IV. Pisa. Societätsrecht des Constitutum Usus. – V. Florenz P.283 – 288 日本語訳(36)

日本語訳の第36回目です。この回は胸突き八丁という感じで、解読が大変な俗ラテン語がやたらと登場しましたし、またギールケの説に対する反論が、その元のギールケの説を知らないと言うこともあって苦戦しました。しかし何とか第4章を終えて第5章に入りました。
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合名会社と合資会社の原理上の違い

 製造業者にとってそのような状況があったのであれば、我々は観察結果について次のような興味深い証拠を再び手にしたことになる。――その観察結果はラスティヒが詳しく述べた見解に近付くのであるが――それはつまりコムメンダ関係とそしてそれに続き更にはまた合資会社へも発展していく人間関係が、その出発点は経済的に見て、また更にはそういう言い方さえ出来る、社会的に平等ではない地位の者達の連合(association)であるということであり、その一方では連帯責任原理というものが、相互に平等であって原則的にはある財産に対して平等な処分権を付与されている者達のゲマインシャフトから生まれているということである。

 ピサにおける様々なソキエタスが、そこから連帯責任の原理が生成される基礎では決して無いと言う事例を我々は数多く目にすることが出来る。ここで問題となるのはただ次のことである。つまり可能性としてソキエタスの財産に対しての制限の方策が、特別財産一般の形成を、つまりまた公開会社(ゲゼルシャフト)の形成を、抑制する方向に働いたのではないかということである。特に次のことは確からしいと言えるであろう。つまりbottegaとそれに属する財産についての責任を制限することが、その制限はソキエタス・マリスからの類推によって compagnia de terra において生じたに違いないののであるが――文献史料はそれについては何も言及していないが――、公開会社(ゲゼルシャフト)においての業務によって生じた財産に対する、先に述べた制限の強化を促進したのであると。それ以外にソキエタスの財を特別な勘定に入れるという簿記上のやり方も、つまりそれがどのようにジェノヴァの文献史料及び海上取引に関わる諸ソキエタスにおける事物の本性(die Natur der Sache)《法律が存在しない時に裁判の判断の基準となる社会通念や公序良俗などのこと》から発生したのかということも、また連帯責任原理の生成への抑制に影響力を持っていたと言える。文献の位置付けについてはしかしながら未定のままにしておかねばならない。

ソキエタスに関する諸文献

 これまで詳しく述べて来たことから導き出されることであるが、ピサの法規がソキエタス法に関する研究に対して相対的に多くの材料を提供している一方で、その研究調査の成果物は非常にわずかである。――Bonainiが出版した書籍において、compagnia de terra においての対立する意味として次の2つが例示されている。その一つは 1)利益の取り分という意味での労働の対価、そしてもう一つは2)利益の取り分という意味での資本投下の対価、である。

 1)の例としては1337年の次の文献がある:  Toccius maliscalcus … posuit semetipsum cum domna Cia … ad standum et morandum cum ea ed ejus familia ad artem … matiscalcie et fabrorum faciendam et exercendam in apotheca ipsius dae Ciae et extra, ubicumque lucrum … percipiendum erit, hinc ad annum unum … et ei ejusque familiae … serviet pp. (蹄鉄工の Toccius は Cia 婦人と次のことについて合意した…つまり彼女とその家族の元に留まりさらに滞在し続け次のことを行うことを。…職人として蹄鉄工の仕事にCia婦人の作業場にて従事し作業することを、またはそれによって利益を保証される限りにおいては別の場所でも…この日付から1年間…彼女とその家族に奉仕することを。等々)(ここで書かれた蹄鉄工の仕事の)利益はまずは Cia 婦人のものとなり、Toccius は賃金として月に45ソリドゥスを得、さらに全体の利益の1/4を得る。 ここにおいては Cia がソキエタスの capitanea (capitaneus の女性形)であり、Tocciusは部分的には従僕でありそれに対しては賃金が支払われ、また同時に全体の事業に対するトラクタートルなのであり――それに対しては利益の一部が与えられる。

