能である。

32)Consitutum Ususのc.23のde compagnia de terra, P.897 l.c.を参照。

 このcompagnia de terra の形態では、出資者側のリスクが《陸上取引なので》軽減されているという事情に合わせ、企業家の利益の取り分は全利益の1/3になっている。これはソキエタス・マリスの場合では出資比率がトラクタトールが1/4、出資者《ソキウス・スタンス》が3/4の場合、利益は折半になっている。法規はここにおいても、トラクタトールが独立した企業家であるかどうかということを区別している。(”cum jam de suo quis negotiationem facere paratus fuit vel alterius”)(既にある者が自分自身の資本でまたは他人の資本で業務を行う準備が出来ている場合に)――それから出資が一方的で《トラクタトール自身が出資しない》場合は、トラクタトールは全利益の内から分配割合に従い2/3を出資者に戻す。それからその他の場合ではトラクタトールは完全に独立しており、資本家は単なる参加者である。――またはトラクタトールが多かれ少なかれ資本家達に従属した器官である場合である。最後の場合ではトラクタトールは多くの場合ある決まったbottegaと関連付けられて考えられており、そのbottegaと契約することで資本家はトラクタトールと契約するのであり、トラクタトールは自分の1//4の出資分を超えて第三者の外部の商品を出資として受け入れることは出来なかった。後の時代になって明らかに追加された規定としては、トラクタトールとある特定のbottegaを関連付けるという直接的な強制を除外するというものがあるが、そのことによって高い明証性を持ってそうした除外が元々存在していたと結論付けることが出来る。このことからまた、次のことも確からしいと考えることが出来る。つまりトラクタトールのbottegaに対する広範囲で見られて依存関係を考慮に入れた場合、bottega におけるトラクタトールは隷属的な手工業者のやり方を引き継いだいわば後継者であったということである。それは fattore (代理指図人)、famulus (家奴)、Kommis (手代・番頭)が隷属的な使用人の後継者であったのと同じで、委任される者(Kommendatar)は隷属的なKargadors《船荷に同行する使用人、現代スペイン語ではcargadorで港湾労働者、運送屋、ポーターの意味。》の後継者であった。より確定的なことを述べるのは不可能であるが、次の考え方はしかしながら確実に存在している。つまり societas de terra と今まさに述べて来たやり方での隷属的なトラクタトールはまた法形式としては、今日我々が家内制手工業と呼ぶある程度の大きさの産業と労働者の関係に適用されるものと同様のものであった。Consitutum Usus の法規定により決められているように、こうした製造のための集団(association)において製造業者はトラクタトールの労働によって作り出された商品から得られる利益の配分についてのある種の独占権を留保しており(第三者の出資の禁止により)、製造業者はトラクタトールに対し手工業生産のための機械や治工具、家具、そしてしばしばある種のCottage-System《労働の対価の一部として住居を安く提供すること》――住居または bottega を提供している 33)。

33)疑いもなく存在していた家内制手工業の法形式についてより深入りするのはこの論考の目的ではない。Stieda《Wilhelm Christian Hermann Stieda、1852~1933年、ドイツの国民経済学者、経済史家。》の Die deutsche Hausindustrie によるこの制度についての全ての経済学的な指標はしかしながらこの論考で述べて来た様々な人間関係に当てはまっている。ほとんどすべての規定の中に大商人または大工場経営者と手工業マイスター《熟練職人》達との間のこの種のソキエタスの結成を禁止する条項が何度も繰り返し現れている。もちろんこうしたソキエタスの禁止は社会政策的に労働従事者や手工業の保護を目的として追求したものではなく、いずれにせよ一義的にはそうではなく、その他の大工場経営者達を手工業によって製造された安価な商品との競争からと、労働力の供給の全てを個々人の利益のための独占から守ることが目的であった。――後述の注35も参照せよ。

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