 2の例として存在するのは1384年の次の文献である:  Carbone … ligator bellarum de Florentia … et Joannes filius dicti Carbonis ferrovecchius … ex una parte, et Berthus furnarius … ex una et alia parte fecerunt … societatem … in arte … de ferrovecchiis, vendendi ad minutum et alia faciendi per dictum Johannem … in quadam apotheca posita in civitate Pisana conducenda … In qua … societate dictus Johannes mittat … suam personam et industriam … Et dictus Berthus mictet … florenos 200 auri … in florenis, mercantiis pp…. investiendies per dictum Johannem in mercantiis pp…. Et debet dictus Johannes … esse caput et major in dicta apotheca conducenda pp. (Carbone は…フィレンツェの貴金属についての責任を負うことになる…そして前述の Carbone の息子である Johannes は貴金属を扱う商人であり…この Johannes を一方のメンバーとし、そして金属加工の職工である Berthus を…もう一方のメンバーとしてソキエタスを結成する…次のやり方で…金属屑については、小物とまた他に作られた(大きな)物は前述の Johannes によって販売され…Johannes はピサにある店(倉庫)において契約し…そのソキエタスにおいては前述の Johannes は彼自身の労働力と業務を提供する…そして前述の Berrthus は mictetする《おそらく高炉を使って金属製品を作るといった意味》。…200フロリン金貨が…フロリン金貨で、商品に、等々…前述の Johannes はによって商品その他への出資が行われる等々…そして前述の Johannesは…前述の契約した店(倉庫)において(その事業の)責任者かつ管理者とならなければならない、等々。)店(倉庫)(apotheca)の家賃と Johannes とその従者の生活費、さらに同様のソキエタスにおいて慣習的に差し引かれる経費を控除した後に残ったものが、利益の残りとなる。そして4年が経過した後の最終資本は半分ずつに分けられる。  

 Ricordi Di Cose Familiari de Meliadus Baldiccione De’Casalberti Pisano 《Bonaini編の1339~1382年のピサの文献史料、1850年版》は一人の資本家について言及している。その者は、同様の後継の資本家がジェノヴァにおいても登場するが、同時にかつ継続的にその資本を海上または陸上における非常に様々な事業に投資しており、その大半はソキエタスにおいてであった 34)。

34)Archivio storico italiano App. t. VIII. 単純なコムメンダ、例えば1344年:Commuccio … e Barone suo figliolo de Piombino dîno dare a me Milisdusso Balduccione … che li diei loro in compagnia di pescara in Corsica fior. 6 d’oro e altretanti ne die’ loro Andrea Masso … (Commuccio とその息子であるピオンビノ《イタリアのトスカーナ州リヴォルノ県のコムーネ》の Barone は私こと Milisdusso Balduccione に与えることについて…その者達は私と彼らが compagnia を結成してコルシカ島で魚の売買をした日に6フロリン金貨を私に与え、同じ額を彼らは Andrea Masso にも与え…)利益の分割の割合は自明なこととしてここでは言及されていない。同様に:1344年:Commuccio … de’ dare a me Miliadusso Balduccione … che li diei in Cia ad andare in Corsicha a la parte … a mio risco di mare e di gente fior. 12.)(Commuccio は…私こと Miliadusso Balduccione に与えることについて…その者が compagnia を結成してコルシカ島に行った日に次の部分に対して、つまり海の危険の分と人員の費用として12フロリンを私に与える。)この部分では1フロリンと12ソリドゥスの他に12フロリンが支払われていることが明記されている。――Compagnia di terra:1357年の文献:50フロリンがbottegaにおいて委託され、…e non li de’ mettere in mare e se Dio li fa bene de’ fare bene a me e se danno lo simile, la parte che ne toccha a 3 mili donari, (そしてその者はそれを海上取引に持ち込んではならない。神がその者に幸運を与えるのであれば、その者は私にも同じようにしなければならない。同様に貨物に損傷が起きた場合には、その者は私の持分である300デナリまで補償しなければならない。)――この場合は明白なこととして(他のソキエタスの成員の行動に)干渉権を持たない単なる資本参加である。

 一人の製造業者(工場主)と一人の労働者 35)の連合(association)についての文献としては、Bini《Telesforo Bini、1805~1861年、イタリアの文学史家》編のもの(I Lucchesi a Venezia I p.50)があり、その文献はまた先に述べて来たこの種のソキエタスのピサという都市に対しての経済的な意義をまた裏付けている。――これ以外には証拠となるような文献素材は存在していない。

35)Joannes quondam Buncontei Paltoris tintor ex parte una, et Cincius quondam Tedaldini et Franciscus filius Campanari … mercatores sete et filugelli pro se ipsis … intendentes simul compagniam et societatem facere in arte tingendi … setam et filugellum … et propterea apothecam communem et masseritias et alia utilia et necessaria habere … Joannes … exercebit et operabit artem tintorie bona fide … custodiendo et gubernando feliciter setam et filugellum … (以前は Buncontei Paltoris であった染物職人の Joannes を一方のメンバーとして、そして以前は Tedaldini であった Cincius と Cappanariの息子である Franciscus は…生糸と蚕を自分達自身で扱う商人であり…以下を行おうとしている。Compagnia とソキエタスを結成し染色を行う…生糸と蚕を…そしてそのために共通の apotheca (店)と作業場とその他の設備と必要なものを保持する…Joannes は…染色作業と設備の操作を誠実に行い…生糸の生産と蚕の飼育を自発的に維持し管理することを… )それもある業務を執り行うための bottega において。Joannes はその割り当て分として500リブラを得、更に設備と利益の1/2を手元に留める。第三者と(更に別の)ソキエタスを結成することは出来ず、他の者のための染色作業も行うことが出来ない。製造業者が労働力を自分のためだけに使うように独占することはおそらく次の人間関係《の規定》と同じであり、それは文献の中では手工業者とのソキエタスの結成の禁止の所で扱われている人間関係である。禁止の理由は、それについては既に注33で述べているが、手工業者の社会的・政治的な保護という側面は小さく、むしろその中に見られる競争とまたそこからの懸念としての労賃の上昇を抑止するという側面が大きかった。

 既に言及した労働者と手工業者の古くからの依存関係は、未だにある個別の専門分野に属している互助的な小事業に従属していて、その個別の専門分野に該当するギルド(Zunft)の中に出現しているのである。

成果

 ここまでのピサの諸法規についての観察の成果としては次のことが挙げられる。つまり、Consitutum Ususがソキエタスについて規定している箇所では、合資会社的な関係が存在していることを確認出来たことである。――歴史的に見てのこれらの法形態と合名会社 36)との間においてのはっきりした対立は、ここにおいてまさに明確に現れているのである。

36)歴史的な事実として、両者(合名会社と合資会社)は異なった起源からそれぞれ派生して来たということは、多くの独断的な見解を吟味する上では重要である。

 ギールケ(Die Genossenschaftstheorie und die deutsche Rechtsprechung)が合名会社を個人を対象とする法規に基づく関係であると描写する場合、その描写はあくまでも彼がその際に理解している意味においてのみ認容することが出来る。その意味とはソキエタスの成員が実際の所 stare ad unum panem et vinum (一かけらのパンと一本のワインを分け合う)ということによって相互に関係づけられている、ソキエタスの成員の総体的な財産権における人格として、ということである、――しかしギールケは更に(p. 454 l.c.)合資会社に対して概念的な構成を行おうとしている。それによれば、その際には「制限された株式による財産権を持った人格」、つまり有限責任社員が合資会社に従事しているのであり、しかしながらそのことは株式による合資会社についてあまり一般的では無い「代替可能となった人員」という概念を導き出している。そうした議論は非常に独断的でかつ必ずしも正しいとはいえないように見え、有限責任社員のある決まった額の出資金に固定された会社への参加の程度がどのように次のことを導き出すことが出来るか、つまり財産権の観点で見た法人の人格性の一部(である有限責任社員)についての別の意味を説明することが出来るかどうかということであるが、その説明については何か別の義務的な人間関係についてのものをそのまま適用しているように見える。出資者は合資会社における労働力の、またはその会社財産のどの任意の部分についてもそれを自由に使うことは出来ず、自由に処分可能なのは自己の出資分の固定された金額についてのみであり、それは金銭貸借における債権者の立場と同じことである。その出資者の全体の活動においてのビジネスの部分については、(合資会社という)ソキエタスの関係によって影響を受けることはまったく無かった。歴史的には完全に次のことが確認可能である。つまり、合名会社が実際の所前述したような意味での人格権と名付けられるような人間関係から派生したという一方で、合資会社はまったく異なる前駆体から出現したのであり、その前駆体においては最初から(後の)有限責任社員においてその(合資会社の)業務全体についての関係を扱っているのではなく、その業務の意味は、本質的にはただ出資を通じて参加するだけである。有限責任社員にとってはその参加の度合いというものは出資した金額の範囲内に制限されていたのである。

 合資会社が合名会社にとって次の発展段階であるというような、そういう事実は見出せない。そうではなくて、合名会社と合資会社は歴史的にも理論的にもお互いに同じレベルで鋭く対立するものなのである。

V. フィレンツェ フィレンツェにおける産業上の財産

 フィレンツェにおける商法の発展については、既にラスティヒにより繰り返し主張されているように、カテゴリーとしてイタリアの沿岸(港湾)諸都市のそれと対比されるものとして把握されかつ説明されている。フィレンツェは、コムーネにおける独立した法規という形での法形成が始まった時代においては、内陸都市であって、その海への出入り口として唯一関税徴収のための税関が無い商用の道路が、その前にあるピサの領土によって封鎖されていた。《1406年にフィレンツェがピサを支配下に収めるまでこの状態は続いた。》このフィレンツェにおいては本来のものとしての大規模な交易と遠隔地との交易を資本形成の基礎として説明することは出来ず、フィレンツェ自身が作成していた法形式については、ここでは独自のものは存在していなかった 1)。そうではなくて経営活動については、産業においての労働への言及という形で行われていた。大規模な産業によって形成された財産がこの都市の経済的な力の基礎となったのであり、そしてまた大規模な同業者組合(Konsortien)によるが、それは14世紀においてはイングランドのエドワード王《エドワード3世》、ナポリのアンジュー家《ロベルト1世》、ギリシアにおけるラテン語話者住民、イタリアにおけるグエルフィ《教皇党》に対する資金援助を行っていた。その同業者組合はツンフト(ギルド)のメンバーの中の大規模ないくつかの家によって形成され、特に毛織物業者の集まりから、つまり Arte de Calimala という毛織物業者組合から、ペルッツィ、アルベルティ、バルディッサ、アッチャイオリの各名門家が出現した。このような産業における財産が何世代にも渡って取り組もうとした経済上の課題は、同時にツンフトの法規においての立法上の課題でもあった。疑いも無く、発展の最初の諸段階においては、商品の売買というものは商品の製造の後ろに隠れた存在であり、我々はその点において労働ゲマインシャフトの力強い発展を、特に家族ゲマインシャフトの力強い発展を予期するのである。――それの意味する所は、家族こそ産業におけるゲマインシャフトの自然な土台であり、そしてただ父親達から息子達や孫達へと代々継承された緊密に保持された大資本がその労働ゲマインシャフトの優先的地位を継続させることが出来たのである。 1)

1) コムメンダ関係については Arte di Calimala の法規(Emiliani-Giudici《Paolo Emiliani Giudici、1812~1872年、イタリアの文筆家》編のStoria dei comuni) のI c. 59で非公式のものとして言及されているだけである。

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